問題と目的



青年期と友人


  ある高校教諭に「私の在籍している高校で生徒から聞く悩みの中で,一番多いのが友人関係で,これがうまくいかずに欠席したりする生徒もいる。」という話を聞いた。 また,私自身にとって友人の存在は非常に大切であり,友人との関わりの中で毎日を楽しく充実して過ごす事ができていると感じており, 友人関係というのは学校生活に影響を与えるものであると感じている。中山(1981)は,青年にとって友人は,緊張を解消し不安を和らげる,精神安定に必要な存在であると指摘している。 また1985年に東京都生活文化局が,都内の中学生・高校生に「あなたはどんな人なら悩みをうちあけられますか」という質問による調査を行ったところ,中学・高校のどの時期においても 「同性の友人」という回答が一番多かったという結果からも,青年期において友人は非常に大きな存在であるということがうかがえる。 そして特に一日の長い間同じ空間で友人と共に時間を過ごす高校生にとって,友人というものは非常に重要であり,友人関係が学校生活も左右するのではないかと感じた。


自己開示と適応


  友人との相互作用における一つの主要な方法は会話である。自己開示(self-disclosure)は,他者と親しく情報や感情を共有しようとするある種の会話であり,他者との親密性を高める有効な方法の一つである。 その自己開示についても,大学生において男女とも同性の友人に対する自己開示度が最も高いという研究結果が示されている(榎本, 1987)。 自己の内面的世界を他者に知らせるという行為は,社会的存在としての人間には欠かすことのできないものであり,誰もが日常いたるところで経験していることである(榎本, 1987)。 Jourard(1959)は,自分にとって重要な他者に十分に自己開示できるようことはパーソナリティにとって必須の条件であるとし,大見(2001)の中学生に対する研究では,学校が楽しいと思う生徒ほど自己開示得点が高いという結果が出ている。 特に青年期においては,心理的離乳の時期にあり,青年の多くが心の内面では不安を抱えており,自分の悩みや不安を十分に自己開示できる友人を持つことは大きな支えになる(塩見ら, 2000)と思われる。 これらのことから,高校生にとって重要な存在である友人に自己開示できるかどうかということは,学校生活を健康に適応的に過ごすためには非常に重要なことであると考えられる。 そこで本研究では,高校生の自己開示と学校適応の関連について調べたいと思う。


自己開示と被自己開示


  自己開示は本来返報性(reciprocity)を持っており,基本的に相互になされるものである。つまり,自己開示の受け手は,同程度の量や深さの自己開示を相手に返す傾向がある。 しかし,それほど親しくない相手など,互いの関係によっては返報性が成り立たない場合もある。関係の深まりを待たずに,時期尚早な開示,強すぎる開示をする人は,嫌われる傾向がある(Kaplan et al., 1974)。 また,自分が行った開示に対して,相手がそれに返報性でもって応えてくれない場合,人は自分のした事を悔い,傷ついていしまうということもある。
  このように自己開示に返報性というものがあるということは,自己開示は決して一方通行のものではなく,お互いに交換し合うことでより人間関係にとって意味を持つものになるのではないだろうか。 このことから自己開示においては,自分からの自己開示だけではなく,相手から受ける自己開示,つまり被自己開示(recipience of self-disclosure)についても精神的な健康において非常に重要なものとして考えていかなければならないのではないかと思う。 そこで本研究では自己開示と合わせ,この被自己開示に注目して行きたい。自己開示の研究はこれまで多数なされて来ている。 しかし被自己開示量と精神的健康の関連を見る研究については, 井上(2001)によって,被自己開示量と心理的幸福感の間に正の相関がみられたという結果が報告されている以外には,これまでにほとんど研究されて来ていない。 とは言え,井上(2001)の研究結果からすると,被自己開示量と精神的健康にも関連があるだろうと予想される。 また,自己開示についても中学生・大学生における研究が多く,高校生を対象にしたものは比較的少ない。その意味で今回被自己開示量と精神的健康に注目して研究するということ, 高校生を対象にするということには意味があると考えられる。


自己開示・被自己開示と精神的健康


  現代青年の友人関係は,互いの内面を開示することなく,傷つけ合うことがないよう,表面的に円滑な関係をとる傾向が指摘されている(岡田, 2002)。 一方で,自己開示には関係性や状況要因だけでなく,パーソナリティや対人スキル要因も影響すると言われている。 Miller et al.(1983)は,他者に対して自己開示しやすい人物がいるのと同様に,自己開示されやすい人,すなわちオープナーが存在すると考えた。オープナーとは,相手をくつろいだ気分にさせたり,話しやすいようにする対人技能を持っており, 開示した相手の話を関心を持って聞き,その結果相手に信頼され,秘密を打ち明けられるような人物のことである。このように,自己開示されやすい特性を持った人もいるのである。 そのような人は,自分の自己開示量に関わらず,相手からたくさん自己開示を受けるということも考えられる。
  高校生は友人との関わりの中で様々な自己開示をしているであろう。しかし関係性に相応しない不適切な自己開示がなされる場合もあるだろう。また現代の複雑な人間関係や,パーソナリティなどの要因もあり, 全てが等しく返報性を持った同程度の自己開示が相互になされているとは限らない。 もし互いになされている自己開示が同程度の量ではない場合,友人関係に対する悩みや不安が生まれ,ひいては学校生活への影響も考えられる。 自分が行う自己開示に対してどれだけ相手は自己開示を返してくれるのかという自己開示と被自己開示のバランスを見ていくことにも意味があるのではないだろうか。 そこで自己開示度と被自己開示度を組み合わせ,本来返報性を持つ自己開示が現代高校生の中でどのようになされているのかをみることで, 自己開示と被自己開示の量的なバランスと学校適応との関係を探りたいと思う。


自己開示・被自己開示と公的自己意識


  しかし,全ての人が返報性を持った自己開示や,同程度の自己開示をしていなければ不健康というわけではなく,自分が開示できていれば健康という人もいれば開示を受けていれば健康という人もいるだろう。 自己開示と被自己開示の量がどうあれば健康であるのかには個人差があると考えられる。
  お互いに同程度の自己開示をするということがより精神的健康に強く影響する人というのは,自分は相手から自己開示されているか,つまり自分は相手からどのように思われているのかということに敏感な人ではないだろうか。 そこで本研究では,公的自己意識(public self-consciousness)尺度を用いて,他人から見られている自分の外的側面を意識する傾向を測定する。 公的自己意識の高い人は,相手からの働きかけである被自己開示が特に精神的健康にとって強く影響するのではないかと考えれらる。 そのため,たとえ自分が自己開示していた場合においても,それにも関わらず相手からは自己開示されていなければ,自分は好意を持っているのに,相手からは好意や信頼感を持たれていないのではないかという思いを持ち,学校適応感が低くなるのではないだろうか。
  逆に相手からどのように見られているかということをあまり気にしない人,つまり公的自己意識の低い人についてだが,樫木(2001)の研究において,自尊感情の高い人ほど公的自己意識が低い傾向にあることが認められ,また,自尊感情の高い人は他者とつながろうとする傾向はあるが, 人からどのように思われているのかを気にする度合いは低いということも言われている。このことから,公的自己意識の低い人は,友人との何らかのつながりは必要であるが,お互いの自己開示量のバランスはそれほど重要ではなく,自分は話しているばかりである, または自分は話を聞いているばかりであるといったことによって友人からどう思われているのかということは考えないのではないだろうか。 つまり,自己開示・被自己開示どちらであっても多くなされていれば健康であるのではないかと考えられる。
  このように本研究では,さらに公的自己意識尺度を用いて, 自己開示・被自己開示と学校適応の関係を説明したいと思う。


自己開示の性差と学年差


  また自己開示には性差があり,女性の方が男性より自己開示をする傾向がある(Dindia & Allen, 1992)。 それは榎本(1987)や今林(1991)によっても確かめられている。また,大坊(1996)の研究によれば,話者の自己開示度と相手の自己開示度との差が男性より女性の方が少ない,つまり自己開示と被自己開示が比較的同等になされているということが言われている。 これらのことから,自己開示においては性差を検討することも必要であると考えられるため,本研究においても性差について考えて行きたいと思う。
  また中学生の自己開示に学年間の差はなく,年齢による発達的変化はみられなかった(大見, 2001)という報告があるが, 今回のように高校生という時期である場合,また自己開示・被自己開示・公的自己意識を合わせた学校適応感への影響を見たものとなるとまた違ってくるかもしれない。 そこで,学年間の差についても見てみたいと思う。


本研究の教育的意義


  以上のように現代の高校生にとって非常に重要である友人関係と学校適応の関係を探るということには教育的な意義があると考えられる。 例えば,生徒の友人関係に介入することで,教育指導場面において友人関係の視点から生徒の理解をより深めて話をすることができるだろう。 また,自己開示・被自己開示について考えることで,教師への相談場面などにおいて,生徒の自己開示だけではなく,それに対する教師の自己開示の意味を知ることができる。 そうすれば,より生徒との良好な人間関係を形成したり,安心感を与えたりすることができ,生徒と親密な話をしたり,話を引き出す手がかりになるかもしれない。 このように,本研究から得られたことが高校生の学校生活を支援していく上での手がかりとなるということが考えられる。




仮説


@ 自己開示・被自己開示が共に多い人は最も学校適応感が高い。
A 自己開示・被自己開示が共に少ない人は最も学校適応感が低い。
B 自己開示・被自己開示が同程度になされていない人は,公的自己意識自己意識によって学校適応感に違いがある。
   公的自己意識が高い場合
     ・被自己開示の学校適応感に対する効果を高める。
   公的自己意識の低い場合
     ・自己開示または被自己開示のどちらか一方でもなされていれば,学校適応感は高くなる。