T 問題と目的
はじめに
私達の社会には、非常に多くの情報が氾濫している。それにも関わらず、生まれてきた子ども達は、
比較的早い時期に周囲の世界についての知識を獲得していく。このような早期の知識の獲得のために、
子ども達は、どのような情報処理システムを持っているのだろうか。そして、獲得された知識は、長期
記憶内にどのように保持されているのであろうか。
大人の情報処理システム
大人の場合について考えてみると、私達が円滑に生活をしていくためには情報の保持と処理
を並行して行うことが必要である。このようなはたらきを説明する概念として近年注目されているのが、
ワーキングメモリ(working memory)である。ワーキングメモリとは、私たちが何か行動
をするときに、必要な情報を一時的に置いておく心的な作業台と、作業するための決まった手順の入っ
た引き出しを仮定し、情報を作業台の上に一時的に保持しながら、引き出しから取り出した手順に沿っ
て作業をするという脳内の情報処理システムをさす。言い換えると、作業台の広さが一度に保持できる
情報の量、手順の入った引出しが長期記憶ということになる。
近年では、長期記憶内の知識が一部活性化されたものがワーキングメモリであるとする考え方もあり、
長期記憶との関連が示唆されているが、この問題についての検討は、いまだ十分であるとはいえず(苧
阪, 2000)、本研究においても検討を加える。
幼児期の情報処理システム
では、これまでに幼児期の情報処理システムとしてどのようなことが明らかにされているの
であろうか。長期記憶内の知識について、幼児が獲得している日常生活の一連の活動についての記憶、
すなわち日常生活についてのスクリプトについて検討した研究は多い
(無藤,1982 ; 藤崎, 1995, 1998など)が、スクリプトの構造はどのようになっているのか、また、
それが情報処理の過程において本当に利用されているのかなどを検討した研究はないように思われる。
一方、幼児期のワーキングメモリについて検討した研究は多くないが、小坂(1999)は、5歳
児を対象に、ワーキングメモリの処理容量と課題文のスクリプトの有無が再認成績に及ぼす影響につい
て検討し、処理容量が少ない群の幼児であっても、スクリプトあり条件において、処理容量の大きい幼
児と同じ程度の情報を保持できるようになるという結果から、ワーキングメモリにおける処理容量と長
期記憶内の知識との相補性を示唆している。
本研究の目的
よって、本研究では、幼児が獲得している知識としてスクリプトに注目し、スクリプトを含む文
章と含まない文章による言語的記憶課題、及び、複数のイラストの中から、課題文に登場したイラスト
を選択する再生課題(以下、イラスト選択課題)を用いて、幼児期の情報処理システムの特徴を明らかにする。また、ワーキングメモリと重要な関わりをもつ長期記憶において、知識がどのように保持されているのかを明らかにすることは、子ども達がスクリプトを利用した情報処理を行っているかどうかを検討するのに役立つと考えられる。そこで、本研究では、Collins & Loftus(1975)の意味ネットワークモデルを参考に、イラストの再生までの時間を用いて長期記憶内のスクリプト構造のモデルを作成し、検討を加える。