結果と考察
1.結果の処理手続き
2.各尺度間の相関係数
3.理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自尊感情に与える影響
4.理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自己形成意識に与える影響
(1)理想自己の内容
自由記述によって求められた理想自己の記述内容は、人間関係に関するもの(例:思いやりのある/社交的な/人付き合いの良い)、行動傾向に関するもの(例:積極的な/活動的な)、性格に関するもの(例:明るい/素直な) 、容姿に関するもの(例:やせている/スタイルの良い/背の高い)、能力に関するもの(例:英語が話せる/歌が上手い)など人生のいつの時点でも問題となるような領域に関する内容(溝上・水間,1997)なものが多かった。他にも、自己確立に関するもの(例:自分の考えをもった/人に流されない)、自己実現に関するもの(例:自分の意見を言える)など自己のあり方を問う内容、また人間的成熟に関するもの(例:冷静である)などもみられ、これらと類すると考えられる記述が多かった。全般的に、本調査で得られた理想自己の内容は、具体的な目標よりは目指すべき性格や態度など抽象的な内容が多かった。
なお、「魔法を使える」といったような明らかに非現実的で他の理想自己と次元が異なると思われるような内容のものは不適切であると考え、除いて分析を行った。
(2)理想自己と現実自己のズレの値
従来は同様の項目について理想自己と現実自己をそれぞれ回答し、理想自己の評定から現実自己の評定を減算する方法がとられていた(e.g.Bills,Vance&Clean,1951)。ただし、本研究では水間(1998)と同様、理想自己の項目を被験者に記述してもらう形式をとっており、この場合は現実自己がそれにどの程度あてはまっているかの指標がそのまま理想自己と現実自己のズレの指標となる。よって、現実自己が理想自己にどの程度あてはまるかの得点を逆転させた値をもってズレの得点とする。なお、理想自己は最大で10個の記入が可能であったが、10個全てを書かなくてもよいとしたため、10個以下の被験者もいた。そのため、本研究ではそれぞれの理想自己と現実自己のズレの得点の合計得点を理想自己の数で除算した数を理想自己と現実自己のズレ得点とする。“理想自己と現実自己のズレ得点”の平均値は、3.23点(SD=0.68)であった。理想自己と現実自己とのズレは、この得点が高いほど大きく低いほど小さい。
(3)自尊感情尺度
逆転項目の処理をし、1因子性の確認をするために因子分析(主因子法)をしたところ、全10項目のうち項目8(「もっと自分自身を尊敬できるようになりたい」)が共通性も低く、低負荷であった。また、内的整合性について検討するためにクロンバック(Cronbach)のα係数を算出したところ、同じく項目8が自尊感情全体のα係数を低下させていたので削除し、残り9項目の得点を合計したものを自尊感情得点とした。その結果、α係数はα=.887になった。自尊感情尺度のそれぞれの項目、及び自尊感情得点の平均値、標準偏差をTable 2に示す。なお、自尊感情得点の平均値は29.65(SD=7.23)であった。
(4)自己形成意識尺度
自己形成意識尺度の全12項目について主因子法・プロマックス回転による因子分析を行った。固有値やスクリープロット、解釈可能性から3因子を採用した。各因子の内的整合性を検討するため、クロンバック(Crombach)のα係数を算出したところ、第3因子はα係数が低く、項目も2つと少なかったため削除し(「5.1度自分で決めたことは途中でいやになってもやり通すよう努力する」「10.どんな不幸に出会ってもくじけないだろうと思う」)、残り10項目で再度因子分析(主因子法、プロマックス回転)を行った。その結果、項目6(「他の人に認められなくても、自分の目標に向かって努力したい」)の共通性が低かったため削除し、残り9項目で再度因子分析(主因子法・プロマックス回転)を行った。その結果をTable 3に示す。
先行研究を参考に、第1因子は「9.自分の理想に向かってたえず向上していきたい」や「11.努力して、理想の自分に向かっていこうと思う」など目標に向かって努力したいという項目に負荷が高かったことから“努力主義因子”、第2因子は「4.新しいことやちがうことをいろいろしてみたい」「8.他の人にはやれないようなことをやりたい」など可能性に向かっていきたいという項目に負荷が高かったことから、“可能性追求因子”と命名した。
また、各因子の内的整合性を検討するため、再度クロンバック(Cronbach)のα係数を算出したところ、第1因子はα=.845、第2因子はα=.668、尺度全体はα=.837と、各因子及び尺度全体において、内的整合性が確認された。
本研究では、それぞれの因子に負荷が.40以上の項目を合計して項目数で除算した得点を「努力主義得点」「可能性追求得点」とし、また努力主義得点、可能性追求得点を合わせた9項目の合計得点を「自己形成意識得点」として、その後の分析を行った。なお、自己形成意識項目の平均値、標準偏差はTable 4の通りである。どの項目においても、全体的に高得点に集中していた。なお、自己形成意識の平均値は36.14(SD=5.38)であった。
(5)自己認知の複雑性に関した指標の算出
被験者ごとに、得られたデータからLinvilleの自己認知の複雑性の指標Hを求めた。計算式は、先述の式
(1)
n:特性語の総数
:グループの組み合わせ各パターンに該当する特性語の数
による。
また、肯定的自己複雑性、否定的複雑性においては、Table 1 に示したPositive、Negativeごとのそれぞれ20特性を用いて指標Hを算出したものである。自己認知の複雑性(指標H)、肯定的自己複雑性、否定的自己複雑性の具体的な算出方法を以下に示す。
○Linville(1985)の指標Hの算出例:特性語を1,2,3・・・・20、そのうち1〜10はPositive語、11〜20はNegative語の場合
@形成されたグループ
形成されたグループ(側面)に名前に番号をつける。
(この場合は、A、B、C、Dの4つ)
A特性語グループ
それぞれの特性語がどのグループで使われているかを表を作り、記入する。
(この場合、Aグループには1,2,8,10の特性語が使われているので、その番号にAを記入する。)
Bグループの組み合わせ
グループの組み合わせごとに、いくつの特性語があるかを数える。
(この場合、Aグループだけに使われている特性語は1,10の2つなので、Aのところに2を書く。また、どのグループにも所属していない特性語も、noグループとして数を数える。)
C自己認知の複雑性(指標H)、肯定的自己複雑性、否定的自己複雑性の算出肯定的自己複雑性は、Positive語だけに注目して指標Hと同じように算出したもので、否定的自己複雑性も同様にNegative語だけに注目して指標Hを出す。なお、この例の場合はPositive語は1〜10、 Negative語11〜20である。以下にそれぞれの指標を実際に計算したものを示す。
=4.32−(24+2+8+2+0+0+0+0)/20=2.52
肯定的自己複雑性
=3.32−(8+2+0+0+0+0+0)/10
=2.32
否定的自己複雑性
=3.32−(8+4.75+0+0)/10
=2.05
自己認知の複雑性に関した各指標の平均値及び標準偏差をTable 5に示す。自己認知の複雑性の平均値は1.51(SD=0.90)、肯定的自己複雑性の平均値は1.33(SD=0.88)、否定的自己複雑性の平均値は1.26(SD=0.78)、グループ数の平均値は4.15(2.11)であった。この表から、平均して約4個のグループを作っているということがわかる。
(1)理想自己と現実自己のズレと自尊感情との関連
理想自己と現実自己のズレと自尊感情との関連をみるため、ピアソンの積率相関係数を算出した結果がTable 6 である。理想自己と現実自己のズレと自尊感情の間にr=-.473(p<.01)と有意な負の相関を示しており、理想自己と現実自己のズレは自尊感情と負の関係があることがわかった。これは、理想自己と現実自己のズレが大きいほど自尊感情が低いという結果である。このことにより、仮説1「理想自己と現実自己のズレは自尊感情と負の関係を示すだろう」は支持されたと言える。これは、理想自己と現実自己のズレと自己評価に負の関係が示された水間(1998)の研究と類似する結果である。以上のことから、理想自己と現実自己のズレが自尊感情に関連し、理想自己が自己評価の在り方の基準となっていることが示唆された。
(2)理想自己と現実自己のズレと自己形成意識の関連
理想自己と現実自己のズレと自己形成意識の関連をみるため、理想自己と現実自己のズレ得点を用いてピアソンの積率相関係数を算出した結果がTable 7である。理想自己と現実自己のズレと自己形成意識とはr=-.160で有意ではなかった。また、理想自己と現実自己のズレと自己形成意識の下位尺度との相関は、理想自己と現実自己のズレと努力主義得点との間はr=-.033とほぼ無相関であったが、可能性追求得点との間にr=-.260 (p<.01)と弱いながらも有意な負の相関を示していた。
このことから、理想自己と現実自己のズレと可能性追求得点との間には負の関係があることが示され、仮説2「理想自己と現実自己のズレは自己形成意識と正の関係を示すだろう」は支持されず、理想自己と現実自己のズレと自己形成意識には正の関係があるという水間(1998)とは異なる結果となった。この結果は、理想自己と現実のズレが大きいことが理想自己の水準の高さを示すのではなく、理想自己が低いために理想自己と現実自己のズレが大きくなるという場合を反映した結果ではないかと思われる。つまり、理想自己と現実自己のズレが大きいということは現在の自分が低い場合もあり、その場合は理想とはズレのある自分を感じるだけで、自己形成への可能性を追求しにくくなると考えられる。
(3)自己認知の複雑性に関する各指標の相関
自己認知の複雑性に関する各指標のピアソンの積率相関係数を算出した結果が、Table 8である。Linville(1985)が指摘しているように、本研究でも自己認知の複雑性とグループ数との間には、r=.887(p<.01)という高い相関が認められた。次に、Woolfolk et al(1995)による肯定的自己複雑性と否定的自己複雑性の指標について検討すると、これらは自己認知の複雑性と高い正の相関(r=.915(p<.01), r=.876(p<.01))が認められた。
(4)自己認知の複雑性と自尊感情の関連
自己認知の複雑性と自尊感情の関連をみるため、ピアソンの積率相関係数を算出した結果がTable 9である。自己認知の複雑性と自尊感情の間はr=.010でほぼ無相関であったが、肯定的自己複雑性と自尊感情の間に弱いながらも有意な正の相関(r=.207, p<.05)がみられた。また、否定的自己複雑性と自尊感情の間に弱いながらも有意な負の相関(r=-.211,p<.01)がみられた。よって、「仮説3 肯定的自己複雑性と自尊感情の間には正の関係、否定的自己複雑性と自尊感情の間には負の関係があるだろう」は一部支持されたと言える。このように、本研究でも、肯定的自己複雑性が抑鬱性を抑制し、否定的自己複雑性が抑鬱性を促進する(佐藤,1999)という先行研究と類似した結果が得られた。
(5)自尊感情と自己形成意識の関連
自尊感情と自己形成意識の関連をみるため、ピアソンの積率相関係数を算出した結果がTable 10である。自尊感情と自己形成意識の間に弱いながらも有意な正の相関(r=.230, p<.01)がみられた。また可能性追求と自尊感情の間に弱いながらも有意な正の相関(r=.301,p<.01)がみられた。
3.理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自尊感情に与える影響
自尊感情が理想自己と現実自己のズレの大きさや自己認知の複雑性、肯定的自己複雑性、否定的自己複雑性の高低によって異なるのかを検討するために、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析を求めた。理想自己と現実自己のズレ、自己認知の複雑性の各指標に関しては、上位1/3の被験者を高群(H群)、下位1/3の被験者を低群(L群)とした。
(1)理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性(指標H)が自尊感情に与える影響
理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性(指標H)を独立変数、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 12、Figure 1に、各群の平均値、標準偏差をTable 11に示す。
2要因分散分析の結果、現実自己と理想自己のズレの主効果(F(1,62)=10.084,p<.01)が有意であった。自己認知の複雑性の主効果(F(1,62)=1.169,n.s.)が有意ではなかった。また、現実自己と理想自己のズレと自己認知の複雑性の交互作用(F(1,62)=1.306,n.s.)が有意ではなかった。
この結果は、理想自己と現実自己のズレが小さい者は、大きい者よりも自尊感情が高いことを示しているが、理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性の交互作用は有意な結果が得られなかったため、本研究では理想自己と現実自己のズレが小さい者は、自己認知の複雑性に関係なく自尊感情が高いということが示唆されたと言える。
(2)理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性が自尊感情に与える影響
理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性を独立変数、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 14、Figure 2、各群の平均値及び標準偏差をTable 13に示す。
2要因分散分析の結果、理想自己と現実自己のズレの主効果(F(1,67)=10.935,p<.01)が有意だった。肯定的自己複雑性の主効果(F(1,67)=6.664,p<.05)が有意だった。また、理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性の交互作用(F(1,67)=3.504,p<.10)が有意傾向だった。
この結果は、理想自己と現実自己のズレが小さい者は、大きい者よりも自尊感情が高いこと、肯定的自己複雑性が高い者は低い者よりも自尊感情が高いということを示している。また、交互作用が有意傾向であることから、理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性は、互いに影響しあって自尊感情に関連していることがわかった。交互作用が有意傾向であったので、単純主効果の検定を行った。その結果、肯定的自己複雑性が低い者において理想自己と現実自己のズレの単純主効果(F(1,67)=14.226,p<.05)が有意であり、理想自己と現実自己のズレが大きい者において、肯定的自己複雑性の単純主効果(F(1,67)=11.436,p<.01)が有意であった。この結果により、肯定的自己複雑性が高い者においては理想自己と現実自己のズレは自尊感情の高さには関係ないが、肯定的自己複雑性が低い者においては、理想自己と現実自己のズレが小さい者は大きい者よりも自尊感情が高いということがわかった。また、理想自己と現実自己のズレが小さい者においては自尊感情の高さには関係ないが、理想自己と現実自己のズレが大きい者においては、肯定的自己複雑性が低い者よりも高い者の方が自尊感情が高いということがわかった。
(3)理想自己と現実自己のズレと否定的自己複雑性が自尊感情に与える影響
理想自己と現実自己のズレと否定的自己複雑性を独立変数、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 16、Figure 3、各群の平均値及び標準偏差をTable 15に示す。
![]()
2要因分散分析の結果、理想自己と現実自己のズレの主効果(F(1,61)=4.673,p<.05) が有意であった。否定的自己複雑性の主効果(F(1,61)=2.530,n.s.) が有意ではなかった。また、現実自己と理想自己のズレと否定的自己複雑性の交互作用(F(1,61)=1.518,n.s.) が有意ではなかった。
この結果は、理想自己と現実自己のズレが大きい人は、小さい人よりも自尊感情が低いことを示しているが、理想自己と現実自己のズレと否定的自己複雑性の交互作用は有意な結果が得られなかったため、本研究では理想自己と現実自己のズレが大きい人は、否定的自己複雑性に関係なく自尊感情が低いということが示唆されたと言える。
(4)理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性の各指標が自尊感情に与える影響
理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性の各指標が、自尊感情に与える影響について検討するために、理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性の各指標を独立変数、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析を行った結果、自己認知の複雑性の各指標全てにおいて、理想自己と現実自己のズレの主効果が有意であった。このことは、自己認知の複雑性の指標に関わりなく、理想自己と現実自己のズレが低い者は高い者よりも自尊感情が高いことを示している。この結果から、理想自己が自己の内的評価基準として機能し、理想自己と現実自己にズレが大きいことで望むべき姿とは違う現実に否定的になるという可能性が考えられる。
また、理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性を独立変数、自尊感情を従属変数とした2要因分散分析では肯定的自己複雑性の主効果(F(1,67)=6.664,p<.05)が有意であり、肯定的自己複雑性が高い者は低い者よりも自尊感情が高いことがわかった。このことから、肯定的自己複雑性が自尊感情を高める可能性がある。
他にも、理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性の交互作用(F(1,67)=3.504,p<.10)が有意傾向であった。また、単純主効果の検定の結果、肯定的自己複雑性が低い者においては、理想自己と現実自己のズレが小さい者は大きい者よりも自尊感情が高く、理想自己と現実自己のズレが大きい者においては、肯定的自己複雑性が低い者よりも高い者よりも自尊感情が高いということがわかり、仮説4「理想自己と現実自己のズレが大きい者でも、肯定的自己複雑性が高ければ自尊感情は低下せずに、自己形成意識が高まるだろう」の一部が支持された。肯定的自己複雑性が高い者は低い者よりも日頃から自分に対する肯定的な側面やポジティブな部分に注目し、自己の側面を肯定的に分化させている可能性があるので、特に理想自己と現実自己のズレが大きい場合でも理想自己とは異なる現実自己のネガティブな面に注目することなくポジティブな方向から自分を捉え、自尊感情が高いまま維持されると考えられる。また、肯定的自己複雑性が高い人は、ある自己の一側面が理想自己と大きなズレがあり否定的な評価をしようとも、自己の諸側面がわかれているので他の自己の諸側面には影響は少ない可能性がある。例えば「家庭での私」という1つの側面しか持っていない(肯定的自己複雑性が低い)場合には、その側面に関して理想自己とのズレが大きいと自己全体が影響を受けてしまい、自尊感情が下がることが考えられるのに対し、肯定的自己複雑性が高い人は他にもたくさんの肯定的側面を持っているために、その側面に応じた多様な視点から評価することが可能であり、ある1つの側面で現実自己と理想自己のズレが大きくともそれはほんの一側面であり、自己全体としての評価は低まらず、自尊感情を高く維持している可能性がある。このことは、肯定的自己複雑性が陰性情緒反応を抑制するという結果(佐藤,1999)と類似するものであり、肯定的自己複雑性が理想自己と現実自己のズレが大きいことによって起こる否定的な自己評価を緩衝する効果があるという可能性が示唆されたと考えられる。
また、理想自己と現実自己のズレと否定的自己複雑性を独立変数、自尊感情を従属変数とする2要因分散分析では、否定的自己複雑性の主効果は見られなかったものの、肯定的自己複雑性を独立変数とした場合と比較すると、現実と理想のズレの大きさに関わりなく肯定的自己複雑性の高い者は低い者よりも自尊感情が高いのに対して、否定的自己複雑性の高い者は低い者よりも自尊感情が低い結果となっている。このことから、有意ではなかったものの、否定的自己複雑性が高いことが自尊感情を下げる可能性が推測される。これは、否定的自己複雑性が高い場合には普段からネガティブな側面や消極的な部分に注目し、そのような側面を分化させている可能性があるため、理想自己と現実自己のズレが大きい場合には、否定的感情を促進させ、自尊感情が低くなると考えられる。この結果は、否定的自己複雑性の高さは、抑鬱性の強さを示唆するもの(Woolfolk,Novalany,Gara,Allen&Polino,1995)であり、林ら(1997)の研究でも否定的自己複雑性が高い人は自尊感情が低い傾向にあることが示唆されていることとからも、その可能性が考えられる。
以上のことから、理想自己と現実自己のズレが大きく自尊感情が低くなることに対して、肯定的自己複雑性が理想自己と現実自己のズレが大きい場合の自己評価の低下に対して有効であると言える。青年期には、自己の内面に注目しやすくなり、理想自己と現実自己のズレが青年期にとって重要であることから考えると、理想自己と現実自己のズレが大きい者が肯定的自己複雑性を高めることで、自尊感情を高められる可能性があることは、とても有効なことであると思われる。
4.理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自己形成意識に与える影響
自己形成意識が理想自己と現実自己のズレの大きさや自己認知の複雑性、肯定的自己複雑性、否定的自己複雑性の高低によって異なるのかを検討するために、自己形成意識を従属変数とする2要因分散分析を求めた。理想自己と現実自己のズレ、自己認知の複雑性の各指標に関しては、上位1/3の被験者を高群(H群)、下位1/3の被験者を低群(L群)とした。
(1)理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自己形成意識に与える影響
理想自己と現実自己のズレ(L群、H群)と自己認知の複雑性(L群、H群)を独立変数、自己形成意識を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 18に、各群の平均値、標準偏差をTable 17に示す。
2要因分散分析の結果、現実自己と理想自己のズレの主効果(F(1,62)=1.855,n.s.) が有意ではなかった。自己認知の複雑性の主効果(F(1,62)=.067,n.s.)が有意ではなかった。また、現実自己と理想自己のズレと自己認知の複雑性の交互作用(F(1,62)=.032,n.s.) が有意ではなかった。
(2)理想自己と現実自己のズレと肯定的自己複雑性が自己形成意識に与える影響
理想自己と現実自己のズレ(L群、H群)と肯定的自己複雑性(L群、H群)を独立変数、自己形成意識を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 20、各群の平均値、標準偏差をTable 19に示す。
2要因分散分析の結果、現実自己と理想自己のズレの主効果(F(1,67)=.801,n.s.) が有意ではなかった。肯定的自己複雑性の主効果(F(1,67)=.556,n.s.)が有意ではなかった。また、現実自己と理想自己のズレと肯定的自己複雑性の交互作用(F(1,67)=.081,n.s.) が有意ではなかった。
(3)理想自己と現実自己のズレと否定的自己複雑性が自己形成意識に与える影響
理想自己と現実自己のズレ(L群、H群)と否定的自己複雑性(L群、H群)を独立変数、自己形成意識を従属変数とする2要因分散分析の結果を以下のTable 22に、各群の平均値、標準偏差をTable 21に示す。
2要因分散分析の結果、現実自己と理想自己のズレの主効果(F(1,49)=.027,n.s.) が有意ではなかった。否定的自己複雑性の主効果(F(1,49)=4.310, n.s.)が有意ではなかった。また、現実自己と理想自己のズレと否定的自己複雑性の交互作用(F(1,49)=.088,n.s.) が有意ではなかった。
(4)理想自己と現実自己のズレと自己認知の複雑性が自己形成意識に与える影響
自己形成意識が理想自己と現実自己のズレの大きさや自己認知の複雑性、肯定的自己複雑性、否定的自己複雑性の高低によって異なるのかを検討するために、自己形成意識を従属変数とする2要因分散分析を求めた。理想自己と現実自己のズレ、自己認知の複雑性の指標に関しては、上位1/3の被験者を高群(H群)、下位1/3の被験者を低群(L群)とした。どの値においても有意なものはなかった。したがって、理想自己と現実自己のズレ、自己認知の複雑性によって自己形成意識に違いはみられなかった。よって、仮説4「理想自己と現実自己のズレが大きい者でも、肯定的自己複雑性が高ければ自尊感情は低下せずに、自己形成意識が高まるだろう」は支持されなかった。この結果は、理想自己と現実自己のズレと自己形成意識には、弱い負の関係があり、理想自己と現実自己にズレがあることが、高い水準の理想を持っていることになり理想が目標として働くのではなく、現実の自己が低いことを意味し、理想自己と現実自己のズレが自己形成意識を促進しにくいのではないかと考えられる。