近年、「自己肯定感」というものの重要性が言われている。
近年の研究の多くは、自己肯定感を促進することを重要視していると思われる。
しかし、本当に自己肯定感を促進することのみに注目するだけで良いのだろうか。
自己肯定感を促進することのみを重要視するというその背景には、2つの考えが存在していると思われる。
1つは、自己肯定感は良いものであり、自己否定感は悪いものであるという考えである。
2つは、自己肯定感と自己否定感は対極的な関係にあり、どちらかが高くなれば、もう一方は低くなるだろうという考えである。
1つめの自己肯定感・否定感それぞれの良い面と悪い面については、近年の研究によって少しずつ明らかになってきているが、2つめの自己肯定感と自己否定感の関連を扱った研究はあまり行われておらず、これらの関係がどのようにあるのかは明らかになっていない。
そこで本研究では、自己肯定感と自己否定感の関連について取り上げることとする。
この自己肯定感と自己否定感の関連について取り上げた研究は、佐藤(2001)が「大学生の自己嫌悪感を高める自己肯定のあり方」として検討している。
この研究では、自己嫌悪感をより多く感じている青年とはどのような青年なのかを明らかとすることを目的としており、結果自己嫌悪感をより多く感じている青年とは、自己への高い評価が高く、自己に対する受容が低い青年であるとした。
また、「自己肯定感」と他者との関係に関連して感じられる「対他的な自己嫌悪感」の関連と、「自己肯定感」と自己のあり方に関連して感じられる「対自的な自己嫌悪感」との関連には、大きな差はみられなかったとしている。
この研究においては、自己肯定感と自己否定感の関連について大学生を対象に取り上げているが、発達段階を限定するのではなく、様々な段階からこの関連を検討していくことが必要だと思われる。
そこで本研究では、この研究をもとに、自己肯定感と自己否定感の関連に小学校高学年の子どもと大学生では違いがあるのかということを検討する。
以上から、本研究の目的は2つにまとめられる。
1つは、自己肯定感と対他的自己嫌悪感、対自的自己嫌悪感との関連を検討し、小学校高学年の子どもと大学生の違いを明らかにすることである。
2つは、自己受容と自己への高い評価という2つの要因から、どのような場合に自己否定感が高くなる傾向にあるのかを検討し、それらに小学校高学年の子どもと大学生では違いがあるのかを明らかにすることである。
小学校高学年の子どもと大学生には、発達段階からどのような違いがあるのかを検討していく。
まず先行研究において大学生は、自己肯定感と対他的な自己嫌悪感の関連と、自己肯定感と対自的な自己嫌悪感の関連との間には、大きな差はみられなかったという結果をだしている。
これについては、それぞれの発達段階の自己概念の特徴から考える。
この自己概念の特徴について、山田(1995)は、小学5年生、中学2年生、高校2年生および大学2年生を対象に20答法を実施し、それぞれの回答を分析している。
それによると、小学生では自己の特性よりも、対環境内事物・事象関係(外界の事象に対する興味・関心・願望など、自己と外的対象とのかかわりの記述)について記述する傾向が強いとしている。
そして大学生では、対環境内事物・事象関係について記述する傾向が認められないわけではないが、ほとんどすべてのカテゴリーが自己の特性(自己の身体的・心理的な特性の記述)についてであるとしている。つまり、年齢とともに、自己の外面的特徴について記述する傾向は弱まり、自己の内面的特徴について記述する傾向が強まるという自己記述傾向の変化の特徴があらわれていると指摘している。
この分析より、小学校高学年の子どもは、自分と客観的な対象との関わりやそれらを比較することから、自己概念を形成していると考えられる。
つまり、自分自身の特性について重要視するのではなく、自分と客観的な対象との関わりに特に興味や関心があるものだと思われる。
よって、小学校高学年の子どもは、自分と他者との間に何らかの問題が起こったときに自己否定感を感じやすく、またそれが自己肯定感と関連していることが考えられる。
このことから、本研究での検討においては、小学校高学年の子どもたちは、対自的自己嫌悪感よりも対他的自己嫌悪感の方が、自己肯定感との間に関連がみられるのではないかと考える。
また山田(1995)の分析から、大学生は、自分の特性から自己概念を形成していると考えられる。つまり、客観的な対象との関わりを重要視せず、自分自身の性格や容姿など、自分のありのままを受け入れることから、自分の存在を捉えようとしていると考えられる。
よって、大学生は、自分自身に何らかの問題があったときに自己否定感を感じやすく、またそれが自己肯定感と関連していることが考えられる。
このことから、本研究での検討においては、大学生は対他的自己嫌悪感よりも対自的自己嫌悪感の方が自己肯定感との間に関連がみられるのではないかと考える。
以上のことから、以下の仮説を立てる。
<仮説1>
小学校高学年の子どもは、対自的自己嫌悪感よりも対他的自己嫌悪感の方が、自己肯定感との間に関連がみられる。大学生は、対他的自己嫌悪感よりも対自的自己嫌悪感の方が自己肯定感との間に関連がみられる。
次に先行研究では、大学生において自己嫌悪感をより多く感じている青年とは、自己に対する高い評価が高く、自己に対する受容が低い青年であるという結果をだしている。
これについても、小学校高学年頃の子どもと大学生の発達段階から検討していく。
最初に、この結果について先行研究の考察では、青年期である大学生は自分の中に欠乏や不足を感じ、それを埋めようとする要求の強さが自己に過剰な期待をかけ、その高い理想を求め続けるうちに、それがいつしか自分ならそうできるはずだという自己への評価に変わるのではないかと指摘している。
つまり、青年期は理想主義的であり、理想が反映された自己への評価と自己受容の間に大きな差が生まれ、そのズレが自己否定感を高めることにつながるのではないかということである。
ではなぜ大学生は、理想というものが自己への評価に反映される場合があるのだろうか。
この自己評価の形成について、中山(2007)は、小学校6年生から大学生を対象に調査し、その回答から分析している。
それによると、学年(年齢)が低いほど、自己注目的な自己評価機能(「自分は素晴らしい人間である」というようなもの)と他者依存的な自己評価機能(「人から評価されることによって自分に自信を持つ」というようなもの)とが強く関連していることが示されたとしている。
大学生は、自己注目的な自己評価と他者依存的な自己評価とが分化しており、それぞれは無相関であるということである。
つまり大学生は、人からの評価は人からの評価、自分の評価は自分の評価というように、割り切っているということが考えられるだろう。
よって、自己評価が現実との間に差がある状態であっても、それが正確でないと判断できる客観的な評価との関連がないため、理想というものが自己評価に反映される場合があるのだと思われる。
これらのことから大学生においては、自己への評価が高く、自己受容の間に差がある場合に、自分否定感が高くなる傾向にあるのではないかと考えられる。
一方、この中山(2007)の分析から、小学校高学年の子どもは、自己注目的な自己評価と他者依存的な自己評価機能とが強く関連しており、自己への評価は他者からの評価という客観的な評価と関連していると考えられる。
このことから、自己への評価というものが現実的な自己から大きく離れていくことはないのではないか。
よって、自己への評価と自己受容の間に大きな差が生まれることはないと思われる。
これらのことから、小学校高学年の子どもにおいては、自己への評価と自己受容の両方が低い場合に、自己否定感が高くなる傾向にあるのではないかと考えられる。
以上のことから、以下の仮説を立てる。
<仮説2>
小学校高学年の子どもにおいて、自己否定感が高くなる傾向にあるのは、自己に対する高い評価が低く、自己に対する受容も低い場合である。大学生において、自己否定感が高くなる傾向にあるのは、自己に対する高い評価が高く、自己に対する受容が低い場合である。