考察

 本研究はまず、自己意識とクリティカルシンキング志向性との関係を探ることが第1の目的であった。また、対人不安とクリティカルシンキング志向性との関連を、自己意識の視点を交えて調べ、他者評価に対してクリティカルに考え、精神的健康を維持できる可能性があるかを探ることが、第2の目的であった。

1.クリティカルシンキング志向性と自己意識との関係
 
 自己意識は、クリティカルシンキング志向性と弱い正の相関がみられたが、私的自己意識と比較的強い正の相関がみられた一方で、公的自己意識との相関はみられなかった。これは、「クリティカルシンキング志向性は、公的自己意識と正の相関をもち、私的自己意識と負の相関をもつだろう」という仮説Tと正反対の結果であった。
 これは、パブリックな自己を意識することが、物事を多面的に見ようとするクリティカルシンキング志向性にはつながらないということを表している。他者の目から見る自己を意識することは、事実ではなくただの想像に過ぎないことから、事実や証拠を重視するクリティカルシンキング志向性とは相反し、公的自己意識とクリティカルシンキング志向性とは相関が出なかったのであろう。一方で、自己の感情や願望などの私的な側面を重視することが、クリティカルシンキング志向性につながるという結果が出ているが、これは普段何気なく思うことや願うことなど、私的な側面に注目することで、自己について多面的に考えていることに相当し、様々な事象に対する省察能力であるクリティカルシンキング志向性と正の相関がみられるのだと考えることができる。
 さらに、それぞれの下位尺度について相関を算出したところ、私的自己意識において、強弱の差はあるものの、クリティカルシンキング志向性の下位尺度の全てと正の相関が得られた。また、クリティカルシンキング志向性・自己意識の重回帰分析の結果、クリティカルシンキング志向性の下位尺度である客観性は、私的自己意識に弱い正の影響を与え、人間多様性理解も中程度の正の影響を与えていることが分かった。これは、私的自己意識には、客観的に自分を見つめ直す大切な要素が含まれていると言えるのではないだろうか。一方で、いろいろな人間の存在を認めることは、同時に多様な人間の中に自己の特徴を埋めることができる思考のスタイルであると考えられることから、私的な側面について振り返ることがあっても、「他にももっといろいろなタイプの人間がいる」と思うことで、自分を恥じたりすることがないだろう。つまり、健康的な思考のスタイルをもっていると考えることができる。クリティカルシンキング志向性尺度のうち、私的自己意識と最も強い相関をもっていたのが人間多様性理解であることから、人間の多様性を理解することが、もっとも私的な側面に目を向け、内面を充実させる要因であると考えて良いだろう。Scheier,Buss,A.H., & Buss,D.M.(1978)によると、私的自己意識が高い人は、自己評価がより正確であるということを示している。よって、クリティカルシンキング志向性と私的自己意識との関連があったということは、クリティカルシンキング志向性が正確な自己理解を促す要因として有力であると考えて良いだろう。
 また、公的自己意識に関しては、客観性と弱い負の相関があり、人間多様性理解とは弱い正の相関があった。さらに、重回帰分析の結果、公的自己意識は客観性から中程度の負の影響を受け、人間多様性理解から中程度の正の影響を受けていた。よって、公的自己意識とクリティカルシンキング志向性との間に相関が出なかったのは、客観性と人間多様性理解の間に出た相関が相殺されたものだと考えることができる。公的自己意識は、他者の目から見た自己の像を勝手に想像することであるが、客観性と負の相関がみられることから、「自分が想定した」他者の視点から自分を見ていると言うことができ、結果として主観的な自己像に頼った想像ということになるのではないだろうか。さらに、人間多様性理解との相関があることから、様々な人が想定した自己像を想像することにより、自分の行動を様々な人の思惑に合わせて捉えようとすることで、自分の行動を反省する機会は増える。青年期は「自我同一性」(アイデンティティ)の形成の時期であることから、「自分らしさ」を意識するあまり、自分らしさに反する行動に敏感になるあまり、多様な人間がいることを理解しつつ、その視点をを自分に適用するために必要な客観性が低いため、いつもと違う自分の行動を必要以上に気にしたり、ひどい場合には恥じてしまうのではないだろうか。よって、公的自己意識が高い人は、他者から見た多様な自己像を気にするが、自己をも客観的に見る視点を持たないため、自己に対する恥の感情が大きくなる可能性があり、「自分が変な人に思われているかもしれない」といった対人不安意識が高くなることが推測される。

2.クリティカルシンキング志向性と対人不安との関係
 
 クリティカルシンキング志向性と、対人不安との間には、弱い負の相関があり、これは仮説2を支持した。クリティカルシンキング志向性の下位尺度と対人不安の下位尺度との相関を調べたところ、客観性は強弱の差こそあるものの、不安尺度のどの下位因子とも負の相関があったことから、クリティカルシンキング志向性の高低には、客観的な思考ができることが重要であると考えて良いだろう。
 さらに、重回帰分析の結果、クリティカルシンキング志向性の下位尺度のうち、客観性・脱直感の2つの尺度が、対人不安意識の下位尺度である対人的緊張に負の影響を及ぼしていた。これは、客観性が高く、直感で物事を判断しない高ければ、対人的緊張が低いということを表していることから、ソーシャルスキルトレーニングの一環として、客観性を高め、直感だけではなく、いろいろな要素を吟味して考える能力を身につければ、対人的緊張が低減される可能性があるということである。

3.自己意識と対人不安意識の関係
 
 自己意識と対人不安には、比較的強い正の相関がみられたが、自己意識をの下位尺度である私的自己意識と公的自己意識とに分けて考えた場合、どちらも正の相関を持っていたが、私的自己意識と対人不安との間には非常に弱い正の相関がみられたのに対し、公的自己意識には非常に強い正の相関がみられた。これは、先ほど1で述べた通り、公的自己意識が恥の感情を生じさせ、その結果対人不安意識が高まるということを支持する結果であると言える。これは、自己を社会的対象として意識することが、間の悪さや不快感として経験されるくらいに激しい場合に生じる自意識シャイネスという概念からも理解されている(Buss,1986)。しかし、このBussによる論では、自意識シャイネスはあくまで公的自己意識が極端に高まった結果として表れるとされており、それが公的自己意識と対人不安の間の非常に強い相関として表れたということは、現代において、近頃大学でも行われているように、教師が生徒によって評価されたり、サービス業が客からの評価を求めるなど、世の中の発展のためにいろいろな立場の人からの評価を求めることが増え、公的自己意識を高めるような機会が社会的に求められるようになったという、社会の変化が原因である可能性も考えられるだろう。
 一方で、私たちが普段あれこれと思考を巡らせやすい対象となるのは、自分の目に見えやすい事象であり、中でも自分と対人的相互作用を行う他者はとりわけ私たちの思考を焦点づける対象となる。よって、目の前に写っているものを考えている段階では、私的自己意識的な立場から物事を見ることはあまりない。しかし、ふと私的自己意識的な立場にたって物事を考えるときを、Duval & Wicklundの客体的自己意識理論(1972)に当てはめて考えてみると、自己の特定の次元を意識し、自己の注意の焦点づけが行われると、現実の自己と理想的な基準との比較によって自己評価が行われ、現実自己と理想自己との間のズレが認知される。そのズレがネガティブな感情を生じさせる。ここでのネガティブな感情とは、否定的な評価による自尊心の低下などが考えられ、これは対人恐怖症の原因となり得ることから、私的自己意識が高い人もやはり対人不安意識を抱く可能性は充分にあるだろう。しかし、このネガティブな感情は、認知的にズレを生じさせるものどちらかを無視したり、帰属スタイルの変化や、ズレを小さくするために理想自己に行動を近づけることでズレを低減されることが試みられ、回避されるという(Duval & Wicklund,1972)。よって、私的自己意識が高く、現実自己と理想自己の間のズレに悩み対人不安に陥っても、それを回避できる行動パターンがとれるということを表していると考えて良いだろう。
 さらに、重回帰分析の結果から、自己意識の下位尺度が対人不安の下位尺度にどのように影響しているのかを検討したところ、私的自己意識はどの下位尺度にも影響していなかったが、公的自己意識については、疎外感と自我の脆弱性・対人的緊張・評価不安とどの下位尺度に対しても影響を与えていた。中でも、評価不安は非常に強い影響を与えている。さらに、自己意識の下位尺度と対人不安の下位尺度の相関でも、公的自己意識はどの下位尺度とも高い相関が出ており、仮説Vは全面的に支持されている。対人不安は他者の注視や無視が原因となって起こるものであり(辻,1993)、疎外感と自我の脆弱性は他者の無視、対人的緊張と評価不安は注視による不安であるということができる。他者の無視や注視というのは、自己に対する評価的な意味合いを持った視線であるから、他者の評価を気にする――つまり、他者の視点から見た自己を気にするということである。つまり、生起した対人不安によっても公的自己意識が高められるのである。よって、公的自己意識と対人不安とは、お互いに相乗効果的な役割を果たしているのではないかと考えることができる。

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