考察

 本研究の目的は、「友人とのどのような付き合い方がアイデンティティ達成に関係するのかを見ることに加え、そのような付き合い方がどのような心理的変化をもたらし、アイデンティティ達成へと導かれていくのかという過程を明らかにしたい。」ということであり、そのために友人との付き合い方について、アイデンティティ達成している者と確立していない者の比較を行い、検討することであった。

加藤(1983)の同一性地位判別尺度を用いて6つの地位に分類したところ、「同一性拡散―積極的モラトリアム中間」地位、いわゆる「モラトリアム」と呼ばれる人数が全体(N=65)の半数以上(N=45)を占める結果となった。加藤(1983)の分類に従うと、「拡散―積極的モラトリアム」地位(加藤によれば、この地位がいわゆる日本の学生にみられる「モラトリアム」にあたる)がどうしても多くなることが指摘されているが、モラトリアム青年が多いのも1つの現状であろう。

友人との付き合い方については自由記述をKJ法によりカテゴリー化して、達成群とモラトリアム群の比較をχ検定で行なったが有意な差は認められなかった。そこで一人ひとりの記述をじっくりと読み込んだ。その結果、記述1「あなたは友達と話をする時に内面的なことをどの程度話しをしますか?(将来のこと、恋愛等)」については、モラトリアム群の記述に、「あまり話さない」「積極的には話さない」という記述が目立った。また、記述3「あなたは友達を信じていますか?信じていませんか?理由も書いてください。」については、モラトリアム群の記述に「信じていない」「完全には信じていない」などの記述が目立つ。そして、記述4「友達と付き合うことによって、自分自身について何か気付くことはありますか?」については、モラトリアム群の記述に、欠点に気付いた際受け入れて改善していこうという気持ちが欠けているようなものが目立っていた。

モラトリアム群においては、消極的というかマイナスにとらえる傾向の記述や自分の内面的なことを隠そうとする記述が目立ってみられる。達成群においては特徴的な記述は見当たらないが、モラトリアム群に目立っていた記述が達成群においては目立っていないということが特徴と言える。

岡田(1995)は現代大学生の友人関係の特徴として、互いに傷つけ合わぬよう気を遣う「気遣い関係群」、関係の深まりを回避しようとする「関係回避群」、楽しさを追及し群れる「群れ関係群」の3群を見出している。さらに、岡田(1999)は、青年自身は友人との親密な関係を求めているが、友人がそういった関係を取っていないと認知していることが原因となって、現実の友人関係が希薄化していることを明らかにし、現代の若者が友人関係に必ずしも満足していない可能性を示唆している。また、川田(1999)は現代青年が自他傷つくことを恐れ、深い付き合いを避けているために、友人関係が見た目は良好であると指摘する。現代青年は「相手への気遣い」によって摩擦を回避し、良好な関係を維持している。しかし、このような関係を真の友情とは言い難い。その点に関して大平(1995)は、人と人との気持ちの交流に関わる「やさしさ」にねじれが見られるとし、独特の「やさしさ」感覚を指摘している。それは、お互いを傷つけ合わないための、円滑な人間関係を維持するための道具と化した「やさしさ」である。本来やさしさとは、弱者・無力な者への配慮であり、相手を思いやり、相手の立場に立って行動することである。ここに、「やさしさ」の質の変化が見られるであろう。やさしさの変化について、栗原(1989)はアイデンティティ危機の問題との関連から考察している。一方には、友人の立場になり、友人のアイデンティティを受け入れることのできる「開かれたやさしさ」があり、他方には、アイデンティティの問題を回避し、友人が自分の中に侵入することを恐れて表面的に関わる「閉じられたやさしさ」があるというものである。

これらのことは古野・藤原(2003)が指摘した、モラトリアム地位の者がアイデンティティ達成地位の者よりも多く行なっていた付き合い方である「嫌われないように気を遣っている」「深いつながりを持つ友人を作らない」と共通している。

小此木(1979)によると、モラトリアム人間の基本特徴は、国家・社会・歴史の流れといった、自己を超えて存在する「より大きなもの」への帰属意識の希薄さである。モラトリアム人間は、アイデンティティを確立するまでの準備期間をいつまでも遷延させて、社会人としての自己を確立しようとしない。モラトリアム青年は、自分の可能性について役割実験を通して、自分が生きていくべき「道」を求めて模索している最中ではあるが、目標に積極的に関与していない姿から「中途半端」に見えることも多いだろう。「中途半端」な自己のあり方が友人関係にも反映されているのか、石谷(1994)が指摘するように、自己に対しても他者に対しても、曖昧で回避的な関与を取ることが一方では防衛機制ともなり、それによって一応の安定を得ていると言える。

以上のことより、モラトリアム群においては友人との付き合い方が希薄であり、嫌われないように気を遣い、自分の内面を知られないように回避的付き合い方をするという特徴があり、心理的には、友人との付き合いに満足していないにも関わらず、友人が自分の中に侵入してくることを恐れ、その間で葛藤していると言えるであろう。そういった付き合い方で自分を守ることによって安定を得ているという側面も見出せる。

また、達成群においては、消極的というかイメージ的にマイナス傾向的な記述や自分の内面的なことを隠そうとする記述が目立ってみられないというために、自己が安定しており、自分を回避的付き合い方などで自分を守る必要性が少ないということが言える。心理的には、自己が安定しており他者と積極的に接しようという気持ちがうかがえる。

よって、モラトリアム群にみられる不安定で回避的な心理を克服することがアイデンティティ達成につながると言える。そして、それを可能にするために友人との良好な付き合い方が必要となってくるのでないだろうか。

今回の分析は統計的には有意な差が認められなかったが、自由記述を概観するに、質問の聞き方に問題があったのではないかと思われる。あまり具体的な質問をせず、幅広い意見を見られるようにということが狙いだったが、普段あまり考えないような質問だったので被験者の方は困惑されたようで、抽象的な質問に対して抽象的な答えがほとんどであった。心理的記述が引き出せるように、質問をどこまで具体的な内容にするのかが今後の課題となるであろう。