【問題と目的】

1.はじめに

2.理想−現実自己のズレについて

3.理想自己実現への動機づけ、理想自己志向性について

4.本研究の目的

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1.はじめに

私たちは、日常において「こうありたい」自分を、各々の価値観に基づいてもっている。その自己の実現に向けて努力していくことが、自己を発展・向上させていくことにつながると考えられる。こうありたいと思うところの自分についての概念を理想自己(Ideal Self)という。これに対して、現実の自分についての概念を現実自己(Real Self)という(Rogers, 1959)。
 理想自己は、そもそも存在するという前提の上に研究が進められているが、理想自己はどのように形成されるのであろうか。理想自己の源泉として、両親・家族、教師や友人、あるいはメディアなどによって伝達される価値の内在化が理想自己の形成に影響を及ぼすと考えられている。つまり、理想自己の源泉は、社会化の過程において伝えられる社会の価値であるということができる。また、価値の内在化がなされることが理想自己の形成過程であるとも考えられている。


2.理想−現実自己のズレについて

 では、理想自己と現実自己にはどのような関係があるのだろうか。現実の自分自身についての概念が現実自己である。現実の自分の状態を捉える、すなわち自己評価は、現実の自分の状態を自分の理想や願望に基づいて捉えることにより、行っている。つまり現実自己の捉え方を理想自己にもとづいておこなっているので、理想自己と現実自己の間にはズレが生じる。
 Rogers(1951)によって、不適応の状態にある人は、理想自己と現実自己の重なりが少なく、大きくズレが存在することが示された。そのため、理想自己と現実自己が一致していると、適応の状態ということになる。しかし、理想自己と現実自己の関係に関して一貫した結果が得られておらず、遠藤(1991)は、原因のひとつに自己概念の質や内容を問題にしなかったことをあげている。つまり、理想自己や現実自己の質や内容に着目する必要があると思われる。
 さらに、林・宮本(1999)は、正の理想自己と現実自己のズレと不適応には正の相関関係があるという結果を示している。つまり、”〜でありたい”というあこがれの自分と今の自分との間の距離が遠ければ不適応であることが示唆された。これはロジャース(1951)の報告を支持する結果である。このような結果からもわかるように、理想−現実自己のズレの大きさは不適応と関係があることが、先行研究において明らかにされてきた。これまでの研究では、理想−現実自己のズレと各種適応指標との関連を中心に行われており、結果はおおむね、理想−現実自己のズレの大きさと適応との間に有意な負の相関を見出している(e.g. 遠藤,1992 ; 水間,1998 ; 磯崎ら,1999 ; 新井,2001)。例えば岡本(2004)は、理想−現実自己のズレが大きい者ほど精神的健康度が低いことを示している。
 水間(1997)はズレの大きい者ほど、理想自己を実現する可能性が低く、また実現の困難なものと認知していることを明らかにしている。ここから、理想自己は現実自己とのズレの大きさに伴って、現実自己との関係が異なると考えられることを指摘している。さらに水間(1997)は、その個人が、これから自分がなりうるもの・なりたいものとして理想自己が認知されている場合は、現実自己の成長する方向に理想自己が存在し、現実自己から理想自己へと接近していく可能性が考えられる。だが自分がなりえないもの・なりたくないものとして理想自己が認知されている場合には、理想自己と現実自己とを連続したものとして論じることは難しいことを示唆している。ここから、自己概念という理想自己をも含む構成体のあり方において、ズレにはそういった理想自己・自己の質の違いが付随していることを示している。
また林・宮本(1999)は、理想自己と現実自己の関係を極端に考えると、あこがれの自分と今の自分との間に距離が無いということは、自分自身を高めようという思いがないことになるのではないかと指摘している。そのため、あこがれの自分と今の自分との間の距離(理想−現実自己のズレ)と、自分自身を高めようという思い(理想自己志向性)に曲線関係が見られるかどうか、さらに検討する必要があると示唆している(Chodorokoff,1954)。すなわち、理想−現実自己のズレが小さすぎるあるいは大きすぎると理想自己志向性が低くなり、理想−現実自己のズレがある程度あれば理想自己志向性が高まるという可能性を指摘していると思われる。  


3.理想自己実現への動機づけ、理想自己志向性について

 そして、理想自己は人が自分を評価する際の自己指針として機能するため、現実自己が理想自己から離れている、つまり理想−現実自己のズレの程度が大きい場合、人は否定的な感情を経験し、現在の状態と自己指針のズレを縮小するように生涯にわたって動機づけられ(Wicklund,1975;Scheier & Carver,1983)、同時に、肯定的感情も関係すると思われる。カウンセリング過程において、理想自己と現実自己の類似性の度合いの高まりと共に、自己への肯定的感情の増加が認められたことが明らかにされている(Rogers,1951)。水間(2004)は、個人にとって意味のある理想自己は、現実自己が理想自己と一致しないことによって否定的感情が高められるのみならず、理想自己と一致することによって肯定的感情も生起するのではないかと指摘している。つまり理想自己の実現をめざすことが、理想−現実自己のズレが無い、すなわち理想自己と現実自己が一致することによって得られる肯定的感情を求めていることを示している。そのため、ひとは理想自己実現への意欲や理想自己実現に向かう行為を生涯にわたってもつと思われる。
またこれに関連して、山田(2004)は、理想自己の実現に向かっていこうとする意欲と、実際にその実現に向かっているという行為の総体として「理想自己志向性」を定義している。本研究における理想自己実現へ向けての動機づけは、この山田(2004)の「理想自己志向性」の定義に基づくものとする。


4.本研究の目的
 
このように、理想−現実自己のズレと理想自己志向性の関連については指摘がなされてきた。しかし、理想−現実自己のズレの程度そのものに着目した研究は少ない。また、ズレの程度の質的側面を指摘してはいるものの、実際に扱った研究は無いと思われる。
そこで本研究では、理想自己の質や内容を考慮した上で、理想自己と現実自己のズレの程度に着目する。そして、その個人について、理想−現実自己のズレの程度によって、理想自己志向性がどのように変化するのかについて検討することを第一の目的とする。理想−現実自己のズレの程度と理想自己志向性の関連について検討することは、適応的な状態となることを考えることにつながるものと考える。なぜなら、理想自己の実現はその個人が適応状態となることに大きく影響するからである。さらに理想自己の質については、水間(1997)は抽象・具体といった客観的な質とまた別に、現在の自分(現実自己)が、自分の価値観に基づいてこうありたい自分(理想自己)をもっているので、その理想自己を抱く現実自己との関係性に依る質も存在することを指摘している。これに関して、理想自己が現実自己の基盤として相互関係的にある場合と理想自己が現実自己に対して一方的に評価を下す場合とがあるのではないかとの指摘がある(斉藤,1959)。すなわち先ほどの水間(1997)の指摘にもあるように、現実自己が理想自己を形成するといった相互関係や、現在の自分のもつこうありたい自分から現在の自分を評価した場合、こうありたい自分からどれほど現在の自分がかけ離れているかといった、理想自己を基準にした現実自己の評価がなされる一方向的な関係などが考えられる。ここから、理想自己と現実自己のズレの程度の質や内容を考慮することで、よりその個人がもつ理想−現実自己のズレの程度を客観的に測定し、理想自己志向性との関連を検討することができると考える。よって、理想自己と現実自己のズレの程度の質的側面の測定方法を提案することを第二の目的とする。
また、青年期以降は、自分自身の掲げる理想像をめざしての主体的な自己形成の比重が大きくなる(榎本,1999)という指摘がある。小林(1995)によると、「こうありたい」という領域が中高生では人的環境であるのに対し、大学生は実存的手ごたえであるというように異なっていた。これらから、青年期は理想自己に対して主体的な関わりがあると思われる。主体的な関わりがあるということは、その個人のもつ価値観によって理想自己、現実自己を捉えているといえるだろう。そのため、今回は大学生に焦点をあてて研究を進めていくことで、より適切なその個人のもつ理想−現実自己のズレの質的側面を測定できると考える。



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