総合考察



 本研究の目的は、初期印象形成に対するユーモア表出の有効性について、ユーモアの種類とユーモアの量を操作し、社会人、大学生、中学生について検討、比較することであった。その結果、攻撃的ユーモア刺激を初対面で表出すると、どの世代においてもおおよそネガティブなイメージを持たれ、また魅力も感じられないということが示された。一方、遊戯的ユーモア刺激を表出することはネガティブなイメージを持たれないが、特別ポジティブなイメージを持たれるという結果は示されなかった。また、全ての得点においてユーモアの種類と世代の交互作用がみられ、世代によってユーモア表出に対する印象が異なることが示された。

 攻撃的ユーモア刺激が活動性得点以外の3得点において低い値を示したのは、自己紹介場面が攻撃を動因する状態にないためであると考えられる。上野(1992)によれば、攻撃の動因状態にない場合や攻撃を嫌う場合は攻撃的ユーモアは喚起されない。被験者は攻撃的ユーモア刺激からユーモアを喚起されず、不快感の方が強かったため、結果として攻撃的ユーモア刺激はネガティブな印象を持たれたと思われる。これはGutman&Priesut(1969)の研究とも一致しており、仮説1を部分的に支持している。
 しかし、「遊戯的ユーモアは最もポジティブな印象を持たれる」という仮説1の残りの部分はいずれの得点、いずれの世代においても支持されなかった。原因としては、2つ考えられる。1つ目の原因としては、表出するユーモア刺激の量が多すぎた可能性があるということである。本実験で用いたユーモア刺激は、VTRを作成した時点では「遊戯的ユーモアを多量含む自己紹介VTR」、「攻撃的ユーモアを多量含む自己紹介VTR」として作成したものであった。予備調査の結果を受けてユーモアの量要因をなくし、「遊戯的ユーモアを多量含むVTR」を「遊戯的ユーモア刺激」、「攻撃的ユーモアを多量含むVTR」を「攻撃的ユーモア刺激」として扱ったため、被験者にはユーモア刺激の量が適量よりも多いと感じられ、遊戯的ユーモア刺激もポジティブな印象が抑制されたのではないだろうか。
 2つ目の原因は、遊戯的ユーモア刺激の得点が低かったというよりも、統制刺激の得点が予想よりも高かったということにある。もう一度SPの統制VTRを見直してみると、SPは終始笑顔を保っており、好感を持てる。他の2つのVTRにおいても笑顔を保っていたので笑顔という剰余変数は統一されてはいたと思われるが、笑顔の印象が強いために統制刺激が予想以上にポジティブな印象を持たれ、その結果として遊戯的ユーモア刺激との間に差がみられなかったのではないだろうか。

 また、ユーモアの種類別に世代間の差をみた際、活動性得点については遊戯的ユーモアと攻撃的ユーモアにおいて大学生が他の2世代よりも得点が高かったり、社会的望ましさ得点と個人的親しみやすさ得点については攻撃的ユーモア刺激において得点が低かったりというように、大学生の結果、特に攻撃的ユーモア刺激の結果は他の2世代と異なる部分が多い。また、社会人と中学生の2世代の間には、いずれの得点、いずれのユーモア刺激においても有意差がみられなかった。
 活動性得点以外の3得点において社会人が大学生よりも攻撃的ユーモア刺激に対して高い評定をした理由として、次のことが考えられる。本研究で被験者となった社会人がテレビの「お笑い番組」を見て成長してきた時代は、1960年代から1980年代あたりまでだと推測されるが、これらの年代には、会社人間や親、教師を笑いものにしたり、本物を嘲笑化する「笑い」が流行した(村瀬,1996)。これらの「笑い」は本研究では攻撃的ユーモアと捉えることができる。攻撃的ユーモアに慣れ親しんで育ってきた世代であるため、その後に生まれ、成長した大学生に比べて攻撃的ユーモア刺激を受け入れやすかったのではないかと考えられる。
 また、中学生が大学生よりも攻撃的ユーモア刺激に対して高い評定をした理由については、次のことが考えられる。中学生の被験者のうち、グループ内に一人でも声を出して笑った被験者がいるグループについては、同調行動によって評定に影響があった可能性があるため、分析対象から除外したが、声を出して笑ったときに見ていたVTRは、いずれのグループも攻撃的ユーモア刺激であった。これらのことから、中学生は大学生に比べ、攻撃的ユーモア刺激をおもしろいと感じている可能性がある。よって、大学生に比べて攻撃的ユーモア刺激に対して高い評定をしたのではないだろうか。
 しかし、大学生のみが他の2世代と異なる評定をした最も大きい理由としては、自己紹介をしたSPが大学生であったことと関係があるのではないかと考えられる。社会人、中学生は、家族や身近な人に大学生あるいはその世代の人物がいなければ、普段は大学生と接することはほとんどないと思われる。そのため、大学生であるSPに対する印象もリアリティに欠けたものになっていたのではないだろうか。それに対して大学生は、普段の生活の中でSPのような同年代の人物と自己紹介をし合う場面は充分想定できることであり、社会人や中学生に比べてリアリティを持ってSPに対する印象を形成したと考えられる。それぞれの世代と同年代の人物をSPとしていればまた違う結果が得られたかもしれない。

 本研究の結果を受けて、今後の課題としては次の3点が挙げられる。まず1点目は、表出するユーモアの量についてである。本研究においては予備調査においてユーモア少量群の刺激が妥当だと認められなかったために、本実験ではユーモアの量要因について扱えなかった。しかし、本研究の仮説1が支持されなかった原因として表出するユーモアの量が関係していると考えられることからも、表出するユーモアの量はやはり重要な要因であると考えられる。したがって、ユーモア刺激の精度を高め、ユーモアの量を要因にして検討する必要性があると考えられる。
 2点目は、SPをどういった人物にするのかということである。先にも述べたが、それぞれの世代の人物をSPとしていれば本研究とは違う結果が得られたかもしれない。また、本実験ではSPに女性を用いたが、SPが男性であれば同じ結果になったとは限らないので、検討する余地はあると思われる。
 3点目は、統制VTRをどのような内容にするのかということである。本研究で用いられた統制VTRは予想以上にポジティブな印象を持たれたため、結果として遊戯的ユーモアとの間に有意差がみられなかった。本研究ではリアリティを求めたために映像による刺激を用いたが、笑顔を表出しない刺激を用いていれば、本研究とは異なる結果が得られていたかもしれない。また、文章による刺激であれば笑顔などの影響を取り除けたと考えられる。しかし、文章による刺激を使用すると、映像による刺激ほどのリアリティを持たせることは不可能である。よって、それぞれの利点、不利点を考慮して方法を選択しなければならないと思われる。


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