「甘え」の心理に関する研究
調査にご協力頂きました皆様ありがとうございました。
大変読みにくいかと思いますが、数日後にもっと見やすいページに更新しますので、ご了承下さい。中瀬
T.問題と目的
1.はじめに
土居健郎(1961,1971)が「甘え」を「日本人のパーソナリティ構造を理解するための鍵概念」として提唱して以来、40年以上の歳月が経過した。土居は、甘えは「人間存在に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすること」であり、「相手との一体感を求めること」であるとしている。すなわち乳児が自分と母親が分離していることを知るようになり、それを否定しようとして密着し、胎内にいたときのように再び一体感を味わうことを求めるのだ。また土居(1971)は、甘えが成立するためには「相手側がこちら側の意図を理解し、それを受け容れてくれることが絶対必要」だとしている。しかし、それは多分に相手次第であるために、甘える者は傷つきやすく干渉されやすいといえるのである。
それに対して、木村(1972)は甘えは「一体化を求める依存欲求」ではなく、「すでに相手に受け入れられ、一体化が成立している状態において、勝手気儘な欲しいままの振る舞いをすること」としている。それは何をしても許される、という馴れ馴れしい気持ちの上から、したい放題の振る舞いをすることなのである。祖父江(1972)は、「最初から相手が自分を受け入れてくれるであろうことを期待しながら、dependすること」としている。また、木村(1972)は土居の甘えは「甘えたい」「甘え続けたい」という願望であり、甘えそのものではないという批判もしている。
本研究では操作的定義として、祖父江の定義を採用して研究を行いたい。なお熊倉・吉松・小川(1989)の捉え方を参考に、「甘えたい」「甘え続けたい」という欲求も「甘えている」状態も甘えに含む、と定義しておく。
また、吉松(1989)は土居のいう甘えには「現象としての甘え」と「メタサイコロジカルな甘え」が入り交じっているとしている。前者の甘えは、「子どもが親に甘える」というように日本語がそのまま使われるときの甘えである。後者の甘えはすねたりひねくれたり、ひがんだりしている人をさして「あの人は甘えているんだ」という場合の概念である。本研究では「現象としての甘え」も「メタサイコロジカルな甘え」も取り扱う。さらに甘えは意識領域と無意識領域にまたがっているが、操作的に意識領域の甘えを扱いたい。しかしひがむ等の「メタサイコロジカルな甘え」のなかには、無意識領域の甘えも含まれると考えられるので、ごく一部だが無意識の甘えも扱うことになるだろう。
2.問題
土居の甘え理論はこれまでに多くの批判を受けてきたが、理由の一つとして甘えの曖昧さがあげられる。それは土居が甘え理論を構築したのが、臨床経験の過程であったからである、というのはしばしば指摘されるところである。その曖昧さのために実証的な研究もあまり盛んには行われていない。数少ない先行研究の中では、藤原・黒川(1981)が甘えの計量化を行い、甘えは対象によって表出する内容や程度が異なることを明らかにしている。しかし、甘え自身がどのような性質を持っているかということを実証した研究はほとんどないといってよい。
一般的な「現象としての甘え」に目を向けてみると、成人に向かって「あの人は親に甘えている」といった場合、それは「依存している」とほぼ同義で捉えることができる。このような甘えを取り上げて、甘えと依存を混同して考える人も少なくないだろう。土居(1971)も「甘えは全く対象依存的である」として甘えと依存の類似性を示唆してはいる。しかし、もちろん甘えをdepend等に英訳できないと主張しているように、決して甘えは依存と同義ではないのである。祖父江(1972)や原・我妻(1974)も、甘えは依存より複雑な概念であると定義している。だが、甘えを説明する上で、依存は大きな役割を果たしていることはまちがいがない。はたして甘えはどの程度、依存と類似した概念であるといえるのであろうか。
甘えの曖昧さ、複雑さゆえに、依存と同様に類似した概念は他にいくつもあると考えられる。まず、承認欲求があげられるだろう。承認欲求とは、人から肯定的な評価を受けたい、あるいは悪く評価されるのを避けたい欲求のことを指す。例えば「恋人に甘えたい」と願うことは、自分のことを肯定的に理解した上で受け入れて欲しいという欲求だと解釈できる。原・我妻(1974)も甘えを「言わなくてもわかってもらっている」つまり「承認され、肯定され、受容される」ことだとしているように、甘えが成立するためには肯定されること、否定されないことなどが、前提条件であると考えられる。日本版承認欲求尺度を作成した植田・吉村(1990)も、甘えと承認欲求の関連を指摘しているように、甘えは承認欲求とも関連があるといえるだろう。しかし「面倒なことはしたくない。誰かがやってくれるだろうから、甘えよう」といった甘えには、あまり関連がないように思われる。甘えは、どのように承認欲求と関わっているのだろうか。
親和動機も甘えの類似概念としてあげられるだろう。親和動機とは他者と一緒にいたい、仲良くしたいという気持ちを表す。土居(1971)は甘えを「相手との一体感を求めること」としているが、この定義は親和動機と類似しているとは考えられないだろうか。「つらいときに親友に甘える」という場合は、一緒にいたいのと同時に一体感も求めているといえよう。だが「あの人はいつも友達に友達に甘えてばかりいる」というときの甘えは、親和動機では説明仕切れない。他者の存在によって安心感や喜びを得るといった向きの甘えではないからである。どのようなときの甘えが、親和動機的な性質を持っているか検討する必要があるだろう。
さらに、甘える者は自分が満足するためには、常に甘えさせてもらうより他はない。ということは、常に相手に気に入られ受け入れてもらわなければならないといえる。しかしそれは不可能であるため、受け入れてもらうためにはある程度、自己に注意を払うようになるのではないだろうか。そのことは、甘えの強い者は「傷つきやすく干渉されやすい」という土居(1971)の記述からも、推測できる。傷つけば、自ずと自分について考えたり気にしたりすることもあるだろう。こうした甘えの側面は、自意識と関連している可能性がある。自意識の高さとの関係から、甘えの性質の一部が明らかになるかもしれない。
そして、甘えは「うらむ」や「ひねくれる」、「すねる」心理に関係している(土居 1971)。正確にいえば「甘えられない」心理であるが、「うらむ」のは甘えが拒絶されたために起こるのである。「ひねくれる」のは甘えることをしないで背を向けるのだが、根本的には甘えているのである。「すねる」のは素直に甘えられないからそうなのだが、実はすねながら甘えているともいえるのである。このような心理のとき、自分の気持ちをその相手に伝えるなら、直接的に訴えるのではなくあてつけめいた行動をとることもあるだろう。行動自体が「言わなくてもわかってほしい」というメッセージを含んでいるのだ。だが自分の心理状態を素直に表現しないため、あてつけめいた行動の真意が伝わるかどうかは、相手次第である。このような行動をとることを、小此木(1986)の記述を参考にして日本的支配原理と呼ぶことにする。もともと日本的支配原理とは自分と相手という二者関係において、自分は表向きは「自分を責め、謙遜する」「人に尽くす」「相手の罪を許す」「相手を受容する」ものである。しかし実際は意識的にしろ無意識的にしろ、相手に「自発的罪悪感」を呼び起こし、「恩を感じさせる」ものであり、相手からの「人望を得る」、相手を「支配する」作用があるのだ。こうしたマゾヒズム的行動は、自分を責めることによって逆に相手に罪悪感を引き起こす、あるいは人に尽くすことによって恩を感じさせる、あるいは相手の罪を受容することで、感謝の気持ちを引き出して人望を得るのである。このような形で人を支配するのだが、今回は日本的支配原理の攻撃面を取り上げた。「うらむ」や「ひねくれる」、「すねる」心理は、このような攻撃と関係していると考えられる。
以上のような視点で、甘えを類似概念との関連からどのような性質を持つものなのかを実証的に明らかにすることが本研究の目的である。そのための甘え測度は、いろいろな状況における甘えを区別していない「甘え」尺度より、「子どもが親に甘える」といった甘え、「恋人に甘えたい」といった受け入れられたい甘え、「面倒なことは誰かがしてくれる」といった甘え、「うらむ」・「ひねくれる」・「すねる」という甘えが区別された尺度の方が適切である。そのために、6つの下位尺度を持つ篠原・原崎(1999)の甘え尺度を使用することにした。その6因子は、「屈折的甘え」「引っ込み思案的甘え」「受容・承認を求める甘え」「追従的甘え」「非自立的甘え」「責任回避的甘え」である。それぞれの甘えがそれぞれの類似概念と異なった関わり方をすると考えられので、甘えを明確にするためには有効だろう。
3.目的
篠原・原崎の甘え尺度と類似概念の各尺度との相関を求めることが、本研究の具体的な目的となる。甘え尺度と他の尺度の因子間の相関係数を求め、甘え概念が他の概念とどのような関連を示すか検討し、甘え概念を明確にしたいのである。では次に、6つの下位尺度は類似概念とどのように関連すると予測できるか、述べておきたい。
・甘えと依存性
依存性は甘えの全体的な性質である。したがって6つの甘え全てと、強い関連がみられるのではないかと考えられる。しかし「あの人は親に甘えている」といった場合の、「非自立的甘え」がもっとも依存性が表面に現れているため、関連が強いかもしれない。また「屈折的甘え」は「うらむ」「ひねくれる」「すねる」に相当するが、表面上は甘えていないし無意識的な要素も強いため、あまり依存性との関連は示さないのではないだろうか。
・甘えと承認欲求
肯定的な評価を受けたいとする承認欲求とは、「受け入れられたい」とする心理に関係すると思われる。とすれば、まず「受容・承認を求める甘え」とは関連が強いだろうと考えられる。また、「引っ込み思案的甘え」や「追従的甘え」も受け入れられたいがために、こうした引っ込み思案であり追従的であるとすると、関連があるだろう。承認欲求は甘え全体を説明するものではないが、「わかってほしい」というような甘えの一部分を明らかにしてくれるだろう。
・甘えと親和動機
親和動機はHill(1987)によって、つらいときそばにいてほしい気持ちを表す「情緒的支持」、接触によって得られる活気や楽しさを表す「ポジティブな刺激」、自己評価のために比較対象としての他者を求める「社会的比較」、自分の存在価値を認めてくれる人と一緒にいたいという気持ちを表す「注目」が見いだされている。このなかでも「情緒的支持」・「ポジティブな刺激」・「注目」の親和動機が、甘えの「一体感を求める」性質と関連があるのではないだろうか。特に「受容・承認を求める甘え」を説明するには有効かもしれない。しかし、他の甘えとは関連が強いとは限らないかもしれない。なぜなら親和動機は確かに一体感を求めているような向きはみられるが、相手に依存しきっているわけではないし、許されるだろうといった感じの甘えとも概念が異なるためである。
・甘えと自意識
自意識はFeningsteinら(1975)によって「公的自意識」と「私的自意識」のがあることが明らかにされている。公的自意識とは自分の外見や他者に対する行動など、外から見える自己の側面に注意を向ける程度あり、私的自意識は自分の内面・気分など、外からは見えない自己の側面に注意を向ける程度である。しかし甘えは他者がいて初めて起こるものであるため、他者を想定していない私的自意識は無関係と考えられ、他者を想定している公的自意識は関連があると考えられる。公的自意識と甘えにおいては、甘える者は傷つきやすく、他者から観察しうる自己に注意を向けると考えられる。そのため「受容・承認を求める甘え」や「屈折的甘え」と強く関連しているのではないだろうか。しかしそれだけではなく、甘えの強さと関係するとしたら、全ての甘えのもろさを説明する可能性がある。
・日本的支配との関連から
日本的支配原理による攻撃は「すねる」「うらむ」「ひねくれる」等の心理と関係すると考えられるため、「屈折的甘え」を持つ人の攻撃の仕方の一部を明らかにしてくれるだろう。また、結果が相手次第という点に注目すると、「引っ込み思案的甘え」や「追従的甘え」を持つ人が依存的であるために行うかもしれない。いずれにしろ、甘えられない心理から起こる複雑な行動について多少なりとも明らかになるだろう。
U.方法
1.調査対象
国立三重大学の男女学生を対象に行った。その際、回答が欠損しているもの等を省くと、最終的な有効回答数は男子142名、女子211名となった。
2.調査時期
2002年11月20日・22日・26日に行った。
3.調査の手続き
共通教育科目あるいは人文学部の専門教育科目において、各講義の教官に授業時間を使わせてもらえるように依頼し、筆者が調査を行った。講義の始めもしくは終わりに無記名で回答を求め、直ちに回収した。
4.調査内容
1)「甘え」に関する項目
篠原・原崎(1999)の作成した甘え尺度(30項目)を使用した。「1.まったくあてはまらない」〜「5.非常によくあてはまる」の5段階評定である。
2)依存性に関する項目
Markusと北山(1991)の記述を参考に、木内(1995)が作成した「相互独立・相互協調的自己感尺度」を使用した。これはAとBの2つの文を提示し、どちらがより自分に近い姿かを4段階評定で回答するものである。しかしこれでは若干答えにくいと判断できたため、協調的な文を主体として独立的な文を反転項目とし、一項目一文で甘え尺度と同様の5段階評定に修正して実施した。
3)承認欲求に関する項目
Larsenら(1976)が開発しMartin(1984)によって修正されたALAM(Martin-Larsen Approval Motivation Scale)から、植田・吉森(1990)が 日本語訳版を作成したものを使用した。全20項目で、甘え尺度と同様の5段階評定である。
4)親和動機尺度に関する項目
岡島(1988)の作成した、対人志向性尺度(Hill,1987)の日本語版の親和動機尺度の内、『情緒的支持』『ポジティブな刺激』『注目』の3つの因子を使用した。甘え尺度と同様の5段階評定である。
5)自意識に関する項目
Feningsteinら(1975)の自意識項目を参考として、菅原(1984)が独自に26項目に作成・編集したものの『公的自意識』因子尺度を使用した。また本来は7段階評定であったが、7段階評定でなければならない必要性がないと判断し、甘え尺度と同様の5段階評定で実施した。
6)日本的支配に関する項目
まず三重大学学生5人に日本的支配原理が働いている攻撃の状況について検討してもらい、さらに小此木(1986)『現代人の心理構造』の記述を参考に10項目で作成した。その後さらに数回検討し、改良してまとめた。甘え尺度と同様の5段階評定である。
V.結果
1.各尺度の因子構造と信頼性
1)甘え尺度の因子構造と信頼性
まず、30項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、特に削除すべき項目は見あたらなかったので、そのまま主因子法(バリマックス回転)により因子分析を行った。篠原・原崎(1999)と同様に6因子に設定して、.40以上の因子負荷量を示し、2つ以上の因子に同程度の高い負荷量を示さないことを基準に検討した。その結果、項目2・項目5・項目11が削除され、再度因子分析を行ったところ、篠原・原崎と同様の項目が同様の因子に属していることを示した。信頼性係数はT因子が.872、U因子が.825、V因子が.798、W因子が.701、X因子が.745、Y因子が.713であった。以上の結果をTable 1に示した。
因子名も先行研究と同様に、T因子を『屈折的甘え』因子、U因子を『引っ込み思案的甘え』因子、V因子を『受容・承認を求める甘え』因子、W因子を『追従的甘え』因子、X因子を『非自立的甘え』因子、Y因子を『責任回避的甘え』因子と命名した。
2)依存性尺度の因子構造と信頼性
まず、16項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、特に削除すべき項目は見あたらなかったので、そのまま主因子法(バリマックス回転)により因子分析を行った。先行研究ではこの尺度は1因子であるのだが、2因子構造で解釈できる上、それぞれの項目に明らかに質の違いが認められたため2因子を採用した。そして.40以上の因子負荷量を示し、2つの因子に同程度の高い負荷量を示さないことを基準に検討したところ、項目11と項目15が削除された。再度因子分析を行い、最終的に次のような結果結果を示した(Table 2)。信頼性係数は、T因子が.799、U因子が.754であった。
T因子の項目の内容は「周囲に自分を合わせる」というもののため、『非自己主張性』因子と命名した。U因子の項目の内容は、「周囲の期待に応える」といったものであったため、『期待された役割の遂行』因子と命名した 。
3)承認欲求尺度の因子構造と信頼性
まず、20項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、特に削除すべき項目は見あたらなかったので、そのまま主因子法(バリマックス回転)により因子分析を行った。植田・吉森(1990)が5因子を設定していたが、5因子では因子負荷量等や寄与率の点から、解釈は不適切であると判断した。それは、先行研究のW・X因子には項目が2つしかなく、項目20はどの因子にも属していなかった点にも見受けられる。そこで3因子で再度分析し、.40以上の因子負荷量を示し、2つ以上の因子に同程度の高い負荷量を示さないことを基準に検討した。その結果、項目1・項目3・項目7・項目8・項目9・項目13・項目15・項目16・項目17・項目19・項目20が削除され、再度因子分析を行ったところ、次のような結果になった(Table 3)。信頼性係数はT因子が.656、U因子が.683であった。
T因子は植田・吉森の尺度と項目の内容を参考に、『外的統制』因子と命名した。U因子は、「印象を良くするためにできるだけのことをする」「人が望むように振る舞う」等より『受容を求める印象操作』因子と命名した。
4)親和動機尺度の因子構造と信頼性
まず、21項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、項目17が他の項目と負の相関を示していた。そのため項目17を除いた20項目で、岡島(1988)の尺度を参考に因子数を3に設定し、主因子法(バリマックス回転)により因子分析を行った。しかし因子負荷量が.40に満たない項目が非常に多く、これは先行研究で.40に満たない項目を削除せずに採用していたために起こったと考えられる。しかし項目2・項目10・項目13・項目15・項目17・項目18・項目20を削除して、再度分析を試みた結果、次のような結果を示した(Table 4)。信頼性係数はT因子が.850、U因子が.760、V因子が.589であった。
岡島の尺度と項目の内容を参考に、T因子は『情緒的支持』因子、U因子は『注目の欲求』因子と命名した。またV因子は項目の内容より、『他者への興味』因子と命名した。
5)公的自意識尺度の因子構造と信頼性
まず、11項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、特に削除すべき項目は見あたらなかったので、そのまま主因子法(バリマックス回転)により因子分析を行った。因子数を2に設定して実施したところ、項目2の因子負荷量が.40に満たなかったので削除し、再び因子分析を行った。本来、公的自意識自体が1つの因子であるのだが、2因子構造を示している上、それぞれの項目に明らかに質の違いが認められたため2因子を採用した。信頼性係数はT因子が.769、U因子が.794であった。以上の結果をTable 5に示した。
T因子の内容は、より他者評価志向が強かったので『外向の公的自意識』と命名した。U因子は、それほど他者評価志向が強くなかったので『内向の公的自意識』と命名した。
6)日本的支配尺度の因子構造と信頼性
まず10項目全てを含んだ信頼性を検討したところ、項目8を削除することによって全体のα係数が.028上昇した。そのため項目8を除いた9項目で、主因子法(バリマックス回転)を行ったところ、2因子が抽出された。そして.40以上の因子負荷量を示し、2つの因子に同程度の高い負荷量を示さないことを基準に検討したところ、項目3と項目10が削除された。再度因子分析を行い、最終的に次のような結果結果を示した(Table 6)。
信頼性係数は、T因子が.768、U因子が.667であった。
項目の内容と小此木(1986)の記述を参考に、T因子は『マゾヒズム的攻撃』因子、U
因子は『自発的罪悪感の期待』因子と命名した。
2.甘え尺度と類似概念尺度の関連性
甘え尺度と、甘えと関連すると考えられる概念の尺度との関連性を求めるために、各因子間の尺度得点によって、ピアソンの積率相関係数を求めた。Table 7に各因子の尺度得点の平均と標準偏差を示した。
1)甘え尺度と依存尺度間の相関
甘え尺度の6因子と依存尺度の2因子それぞれの尺度得点間でピアソンの相関係数を求めた(Table 8)。「引っ込み思案的甘え」因子は、「非自己主張性」因子との間に比較的強い相関がみられた(r=.553, p< .001)が、「期待された役割の遂行」因子との間にはごく弱い相関しかみられなかった。「受容・承認を求める甘え」因子は、「非自己主張性」因子との間には無相関に近い低い値しかみられなかったが、「期待された役割の遂行」因子との間で弱い相関がみられた。「追従的甘え」因子は、「非自己主張性」因子との間に強い相関がみられ(r=0.629, p< .001)、「期待された役割の遂行」因子との間に弱い相関がみられた。「非自立的甘え」因子は、2因子ともに弱い相関がみられた。そして「責任回避的甘え」因子は、「非自己主張性」因子にのみ弱い相関がみられた。「屈折の甘え」因子は、2因子ともに相関はみられなかった。
2)甘え尺度と承認欲求尺度の相関
甘え尺度の6因子と承認欲求尺度の2因子それぞれの尺度得点間でピアソンの相関係数を求めた(Table 9)。「引っ込み思案的甘え」因子と「外的統制」因子の間には比較的強い相関がみられた(r=.437, p< .001)が、「受容を求める印象操作」因子との間には無相関に近い低い値しかみられなかった。「受容・承認を求める甘え」・「非自立的甘え」因子と、「外的統制」・「受容を求める印象操作」因子の間には弱い相関がみられた。「追従的甘え」因子と「外的統制」・「受容を求める印象操作」因子の間には比較的強い相関がみられた(r=.520 r=.459, p< .001)。「責任回避的甘え」因子は、「外的統制」因子とはp< .001で弱い相関がみられたが、「受容を求める印象操作」因子とはp< .05で無相関に近い低い値しかみられなかった。「屈折的甘え」因子は、承認欲求尺度2因子との間に相関はみられなかった。
3)甘え尺度と親和動機尺度間の相関
甘え尺度の6因子と親和動機尺度の3因子それぞれの尺度得点間でピアソンの相関係数を求めた(Table 10)。「受容・承認を求める甘え」因子は、「情緒的支持」「他者への興味」因子との間には弱い相関がみられたが(r=.392 r=.244, p< .001)、「注目の期待」因子との間には比較的強い相関がみられた(r=.487, p< .001)。「追従的甘え」因子と「注目の欲求」因子の間には、無相関に近い低い値しかみられなかった(r=.170, p< .01)。また、「非自立的甘え」因子と「注目の欲求」因子との間には、無相関に近い低い値しかみられなかった(r=.192, p< .01)。「責任回避的甘え」因子は「他者への興味」因子との間に、負の弱い相関がみられた(r=-.208, p< .001)。
4)甘え尺度と公的自意識尺度の相関
甘え尺度の6因子と公的自意識尺度の2因子それぞれの尺度得点間でピアソンの相関係数を求めた(Table 11)。甘え尺度の「責任回避的甘え」因子以外の、「屈折的甘え」「引っ込み思案的甘え」「受容・承認を求める甘え」「追従的甘え」「非自立的甘え」因子、と公的自意識尺度の「外向の公的自意識」「内向の公的自意識」因子との間にいずれも有意な相関がみられた(p< .001)。大部分が弱い相関であるが、「受容・承認を求める甘え」因子と「内向の公的自意識」因子の間には比較的強い相関がみられた(r=.473 )。「責任回避的甘え」因子と自意識尺度2因子の間には相関はみられなかった。
5)甘え尺度と日本的支配尺度間の相関
甘え尺度の6因子と依存尺度の2因子それぞれの尺度得点間でピアソンの相関係数を求めた(Table 12)。「屈折的甘え」因子は、「自発的罪悪感の期待」因子との間に負の弱い相関がみられた(r=-.297, p< .001)が、「マゾヒズム的攻撃」因子との間には無相関に近い低い値しかみられなかった。「引っ込み思案の甘え」因子は、「自発的罪悪感の期待」因子との間に弱い相関がみられた(r=.215, p< .001)が、「マゾヒズム的攻撃」因子との間には無相関に近い低い値しかみられなかった。「受容・承認を求める甘え」因子と「自発的罪悪感の期待」因子との間には相関はみられず、「マゾヒズム的攻撃」因子との間にも無相関に近い低い値しかみられなかった。「追従的甘え」因子と「非自立的甘え」因子は、それぞれ・「マゾヒズム的攻撃」・「自発的罪悪感の期待」因子ともに、無相関に近い低い値しか得られなかった。「責任回避的甘え」因子は、無相関であった。
W.考察
1.甘えと依存性について
「屈折的甘え」以外の全ての甘えと、依存性の関連がみられた。やはり依存性は甘えにおいて重要な性質だといえるだろう。それは甘える者が「対象依存的」だということであり、本研究で操作的に甘えを「最初から相手が受け入れてくれるであろうことを期待しながら、dependすること」と定義したように、甘えは依存より複雑な概念であるが、しかし依存しているのだ。なかでも「引っ込み思案的甘え」・「追従的甘え」と「非自己主張性」かなり強い相関を示した。人の後からついていく、控えめであるといった性質を持つ甘えが、非自己主張と関連しているのは当然の結果である。その他「非自立的甘え」・「責任回避的甘え」と「非自己主張性」との間にも弱めの相関がみられた。しかし、「期待された役割の遂行」と甘えの相関はあまり強いとはいえず、「受容・承認を求める甘え」・「追従的甘え」との間に弱い相関がみられたのみであった。
このことから、甘えと依存性の間では「自己主張をあまり行わない」ということや「消極的である」ことにおいて類似しているといえるだろう。つまり自己主張や積極的な行動を行わなくても許される、と考えるタイプの甘えた状態は、依存性が高いわけである。但し、「屈折的甘え」のような状態とは無関係である。また甘えが強いことと周囲から期待された役割を遂行することとはあまり強い関連はなかったが、受容・承認を求めたり追従的であったりという、人に気に入られたいというタイプの甘えたい状態は、周囲の意志で行動するようだ。だが「屈折的甘え」や「責任回避的甘え」のような、まさに今甘えている状態の甘えとは無関係で、それは当然ともいえる。全ての甘えと依存性が強い関連の無かったことは、甘えは対象依存的で相手次第であるから自己主張をしない、自分の意志で行動しないというわけではないことを示している。甘えさせてもらったり、甘え続けさせてもらうためには自己主張や自分の意志での行動も必要だということだろう。だが甘えは確かに依存的であるから、これは甘えにおける依存と一般的な依存が異なることを示していると考えられる。もしかしたら甘えが成立するためには、「能動
的に依存する」という側面があるのかもしれない。
結論として甘えにおける依存は、甘え独特の依存といってもよいだろう。もちろん引っ込み思案や追従、非自立など現象的な部分の多い甘えは一般的な依存と類似する部分もあった。しかし基本的に甘えの依存は、自己を主張せず相手に合わせるというものではないようである。「甘える」という行動は受け身的であるはずなのに、行動自体は能動的なので、自己主張をしないことと関連があまり強くなかったのだろう。
2.甘えと承認欲求について
多くの甘え因子と承認欲求の間に相関がみられたことは、「甘えは承認され、肯定され、受容されること」(原・我妻 1984)であるというように、承認欲求が甘えを説明する上で大きな役割を担っているということだろう。しかしもっとも強い相関がみられたのは、「追従的甘え」と「外的統制」の間だった。この甘えが強い人は、追従的なので物事を決めるときに外的統制を受けやすく、他者に好印象を持たせるために努力すると考えられる。ついで「引っ込み思案的甘え」も「外的統制」と比較的強い相関をもっていた。篠原・原崎(1999)も「追従的甘え」・「引っ込み思案的甘え」と「自己決定力」が負の相関を持つことを明らかにしており、この結果と一致しているといえる。そして「非自立的甘え」・「責任回避的甘え」と「外的統制」も弱い相関を示した。自己主張や積極的な行動を行わなくても許される、と考えるタイプの甘えた状態が行動を行う際に、周囲の影響を受けているといえるだろう。「受容・承認を求める甘え」と承認欲求の相関が弱かったが、受け入れられ承認されたいと願う甘えと、肯定的評価を受けたいと願う一般的な承認欲求は異質なのかもしれない。しかし「追従的甘え」と「受容を求める印象操作」は比較的強い相関がみられたのである。だが「屈折的甘え」や「責任回避的甘え」のような、まさに今甘えている状態の甘えとは無関係で、それは当然ともいえるだろう。人に気に入られたいというタイプの甘えたい状態は、そのために自分の印象を向上させようと努力するようである。
甘えはやはり承認欲求と類似性の高いものと低いものがあることがわかった。甘えは「承認され、肯定され、受容されたい」という欲求があるとはいっても、あまり一般的な承認欲求とは類似していないようである。メタサイコロジカルな部分を含む甘えは、一般的な肯定的評価を求めてはいないと考えられるのだ。もっと、母親が子どもを愛するように無条件で受け入れて欲しいというような欲求であるのだろうか。ただ、引っ込み思案や人の後からついていくような甘えのある人にとっては、一般的な肯定的評価も必要であるようだ。
3.甘えと親和動機について
親和動機と関連のある甘え因子はあまりなく、「受容・承認を求める甘え」だけが「情緒的支持」・「注目の欲求」・「他者への興味」と正の相関があった。甘えのなかでも受け入れられ、承認されたいという欲求だけが、他者と一緒にいたい仲良くしたいと思うことと関係しているようである。さらに親和動機の中でも「注目の欲求」との関連がもっとも強かったため、「受容・承認を求める甘え」は自分に注目して受け入れて欲しいという性質があると考えられる。ついで「情緒的支持」との関連が強かったが、「受容・承認を求める甘え」は自分を支えて欲しいといった欲求とも関係があるのだろう。
この結果から、甘えは親和動機とは類似性が低いといえる。受け入れられ承認されたいと願う以外の甘えは、「他者と一緒にいたい、仲良くしたい」という欲求とは無関係であるのだ。甘えにおける「一体感を求める」欲求というのは、単に他者と仲良くしたり一緒にいればよいわけではないようだ。おそらく土居(1971)がいうように「相手がこちら側の意図を理解し、受け容れてくれることが必要」なのであり、何も言わなくても全て見通して「わかってくれる」ことが重要なのだろう。甘えは親和動機のような性質は多少あっても、もっと複雑な構造だと考えられる。親和動機の概念よりも含むところが多いのである。
4.甘えと公的自意識について
全体的に「外向の公的自意識」「内向の公的自意識」ともに、弱いながらも何らかの相関がみられた。土居(1971)が「甘える者は傷つき易く干渉され易い」というとおり、甘えが強い者は自意識が高くて傷つきやすく、他者の自分に対する見方が気になるということがいえる。なかでも公的自意識と「受容・承認を求める甘え」との相関がもっとも強く、受け入れられ承認されたいと願う、甘えたい状態の甘えは、他者の評価に敏感になることと関係があると考えられる。さらに「受容・承認を求める甘え」と他者評価志向の低い「内向の自意識」との関連がより強いことは、甘えは他者評価を中心にしているものでなく、甘えたいからこそ他者評価に注意が向くことを示しているのかもしれない。「引っ込み思案的甘え」・「追従的甘え」と公的自意識の関連については、引っ込み思案であったり追従的であったりする受け身的な状態が、他者の視点が気になることと関連しているということである。「責任回避的甘え」だけは自意識と相関が無く、責任感のなさと自己に注意することとの関係のなさを示している。「屈折的甘え」と自意識が関連があることは、甘えたいけど甘えられない心理と自意識とが関係があることを示唆していると考えられる。
甘えは、自意識と全体的に多少の類似する部分があるといえる。甘えたい欲求が他者から観察しうる自己に注意を向けさせ、土居の理論のように傷つきやすくなるのだろう。甘えを欲求している状態はもちろんのこと、甘えている状態においても自己に注意を払っているのである。それは甘えながらも、さらなる甘えを求めているからだと考えられる。甘えたいという欲求を常に満足させることは不可能なのである。しかし甘えている者が受け身的であるとは言い難い、責任回避をしているような場合は、自己に注意を払う必要もないようだ。つまり甘える者が受け身的で、満足に甘えられない心理状態と自意識は関連があるといえるだろう。
5.甘えと日本的支配原理について
全体的にみて、相関はみられたものの極めて無相関に近いような低い値が多く、唯一「引っ込み思案的甘え」と日本的支配の「自発的罪悪感の期待」の間に弱い正の相関がみられた。また「屈折的甘え」と「自発的罪悪感の期待」の間に負の弱い相関がみられた。引っ込み思案で控えめでも許されるという甘えを持つ場合は、謝罪して欲しい状況におかれても相手に依存的で自己主張しないため、自ら謝罪を求めないのだろう。「屈折的甘え」は、いわば直接怒りやうらみを表出・主張しているわけであるから、逆に自ら謝罪を求めるのだろう。だが「引っ込み思案的甘え」も「屈折的甘え」も「自発的罪悪感の期待」との相関は弱く、関連があるとはいいにくい。さらに甘えと「マゾヒズム的攻撃」は、ほぼ相関はなかったのである。
結局のところ、甘えと日本的支配はあまり類似的な概念ではなかったようである。全くの無相関ではなかったが、関係があるともいい難い。怒りやうらみを自己主張するか否かということと、多少関連があるのみである。しかし日本的支配尺度は筆者が作成したため、正しく日本的支配が測定されなかった可能性がある。また、この原理に従った攻撃は無意識で行っていたり、意識できたとしても、あまりにおどろおどろしい内容のため被験者が自分の行動を認めなかったとも考えられる。
6.まとめ
(1)現象的な甘えは一般的な依存と類似性が高いが、基本的に甘えの依存性は一般的な依存とは異なる。甘えの場合は自己主張せず相手に合わせるのではなく、能動性も有する独特の依存なのである。
(2)現象的な甘えは一般的な承認欲求とは類似性が高いが、メタサイコロジカルな甘えはそうではない。肯定的な評価を求めているのではなく、無条件に受け入れて欲しいようである。
(3)受容・承認を求める甘えは親和動機的な部分を有するが、他の甘えは無関係である。
甘えの一体感を求める欲求は、ただ他者と一緒にいたいのではなく、「わかって」欲しいようである。
(4)甘えたい場合や、甘えながらもさらなる甘えを求める場合は、甘えの欲求が満足しないために、自己に注意を向けさせ傷つきやすくさせる。
(5)怒りやうらみを自己主張するか否かということと、多少関連があるのみで、甘えは日本的支配とほぼ関連はない。
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