問題と目的


 自己開示とは、人が自分の考えや気持ちを 他者に伝える行動のことをいう。Jourard(1971)が自己開示はパーソナリティ健康のしるしであり、 健康なパーソナリティを至高に達成する手段であるとし、この主張に刺激されて多くの研究が行わ れている。実際にこれまで多くの研究によって、自己開示と精神的健康の間に相関があることが見い だされている(丸山・今川 2001)。例えば、自己開示がストレスを低減させること(丸山・今川, 2001)や、否定的な内容の自己開示がもたらす効果として、抑うつ症状や身体症状が軽くなる、 否定的な自己の側面の話に耳を傾けられ、受容されることは自己価値観を高める、相手からのソー シャル・サポートを引き出す可能性もある、などが挙げられる(片山, 1996)。また、自己開示 をすることは、自分の意見や態度の曖昧さを減少させ、一貫性・統合性につながるし、自己開示自 体に感情表出やカタルシス機能があるとされている(中村,1995)。
 自己開示は軽い内容の話から 深い内容までも含むが、楽しいときだけではなく悩んでいるときでも話をきいてくれ支えてくれ る人の存在が、健康に前向きに生きていくために重要であると感じている。そこで本研究では、自己 開示の中でも特に深い内容である悩みの自己開示に焦点を絞って研究することにした。



 自己開示には、先行研究により様々な効果が得られることが実証されている。そのどれ もが健康に生きていくためには大切なことであると思う。しかし本研究では、精神的健康の中でも 未来に対して可能性を感じ、希望をもてている状態に焦点をあてていくことにした。悩みや困難な 状況は生きていくうえで避けては通れないことである。しかし、そのような状況にあったときでも 、それを自分は乗り越えていけることを多少なりとも感じることができたり、未来の希望を失わずにい ることができ、自分の可能 性を感じることができたりしていれば、たとえ困難なことがあっても全体としてポジティブに生きていけるのではな いだろうか。そこで、精神的に健康な状態の中でも将来に期待がもてている状態、つまり絶望感が 低い状態に焦点をあてて検討していくことにした。
 絶望感とは、「強く望む結果が起こらない 、または強く嫌悪する結果が起こるというネガティブな結果の予期と、こうしたネガティブな将来の 結果の生起を自分には防ぐことができないという無力感の予期の両方をもつこと」と定義されてい る(高比良,1998)。また、絶望感は抑うつの最も重要な構成要素であって、ストレス過程による 心理的不適応症状である(大谷・桜井,1995)。自己開示には、抑うつ症状や身体症状が軽くなる ことも実証されている(片山,1996)ことから、悩みの自己開示をしている人は、抑うつと正の相関 がある絶望感が低いといえるのではないかと考えられる。



 また、悩みの自己開示をすれば、被開示者からなんらかの反応が返ってくる。聞き手の受容的 反応は開示者の抑うつ低減につながること、逆に聞き手の拒絶的反応は開示者の抑うつを高めて しまうことが示唆されている(森脇・坂本・丹野 2002)。このように、自己開示がどれだけ有効に 働くかは、被開示者の反応によっても大きく左右されるだろう。そ こで本研究では、そのような被開示者の反応についてもみていくことにする。



 ところで、同じ状況にいてもそれに対してストレスを感じる人と感じない人がいる、ということは 日常生活の中でよくみられる現象ではないだろうか。今までそのような現象を何度も体験してきて、 ストレスを感じないにこしたことはないし、ストレスを感じない方が元気でいることができると 思う。しかし、ストレスを感じるかどうかはその人自身でコントロールしづらいものである とだろうし、ストレスを感じないでおこうとしても感じるときは感じてしまうものであると思う。
 このようなストレスを感じやすいかどうかの違いは、その人の認知傾向からくるもので あると考えられる。一般に曖昧な状況は先の予測ができず、不快なものとされている。しかし、 それに対して不快を感じる程度は人によって違い、曖昧な状況に耐えられるかどうかを 曖昧さ耐性という。 増田(1998)の研究によると、ストレス状況の体験個数に大きな差はみられない にも関わらず、曖昧さに対する耐性の高低でその体験を脅威に感じ、ストレスを感じるかどうかが 異なってくることを見出している。つまり、曖昧さ耐性が低ければ、曖昧さ耐性が高い人とストレス 状況の体験の回数自体はそれほど変わらないものの、その体験をネガティブに評価する傾向が強い のである。したがって、曖昧さ耐性が低ければ抑うつが高いことが明らかになっている。 また、過去の曖昧さ耐性の研究はいずれも、曖昧さ耐性の低さは精神的健康を阻害するというもの である。



 しかし、このような結果にとどまっていては曖昧さ耐性が低い人にとってつらいもので あると思うし、 耐性が低い人でも健康に生きていけるみちを探る ことが重要であると考える。 今のところ、曖昧さ耐性の低さが抑うつにつながることはいくつもの研究で実証されている。 しかし、曖昧さ耐性が低い人でも健康でいられることをみた研究はみあたらない。 曖昧さ耐性はその人がもつ特性であり、その人の一部である。曖昧さ耐性を高くすることができれば、 その人の抑うつは低くなると考えられるが、特性であるがゆえに簡単に変えることはできないし、 変えるには時間を要するだろう。そこで、たとえ曖昧さ耐性が低くてもそれになんらかの要素が加わる ことで、その人が全体として精神的健康を保つことができる、ということがあるのではないだろうか。 そのひとつの要素に なりうるものとして、悩みの自己開示を考えた。自己開示には上記のように 様々な効果が得られることが実証されているし、曖昧さ低減の機能もある。曖昧さ耐性が低い人は ストレス状況にあるとき、ストレスを感じることが多い(増田 1998)。 一般に悩みはストレス状況で あるが、そのような状況にあるときに、自己開示をしていれば様々な効果が得られ、絶望感が低くなる と考えることができる。つまり、曖昧さ耐性が低くても悩みの自己開示をしていれば、曖昧さ耐性の 低さが絶望感につながることを緩和でき、全体として精神的健康を保 つことができるのではないかと考え、それを検討することを本研究の目的とする。



仮説1
曖昧さ耐性が低くても、悩みの自己開示をしていれば絶望感は低くなる
仮説2
悩みの自己開示による絶望感低減の効果は曖昧さ耐性が高い人よりも低い人の方が大きい