俗信に関する研究


46期 安藤文野(廣岡ゼミ)

問題及び目的

 わたしたちが不安なときや自信を無くしたとき、何か信念と呼べるものをもっていることは、わたしたちの心の支えとなり精神的危機を脱するのに役立つ。

しかし逆に信念に取り付かれてしまうことで、精神的・肉体的に自分自身を傷つけてしまうこともある。ここで言う「信念」とは、「ある対象と他の対象、概念、あるいは属性と関係によって形成された認知内容」(西出,1988)と定義されるもので、広義には知識を含んだものと考えることができる。

また、西田(1998)の提唱したビリーフ・システムの下位槻念として信念をとらえたとき、同じく下位槻念である「知識」「偏見」とは異なり、「〜であるべきだ」などの強い動機づけを含むものであると考えることができる。

 このような信念の一つとして「俗信」がある。俗信とは「科学的な検証を経ていないにもかかわらず、ア・プリオリに信じられている知識・技術・因果観」(野村,1989)と定義されるもので、今後科学的検証をへて科学となり得るものも含まれ、一概に間違っているとは言えないものである。

しかし、これ程科学が高度に発達した現代社会において、定義上は科学と相容れない俗信が広く受け入れられている現象はどう説明できるのであろうか。現代の科学はあまりに高度になり過ぎて、専門知識をもたない多くの一般人には理解し難いものとなっている。

つまり、始まりと終わりだけが見えて途中の過程やシステムが見えない「ブラックボックス構造」を持つようになったと考えられる。俗信は本来途中過程のない(解明されていない)ものである。このブラックボックス構造が科学と俗信という相反するものが人々に広く受け入れられる要因となっていると考えられる。

また、文部省から発表された←新学力観テスト」(1997)lのデータによると、現代の小・中学生は、知識で答えられる「暗記科目」への正答率は高いが、自分の言葉で表現したり筋道だてて考える「思考力・創造力」の必要な問題への正答率は低い、という結果となった。これは、長く続いた「受験・知識重視型の教育によって生まれた、自分で考えることを嫌いまず答えを求めるという思考のスタイルが原因ではないだろうか。このスタイルが、過程は見えないが答えはある俗信をより信じやすくする原因となっていないだろうか。

 ここでいう俗信を「信じる」とはどういうことだろうか。従来の「〜を信じますか」というだけの質問は、少し信じる、全く信じないといった「量的な違い」を見ることはできるが、たとえば占いを信じて占いの結果に一喜一憂するけれどもすぐに忘れてしまうことを信じると言えるのかどうかや、あるいは霊を信じるといってオカルト的に信じるのと宗教的に信じるのとの違いやそれに伴う行動の違いなどの、いわゆる「質的な違い」を押し潰してしまっていると言えないだろうか。

 

奥田ら(1992)は、これらの「質的な違い」に注目し、俗信を(興味)(信念)(行動)の3側面から分析し、興味・信念側面で卜占・迷信・習俗・超自然・信仰の5因子、行動側面で信仰以外の4因子を抽出した。ト占や習俗は女性が男性よりも興味をもち、信じやすく、行動も起こしやすい、という結果や、卜占は若年層が、習俗では中高年層がより信じている、などの結果を得た。

伊藤ら(1996)は興味と信念の2側面から俗信を分析し、興味側面で2因子、信念側面で3因子抽出した。また、伊藤は科学因子との関連についても分析し、科学と非科学が一人の人間の心の中に共存し得るものであるという結果を得た。

 

 

 本研究では、俗信をどのように、どれだけ信じているかを測定する尺度として「俗信信奉尺度」を作成し、俗信を信じる個人の特性を測定する尺度としてあいまいさ耐性尺度(今川,1981)と認知欲求尺度(神山・藤原,1991)及び認知的閉鎖欲求尺度(Kruglanskiら,1993など)をもちい、俗信のとらえかたとあいまいさ耐性・詔知欲求および認知的閉鎖欲求との関連について検討することを第一の目的とする。

また、俗信に対する個人の主要な側面として仮定されている興味・信念・行動の3側面から調査、分析を行うことの有効性について考察することを第二の目的とする。さらに奥田ら(1992)や伊藤(1997)に基づき、俗信のとらえかたと性別および文・理系の違いとの関連について検討することを第三の目的とする。

 

U 方法

 1:質問紙の作成

 奥田ら(1992)や伊藤ら(1996)を参考に「科学」及び「非科学」について16項目を選定し、それぞれについて興味・信念・行動の3側面から質問をした。認知欲求尺度および認知的閉鎖欲求尺度はそのまま用い、あいまいさ耐性尺度は今川(1981)を参考に25項目を選定した。

回答方法は「1・かなりあてはまる」から「5・全く当てはまらない」までの5件法である。俗信信奉尺度については、より得点が低いほうが信じていると得点化される。

 

2:調査対象

 三重県内の短期大学および四年制大学の学生258名(男性117名、女性140名、平均年齢19.4歳)を対象とした。

 

 3:調査時期

 1997年12月上旬 


V 結果及び考察

【1:因子の抽出】

 各側面ごとに因子分析(主因子法・バリマックス回転)を行った結果、(興味)(信念)では占い・超自然・信仰・科学の4因子が、(行動)ではさらに習俗を加えた5因子が抽出された。また、3側面を独立させずに3(側面)×16(項目)=48項目について因子分析を行った結果、占い・迷信、・超自然・科学の4因子を抽出した。これらの結果から、(行動)は他の側面とは橋造が異なっていると考えられ、3側面を独立させずに調査分析を行うことは、この構造の違いを無視することになり、詳しい分析をするためには不適切と考えられる。また、伊藤ら(1996)に基づき科学とそれ以外の因子との相関を求めた(ピアソンの単相関係数)ところ、どの側面においても相関はほとんど見られなかった。つまりこれは、科学と非科学が両立し得るものであるということを示していると考えられる。

 

【2:認知欲求・あいまいさ耐性・認知的閉鎖欲求との関連】

今回、俗信とあいまいさ耐性尺度との相関はほとんど認められなかった。また、認知的閉鎖欲求尺度は本来複数の下位尺度から構成されているため、因子分析(主因子法・バリマックス回転)を行った結果、予測可能性への選好・あいまいさへの不快・決断力・規律への選好・閉鎖的心性の5因子を抽出した。

抽出された因子と俗信との間に弱い相関が認められた。また認知欲求尺度との間にも弱い相関が見られたため、尺度の合成得点の上位・下位それぞれ30%を目安として3群に分類し、認知欲求尺度(高・中・低)×認知的閉鎖欲求尺度因子(高・中・低)の9条件で二元配置分散分析を行った。占い因子における結果から、あいまいさへの不快が高い人や決断力の低い人が実際に占いを行う傾向にある。

また、占いを信じている人には2つのタイプがあり、認知欲求が高くて規律への選考が高いか閉鎖的心性が低い人と、もう一つは認知欲求が低くて人規律への選考が低いか閉鎖的心性が高い人である。前者は生き方を占いなどに頼っている人、後者はなんとなく占いを信じているだけの人と考えることができる。 

超自然因子における結果から、予測可能性への選好の低い人や閉鎖的心性の低い人が超自然的事象に興味をもち、信じて行動を起こしやすい。また、超自然的事象に関する行動を取る人つまり超自然的事象に関するテレビや本を見る人には2つのタイプがあり、認知欲求高で決断力高か、規律への選好高の人と、もう一つは認知欲求低で決断力低か規律への選好低の人である。前者は超自然はいつか科学的に解明されるものであるとして信じている人達で、後者は不思議なものへの興味や好奇心から信じている人であるといえる。   ’

信仰因子における結果から、認知欲求の高い人が興味をもちやすい。信仰に興味をもつ人にも2つのタイプがあり、一つは認知欲求が高くて、かつ予測可能性への選好が高いか規律への選好高の人、もう一つは認知欲求低でかつ予測可能性への選好低か規律への選好低の人である。

前者は自分から宗教に傾倒し、宗教団体などに入会する場合に当てはまり、後者は世襲的にある宗教を信仰している場合に当てはまると考えられる。

 科学因子における結果から、認知欲求が高い人が科学に興味をもち、信じて、行動に移す傾向がある。また、予測可能性への選好が低い人が行動を起こしやすいという傾向が見られる。これは、未知なるものへの探求心が科学的事象に関する行動を起こすきっかけとなっている、と考えられる。

 また、今回の研究では、迷信・習俗因子については信仰因子や占い因子などで見られたような個人特性との関連は認めれられなかった。

3側面を独立させずに同様の二元配置分散分析を行った場合と比較すると、(行動)の習俗因子においてみられた結果が、非独立の場合は迷信因子の中に含まれてしまって見ることができない。

また、(興味)と(信念)の信仰因子閏にも予測可能性への選好において違いがみられたが、この違いも非独立の場合には見ることができない。これらのことから、3側面独立での分析がより望ましいものであると考えられる。

 

【3:性別、文・理系の差との関連】

 三重県内の四年制大学の人文・教育学部を文系とし、工・生物資源・医学部を理系として性別×文理糸の4条件で二元配置分散分析を行った。

占いや信仰、迷信や習俗などは男性よりも女性が、科学は男性がより信じやすいという結果となた。また、文糸の方が占いに興味があり、理兵の方が科学に興味をもちやすいという傾向も見られた。

この文・理系の違いが3側面非独立の場合は見ることができない。ここでも、3側面独立の分析が望ましいと考えられる。

  

W まとめ

俗信のとらえかたと個人の特性との関連が認められたが、単純に「〜が高い人が信じる」といったものではなく、いくつもの要因が重なって初めて「信じている人」という区別が可能になった。さらに、今回の研究では俗信を信じている人には大きく2つのタイプがあることも見いだされた。また、3側面での分析の有効性も認められた。

今後の課題としては、迷信や習俗が他の個人特性と何らかの関わりがないかどうかや、また、伊藤(1997)が主張するような文系・理系の間に性格的・認知的な差は本当にあるのかどうか、なども検討されることが望まれる。