考察
本研究の目的は,3つあった。1つは,小学校高学年にも,自意識と自己標的バイアスが関連して見られるだろう〔仮説1〕ということを確かめることであった。2つは,さらに集団透過性を加え,公的自意識が高く,自己標的バイアスが高い児童ほど,集団透過性は低いだろう〔仮説2〕ということを確かめることであった。3つは,個人の集団透過性と知覚された集団透過性のズレが大きい人ほど,仲間集団関係満足度は低いだろう〔仮説3〕ということを確かめることであった。そして,仲間集団の規模と自意識,自己標的バイアスの各下位尺度との関連についても確かめることであった。
仮説1について
まず,小学校高学年にも,自意識と自己標的バイアスが関連して見られるかを明らかにした。その結果,公的自意識と自己標的バイアスに正の影響が見られ,公的自意識の主効果が有意であった。つまり,他者から見られる自分に注意の向きやすいものは,他者の目をよりネガティブに捉える傾向があることが示唆され,堀(2000)の知見と一致した。よって,仮説1は支持され,小学校高学年でも,自己標的バイアスが公的自意識と関連して見られることが示唆された。小学校高学年も,日常生活において他者の何でもないしぐさや言動を,自分に対する敵意や悪意と捉えている傾向がうかがえた。
都筑(1983)は,小学校高学年頃になると,自己否定的な構えが強まってくることを示唆している。また小中学生では,対人関係的特性が劣等感と強く関連しているという指摘もある(森下,1985)。本研究の結果において,公的自意識と自己標的バイアスが関連して見られたのは,こうしたこの時期特有の自意識の発達が関連した結果と考えられる。つまり,自己否定的な構えが強まってくるために,他者からの評価で自己を捉えるために,社会的比較が増大し(松田,1985),自己標的バイアスが生じていると推測される。今後は,そうした自己標的バイアスの発生要因の検討が必要であると考えられる。
また,男子に比べて,女子の方が公的自意識および自己標的バイアスが高かったことから,女子の方が他者から見られる自分へ注意が向きやすく,日常生活において他者の言動を,自分への敵意や悪意と捉えている傾向にあることが示された。自己標的バイアスは,不信感や自尊心の低さと関連することが示唆されている(堀,2000)。また思春期では,女子の方が,否定的な評価に対する恐れは高く,拒否されたくない意識と強く関連していることが示唆されている(山本・田上,2007)。自己標的バイアスは公的自意識と関連していたことから,評価懸念とも類似した概念であると考えられる。よって,女子児童における自己標的バイアスは,不信感,拒否されたくないという意識が関連していることが考えられる。また,小学校高学年頃から,女子の方が拒否不安が高く,拒否不安を中心とした親和動機を持つ(杉浦,2000)ことが示唆されていることからも,自己標的バイアスというネガティブな見方は,人と親密に関わっていたいことが中心となり,起こるとも考えられ,仲間集団の親密性とも関連があると予想される。今後はそうした状況についての検討が必要であろう。
仮説2について
一方で,自意識と自己標的バイアスが,仲間集団との関わり方に関連しているかどうかを検討したところ,自意識と自己標的バイアスが仲間集団透過性に影響を与えているのではなく,自意識のみが仲間集団透過性に影響を与えていることが明らかになった。よって,仮説2は一部支持されたといえるだろう。私的自意識が個人の集団透過性および知覚された集団透過性に正の影響があったことから,他者には分からない自己の内面へ注意の向きやすい者は,仲間集団以外の人と関わっていったり,同じ仲間集団成員が仲間集団以外の人と関わっていると捉えていたりすることが示唆された。
男女別に見た結果,公的自意識は男女に共通して知覚された集団透過性に負の影響を及ぼしているが,私的自意識は,男子では知覚された集団透過性,女子では個人の集団透過性に正の影響があることが明らかになった。
公的自意識が知覚された集団透過性に影響していたということは,他者から見られる自分に注意の向きやすいものは,同じ仲間集団成員が他の仲間集団成員とは関わっているとは認知していないということである。これは,親密な関係にある友人が,他に新たな友人を作ることに対する嫌悪感が背景となって,友人と独占的に関わり合おうとする行動が見られることがあるという三島(2004)の知見と関連していると考えられる。つまり,同じ仲間集団成員が他の仲間集団と関わることは新たな友人を作ろうとしているように捉えられ,嫌悪感が生じると思われる。そのため,知覚された集団透過性を低く見積もっていると考えられる。これは社会的同一性理論(social identity theory)によって説明できる。社会的同一性とは,自分がある集団に所属しているという知識から生じる自己概念の一部であり,その集団の成員であることに対する評価や感情である。この理論によると,人は好ましく肯定的な社会的同一性を求め,それを保つようにつとめる傾向があるという(高田,1992)。つまり,同じ仲間集団内成員が新たな友人を作ろうとすることは嫌悪感を伴うので,新たな友人を作ろうとはしていないという認知をしていると考えられる。
私的自意識は,男子では知覚された集団透過性に,女子では個人の集団透過性に,それぞれ正の影響があった。つまり,他者には分からない自己の内面へ注意の向きやすい者は,男子においては,同じ仲間集団内成員が仲間集団外成員と関わっていると捉えている傾向にあるが,女子においては,自分が仲間集団外成員と関わっていると捉えていることが示唆された。
これは,男女での仲間集団の形成の仕方が異なるためと考えられる。男子の好む遊びはどちらかというと多人数で活動的,課題志向的であり,男子はある遊びに関心を持つものが集まり,結果として人数が大きくなるといわれている(小石,1995)。このことから考えると,男子は遊びを目的に仲間集団を形成し,かつ多人数で行う遊びを志向するために,自分がどんな遊びをしたいかを考えるなど,自分自身の内的側面に目が向けられることは,遊びを共有する仲間集団成員の関わり方にも目が向けられると考えられる。一方,女子の遊びは少人数向きの静かなもので,対人志向的な特徴があり,女子は気の合うもの同士が集まる(小石,1995)。吉田・荒田(1997)は,女子の方が相互交流の少ない排他的な小集団を形成しやすく,仲の良い友達と同調傾向にあることを示唆した。Froming&Carver(1981)は,同調行動は公的自意識とは正の相関があることを示唆しており(大坊ら,1993),本研究においても,女子の方が男子に比べて公的自意識が高かった。よって,仲間集団とは同調傾向にある(吉田ら,1997)と考えられ,こうした同調傾向が,三島(2004)の指摘する女子仲間集団の排他性や親密性につながっていると考えられる。
公的自意識が高い人は社会的基準に従いやすいが,私的自意識が高い人は自分の基準に従い態度行動の一貫性が高いとされており,本研究の結果においては,女子の場合,私的自意識から個人の集団透過性に正の影響があったことから,私的自意識が高いと,仲間集団以外の人とも関わっていくことができるということである。つまり,自己の内的側面に目を向ける者は,仲間集団以外の人と関わっていくことができることが示された。女子児童の集団内いじめや,学級不適応といった問題に対して,仲間集団以外の人と関わることは学級適応にも影響していると示唆されており(黒川,2006),本研究によって私的自意識を高めることがその手だてとして示唆された。
また,男子のみ非自己標的バイアスと知覚された集団透過性に弱い正の相関が見られた。非自己標的バイアスは,曖昧な状況の原因を自分以外のものに帰属をすることであるため,他者に目が向けられ,知覚された集団透過性と関連があったと考えられる。
ではなぜ,自己標的バイアスは仲間集団透過性に関連していなかったのだろうか。
仲間集団の中で集団の仲間から自分がどのように思われているのかを強く意識しながら小学校高学年の女子は生活している(三島,1994)。しかし,本研究における自己標的バイアスは仲間集団の中だけに限らず,仲間集団外,学級集団と広範囲におけるものであった。そのため,自己標的バイアスは集団透過性に関連しなかったと考えられる。今後は,仲間集団に限定した自己標的バイアス尺度を作成し,それを用いて検討を行い,どのような認知傾向や状況が仲間集団透過性を低めているのか,具体的な状況を分析することが望まれる。
仮説3について
知覚された集団透過性と個人の集団透過性のズレが,仲間集団関係満足度に関連していた。よって,仲間集団外成員との関わりが級友適応のみならず(黒川,2006),仲間集団関係満足度にも影響していることが明らかとなった。本研究におけるズレは,知覚された集団透過性から個人の集団透過性を差し引いて算出したものであったことから,同じ仲間集団成員が仲間集団外成員と関わっているよりも,自分の方が仲間集団外成員と関わっていると捉えている方が,仲間集団関係満足度は高いといえる。 逆に言えば,知覚された集団透過性が高く,個人の集団透過性が低い場合は,仲間集団関係満足度が低くなるということである。 以上のことから,仮説3は指示されたといえるだろう。
特に,男子においては知覚された集団透過性と個人の集団透過性のズレが仲間集団関係満足度に影響していた。これについても,社会的同一性理論(social identity theory)によって説明できると考えられる。 この年齢の子どもは,仲間の基準に従うことが多い(乾,1995)と言われており,仲間と同じ社会的同一性を求めていると考えられる。また,小石(1995)の述べた男子と女子の仲間集団の形成の仕方の違いが関連していると思われる。つまり,男子は遊びを目的に仲間集団を形成し,それにより目的としていた遊びができるため,その仲間集団にも満足することができると考えられる。しかし,女子においては,知覚された集団透過性と個人の集団透過性のズレが,仲間集団関係満足度に影響していなかった。これは,女子児童の仲間集団の親密性,排他性が高いという指摘や,三島(2004)の親密な関係にある友人が,他に新たな友人を作ることに対する嫌悪感が背景となって,友人と独占的に関わり合おうとする行動が見られることがあるという知見に関連があると考えられる。つまり,自分の仲間集団成員が仲間集団と関わることは新たな友人を作ろうとしているように捉えられ,嫌悪感が生じると思われる。それゆえ,仲間集団関係満足度の低下につながり,仲間を失わないようにと友人と独占的に関わり合おうとする排他的な行動に繋がると考えられる。つまり,女子においては,ズレがないようなつき合い方をしていることが推測される。本研究においても,個人の集団透過性と知覚された集団透過性のズレは非常に小さい値であった。また,公的自意識から知覚された集団透過性に負の影響があったことから,ズレを認知しないようにしていることも考えられる。今後は,こうした過程についての検討も必要であろう。
本研究では研究の困難さから,集団境界に対する個人レベルの評定である個人の集団透過性から,集団を対象とする,仲間集団が仲間集団外成員と関わっていくような集団であるかどうかを示す「集団透過性」を算出できなかった。「集団透過性」は,集団を対象に測定する概念であり,集団ごとに得点が算出され,集団に所属する各成員の透過性の総和,あるいは平均や中央値によって得点化するものである。しかし,個人の集団透過性は「集団透過性」によって影響を受けることが示されている(黒川ら,2006)。本研究において,知覚された集団透過性と個人の集団透過性のズレが仲間集団関係満足度に影響していることが示された,「集団透過性」によって影響を受けていることが考えられる。よって今後の研究においては,仲間集団関係満足度が,「集団透過性」によってどのような影響を受けているかについての検討が望まれる。
今後の課題
本研究では,個人の集団透過性と知覚された集団透過性という概念を用いた。今回用いた,集団境界に対する個人レベルの評定である個人の集団透過性,および各個人の集団透過性に関する認知である知覚された集団透過性は,調査対象者自身で評定する概念であるため,自意識と関連していたことが考えられる。自己報告は正確さが低く,自己報告尺度と行動の一貫性は低いという指摘もある(大坊ら,1993)。本研究では,自意識の発達と仲間集団透過性に関連があることが示唆されたが,黒川ら(2006)は,個人の集団透過性は,「集団透過性」の影響を受けることを示唆している。よって,今後の研究では仲間集団を同定し,自己報告ではない評定によって算出される,集団を対象とした「集団透過性」を含めた検討が必要であろう。
まとめ
2007年,文部科学省はいじめの定義を「当該児童生徒が,一定の人間関係のある者から,心理的・物理的な攻撃を受けたことにより,精神的な苦痛を感じているもの」と見直し,「いじめか否かの判断は,いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」とした結果,文部科学省が行った平成18年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」において,いじめが12年ぶりに増加し,前年度比6.2倍増の12万4898件といじめの件数が急増した。このことに関して,いじめの定義が広がり,いじめかどうかの判断が子どもの認知によってされるようになったことが,その原因として予想されている。本研究の結果で,小学校高学年にも自己標的バイアスが見られたことから,子どもの認知が,他者の何でもない仕草を自分へ向けられた敵意や悪意と捉えているという傾向にも,今後注目して子どもの実態を調査していく必要性があるのではないだろうか。子どもたちの中には,自己標的バイアスが働くことによって,不適応に陥っている子どもがいることも考えられる。よって,こうした子どもへのアプローチが必要であると考えられる。
本研究では,小学校高学年でも,自己標的バイアスが,公的自意識と関連して見られることが明らかになった。自己標的バイアスと,自尊心が関連していたことから(堀,2000),自己標的バイアスは,自己評価と関連していると考えられる。児童期に見られる社会的比較は,他者と自分とを一体化しようとしたり,他者を基準として自分をそれに合わせようとする基本的姿勢がみられ,8・9歳以降になると,それを自己評価に利用するようになるとされている(高田,1992)。自己評価のレベルの低い人は,日常的な対人関係において,一般に,相手から受容されなかったと感じやすく,その結果,その相手に対して魅力や行為を感じる程度も低くなり,したがってまた,その相手とのとの対人関係も冷えたものになっていくため実際にも受容されにくくなり,そうなれば一層受容されなかったという感じが強まり,という悪循環を繰り返して,だんだん不適応になっていくことが予想される(梶田,1992)。そこで,自己標的バイアスで不適応になっている場合のアプローチとして,自己評価を高めることや,多角的なものの見方をするスキル教育などの具体的なアプローチが必要だろう。
また,自意識と仲間集団透過性が関連していることが,本研究において明らかにされた。女子児童は制裁認知によって,仲間集団透過性が低められるという結果が出ていたが(黒川ら,2006),本研究において,女子においては,私的自意識が個人の集団透過性を高めることが示唆された。よって,例えば,集団内いじめが起こるにもかかわらず,仲間集団から抜け出すことができない場合(三島,2004),私的自意識を高めることが有効な手段のひとつになると思われる。自分の仲間集団以外の人との関わり方と同じ仲間集団成員の仲間集団以外の人との関わり方が,仲間集団関係満足度に影響を与えているという本研究の結果から,児童にとって仲間集団が大切な存在であることを踏まえながら,一方で自分という自己の内面へ見つめるアプローチを行うことが大切であると思われる。仲間意識とは,集団の中における自分の役割を果たすことだけではなく,集団の中での自分(個)を見出すことでもあり,その子らしいものを見出し,それを大切に伸ばしてやることが,自分の取り柄や良さに気付き,自分に自信を持つことにつながり,自己認識の基礎を養うことになると梶田(1987)は指摘している。
以上,自己標的バイアスや,仲間集団の問題に対して,本研究の結果から,自己評価を高めるアプローチや,私的自意識を高めるアプローチが必要であると考えられる。梶田(1987)は,自分を見つめ,自己を捉え直し,自らの生き方を問うことは青年期になって初めて可能であり,青年期の教育課題であるとしながらも,そうした自己認識の教育を青年期以降の課題として限定することの問題を指摘し,児童期や幼児期においても,青年期以降の準備として,自己認識は大切な課題であると述べている。中学生や,高校生でのグループの問題が指摘されていることから(佐藤,1995;服部,2005,2006)も,小学生における早期の段階から自己を見つめるアプローチが必要であるといえる。例えば,高橋(2001)は,自己意識を刺激する実験授業によって,自己卑下群において他者を拒否的に捉えることが少なくなるというポジティブな変化が意識面で見られたことを示唆した。このように,自意識をポジティブに変化させるプログラムの検討や実施を行うなど,今後はこうしたアプローチを利用して,子どもの自意識や仲間集団に働きかけていくことが望まれる。