自己愛概念について

自己愛に関する先行研究

自己愛傾向と精神的健康

青年期と自己愛傾向

本研究の視点と目的
問題と目的
自己愛とは

自己愛はNarcissism(ナルシシズム)を邦訳したものである。NarcissismはNacke(1899)によって始めて使用された用語であるが、自己愛的な心性についてのそもそもの関心は、1898年にEllis, Hが‘他者に対する性的感情が失われ、自己賞賛に没頭する傾向’をギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスになぞらえて「Narcissus-like(ナルキッソスのような)」と表現したことに始まる。この用語はFreud, S.(1905)によって用いられ、後の「ナルシシズム入門」(1914)において精神分析理論に概念として導入されることとなった。

 Freud, S.によるNarcissism概念の導入は、現代の精神医学に多大な影響を及ぼし、特に、自己愛性人格障害の原因論、治療論における発展に貢献した。また、精神医学領域の述語にとどまらず、1970年代以降、社会学者などによって現代社会を象徴する用語の1つとして用いられるようになり、今や日常的にも用いられる用語となっている。1980年にはAmerican Psychiatric Association(APA)が自己愛性人格障害という症候群をDSM-Vに新たに採用し、Narcissismという用語は公式な専門用語として認められるに至った。しかし、Freud, S.自身の著書を含め、様々な文脈の中で多義的に用いられてきたために、その意味するところや用法が少なからず混乱しているということが指摘されている。
そのような背景の中で、Narcissismの定義を試みたのがStolorow(1975)である。彼は機能的視点から

「自己愛とは自己表象がまとまりと安定性を保ち、肯定的情緒に彩られるように維持する機能である」

とした。この定義はPulver(1970)の整理した自己愛の用法を包括してなされたものであるが、精神分析における欲動論などを用いていないため、妥当かつ理解がしやすい。Stolorowはまた、自己評価と自己の関係について、自己愛は自己評価を調節するが、自己評価の唯一の決定因ではないと述べる。彼によれば、自己愛的活動は自己評価が脅かされることによって誘発され、自己評価の保持、回復、安定化を図っているという。Pulver(1970)以降にも自己愛に関する文献は多く見られるが、Strolowの定義は今なお、有用なものであると考えられる。

TOPへ戻る
自己愛に関する先行研究

自己愛人格目録(NPI)

  実証的研究としての自己愛研究はRaskin& Hall(1979) による自己愛人格目録 (Narcissistic Personality Inventory, 以下NPIと略称)の開発以後活発になされるようになった(Emmons, 1987; 上地・宮下, 1992)。NPIは、DSM-V(APA, 1980)に人格障害の1つとして記述されている自己愛人格の特徴が健常人にも見られるとして開発された尺度であり、パーソナリティ変数の1つとして自己愛傾向を測定するためのものである。日本でも1980年代後半から、NPI邦訳版(佐方, 1986; 大石,1987)を使用した研究が行われ始めているが、YG性格検査(大石, 1987; 佐方, 1987)、MPI、MMPI(佐方, 1987)、社会的望ましさ(大石・福田・篠置, 1987; 小塩, 1997)、共感性(角田, 1987; 佐方, 1987)、自尊感情(小塩, 1998)、対人関係(友人関係)(小塩, 1998; 岡田, 1999)など、その多くが他の尺度との相関に基づいて尺度の妥当性を検討し、自己愛人格の特徴を実証的に明らかにしようとするものであった。また、先行研究ではNPIの因子分析の結果から、自己愛人格がいくつかの下位側面から構成されることが明らかにされており、下位尺度レベルでの検討がなされてきた。ただし、NPIの因子構造は4~7因子と研究によって幅があり、安定していない。一方で、小塩(1997, 1998)はNPIの因子分析から「優越感・有能感」「注目・賞賛欲求」「自己主張性」の3因子を抽出し、その3因子に対応する各下位尺度10項目ずつ、計30項目からなるNPI-S(自己愛人格目録短縮版)を作成し、繰り返し3因子構造を確認している(小塩, 1998, 1999, 2001, 2002; 小塩・井上,2002; 小塩・小平, 2003a, 2003b)。また、NPI-Sは清水・海塚(2002)や粟谷・本間(2003)など最近なされた他の自己愛研究においても用いられており、日本での自己愛研究者の間で知名度の上がりつつある尺度であるといえよう。

その後の展開

   NPI(NPI-S)は自己愛人格の実証研究の契機であるとともに、今や欠くことのできない重要な手段となっている。しかし、近年、この尺度の問題点も指摘されるようになってきた。その主なものは、NPIでは自己愛人格の誇大で自己顕示的な側面が強調されすぎているというものである(上地・宮下, 1992;Gabbard, 1994)。

Gabbard(1989, 1994)は、自己愛人格障害には、性質の異なる2種類の臨床像が存在するという指摘をしている(Gabbard, 1989; 1994)。2種類の臨床像のうち1つは、誇大性、自己顕示性、他者への無関心さなどを特徴とし、もう1つは自己愛的な傷つきやすさ、すなわち他者の評価や軽蔑への過敏さや、抑うつ傾向、自発性の乏しさ、対人恐怖的な性格などを特徴としているという。また、それぞれを「周囲を気にかけない(oblivious)自己愛者」、「周囲を過剰に気にかける(hypervigilant)自己愛者」と命名した上でそれらの特徴を示している(Table 1)。

Table 1 自己愛性人格障害の2つのタイプ(Gabbard, 1994)

周囲を気にかけない自己愛的な人

過剰に気にかける自己愛的な人

1.他の人々の反応に気付くことがない

1.他の人々の反応に過敏である

2.傲慢で攻撃的である

2.抑制的で、内気で、あるいは自己消去的でさえある

3.自己に夢中である

3.自己よりも他の人びとに注意を向ける

4.注目の中心にいる必要がある

4.注目の的になることを避ける

5.「送信者であるが、受信者ではない」

5.侮辱や批判の証拠がないかどうか、注意深く、他の人々に耳を傾ける

6.明らかに、他の人々によって傷つけられたと感じることに鈍感である

6.容易に傷つけられたという感情を持つ














「周囲を気にかけない自己愛者(人格)」と「周囲を過剰に気にかける自己愛者の特徴は純粋な形でも生じるが、患者の多くはつの自己愛者の特徴を併せ持っており、自己愛的な人の多くはTable 2 に示したような両極端な2種類の人格の間にあって、社会的にうまく機能し、対人面での魅力も多く持つという(Gabbard, 1994)。また、Gabbard(1994)は、どちらを特徴とする自己愛人格にあっても、自己評価を維持しようと闘っており、その対処の違いが異なるのであると主張している。すなわち、高い自己評価を持ち、自らの業績を他者に印象付けたり自負したりしながらその評価を保っている者と、批判的な反応を嫌い、それを避けようと努力しながら自らの自己評価を保とう(下げまい)とするとする者は自己評価維持という点では共通しており、どちらも自己愛人格として捉えられるのである。自己愛人格におけるこれら2つの下位分類はStolorowのいう自己愛の機能を備えており、彼の定義する自己愛概念にも矛盾しない。

以上のような臨床的知見を受けて、最近、2種類の下位分類を考慮した実証研究が増加しつつある。しかし、NPIの元となっているDSM-Wが自己愛人格の誇大性を強調していることを考えると、Gabbardが指摘する自己愛人格の2下位分類うち、「周囲を過剰に気にかける自己愛人格」の特徴をNPIによって直接的に測定することの難しさが予想される。そのため、「周囲を過剰に気にかける自己愛」を測定する目的で、尺度の作成やNPIの改良など、新たな試みが行われている。例えば相澤(2002)は、NPIなど従来の自己愛尺度の項目に「周囲を過剰に気にかける自己愛人格」の特徴とされる項目群を追加して新たな自己愛尺度を作成し、共分散構造分析によって2種類の下位分類(「誇大特性」と「過敏特性」)について検討している。また、高橋(1998)は、Gabbardの記述を参考にして2種類の下位分類に対応する2下位尺度からなる新たな尺度を作成している。そのほか、清水・海塚(2002)では、NPIと対人恐怖尺度を組み合わせ、クラスタ分析により見出されたNPI総得点が高く対人恐怖心性も強い被験者群を「過敏型」自己愛人格、NPI総得点が高く対人恐怖心性の弱い被験者群を「無関心型」自己愛人格として考察を進めるという試みがなされている。

 これまでの実証研究における問題点

自己愛人格に2種類の下位分類を想定した場合、NPIの項目内容はその一方(「周囲を気にかけない自己愛人格」)の特徴を中心としており(相澤, 2002)、不十分な点があると考えられる。そこで上に述べたような試みがなされ始めているが、それらにもいくつかの問題点が指摘できる。例えば、高橋(1998)の尺度はGabbard(1989)の2下位分類を参考に作成された尺度であり、誇大な側面と過敏で傷つきやすい側面を測定する2下位尺度からなっている。この尺度における誇大な側面に関する下位尺度はNPIと、過敏な側面に関する尺度は特性不安尺度と正の相関関係にあり、また、尺度項目はGabbardの記述に忠実に作成されており、これらから妥当性の高さが伺える。しかし、先行研究では自己愛尺度が3因子以上の尺度となっており、自己愛には複数の側面が存在することが確認されていたことを考えると、単純化されすぎている。特に現状では、構成概念間の関連を含め、2下位分類から捉えた自己愛概念についての実証的な検討が不十分である。ゆえに、自己愛概念を吟味するという目的には適さないと考えられる。相澤(2002)は、NPIなど従来使用されてきた自己愛尺度の項目を使用しながら尺度構成を試みたが、「周囲を過剰に気にかける自己愛人格」に対応する項目についてはそのほとんどを、対人恐怖尺度(田中・穂刈・福田・小川, 1994; 相澤, 1997)から選定している。対人恐怖心性を組み込むという点は清水ら(2002)の試みにも共通することであるが、自己愛人格が様々な要素から構成されることをふまえたうえでも、尺度項目の約半数を対人恐怖尺度項目が占めるということには測定の妥当性という点で疑問を感じる。また、先述したようにこの研究では潜在変数として2つの下位分類を見出しているのであるが、それらは中程度の負の相関を示している。これは2種類の下位分類が多くの場合どちらか一方、という表れ方をせず、混合した現象的様相を示すという理論的仮説とは矛盾している。Wink(1991)の研究では、MMPIにおける6つの自己愛尺度に主成分分析を施し、直交する2つの主成分(「誇大性・顕示性」「傷つきやすさ・過敏性」)が見出されており、Gabbard(1994)も自身の記述に対する実証的支持としてこの研究を挙げているが、ここでは各次元における得点の仕方によって被験者の特徴(従属変数)がどのように異なるのか、という検討まではなされていない。相澤(2002)についても潜在変数間の検討にとどまっており、同様のことが言える。

NPIと自己愛の2下位分類

また、小塩(2002)は、NPI-Sを用いて青年を分類し、自己愛傾向の強い者の中で「自己主張性」に比して「注目・賞賛欲求」の優位なものは、対人恐怖心性が強く、GHQによって測定される精神的健康度(論文中では適応と表記)が低いことを見出している。注目・賞賛欲求の強い者が対人恐怖心性を持つ傾向にあるという指摘はGabbardの記述に反しており、またNPIを使用していることから一概に結論付けることはできない。しかし、筆者も述べているように、この分類によって得られた自己愛傾向の強い2群は、自己愛人格における2下位分類を連想させる。

すなわち、小塩(2002)によれば、注目・賞賛欲求が対人恐怖心性を引きだすということになる。しかし、これらが単純に結びついているとは考えがたい。言葉の意味だけを考えても、注目されたいという気持ち(注目欲求)と、人と関わるのが怖い、人前に出たくないという気持ち(対人恐怖)は逆の感情状態である。ゆえに、もしそれらが関連するならば、何らかの介在変数が存在すると考えられる。

TOPへ戻る
自己愛と精神的健康

兼ねてから「健康な自己愛、病的な自己愛」と題して自己愛傾向と精神的健康(適応)との関連が議論されてきたが、それらの議論からは、第三者の視点からどのような特徴や程度をもって健康な自己愛、病的な自己愛とするかという基準は文化的文脈や判断の対象となる人物の年齢によって異なることが示されている。また、健康な自己愛、という言葉に違和感を覚える人は多いだろう。そもそも、ポジティブなイメージを持たない概念である「自己愛」と精神的健康について論じること自体難しい課題であることが予想される。しかし、本人の自己報告による精神的健康度という観点からは、この課題について検討することは可能であると考えられる。これまでの研究において、NPIの下位尺度の一部あるいは全体と、Rosenbergによる自尊感情尺度やGHQ(精神的健康質問紙; General Health Questionnaire)などの精神的健康の指標との関連は示されており(小塩 ,1997, 2002)、そこから、自己愛に主観的な健康度と関連のある側面が存在することは示唆される。しかし、下位尺度ごとの得点によるパターンから精神的健康を考えた研究は数少ない。得点パターンは自己愛、すなわち自己評価を保持、安定化する機能の内容を示しており、これを用いた検討を行うことで、自己愛と精神的健康との関連を個人レベルで検討することができる。これに関し、先述した小塩(2002)の研究は精神的健康と対人不安との関連から下位分類に似た群を見出しており、個人レベルでの検討を行っているといえる。ただしそこで述べたように、自己愛の2下位分類を考慮すると、そこで見出された得点パターン(による被験者群)は、理論的な記述とは若干異なっており、検討の余地が残されている。

TOPへ戻る
青年期と自己愛傾向

 大渕(2003)は、「自己愛者はどの年代にもいるが、一般には青年期において自己愛傾向が高まる」とし、その理由として、思春期において自意識が高まること、恋愛など、誇大的な自己愛を助長する経験が増えること、将来に対する野心から誇大的な夢想にふけることなどを挙げている。また、町沢(1998)は現代青年の特徴として「自分が特別であるはず」「あらねばならない」という自己愛の病理が見られるとしており、三船・氏原(1991)は自身の臨床経験から、青年期と自己愛の問題との関連を指摘し、自我同一性の確立とも深く関連する自己をめぐる問題であるとしている。このように、自己愛傾向はしばしば青年期、あるいは現代青年の人格特徴のひとつとして取り上げられている。このような臨床的・理論的な指摘から、実証研究としても、青年期の自己愛傾向に焦点を当てた研究は数多くなされている。例えば現代青年に特有の友人関係のあり方を自己愛傾向との関連から検討した岡田(1999)の研究や、自我同一性との関連を検討した研究(佐方, 1988; 三船ら, 1991)などがあげられるが、これらは青年期において特に重要とされる変数との関連を検討した発達的な研究として位置づけられる。また、臨床的知見やDSM-Wに記述される自己愛人格の特徴を確認するといった目的でなされた実証研究においても青年が調査対象となっていることが多い(宮下, 1991; 大平, 1988; Raskin et. Al., 1991など) 。

自己愛的活動が自己評価の危機に関連して誘発されるというStolorowの指摘からも青年期の自己愛傾向を理解することは可能であろう。中学生以降には試験など、学業面で自分の能力が相対的に評価される機会が増え、特に受験期にさしかかると、自己の位置づけを認識せざるを得ない。その際、多くの個人はそれまで持っていた自己の能力に関する認識を、少なからず改めなければならなくなる。なかには自分の有能さを知り、有能感や優越感を高める青年も存在するであろうし、逆に劣等感をもつようになる青年も存在するだろう。また、一個人内でさえも、評価にさらされる領域の違いによって自己評価は高揚、低下の両方向に揺れ動くことが考えられる。近年、青年期は延長傾向にあることが言われているが、この観点からは青年期の中でも特に学業における評価にさらされる中学・高校・大学期に、多くの人が自己愛傾向を高めることが予想される。

このように、一般的に青年期の始まりであると考えられる中学生から、青年は自己に関する問題に直面したり評価にさらされる中で、徐々に自己愛傾向を高めていくと考えられる。しかし、これまで実証研究において対象とされてきた「青年」は、ほとんどの場合大学生であり、実際に自己愛傾向が高まるという実証的示唆はほとんどみられない。これに関し、学生期全般を対象としてはいないが、年齢と自己愛傾向の関連はいくつかの研究において検討されている。例えば、Raskin & Terry(1988)においては17~49歳(Mean20, SD6.7)の被験者1018人のデータから年齢とNPI得点が無相関であることが示されている。また、三船・氏原(1991)では、被験者を年齢によって高群(20-24歳, 204人)と低群(18-19歳, 167人)に分けてNPI得点についてt検定を行った結果、高群が有意に高い(t=2.4306, p<.05)ことが示されている。2つの研究は検討の方法も異なり、対象年齢も異なるため、比較することはできないが、これらのことから、自己愛と年齢について一貫した見解は得られていないといえよう。

しかし、自己愛に関連するいくつかの構成概念について、青年期における発達的変化(差異)が見られることが示されている。例えば自尊感情は10代半ば以降、年齢とともに高まる傾向にあることが示されている(榎本, 1998)。岡田・永井(1990)では、中学・高校・大学生における自尊感情を比較検討し、女子では中学・高校生よりも大学生の方が高く、男子では高校生が最も低いことが示されている。この結果は高校生より大学生が高いという点で共通し、先行研究にも一致している。さらに、学校ごとに比較すると差が見られるということも示している。また、佐藤(1994)では、自己愛と逆の感情であると考えられる自己嫌悪感について、いくつかの側面は中学・高校・大学生と学校段階が上がるにつれ減少し、別の側面は高校生で最も高まることが示されている。佐藤(1994)によれば、自己嫌悪感の高さは傷つくことから自己を守ろうとする自己愛的感情と、自己に対し完全主義を求めるという自己愛的感情の高さから説明され、両者は関連し合う感情である。また、重回帰分析の結果から、自己嫌悪感が自己愛(論文中では自愛心)の一側面である自己尊重の感情が高まることにより低減される可能性を示唆している。これらのことから考えても、自己愛傾向は発達的に何らかの変化をする可能性があり、それについて検討する必要があると考えられる。

TOPへ戻る
研究の視点と目的

自己愛という現象を機能面から捉えたとき、自己愛人格の2下位分類は同時に考慮されるべきものである。特に青年期は、自己評価を脅かすような事態にさらされやすい時期であるため、青年期に指摘される自己愛傾向を単に誇大性の高まりと捉えず、自己評価を安定的なものにするための発達的現象の一つとして捉え、検討していく必要があると考えられる。

また、先行研究において、対人恐怖心性との対応によって2下位分類を見出そうとする試みが見られたが(清水ら, 2002)、自己愛人格における誇大性と対人恐怖心性の関連については、より注意深く検討する必要がある。確かに、過敏性を特徴とする自己愛人格が対人恐怖心症を兼ね備えているという指摘は、北西(1998)やBroucek(1991)などによってもなされており、自己愛の研究に対人恐怖心症の測定を組み込むことは妥当なことであると考えられる。しかし、対人恐怖心性のみで自己愛を測定することは妥当性を欠き、この方法によって誇大性と対人恐怖心性の関連についての実証的な説明を加えるのも困難であろう。例えばEmmons(1988)は自己愛的な個人は自信の高さから不安が低いと主張しており、実際、清水ら(2002)では対人恐怖心性とNPI-Sの各下位尺度の間で一貫して有意な負の相関(-.65~-.12) が示されている。この結果からは、誇大性が対人恐怖心性に結びつくという図式は想像しがたく、小塩(2002)における「注目・賞賛欲求」と同様、それらが仮に結びつきうるとすれば、そこには何らかの仲介変数が存在することが予想される。

しかしそもそも、自己評価の維持・安定化という自己愛の機能を考えれば、過敏性を特徴とする自己愛人格にあっては、対人恐怖心性の前に、自己評価を脅かすものへの不安や警戒などを考慮すべきではないだろうか。これに関し岡田(1999)は、Rapan &Patton(1986)の自己愛尺度に基づき病理的自己愛を測定する尺度を作成し、その下位尺度である「他者評価への過敏性」尺度とNPI-Sにおける「注目・賞賛欲求」に高い正の相関が見られることを示している。この結果について岡田は、自己愛傾向における注目・賞賛欲求は自分自身についての堅固な高い自己評価に基づくものではなく、むしろ他者からの否定的評価によって容易に覆されてしまう不安を伴ったものであると考察している。これは小塩(2002)の指摘とも符合するものである。これらのことからも、自己愛人格における2下位分類を考える際に、自己評価への脅威を考慮することは妥当なことであると考えられる。ゆえに、本研究では自己評価を脅かすものに対する過敏性(「評価過敏性」を考慮した自己愛人格の分類を行い、さらに自己愛人格における誇大性、注目・賞賛欲求と対人恐怖心性の関連について、実証的な検討を行う。

本研究の目的は、以下の3点にまとめられる。

(1)自己愛をStolorow(1975)の定義に基づいて機能面から捉えなおし、その機能を果たしていると考えられる自己愛 人格における2つの下位分類を測定する尺度を作成すること
(2) 青年期の自己愛傾向について発達的側面から検討すること
(3) Gabbard(1989,1994)の理論的指摘に基づくより適切な自己愛人格の分類を試み、精神的健康の観点から、各群 の特徴を明らかにすること

第1の目的においては、先行研究の問題点をふまえ、「評価過敏性」(自己評価を脅かすものに対する過敏性)を考  慮した尺度の作成を試みる。
第2の目的においては、まず、作成された尺度から見出された自己愛の各側面について中学・高校・大学生を比較  し、次に、作成された尺度における得点パターンを抽出し、その発達的変化を検討する。
第3の目的においては、自己愛尺度における得点パターンと精神的健康との関係を検討し、理論的な2種類の自   己愛人格と精神的健康との関連を考察する。
さらに、「評価過敏性」を考慮したうえで、従来その関連が指摘されてきた自己愛、特に注目・賞賛欲求が対人恐怖  心性にどのように影響するか検討し、自己愛概念の吟味を行う。

TOPへ戻る