自己意識は、クリティカルシンキング志向性と弱い正の相関がみられたが、私的自己意識と比較的強い正の相関がみられた一方で、公的自己意識との相関はみられなかった。これは、「クリティカルシンキング志向性は、公的自己意識と正の相関をもち、私的自己意識と負の相関をもつだろう」という仮説Tと正反対の結果であった。
これは、パブリックな自己を意識することが、物事を多面的に見ようとするクリティカルシンキング志向性にはつながらないということを表している。他者の目から見る自己を意識することは、事実ではなくただの想像に過ぎないことから、事実や証拠を重視するクリティカルシンキング志向性とは相反し、公的自己意識とクリティカルシンキング志向性とは相関が出なかったのであろう。一方で、自己の感情や願望などの私的な側面を重視することが、クリティカルシンキング志向性につながるという結果が出ているが、これは普段何気なく思うことや願うことなど、私的な側面に注目することで、自己について多面的に考えていることに相当し、様々な事象に対する省察能力であるクリティカルシンキング志向性と正の相関がみられるのだと考えることができる。
さらに、それぞれの下位尺度について相関を算出したところ、私的自己意識において、強弱の差はあるものの、クリティカルシンキング志向性の下位尺度の全てと正の相関が得られた。また、クリティカルシンキング志向性・自己意識の重回帰分析の結果、クリティカルシンキング志向性の下位尺度である客観性は、私的自己意識に弱い正の影響を与え、人間多様性理解も中程度の正の影響を与えていることが分かった。これは、私的自己意識には、客観的に自分を見つめ直す大切な要素が含まれていると言えるのではないだろうか。一方で、いろいろな人間の存在を認めることは、同時に多様な人間の中に自己の特徴を埋めることができる思考のスタイルであると考えられることから、私的な側面について振り返ることがあっても、「他にももっといろいろなタイプの人間がいる」と思うことで、自分を恥じたりすることがないだろう。つまり、健康的な思考のスタイルをもっていると考えることができる。クリティカルシンキング志向性尺度のうち、私的自己意識と最も強い相関をもっていたのが人間多様性理解であることから、人間の多様性を理解することが、もっとも私的な側面に目を向け、内面を充実させる要因であると考えて良いだろう。Scheier,Buss,A.H., & Buss,D.M.(1978)によると、私的自己意識が高い人は、自己評価がより正確であるということを示している。よって、クリティカルシンキング志向性と私的自己意識との関連があったということは、クリティカルシンキング志向性が正確な自己理解を促す要因として有力であると考えて良いだろう。
また、公的自己意識に関しては、客観性と弱い負の相関があり、人間多様性理解とは弱い正の相関があった。さらに、重回帰分析の結果、公的自己意識は客観性から中程度の負の影響を受け、人間多様性理解から中程度の正の影響を受けていた。よって、公的自己意識とクリティカルシンキング志向性との間に相関が出なかったのは、客観性と人間多様性理解の間に出た相関が相殺されたものだと考えることができる。公的自己意識は、他者の目から見た自己の像を勝手に想像することであるが、客観性と負の相関がみられることから、「自分が想定した」他者の視点から自分を見ていると言うことができ、結果として主観的な自己像に頼った想像ということになるのではないだろうか。さらに、人間多様性理解との相関があることから、様々な人が想定した自己像を想像することにより、自分の行動を様々な人の思惑に合わせて捉えようとすることで、自分の行動を反省する機会は増える。青年期は「自我同一性」(アイデンティティ)の形成の時期であることから、「自分らしさ」を意識するあまり、自分らしさに反する行動に敏感になるあまり、多様な人間がいることを理解しつつ、その視点をを自分に適用するために必要な客観性が低いため、いつもと違う自分の行動を必要以上に気にしたり、ひどい場合には恥じてしまうのではないだろうか。よって、公的自己意識が高い人は、他者から見た多様な自己像を気にするが、自己をも客観的に見る視点を持たないため、自己に対する恥の感情が大きくなる可能性があり、「自分が変な人に思われているかもしれない」といった対人不安意識が高くなることが推測される。

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