問題
1.自己開示の定義
2.自己開示の機能
3.聞き手の反応
4.開示抵抗感
5.自己評価
6.性差
7.自己開示動機
8.自己開示スタイル



1.自己開示の定義
 日常生活において、われわれは自分のことを誰かに話さずにはいられない。自分自身のことや、自分の考えていること、悩んでいることなど、自分のことを話すといってもさまざまな内容がある。また、相手や場所など、周りの状況によっても話す内容は違ってくるであろう。
 このように、私たちはさまざま な形で自分について誰かに話をしているのである。自分のことを人に話す行為を自己開示(self-disclosure)として捉えられている。自己開示研究の創始者であるJourard(1971)によれば自己開示とは個人的な情報を他者に知らせる行為であるとしている。また、安藤(1990)は自己開示とは特定の他者に対して伝達される自分自身に関する情報、およびその伝達行為としている。つまり、「自分に関することを誰かに自発的に話をする」ということである。このような自己開示は他者とのコミュニケーションの一つでもあり、人が生きていくために必要不可欠である。

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2.自己開示の機能
 では、なぜわれわれは自分に関する情報を誰かに伝えようとするのであろうか。Jourard(1971)によると、自己開示をすることは健康なパーソナリティを達成する手段として考えている。先行研究からも自己開示することは肯定的な結果をもたらすと伝えられていることが多い。安藤(1990)によると自己開示には2つの肯定的側面があるとして、個人的機能と対人的機能の2つの側面から述べている。個人的機能としては感情浄化や自己明確化などが、対人的機能としては社会的妥当化などが挙げられている。感情浄化とは自分自身の問題や考えをあらわにすることである。うっ積する思いを吐き出すことで感情を浄化できるのである。また、自己明確化とは自分の意見や感情を聞き手となる相手に話すことで曖昧であった自分の意見や態度を整理し、明確化させていくことである。そして、社会的妥当化とは自分の考えや意見を他者に話すことで聞き手も自分の体験やアドバイスを話すようになる。そのことが、話をする側にとって自分の新たな側面に気付くことができるきっかけとなる。そして、他者とも比較を行うことで自己概念の安定につながるのである。
 また、誰かに話をするということは自分とその人が共通のものを持つことでもある。自分の思いをその相手に共有してもらうことで、その相手とはこれからも自分にとって価値のある人となっていく。このように話をすることで他者と関わっていき、自分のことを相手に理解してもらうこととなる。これは人が生きていく上で非常に重要な効果をもたらすのである。例えば、日常、われわれはたくさんのストレスある状況に出くわす。このような状況に襲われても、それを誰かに話をして、自分の思いを吐き出すことで気分がすっきりしたり、相手から良いフィードバックを得ることができたりして、ストレスから解放されることもよくあるのだ。今川・丸山(2000)によると、人は他者によって自己開示が受容され、感情を十分に表出したときに、ストレスを低減させることができるとしている。
 また、このような自己開示は、特に否定的な心理状態の人たちにとって、身体的症状や精神的健康上に重要な効果を持っている。例えば、否定的な出来事を経験した際に自分の抱えている問題や感情について自己開示を誰かにする人はしない人に比べて、抑鬱症状や身体症状が軽くなったり、自己について話す人ほど孤独感が低かったりする(Stokes,1987)。「誰かに話を聞いてもらう」という行為が肯定的な結果へと結びつくのである。これらの機能を生かし、実践されていることが心理療法やカウンセリングである。カウンセラーと否定的な心身の症状を持つクライエントが話をすることで憂鬱な気持ちを回復しようとする目的がある。
 しかし、誰かに話をすれば必ずポジティブな効果を得られるというわけではない。話を聞いてもらう相手の反応によっては話し手にとってネガティブな効果を引き出すことも考えられる。もし、適切なフィードバックがなされなかったならばどうであろう。自分が打ち明けた話に対して相手から否定的な反応をされたり、無視されたり、無関心な態度をとられたりなど、思っていた反応と違う反応や態度をとられたならば、開示者は自分に自信がなくなったり、自尊心が低下することもある。このような経験がきっかけで、誰かに話をすることが無意味であると思い込んでしまうこともある。
 これらのことから、自己開示が心理的に望ましい影響を与えられるかどうかは、自己開示の性質、受け手の特徴など数多くの要因が絡まっていると考えられる。

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3.聞き手の反応
 そこで、自己開示研究の領域の一つに自己開示の聞き手に関する研究がある。どのような特性を持つ人が相手から自己開示を受けやすいのかを追求した研究である。これまでの先行研究では主に、話し手側に焦点が当てられることが多かったのだが、聞き手次第で話し手の気分に大きな影響を及ぼすことが示唆されるようになり、聞き手側についても注目されるようになってきた。森脇・坂本・丹野(2002)によると相手が自分と同じような気持ちでいてくれたり、アドバイスを適切にしてくれたりといった相手からの受容的な反応は開示者の抑うつ反応を低減させるとしている。聞き手の反応によって、自分自身の感情を確認する機会を得られること、また、他の人も同じようなことを経験しているのだと気付くことができることに利点があるとされている。これらのことから、自己開示において重要な要因の一つに「聞き手である相手からの反応」が挙げられる。
 しかし、玉瀬(1998)によると、カウンセラー場面において、カウンセラーが自分の経験を話す際に、話しすぎたりすることはクライエントからすると威圧的であると思うことがあり危険であるために、慎重にしなければならないと考えられている。たとえ、聞き手側からすると受容的に反応していて、相手の開示を促進しているつもりであると思っていても、それが状況や相手の気持ちにそぐわなかったならば、結果として非受容的反応と思われてしまう。深刻度の低い話であっても、高い話であっても、話を聞いてくれる相手側の態度や反応次第では、話し手は不愉快に感じたり、話をしたことを後悔したりすると考えられる。そこで、話し手側の気持ちに合わせた聞き手側の反応について検討していく必要がある。

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4.開示抵抗感
 しかし、そもそも誰もが自分の話を簡単にするとは限らない。たとえ両親や親友など心を許している人であっても、内容によってはなかなか話を打ち明けられないこともあるだろう。このように、自己開示への抵抗感のことを遠藤(1994,1995)は「開示抵抗感」と呼んでいる。この開示抵抗感は特に否定的内容の自己開示を行うときに抱きやすい。どのような開示抵抗感を抱くのかを、片山(1996)は「対他的要因」と「対自的要因」の2つの要因から開示抵抗感について説明している。  
 まず、対他的要因とは、自己開示することが他者との関係に悪影響を及ぼすと考えることである。自己開示する内容や状況によって相手から嫌われるのではないのか、また、距離を置かれるようになるのではないかと不安を感じることである。その一方で、対自的要因とは自己開示することで自分自身にマイナスの影響を及ぼすと考えることである。口に出して話をすることで、もう一度そのことを思い出してしまい、自分自身を傷つけてしまうのではないかと不安を感じることである。
 なぜ、このような開示抵抗感が生じるのであろうか。その原因として、遠藤(1994)は、自分のことを相手に分かってもらいたいという社会的欲求と相手から拒否されたり評価されたりすることへの予期や結果のリスクの認知が拮抗するかたちで増大すると考えられている。自己開示の際には、受ける側への影響を予期しているはずである。そこで、自己開示に抵抗を感じる心理規制を検証するために、自己開示への抵抗感を対他的なものと対自的なものとに分けて行うこととする。

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5.自己評価
 また、このように自己開示することに抵抗を感じるかどうかについて、個人の特性としての自己評価が影響してくると考えられる。自己評価とは、内省に基づいて自分の能力、性格、態度、興味、関心などを評定することである。自己評価の高さは情緒的安定をもたらし、自己評価の低さは不安や劣等感を強める要因として、パーソナリティの適応性や健康性の一指標として取り上げられることが多い。このような評定はその人の普段の行動にも大きく影響する。そして、自己開示へもつながってくるであろう。Fitzgerald(1963)は自己評価が高い人ほど自分に自信があるために、他者からの承認や指示を受けようとしないと考えている。しかし、Jourard(1971)は自己評価の高い者ほど、自信を持ち、安定しているため、防衛的になる必要がなく、自己の内面を他者にさらすことに不安を感じないため、自己開示しやすいのではないかと考えている。このように、二人の見解は正反対である。しかし、多くの先行研究では後者の見解を支持している。そこで、これらを検討するためにも自己評価について取り上げる。

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6.性差
 また、個人の特性としての性別も自己開示に影響を与えると考えられている。先行研究から、女性のほうが男性に比べて自己開示量が多いという報告が多くされている。その理由として性役割観から、男性は強く、無口で自分の弱い面は表に出さず、女性は多弁で感情的に不安定で自分の弱い面をつい口に出してしまうという社会通念がある(Derlega & Chaikin,1975)。そのため、男性が話をしすぎてしまうことは、周囲からの評価の低下にもつながる。しかし、自己開示の深さの研究では、男性のほうが女性に比べて、個人的な情報や、深い内容はよく開示するとされている(榎本,1997)。内容によっては男性のほうが女性よりよく話をすることもありうるのである。そのため、自己開示を量でとらえるよりは質で捉えることが必要になってきていると考えられる。

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7.自己開示動機
 そこで、自己評価や性差での違いを説明するためにも、自己開示動機の捉え方の違いを見ていくことが重要である。例えば、自己評価の高い人と低い人の自己開示量が一緒であったとしても、話をしようと思った理由が違ってくれば、自己開示を量で判断しても意味がなくなってしまう。これまでの自己開示研究においても、開示者の立場側の研究では、自己開示量や内容、深さを扱ったものが多い。自己開示をすることは身体的、精神的に良い影響を及ぼすと述べてきたが、自己開示をたくさんすれば良いということではない。自己開示量の研究で、Jourard(1971)は自己開示と心理的健康との間には曲線的関係があるとしている。つまり、自己開示が少なくても良くないが、多すぎても良くなく、心理的適応に影響を及ぼすと考えられている。自己開示が少ないと自分と他者とを比較する機会を失うこともある。しかし、多すぎると他者に不安や懸念を抱かせてしまい、結果として他者を遠ざけてしまうのである。そこで、本研究において自己開示の量や内容、深さに焦点を当てるのではなく、自己開示動機に注目することにする。  
 榎本(1997)によると、自己開示をする理由として大きく相談的動機、理解・共感追求的動機、親密感追求的動機、情動解放的動機の4つに分類している。相談的動機とは重大な決断や未知の状況を前にして自分の考えがうまくまとまらないとき、不安なときに、他人に話を聞いてもらったり、他人の意見を聞くことで、妥当な考えをまとめたいと考えるときである。理解・共感追求的動機はつらいときや悩みを抱えているときなどに、苦しい胸のうちを誰かに分かってほしいという動機である。親密感追求的動機は相手のことをもっと知りたいときや相手から好かれたいとき、あるいは孤独感に襲われたときに、親しい人をより身近に感じたいときである。情動解放的動機は嬉しいことや、反対に腹が立つことがあって興奮しているときに、誰かに話すことですっきりしたいという動機である。榎本(1997)によると両親や先生に対しては相談的自己開示が多く、きょうだいに対しては嬉しいことがあったときの情動解放的動機が多く、もっとも親しい同性の友人に対しては理解・共感追求的動機や情動解放的動機が多く、もっとも親しい異性の友人に対しては親密感追求的動機が中心となっている。このように、動機によって、どのような相手に話をするのかはさまざまである。
 このようなことから、この4つの自己開示動機それぞれで話をする相手を変える理由として、相手に望む態度や反応が違うからではないかと考えられる。そこで、これらの動機を4つに分けて検討していくことで、各動機場面での自己開示の特性を明らかにしていく。 

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8.自己開示スタイル
 また、話し手の自己開示の仕方も重要な要素として取り上げることとする。森脇・坂本・丹野(2002)は開示者の自己開示スタイルによって、聞き手が話し手への反応に影響を与え、それが結果として、話し手の気分に影響を与えることを示唆している。自己開示する際に相手のことを配慮して話をする人は相手からも受容的な反応を得ることができ、開示者側も話を聞いてくれていると安心するため、話をすることを促進され、相手側からも適切なアドバイスを与えられて、結果として話し手側は気持ちが楽になり、「話して良かった」という気分になる。しかし、これとは反対に、相手のことを考えずに自分の都合で話をしたり、一方的に話をしていたりすると、聞き手から拒絶的反応をされることで、話し手は相手が話をきちんと聞いてくれていないと感じてしまい、「話をしても意味がなかった」と思い、話す前に比べてもやもやとした気分になりうるのである。これらから、適切な自己開示ができるかどうかにも、話した後の気持ちに影響を及ぼしていく。Jourard(1971)は自己開示ができるということは、的を得た状況で、妥当な人物に行われることであるとしている。これらは、その人がすでに持っている個人的特徴によって規定されているとともに、どのような動機を持って自己開示するかによっても変化すると考えられる。

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