問題と目的

自分に起こった出来事の記憶は自伝的記憶とよばれる。生涯を振り返ったときに想起される個人的体験に関するエピソードである自伝的記憶の研究はかなり古くからおこなわれてきたが、最近また自伝的記憶に多くの関心が向けられるようになってきた。これは自伝的記憶が、記憶事象の解明に役立つだけでなく、自己概念、価値観、人生目標、感情などの様々な側面と関連し、幅広く人間理解の糸口を与えてくれるものと考えられるからであろう。 過去の個人的なエピソードを思い出したとき、その内容のみが想起されることはまれで、そのエピソードを体験した当時の感情がよみがえってくることが多い。Conway(1990)は感情が生き生きした鮮明な記憶の形成や保持に重要な役割を果たしていると論じている。
日常的な出来事による研究では、快事象のほうが不快事象よりも想起されやすい傾向が認められた(Jersild,a1931;Meltzer,H 1930,1931;steckle 1945)。しかし神谷(1994)の研究では不快体験が安定して想起されるという結果がでておりそれまでの研究でいわれた結果と矛盾している。
また日常的な出来事による研究においてエピソードを想起させる場合「出来る限りたくさんのエピソードを想起させる実験」と「これまでの人生で強く印象に残っているエピソードを想起させる実験」がある。エピソードの想起における快体験の安定性が高いことを報告した先行研究では日常生活の一定期間に起きたエピソードが対象となっている。神谷(1994)の研究ではこれまでの人生をエピソード想起の対象としている。このちがいがエピソードの量及び質的な差異をもたらしたのである。
自伝的記憶は人生の目標や強い感情、個人的な意味を含んでおり、自己や個人のアイデンティティ(identity)と密接に関わっているという川口の研究がある。
青年の充実感は健康な自我同一性(identityと同義)の実感であり(西平1973)、充実感はアイデンティティ(identity)の各側面(自立―甘え、連帯―孤立、信頼―不信)と相互にかなり高い相関があることが大野(1984)により明らかになっている。それゆえ、自伝的記憶と充実感は何らかの関係があるのではないかと考えられるが、今までに充実感と自伝的記憶の関係を調べた研究はみあたらなかった。そのため本研究では自伝的記憶と充
実感との関係を調べてみたい。充実感とは、健康なアイデンティティ(identity)の統合の過程に感じられる自我の拡大、高揚感、自己肯定的感情であるとされる(大野 1981)。充実感を感じている者は肯定的な感情をもっており、肯定的な感情をもっているものは出来事を肯定的感情を伴って経験しやすく、また記憶内のネットワークから、肯定的な出来事を再生しやすい(Seidlitz,L&Diener,E 1993)といった結合理論に照らし合わせると、充実感を感じている者は肯定的な感情を再生しやすいと考えられる。
また、自伝的記憶はこれまでの生涯を振り返って想起する個人体験であるから、自伝的記憶の想起にはその事柄を体験してから想起するまでの間の体験はその自伝的記憶の想起に影響するであろうと考えられる。生活体験は文字通り、生活における個人の体験のことであり、自伝的記憶の研究においては、記憶の再生率を低くする要因と一般的に言われている。
対象を大学生にしぼり、また入学時の記憶に限定したのは大学生全体が経験し、かつ入学時、及びその後は大学での学問的な出来事はもちろんサークル、アルバイト、そして独り暮しなどさまざまな経験をするからであり、また、大学生は青年期後期にあたりErikson,E.H,(1959)アイデンティティ(identity)の発達理論によれば青年期後期はアイデンティティ(identity)の確立という重要な発達課題を持つ独自な時期であるとされていからである。
ここで入学時の記憶をより詳しくみるために以下のように定義付けしたい。
*自伝的記憶のなかで想起され記述(再生)されたものを想起数(実際あった出来事の記憶の量)
* 覚えていますかと尋ねられて答えられたものを主観的記憶量(実際あったと感じる記憶の量)
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