<問題と目的>
1.はじめに
現在、恋愛に対して高い価値が置かれていると言われている。テレビや雑誌、漫画や流行歌の歌詞など、恋愛をテーマにしたものは多い。若尾(2003)によれば、これらの傾向は若者に多く見られる現象であると言われている。しかし、青年期における恋愛関係が青年にどのような影響を与えるのかについて検討された研究はこれまでのところ数少ない。
そこで今回の研究では、青年期において、恋愛を経験することや恋人の存在が、若者の心理的側面にどのような影響を与えているのかを検討していく。 恋人の有無や相手との関係満足感と個人の自尊感情には関連があるのかを、恋愛そのものや恋愛をしている人一般に対してどのような印象を持っているか、どのような捉え方をしているのかという側面から検討していくことを目的とする。
2.青年期における恋愛の特徴と役割
神薗ら(1996)によれば、いわゆるソーシャル・サポート研究における知見からも推察されるように、周囲の人々との良好な人間関係は、個々人の幸福や安寧に大きな意味を持ち(福岡・橋本,1995)、特に青年期においては、他の時期にくらべて恋愛関係の相対的価値が上昇すると言われている。青年期は異性との関係に強い関心を持ち始める時期であり、結婚と家庭生活の準備期とも言えることから、青年にとって恋愛関係は重要だと考えられる。そして、異性への関心への増加に伴い、様々な恋愛を経験していく時期である(宮下,1996)。恋愛や異性交際は青年にとって重要な対人関係であり、心理学の面でも研究意義の大きい現象であるという(松井,1990)。心理学の領域では、青年心理学や社会心理学においてそれぞれ独自に恋愛に関する研究が行われている。天谷(2007)は、恋愛経験は自分に対する信頼が高まることと関連していると指摘している。
また大野(1995)は、青年期における恋愛を「アイデンティティのための恋愛」と呼び、自分に自信を持つために、交際相手からの賛美や賞賛を求めるという特徴を示している。
青年期において異性との関係はどのような意味を持つのであろうか。安達(1994)は、青年にとって恋人・異性の友人は、自己の安定や親密さの形成に関わる重要なagentであると指摘している。また、恋愛関係でのあり方は、当該関係だけでなく個人の内面にまで影響すると考えられる。多川(2003)によれば、恋愛関係が個人の内面に影響を与えることを示唆する研究とて、Dietch(1978)が挙げられる。Dietch(1978)は、過去3年間の間に恋愛関係を持ったことがない人よりも、恋愛関係を持った人のほうが自己実現の程度が高いことを示している。
また、天谷(2007)によれば、恋愛の質的な側面に着目した研究では、堀毛(1994)が挙げられる。彼は当人同士が関係の重要性を認知していることや相手への熟練度の高さによって異性関係スキルや対人関係の基本的なスキルが高まることを示唆している。またRuvolo&Brennan(1997)は、相手から援助や愛情を受けているほど、個人の成長の程度(自分がどの程度理想に近づいているとみなすか)が高いことを示している。Aron,Paris
& Paris(1995)による実証的な実験では、恋人が出来る前と後では自己効力感や自尊心が向上することを明らかにしている。
一般的にも「恋愛が人を成長させる」と言われており、前述のように堀毛(1994)は恋愛が異性関係スキルの向上に寄与していることを指摘している。詫摩(1973)は恋愛によって異性を見る目が養われると述べており、青年期のいろいろな恋愛を通して人間的に成長し、精神的に成熟していくことの重要性を指摘している。また松井(1993)によれば、恋愛を通して相手の考え方を知って、今まで気づかなかった世界を知ったり、関係を貫いたりすることによって、積極性を身につける等の変化が起こるといわれる。
青年の恋愛感情の特徴として西平(1981)の研究がある。恋愛においては、友情と異なり、他人を排斥したい・恋人を独占したい、という気持ちが強く現れるため、嫉妬心や羞恥心などの感情が生まれるという。恋をしている若者の感情は激しく、嫉妬や失恋の苦しみは個人にとって深刻なものとなる。その他にも、切なさを感じたり感傷的になったりすると述べられているように、恋愛関係では必ずしも幸せな気持ちだけが生まれるというわけではなく、時には苦しみや辛さなどを乗り越えなければならない場面があると考えられる。このような経験を通して、若者は人間的に成長していくという。
恋愛が普及する現代の日本において、恋人がいる者の割合が増える一方で、恋人も異性の友人もいない若者の割合が上昇しているという。恋人がいる者と、異性との交際がほぼない者に二極化しているという。恋愛に高い価値づけがなされる社会において、恋人がいない者や恋愛を上手くできない者が、悩みをかかえてしまい、自己評価が低下し、心理的に不適応な状態になり、自尊感情が低下する可能性があると若尾(2003)は指摘する。
自己評価とは、自己概念を形成する自己の行動、性格や能力などについての評価である。この自己評価の程度によって、自尊感情の高低が決まると言われている。しかし、これまでの研究において、恋人がいる者と恋人がいない者の自尊感情の差異について検討したものは少なく、検討する必要性があるという。
そこで今回の研究の第1の目的として、恋人がいる者と恋人がいない者では、自尊感情に違いがあるのかを検討する。 また、恋愛関係を構築したことが一度もない人よりは、過去に一度でも誰かと恋愛関係にあった経験のある人のほうが、自己実現の程度が高いというDietch(1973)の知見や、恋愛経験が人間的成長に与える影響を示唆する堀毛(1994)、詫摩(1994)、松井(1993)、西平(1981)らの見解もある。
これらのことから考えられるように、今回の研究では現在の恋人の有無にあわせて過去の恋愛経験の有無も考慮し、現在の恋人の有無および過去の恋愛経験の有無と自尊感情の関連について検討していくことを目的とする。
3.恋人との関係満足感と自尊感情
人が社会的に適応するためには、他者との関係が上手くいっているかどうかが大きく影響しているといわれる。特に、恋愛関係・夫婦関係といった親密な他者との関係は個人にとって社会的基盤になるものである。これらの関係性をどのように認知するかについて明らかにすることは重要な問題である。
では恋愛関係の関係性認知は個人の心理的な安定にどのような影響を及ぼすと考えられるであろうか。
清水、大坊(2005)によると、恋愛関係の機能にはひとつに、個人にとっての情緒的なサポートを得る源としての機能をあげている。また近年の研究においては、自己概念が他者との関係性によって変化しうることを主張している(遠藤、1999)。Laery&Downs(1995)は、自尊感情が個人の参加する社会的関係の役割を持っているとする「ソシオメーター理論」を提唱している。個人の心理状態は、個人の中だけで完結するものではなく、社会関係の中に深く関わっていると考えられる。同じく清水、大坊(2005)は、人には関係性をポジティブに認知することで個人の心理的安定を維持する機能が備わっていると示唆している。また、清水、大坊(2005)は、恋愛関係において、個人が相手との関係を「不確実なものである」と認識すると、精神的不健康と関連していることが実証されている。人には本来、不確実性を嫌う性質があり、重要な他者との関係での不確実性が高い状態は、個人にとって危機的な状況になると指摘している。
このように、恋愛関係を構築し、関係を良く認識することは個人の社会的適応や心理的な安定において欠かせないものであると考えられている。
これらのことから考えられるように、今回の研究では、現在恋人がいる人において、相手との関係に満足しているかどうかということと、自尊感情の高低に関連があるかどうかということをあわせて検討していく。
4.恋人がいる人・いない人、「恋愛」に対するイメージ
齋藤(2006)によれば、恋愛そのものがポジティブなものとして捉えられることは、恋人がいる者に対する評価にも影響を与えていると言われる。
これに関し、若尾(2003)は、若者の間で、恋人の有無がステレオタイプの一種として機能していることを主張し、これを「恋愛ポジティブ幻想」と名づけている。
彼は、『恋人がいる人は _____だ 』『恋人がいない人は ______だ 』という教示文に続く文章を完成させてもらうことで、若者が恋人がいる人・いない人に対してどのようなイメージを持っているのかを検討した。(Table.1を参照。)
全体的に、恋人がいる人には良い性質がイメージされるのに対して、恋人がいない者には悪い性質がイメージされていることがわかる。結果として、多くの若者は、「恋人がいる者」はポジティブな(良い)性質を持っており、「恋人がいない者」はネガティブな(悪い)性質を持っていると考えている。そしてこれはある種のステレオタイプ的な見解である、と彼は主張している。
恋愛が普及する現代において、若者の間で今、「恋人がいる人は(恋人がいない人は)こういう人に違いない」と決めつけてしまうような事態が起こっているということが危惧される。
同じく若尾(2003)は、恋人のいない者において、恋愛ポジティブ幻想が高いことは自尊心の低下などのネガティブな結果を生じる可能性があることを指摘している。「恋愛ポジティブ幻想」とは、「恋人がいる人に良い性質がある、いない人に悪い性質があるというイメージを持つ」ことである。恋人がいない者がこの幻想を持つと、自分には何か悪い性質があると思うことで精神的にネガティブな状態に陥る可能性がある、と彼は主張している。
しかしこれまでこれらの問題に対して直接的に検討した研究は数少なく、またあまりに見解が断定的すぎると批判的な意見も出ている。この分野に関しては今後のさらなる研究が期待されている。
そこで、今回の研究の第2の目的として、この「恋愛ポジティブ幻想」に焦点を当てて、恋人の有無と自尊感情との関連について検討したい。 若尾(2003)の主張から推測されることとして、ポジティブ幻想を抱いている者ならば、実際に「恋人がいる」自らに対して、間接的にポジティブな評価をしているということになると言えるのではないかと考える。
逆に、この幻想を持っている者は「恋人がいない」自分に対しネガティブな性質があると感じ、その結果、自尊感情の低下につながるのではないかと考えられる。
加えて、若尾(2003)の指摘にあるように、この「恋愛ポジティブ幻想」は、「恋人がいる人・いない人に対するイメージ」であると同時に恋愛に対していいイメージを持っているとも言い換えられると考えられることから、これとあわせて「恋愛そのものに対するポジティブなイメージ」の指標として、和田(1994)作成の「恋愛に対する態度尺度」を用いて、若者の恋愛そのものに対するイメージおよび恋人がいる者・いない者に対して持つイメージと、個人の恋愛状況や恋愛経験、自尊感情の関連を検討していくこととする。 若尾(2003)によれば、「恋人がいる人に対するイメージ」と「恋愛そのものに対するイメージ」とは類似しており、相互に反映され得るという。 前述のとおり、日本の若者が持つ恋愛のイメージは非常にポジティブであると言われている。金政ら(2001)は、大学生の恋愛に対するイメージを自由記述から収集し、15のカテゴリーに分類している。恋愛には「複雑で、時には苦痛を伴うもの」「思い込み、勘違い」というネガティブな側面もあるが、「人間を向上させてくれるもの、成長の場」「楽しいもの」「安らぎを与えてくれるもの、幸せを感じさせてくれるもの」「生活の活力や支えとなるもの、パワーを与えてくれるもの」などというように、全体として非常にポジティブなイメージで捉えられている。
和田(1994)は個人が恋愛をどのように捉えているかを測定する指標として、恋愛に対する態度尺度を構成した。因子分析の結果、「恋愛至上主義」(恋愛を何よりも重要とみなす)、「結婚への恋愛」(恋愛を結婚につながるものとする)、「恋愛のパワー」(恋愛が物事を行うときの励みになる)、「理想の恋愛」(恋愛の理想的な姿)という4因子を見出している。これらの因子はすべて、恋愛に対するポジティブな態度が表れている。
「恋人がいる者に対してポジティブなイメージを持つ=恋愛ポジティブ幻想を持つ」ことと「恋愛にポジティブなイメージを持つ」ことがほぼ同義であるのならば、「恋愛にポジティブなイメージを持つ=恋愛に対してポジティブな態度を持つ」ことも、自尊感情に影響していると考えられる。これまでの研究において、「恋愛ポジティブ幻想」と「恋愛に対するポジティブな態度」を総括して扱った研究は今のところ見あたらない。
よって今回の研究では、恋愛全般に対するポジティブなイメージを測定するものとして、恋愛ポジティブ幻想と恋愛に対する態度を扱うこととする。
5.本研究の目的のまとめ
第1に、恋人の有無や過去の恋愛経験、相手との関係に満足感を感じているか、など個人の恋愛状況によって自己に対する評価に違いは見られるのかを検討する。その際、自己評価の指標には自尊感情尺度を用いて測定する。
第2に、「恋人がいる人いない人に対するイメージ・恋愛そのものに対するイメージ」を介して、個人の恋愛状況(現在恋愛中か、過去に恋愛経験を持ったことがあるかどうか)が自尊感情に影響を与えているのかを検討する。若尾の見解によれば、恋人がいる人は、『恋愛に良いイメージを持っている・「恋人がいる」人の性質に対して良いイメージを持っている』と、自己に対する評価にそれが反映されて、自己評価がポジティブなものになるという。よって自尊感情が高く維持されていると予測できる。同時に、恋人がいない人が『恋愛に良いイメージを持っている・「恋人がいる」人の性質に対して良いイメージを持っている(=「恋人がいない人」の性質に対して良くないイメージを持っている)』と、自己に対する評価にそれが反映されて、自己評価がネガティブなものになるという。これを実証的に検討した研究はこれまでのところ見あたらないため、今回の研究において、恋人の有無および恋愛経験の有無と個人の持つ「恋愛」へのイメージが、自尊感情に与える影響について検討していくことを目的とする。
これらの検討を通して、青年期における恋人の存在や過去の恋愛経験が個人の自尊感情にどのような影響を与えるのかを探ることを、本研究の目的とする。