T.赤ちゃんのおもちゃとは
赤ちゃんと書いたが、本研究での対象は、乳児期と幼児期前期の子どもである。しかし、
関心の対象は乳児期にあるので、ここでは赤ちゃんという表現で対象を代表することとした。
子ども(赤ちゃん)のおもちゃについての研究から、おもちゃは赤ちゃんの心理的発達に
とっても重要であることが分かる。赤ちゃんに適したおもちゃの条件としては、次のような
ことが挙げられる。
まず一つ目は、おもちゃの安全性についてであるが、とがった部分などがなく口の中に入
れても害がないもので、洗うことができるものであるとよい。赤ちゃんは手で持ったおもち
ゃを動かしたり口へ運ぶとき、失敗して自分の顔にぶつけびっくりすることがある。また、
何でも口へ入れるため、舐めて害のあるものや、傷ができてしまうものであってはならない
し、清潔を保つ必要がある。
二つ目は、つかむのに適している形や重さであり、この点は、おもちゃの安全性とも関連
する。赤ちゃんは、自分で扱うことでつかむ・握る練習をし、手の運動機能を発達させる。
握る・放す動作を繰り返し楽しんだり、手から手へと渡して遊ぶ。そうしてものに取り組ん
でいくのである。
三つ目は、色・音・形・動きなどによって、赤ちゃんの感覚器官を刺激し発達を促すよう
な特徴を持つことである。赤ちゃんは赤や黄色などの鮮やかな色を好んで見る。そして色の
コントラストがはっきりしているとより注意をひく。音については、「しゃかしゃか」「りん
りん」といった涼しげな音を好むという報告もある。その他、色彩に関して、乳児は明度の高
いパステルカラーを好み、寒色系、特に黒を嫌うといわれる。中間的色彩よりも赤・青・黄・
緑など基本色を早く認知するようになる。また、視覚の発達には、様々な光と影のパターン
を見ることも有効であるという。
四つ目は、指でまさぐってみたくなるような、操作的な特徴を持つものである。これも、
赤ちゃんの興味をひき、様々な感覚を刺激する要素となる。
赤ちゃんの視覚を支える脳のシステムや、認知、思考を司る脳のシステムは環境との相互
作用によって作られることがボウルビィ、ゲゼル、ダーウィン、ローレンツ、ピアジェなど
の、多くの研究から明らかとなっている。しかし視覚刺激や聴覚刺激が過度にあふれた環境
は視覚・認知・思考のシステムを混乱させる。注視すること、傾聴すること、推論すること
が難しくなり、コミュニケーションがとれず、言葉や学習が遅れることも考えられるという。
生まれたばかりの頃は、お母さんとのふれあいが生活のすべてだが、生後1ヶ月を過ぎる
頃には動くものや音のするものを目で追うようになる。赤ちゃんは五感を総動員して世界と
出会っていく。このような赤ちゃんの能力・興味を引き出すためには、適度でいい刺激を与
えることが重要なのである。そしてそれがおもちゃのひとつの役割であり、おもちゃは赤ち
ゃんの発達に欠かせない楽しい遊びのパートナーとなる。
乳児期という、ものの世界と初めてかかわり、心身ともに著しい発達を遂げるこの時期に
は、異なった種類のおもちゃを与えられる必要がある。見ること、聞くこと、触れることな
どの経験により、想像力を養っていく。たとえば音のするおもちゃを見て、聞いて遊ぶこと
で、次にまたそのおもちゃを見たとき、どんな音がするのかを想像することができるように
なる。そして動きを目で追い楽しめるもの、簡単な手の動きで変化の起こるおもちゃなどが
よい。自分自身の働きかけで変化が起こるという随伴体験が、赤ちゃんの意欲と好奇心を伸
ばすのである。 そういった赤ちゃんが動くと揺れるモビールや、触ると動いたり音がしたり
するおもちゃは、推論の発達を促すおもちゃである。これに対して、一方的に回るオルゴー
ルメリーや、一方的に動くおもちゃなどは推論の発達を妨げると言えよう。
また、単純なモビール、触ると動くおもちゃなどは、注視を育てるおもちゃとしても挙げ
られる。大量の視覚刺激があふれた部屋や、目を合わせずに話しかける大人、色を多色使用
し複雑な模様などのものは、注視を育てにくい環境といえる。バランスのとれた環境を設定
するためにも、注視を促す環境を意識することは重要となる。
赤ちゃんの発達の観点、また安全性の面から様々な種類のおもちゃが作られているが、それ
らのおもちゃに対する赤ちゃんの反応を見た研究はなかなか少ない。加藤ら(1976)は、乳
児おもちゃの色彩の好みについての研究で、赤青黄のおもちゃを提示しどの色を好んで選択
するかについて調べたが、いずれかを多く好むということはみられなかったという。お気に
入りのおもちゃの種類としては、乳児前期での比較的単一な刺激を受容して楽しむものから、
次第に能動的に楽しむものへと移行していくことを指摘している。また、乳児おもちゃの素
材についての研究(加藤ら,1977)では、6種類の素材のおもちゃを3~10ヶ月の赤ちゃん
に手渡し、それを把握している時間と行動を調査している。長く把握されていた順に、ソフ
トビニール、硬質ビニール、フエルト、木、タオル、金属であった。この結果は、おもちゃ
の素材としてビニールやプラスチック素材が氾濫していることを否定できるものではなかっ
たとしている。また把握時間中に最も多かった行動が「しゃぶる」で、続いて「眺める」、
「ふる」の順に多かったという。口に入れ(なめ)、見つめるという赤ちゃんの物へのかか
わり方が示された結果である。
加えて重要なのは、おもちゃに命を与えるのは一緒に関わる大人であるということだ。
U.赤ちゃんの発達から
では発達初期の赤ちゃんはどのような能力を持っているのであろうか。発達に適したおも
ちゃについて考えるために赤ちゃんの発達について知る必要がある。表1は、乳児の月齢に
よる色彩感覚と運動機能・対人関係の発達について示したものである。ただし、運動機能・
対人関係については50%の乳児ができるようになる時期を基準としている。
Table 1
表2は、赤ちゃんの発達に合ったおもちゃの特徴とその例をまとめたものである。
Table 2
これらのことから、発達の早い時期から様々な能力を有していることが示唆される。
V.赤ちゃんの視覚の発達について
本実験では、赤ちゃんの刺激に対する注視時間を計測する。このため、赤ちゃんの視覚が
どのような発達的な特徴を持っているのかを理解することは重要である。
ここでは、とくに赤ちゃんの視覚の発達に関する先行研究を取り上げて検討する。
新生児は誕生したその日からある程度のものを見ており、追視も可能である。最初の1年
間に視覚機能は急速な発達を遂げることが明らかになっている。
(1) 選好注視法による研究
視覚的に提示された対象を注視する時間や頻度から視覚機能を明らかにしようとする方法
を選好注視法という。
この方法を用いてファンツ(Fantz,1963)は、生後48時間以内の新生児でも無地の面よ
りも顔や同心円の描かれた面のほうを長く注視することを見出した。また、顔の弁別につい
て、標準の顔、同じ顔で目などの構成部分をでたらめに置いたもの、標的のパターンを生後
4日から6ヶ月の赤ちゃんに見せたところ、どの年齢でも、標準の顔、構成部分をでたらめに
置いた顔、標的模様の順に好みを示したという。ほぼ6ヶ月までに、写真の顔より実際の顔
を、黙った動きのない顔より、話をしている動きのある顔を好むようになる。このことは、
生まれながらにして外界の多くの刺激パターンに注意を向けるのではなく、初めからあるい
は比較的早期にある範囲のものや特定のものに注意を向けるという情報処理における方向づ
けを持っていることを示している。意味のある情報に注意を向けさせるようにすることで、
赤ちゃんの情報処理、認知の発達に意味を持っているとみられる。さらに、同じ刺激が常に
到来するとそれに注意を向けず、他のものに注意の容量を残すといった慣化の現象があるが、
これも適応から言うと方向づけられていると思われる。このような乳児の傾向を利用した選
好注視法の開発によって、乳児の視覚機能が詳細に調べられるようになった(下條・Held,1983)。
(2)乳児の視覚探索反応−眼球運動と視覚走査による研究
新生児は、体の左右に提示された刺激に対して定位反応(たとえば目や頭を音源や視覚刺
激のほうへ向ける、触られた身体の側に頭を向ける、不快な臭いと反対側へ頭を向けるなど
の反応)を示す。これらの事実は、刺激が空間内のどこにあるのか大雑把な把握は誕生時か
ら可能であることを示すが、刺激の方向を「認知」したうえでの反応かどうかは異論のところ
であるという。視野のある部分を注視したり、動くものを眼で追って、ときに頭や上体まで
動かしたりという反応は、不完全ながらごく初期から認められるが、このような視覚による
探索活動は、生後2、3ヶ月間に急速に進歩する。
一様な視界に何かものが現れると、そこに眼を向ける反応が見られる。このようなときの
眼球は飛越運動と呼ばれる動きを示すが、動くものの追視の場合も、2ヶ月以下では飛越運
動の連続のようになる。飛越運動(succade, saccadic (eye) movement)とは、自由な眼球
運動の代表的成分で、急激に跳ぶ眼の動きのことである。一跳び40ミリ秒前後で小さいと
きは数分角、大きいときは30度以上も視線が走る。
新生児の眼球運動については、眼の開きぐあい、動きの統制の程度、動きの大きさなどに
注目して調べたヘイスの研究から以下のようなことが明らかになった。
・目覚めているときは、光が明るすぎるというのでなければ、普通は眼を開けている。目
覚めてはいるが眼を閉じているとき、光を消すとすぐに眼を開ける。つまり、まぶたを通
過する光の強度水準の変化に反応する。
・暗中で目覚めているとき、統制された眼球運動で探索を行う。
・明るい視野で何も「エッジ」が存在しないときには広範囲の、ときに統制されない探索
を行う。
・視野に「エッジ」(この場合は白と黒が接している)が現れると注視はその近くに集中
し、「エッジ」を横切って走査する。
・注視は「エッジ」の輪郭密度の高い部分に集まり、そのため走査の範囲が狭くなるが、
輪郭密度の低い部分では広範囲にわたって走査される。
つまり、新生児では図形をくまなく走査するわけではなく、三角形の角や、二つの輪郭線
の交わるところなど、明暗の対比のはっきりしたものや、輪郭の濃いものを注視するという
ことである。これらの結果は、先のFantzの研究と同様、赤ちゃんが極めて有能な視覚機能
を有していることを示唆しているのである。
(3)乳児における空間視の発達とその測定
視力(どれくらい細かいものを視覚的に区別できるか)という解像力は、いくつかの方法
で調べられるが、乳児の視力測定には選好注視法が有効である。これには、白黒の縞模様と
無地灰色の2つの領域を提示することが多い。乳児は無地灰色より縞模様を好んで眺める傾
向があるので、この場合の視力は、縞模様に対する選好注視が見られる最小の縞の幅で定義
される。縞が乳児の視力を超えて細かくなりすぎると、もはや灰色の領域と区別できないた
め、選好注視が無くなると考えるわけである。このようにして測定される視力を縞視力
(grating acuity)という。
選好注視法を用いた視力測定では、この他に、縞の横ずれを検出する解像力を調べる副尺
視力(vernier acuity)、両眼視差によって立体的に見える縞を平面的な縞よりも選好する
かどうかを調べる立体視力などがある。下條とヘルド(1983)によると、副尺視力と立体視
力とは中枢における発達の指標であり、大人では、この2種類の視力は縞視力よりずっと解
像力を示すのに対して、乳児では立体視能力は4ヶ月頃までは現れず、副尺視力が大人と同
様に縞視力を上回るのも4ヶ月齢頃である。6ヶ月くらいまでに、基本的な視覚機能は質的
には大人のそれに近づく。
このころには、バイオロジカル・モーションと呼ばれる人の動きの知覚も可能になるらし
い。人の胴体と手足の関節に小さな光点をつけ、その光だけが見えるようにした場合、その
人が動き出すと、私たちはそれが人の動きであり、男性か女性かさえわかる。選好注視法に
よってこのバイオロジカル・モーションを一方に提示すると、2ヶ月児では選考を示さない
が、4ヶ月児では、ランダムに動く光点や倒立したバイオロジカル・モーションよりも長く
眺めるという(Fox&MacDaniel,1982)。このように、発達初期に生物の動きに敏感に反応す
ることが示されている。
W.目的
以上にみてきたように、赤ちゃんの感覚知覚能力は想像されている以上に高度な情報処理
をしていることが明らかになってきた。これらのことは、赤ちゃんが無力で無能であるとす
るこれまでの考え方を大きく変えるものであった。このことは同時に、これまでの考え方で
作られてきたおもちゃに対しても疑問をなげかけることになる。もし赤ちゃんが有能であり、
視覚刺激に対して強い興味を持っているとすると興味を示す刺激も異なるのではないかと考
えられる。
本研究では、R児が反応を示したおもちゃの形態を元に、赤ちゃんが刺激の違いを区別する
か、また、どのような刺激に赤ちゃんがより注意をひきつけられるのかを調べたい。
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