問題と目的


1.はじめに
 今日私たちが日常生活を営む中で、まったくのストレスを感じずに生活することは非常に困難である。様々なストレスに直面するなかで、同じような環境で同じような刺激を受けてもストレス反応が表出するかどうか、また、表出の仕方は個人によって違いが生じる。つまり、ストレスに対しての適応力の差は、個人的な要因に左右されると考えられる。
本研究では、ストレス緩衝要因の1つとしての自己効力感に焦点を当て、コーピングおよびストレス反応に与える影響を検討していく。
 
2.心理的ストレス過程
ストレスという言葉は、もともと工学や物理学の領域で用いられた言葉であったといわれ、外から力が加えられた時に生じる物体の歪みを意味していた。セリエはこれを生体に当てはめ、外からの刺激に対して生じる生体反応を生物学的ストレスとした。その後セリエ(1976)は、ストレスとは、「外界のあらゆる要求に対する生体の非特異的な反応」であり、ストレッサーは「どんな時であれ、ストレスを生じさせるもの」と定義した。この定義からは、生物学的ストレスにおいては、生体に生じる反応と、それを生じさせる原因となった外部からの刺激という2つの要因が必要であるということが言えるだろう。
このように、ストレスという概念はもともと工学や建築学で使われていたものを生理学者や心理学者が使用したものであるが、今日では日常生活において誰もが使う、身近な言葉になっていると言えるだろう。例えば、「現代生活におけるストレス」、「職場におけるストレス」、「私は心理的ストレスで死にそうだ」などの表現は、日常で耳にした事があるのではないだろうか。しかし、これらの表現の中で使用されているストレスとは、セリエの生物学的ストレスとは少なからず異なると言えるだろう。心理学的ストレスの場合、ストレッサーが外部的要因である場合も多いが、個人の内部的要因に存在する場合もあるのである。また、心理的ストレスを検討する際、ストレッサーはストレス状態において初めて確認できるものが多く、そのため、心理的ストレスについては様々な定義があり、研究者によっても様々な意味で扱われているのが現状である。
個人にとって、ストレッサーがどの程度自分にとって脅威的であるのか、また知覚された脅威にどう対処すればよいかを判断する認知的評価のメカニズムがストレス反応やストレス状態と密接に関わっている。LazarusとFolkman(1984)によると、個人の心理的ストレス過程は、ストレッサーの認知的評価(一次的評価・二次的評価)、対処行動、ストレス反応の3つの過程から構成されている。つまり、個人にとってネガティブに評価される刺激事態(ストレッサー)を経験すると、人はまずその出来事が自分にとって「どの程度脅威的であるか」、「影響力があるか」ということについて検討する(一次的評価)。その結果、それが脅威的もしくは影響力があると判断された場合には、自分がその出来事に対してどのような対処を行なうのか、対処行動(コーピング)の選択に関する検討を行なう(二次的評価)。そして、その結果をもとに実際に何らかの行動(コーピング)が行なわれるが、二次的評価での判断が適切でなかった場合や対処行動がうまくいかなかった場合には、様々なストレス反応が表出されると考えられている。
心理的ストレスの特徴として、ストレスの知覚は主観的であるといえる。ストレッサーに対する人々の評価はきわめて個人的で、かつ主観的である。ルンドバーグとテオレル(Lundberg&Thorell, 1976)によると、様々な生活上の出来事に対する知覚を、神経症患者と健常者で比較したとき、どのような出来事が気を動転させるものであるかについて、神経症患者は健常者よりもどの出来事に対してもより脅威的なもの、よりストレスフルなものと知覚している。つまり、ストレッサーとなる出来事や事実から受けるインパクトは個人によって異なり、同じ程度のストレッサーを受け取っても人によってストレス反応が出現しなかったり、出現の仕方が異なって現れたりすることがある。
また、ストレス表出の過程において、ストレッサーが個人にもたらす影響を弱めたり、消失させたりする作用を持つ緩衝要因がいくつか挙げられている。これらの緩衝要因は、認知的評価と対処行動のプロセスに影響を与える個人的要因であるとされ、現在のところ、ストレスコーピング、社会的スキル、自己効力感、ソーシャルサポートが代表的な変数として挙げられている。米山・清水(2005)による小学校教師のストレスに関する研究では、ストレッサーからストレス反応に至る媒介変数として、自己効力感がストレス反応を低減する緩衝要因となることが示されている。ストレス反応の低減を目的とする場合には、その場しのぎの要素を多分に含むコーピングを提示・教示することよりも、スモールステップによる個人の行動の成功や将来的な見込みを高める自己効力感を高めることが有効であると報告されており、自己効力感のストレス低減における緩衝要因としての役割は非常に期待される所であろう。
 
 
3.自己効力感とストレス反応
自己効力感とは、Bandura(1977)によって提唱され、ある結果を生み出す為に必要な行動をどの程度うまく行なうことができるかという個人の確信のことである。Banduraは、人がある行動を通じてある成果を得る過程には、「一連の特定の行動が特定の成果を生み出すであろうという確信」(成果に関する期待「結果予期」)と、「その成果を生み出すために必要とされる行動をうまく扱うことができるという確信」(効力感に関する期待「効力予期」)の2種類の期待が存在するとし、行動選択に際しては効力感に関する期待のほうが個人への直接的影響を及ぼすととらえ、それを自己効力感としている。さらに、Bandura(1977)によれば、自己効力感は、課題特異的な側面の他に、個人の行動に長期的な影響を及ぼすとされる一般的な側面があり、これら二つの側面から自己効力感の概念が構成されている。
 自己効力感を生み出す判断は、以下の4つの主要な情報源に基づくとされている。@制御体験:自分で実際にやって直接成功の体験をすること。A代理体験:自分と同じような他人の経験をみることで、自分もそれが可能であるという信念が得られる。B社会的説得:自分にはやればできる能力があると、他人からの言葉で説得・説明されること。C情動的喚起:自身の有能さや長所・欠点などを判断していくためのよりどころとなるような生理的変化の体験の自覚など。これらの情報源の中で、自己効力感を高めるには、@の制御体験がもっとも強力であるとされているが、@からCに沿った介入が単独、あるいは複数を組み合わせることが有効とされている。
自己効力感とストレス反応の関係を見た研究においても、一般性セルフ・エフィカシーがストレス反応全般に、一様ではないが異なった種類や強さで影響を及ぼしていることが明らかにされている。牧野・山田(2001)によると、ストレッサーになりうる物事に取り組むときに、一般性セルフ・エフィカシーの「失敗に対する不安」が高い人は、ストレス反応の「抑うつ・不安」、「不機嫌・怒り」、「無気力」の全てが高い。一方で、一般性セルフ・エフィカシーの「能力の社会的位置づけ」の因子得点が低いと、ストレス反応の「抑うつ・不安」が高く、これは、Bandura(1985)が示した、自己効力感が低いときに見られる顕著な行動(無気力・無感動・劣等感に陥りやすいなど)に一致している。
また、嶋田(1996)によると、自己効力感は中学生の心理的ストレス過程、特にコントロール可能性の認知的評価、積極的対処と諦めのコーピング、ストレス反応のそれぞれに大きな影響を及ぼしていることが示され、中学生が自己効力感を高く持つことは、心理的ストレス過程においてストレス反応の表出を軽減させることが明らかにされている。
ここまで記述してきた先行研究のなかで用いられている自己効力感は、いわば個人の行動に長期的な影響を及ぼすとされる一般的な側面の自己効力感を対象としたものといえよう。ここで、課題特異的な側面の自己効力感を扱った先行研究を見てみると、松島・塩見(2002)では対人場面において、自分がどの位相手とうまく関係を築いていけるかという期待や信念(対人的自己効力感)が高いほど対人ストレスが低く、対人ストレス対処方略を多く行なう傾向にあることが示された。また、牧野・山田(2001)によると、陳・鈴木・奈良・坂野(1999)の職場の無力感に関する研究では、一般性セルフ・エフィカシーが課題特異的セルフ・エフィカシーを経由して、心理的ストレスの一部である無力感に影響を及ぼしていることが示された。
これまでの先行研究で示されたように、多くの研究で自己効力感の高い者は低い者よりも様々な場面において肯定的な結果を得られると考えられているという点に加え、対人的自己効力感が松尾・新井(1998)により「対人的場面において適切な社会的行動を遂行することが、どの程度自分に可能かについての主観的な評価」とされている点をふまえ、この2点から対人的自己効力感は対人ストレスおよび学業ストレスの低減に影響を及ぼすと考え、これを本研究における仮説1とする。また、本研究において対人ストレスおよび学業ストレスを取り上げる点については以下で詳細を述べる。
 
4.自己効力感とコーピング
コーピングは、LazarusとFolkman(1984)によると心理学的ストレス理論において、「ストレッサーを処理しようとして意識的におこなわれる認知的努力(行動および思考)」として定義されている。コーピングは、ストレッサーが人の心身に及ぼす影響を調整する要因でありストレッサーとそれによって生じるストレス反応の間に介在する変数である。
Bandura(1985)によれば、自己効力感を高く認知するものは、ストレスフルなイベントに対して、積極的により多くの努力を費やすとしている。つまり、自己効力に気付くということは、予測される状況を管理するのに必要な行動を計画したり、実行したりするための能力に関わってくるとされ、効力の信念は、人々の考え方、感じ方、動機づけ、行為に影響を与えるとされている。また、LazarusとFolkman(1991)は、状況に基づくコントロールの評価は対処行動の表れ方と明確に結びつくものであるとしている。したがって、自分の力で何とかできると判断された状況は、どうすることもできないと判断された状況と比較してより明確に問題中心の対処と結びついているのである。これに反して、なすすべもなくただ受け入れなければならない状況は、自分で変えることができると評価された状況より、情動中心の対処と結びついているのである。この状況に基づくコントロールの評価は、対処に対する自己効力感と非常に似たものであると言えよう。加藤(2001)によると、友人に限定した対人ストレス場面において、対処効力感が高いほど、イベントを積極的に解決しようとするポジティブ関係コーピングを使用しやすいことが明らかにされ、自己効力感理論と一致する結果が得られている。一方で、イベント解決のために積極的に努力を費やすことのない解決先送りコーピングとも正の相関を示した。牧野・山田(2001)によると、Baum、 Fleming& Singer (1983)やLazarusとFolkman(1984)は、自分の力でコントロールすることが可能なストレス状況下においては、問題に立ち向かい積極的に解決するようなコーピングが有効であると考えられるが、コントロールすることが不可能な状況下においては、問題自体に直接取り組むよりも、むしろ気分転換をするなどのコーピングがストレスの低減に効果的であるという報告をしている。先ほどの結果は、これに一致した結果と言えよう。
しかし、これらのコーピングは、その内容ないし次元の分類に決定的な定説がなく、フォルクマンとラザルス(1980)の「問題焦点型」(ストレッサー自体の解決を目指す)と「情動焦点型」(ストレッサーから生じる情動的混乱の解消・沈静化を目指す)の区別がよく知られているが、実際のコーピングがこの2つのみで網羅できるわけではないとされている。
大学生におけるコーピングに関する研究(坂田、1989)、大学生のストレスとパーソナリティの関連性を見た研究(尾関・原口・津田、1991)においても、大学生がストレッサーに対して用いるコーピングは、単一ではなく、個人によって多様なコーピングが選択されているという傾向が示されている。
ここで、嶋(1992)の大学生を対象とし、ソーシャルサポートに注目した研究をみると、大学生が、大学・学業ストレスを日常生活の中で最も多く経験するストレスと位置づけていることが明らかにされている。また、ソーシャルサポートの持つストレス緩和への役割は、男女差が見られるものの、ソーシャルサポートが対人ストレスと大学・学業ストレスを含む日常生活ストレスを緩和することが示されている。一方で、考察ではソーシャルサポートの心理的健康状態に対する説明率が、いずれも高いものとは言えず、ソーシャルサポートが心理的健康状態の決定因として持つ役割を過大視してはならないことが指摘されている。しかしここで注目したい点は、ソーシャルサポートを得るためには少なからず対人的なスキルが必要とされると推測されるということである。本研究で扱う対人的自己効力感は、松尾・新井(1998)によると「対人的場面において適切な社会的行動を遂行することが、どの程度自分に可能かについての主観的な評価」とされており、対人的なスキルと通じる概念といえるだろう。
ここまで述べてきた先行研究の結果および、@ソーシャルサポートが対人ストレス、大学・学業ストレスを緩和している、A対人的自己効力感はソーシャルサポートを得るために必要とされる対人的なスキルと通じる概念と考えられる、という点より、仮説1を補足する仮説として、対人的自己効力感が高い者は学業課題に対しても対人的なコーピングを使用し(仮説2)、学業自己効力感が高い者は対人的な課題に対しても個人的なコーピングを使用する(仮説3)と考える。
 
5.本研究の目的のまとめ
心理的ストレス過程において、コーピング、ストレス反応を考えていくと、ストレスフルな出来事が統制可能かどうかといったストレッサーの性質のみではなく、自己効力感といった個人の要因、およびコーピングが、ストレス反応に大きく関わっていると推測される。前述したように、自己効力感は行動についての信念であるため、心理的ストレス過程における二次的評価に影響すると考えられる。つまり、ストレス過程には二次的評価そのものによるストレス低減効果と、コーピングを介したストレス低減効果の2つが存在すると考えられる。
先行研究においては、一般的な側面の自己効力感(一般性セルフ・エフィカシー)が様々な領域のストレス反応の低減に与える影響について検討した研究は数多く見られるが、課題特異的な自己効力感がそれぞれの領域のストレス反応に与える影響について検討している研究は少ない。また、対象を大学生にした自己効力感とストレス反応の関連を検討する先行研究もその数は決して多くはないが、青年を取り巻く環境は楽観できるものではないだろう。大学生が当てはまる青年期を取り巻く環境については、Havighurst(1953)が青年期の発達課題として、「同年代の同性や異性の仲間と、新しくてより成熟した関係を形成すること」を挙げている。しかし、松島(2000)によると、近年、以前に比べ青年の友人関係の希薄化やお互いの距離をとる傾向がみられることが報告されている。大学・学業ストレスを日常生活の中で強く感じながら、友人関係の維持・構築にもエネルギーを費やさなければならない大学生にとって、対人場面における自己効力感や、学業における自己効力感を持つことは、青年期における適切な対人関係を築く過程において、また、ストレスレスな大学生活を送る為に非常に重要な要因の一つになると思われる。
そこで、本研究では大学生を対象とし、対人的自己効力感と学業自己効力感に注目し、各自己効力感がそれぞれの領域のストレス反応に与える影響を検討する。