帰属スタイルと達成動機に関する研究

 

 

47期 15092 寶起 義行(廣岡研究室)

 

はじめに 

 

 人は人生を生き抜いていく過程で様々なことを経験する。それは失敗であったり、成功であったり、辛いこと、悲しいこと、うれしいことと様々である。それらの出来事で人を幸せにするものは一体何であろう。人にはそれぞれ異なった考え方や価値観がある。

だから、人を幸せにするものは人それぞれ違うため幸せにするものを厳密に定義することは難しい。では、人を不幸にするものは一体何であろう。人は悲しい出来事や苦しい出来事に遭遇したときある種の状態に陥る。それは抑うつ状態であったり、無気力な状態であったり、将来に希望が持てなくなる。この状態こそ人生における不幸であり、その人にとって不幸な出来事が起こり、それに対して適切に対処できることこそ人生を幸せにするのではないだろうか。では、将来に希望を持ち続けるには、一体どうすればよいのか。それはある種の考え方をすることによって可能になるのだ。その考え方というのが本研究で扱う帰属スタイルというものなのだ。

 

T.問題及び目的 

 

(1)帰属スタイルとは

 

 本研究で扱う帰属スタイルとは、個人のもつ帰属傾向で、説明スタイル、セルフ・モニタリング、ローカス・オブ・コントロールといった概念で説明できる。

 人は何か成功したとき、失敗したとき、何故そうなったのか原因を考える。そしてその考えは次の成功や失敗にも影響を与える。具体的には、課題に成功したときその原因を的(自分)、安定(能力)要因に帰属すると次の課題の成功への期待や達成動機が高まるため、再び成功しやすく、課題に失敗したときその原因を外的(自分以外の人)、不安定(努力不足)要因に帰属すると自尊心は傷つかず、課題の成功への期待や達成動機は低下しないことである。このように個人の考え方の習慣の違いが帰属スタイルである。

 

(2)帰属スタイルの特徴

 Seligmanの説明スタイルは帰属傾向を個人の特性として捉え、精神健康面に応用した。Seligmanはこの帰属習慣を楽観性という言葉で表した。説明スタイルでは、失敗の原因を内的、安定要因に帰属し、成功を外的、不安定要因に帰属する傾向を悲観的説明スタイルと呼び、逆に失敗の原因を外的、不安定要因に帰属し、成功を内的、安定要因に帰属する傾向を楽観的説明スタイルと呼んだ。

そしてSeligman(1991)によると楽観的説明スタイルの者は悲観的説明スタイルの者に比べ、成功体験が多く、課題の達成度が高く、抑うつや無気力状態に陥りにくいと指摘している。また、藤南ら(1994)の研究によると楽観性の低い者は、ストレスを感じたとき、抑うつになりやすいという結果を導き出している。帰属スタイルが異なるだけで、精神健康上に大きな差が見られるは説明スタイルだけではない。セルフ・モニタリング傾向では、岩淵ら(1982)によると対人不安とで負の相関、自尊心とで正の相関がみられた。ローカス・オブ・コントロールでは鎌原ら(1982)により抑うつ性の間に負の相関が確認されている。

 これらの帰属傾向を表す概念は、精神健康上と大きな関わりがあることがわかり、帰属スタイルを変えることが、物事の達成や成功に導き、失敗や不幸な出来事に対処できることを可能とすると考えられる。では何故帰属スタイルが変わるだけでこのような違いが現れるのだろう。それを考えるのが本研究の目的である。この疑問を考える上でまず、説明スタイルの基となったWeinerの帰属理論について考える。

 

(3)Weinerの帰属理論

 

 帰属理論とは1960年代終わりにWeinerによって提唱された理論である。この理論をもとに、個人の帰属の仕方の習慣を個人の特性として捉えたのがSeligman(1991)の提唱する説明スタイルである。Weinerの帰属理論は単独の事柄での達成に関するものであった。帰属理論は帰属スタイルの基となる理論である。

 Weinerの帰属理論では帰属の仕方により達成動機が高まることが明らかになっている。しかしこれは単独の出来事に関する帰属の場合であり、習慣化された帰属スタイルではない。帰属理論では、失敗の原因を内的、安定要因に、成功を外的、不安定要因に帰属した場合、達成動機は低下する。しかし、失敗を外的、不安定要因に、成功を内的安定要因に帰属した場合、達成動機は高まる。達成動機が低い場合と高い場合では次に同じ課題を与えられたとき、達成度に差がでるは容易に予測できよう。広瀬ら(1982)の研究では、このWeinerの達成動機を絡めた帰属理論モデルはほぼ支持される結果を導き出している。

 つまり帰属の仕方によって生じる達成動機の高まりが、その後のパフォーマンスを増大させているのだ。これは単独の出来事に関する帰属の場合であるが、帰属の仕方を習慣化し、個人の特性として捉えた帰属スタイルの場合、達成動機との関係はどうなっているのだろうか。

 帰属習慣スタイルの違いは達成動機にどのような影響を及ぼすのか検討してみることにした。

 

U.仮説

 帰属スタイルと達成動機との関係は帰属理論同様に、失敗を内的、安定要因、成功を外的、不安定要因に帰属する習慣のある者は達成動機が低く、失敗を外的、不安定要因、成功を内的、安定要因に帰属する習慣のある者は達成動機が高いと予測できるだろう。

つまり、帰属の仕方は習慣化されても達成動機との関係は、単独の出来事を扱う帰属理論同様に保たれ、それが帰属スタイルの違いで成功体験や課題の達成度、抑うつ傾向や無力感への陥りやすさが異なることの原因になっていると考えられる。そして以下の仮説が導き出される。

 楽観度の高い者(失敗を外的、不安定要因、成功を内的、安定要因に帰属)つまり、楽観的説明スタイルを持つ者は達成動機が高く、楽観度の低い者(失敗を内的、安定要因、成功を外的、不安定要因に帰属)つまり悲観的説明スタイルを持つ者は達成動機が低い。

尚、本研究では個人の帰属スタイルを説明スタイルという概念に加え、セルフ・モニタリングの他者志向性という因子でも達成動機との比較を試みている。セルフ・モニタリング傾向が強い者は一般に、外的要因に基づいて行動をし、弱い者は内的要因を基づいて行動が統制される。

 

V.方法

 個人の帰属スタイルを測るために、楽観度テスト48項目(Seligman)、セルフ・モニタリング尺度25項目(岩淵・田中・中里)を使用。達成動機を測るために、達成動機測定尺度23項目(堀野ら)を使用。11月下旬から12月上旬にかけて国立大学生256名に実施。平均年齢19.8歳、男子115名、女子141名

 楽観度とセルフ・モニタリング傾向を測定しそれぞれ高群、低群に分け、高低群間での達成動機とを比較した。またセルフ・モニタリング尺度においては、帰属スタイルという概念の妥当性を高めるため他者志向性という下位因子のみでの測定を行った。

 

W.結果

 

図1 楽観度高、低群と他者志向性高、低群における達成動機得点

 

図1より楽観度の高群と低群では、達成動機が低群より高群の方が5%水準で有意に高いことがわかった。これはWeinerの帰属モデルが、習慣化された帰属スタイルである楽観度においても、帰属理論同様達成動機との関係が保たれていることを示している。 

 

X.考察

この結果から考えても、Weinerの帰属理論モデルは単独の出来事だけではなく、習慣化された帰属スタイルにおいても達成動機との間に同様の関係を保つことがわかった。このような結果になった原因は次のように考えられる。

 まず一つは、楽観度の高、低群での達成動機の差は、楽観度は精神健康性の指標でもあり、自尊心と大きな関わりがあり、悲観的説明スタイルを持つ者は自尊心が低く、楽観的説明スタイルを持つ者は自尊心が高いため、達成動機に差が出るのは明らかである(Seligman、1991)。そして他者志向性においては、ある状況で適切な行動をとることに関心が強いため、自分以外の人に失敗の原因を帰属することは、適切でないと判断しがちになり、失敗の原因を自分にばかり向けて、自尊心を低下させてしまうのではないだろうかと考えられる。

そしてもう一つは、帰属すること自体が習慣化されやすいものであることが挙げられる。何故そう言えるか。それは帰属の仕方が個人のパーソナリティーに従って行われる可能性があるからだ。基本的な自尊心が低いというパーソナリティーを持つ者は、悲観的な帰属をし、失敗したときその原因を内的、安定要因に、成功したときその原因を外的、不安定要因に帰属するだろう。基本的な自尊心が高ければ、楽観的な帰属をし、 失敗したときその原因を外的、不安定要因に、成功したときその原因を内的、安定要因に帰属するだろう。

 また、習慣化される帰属は、失敗したときの帰属の仕方が最も習慣化されやすいと考えられる。何故なら失敗して内的、安定要因に帰属したとき、帰属により傷つけられた自尊心や感情により再び失敗をしやすい状況に陥る。そしてまた失敗して傷つけられた自尊心や感情のため、その原因を内的、安定要因に帰属する。だから失敗したときの悲観的な帰属の仕方は繰り返されやすく、習慣化されやすい。

 

おわりに    

 

 帰属スタイルによって、成功体験や課題の達成度、抑うつや無気力感への陥りやすさに差がでるのは、Weinerの帰属理論より、帰属の仕方から生じる達成動機が原因であることが、結果としてが考えられた。では帰属スタイルを変えるにはどうしたらよいのだろう。Weinerの帰属理論のように帰属の仕方を変えるように心がけて、達成動機を高くすることを繰り返し、それにより精神的に健康な帰属

の仕方を身につけることが幸福をもたらすのであろうか。しかし失敗を他人に帰属したり、自分の幸福だけを考えることは極めて利己的な人格を形成してしまう恐れがあるのではないだろうか。

 

 人間は幸福を追求し、欲求を満たすために生きている。何かの欲求が満たされればさらに高い水準の欲求を満たそうとする。私たちは欲求の水準がだんだんと上昇していることに気付かず、既に満たされている欲求には目を向けようとしない。そして常に欲求を満足させるために試行錯誤を繰り返す。その過程において幸福や不幸という結果が伴う。人は欲求が満たされれば幸せなのである。ならば不幸と感じたとき満たされない欲求から考えをそらし、満たされている欲求や満たすことの欲求に目を向けてみてはどうだろうか。きっと自分では気づいていない幸せが隠れているのではないだろうか。そうやって自分のことを客観的に考える時間を持つことが幸せへの第一歩なのだと私は思う。