問題と目的
 
  
気になる子ども

 近年、通常学級における気になる子どもが注目されている。気になる子どもとは、授業に集中できなかったり、授業中に勝手に立ち歩いたり、友達と上手にかかわることができなかったり、集団行動が苦手だったりと、学級において言動や友達関係などが他の児童よりも気になってしまう児童のことである。そのような児童は、小学校で学習を行い、生活を送るにあたってなんらかの支援を必要としている。


発達障害と診断されている児童と診断されていない児童

 その中には、発達障害のある児童も含まれる。発達障害とは、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などのことである。発達障害は、先天性の脳機能障害であって、後天的なものではない。発達障害児について、文部科学省は、平成14年に「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」を実施している。この調査は、全国の4万人の児童生徒に対して発達障害についての実態を明らかにするために行われた。その結果、発達障害の可能性があると思われた児童生徒は6.3%存在した。盲・聾・特別支援学校、特別支援学級、通級指導教室の対象児童生徒は全体の1.55%である。つまり、通常学級に6.3%在籍していることは、1クラスに1人は在籍していることになる。
 
 また、障害の有無がはっきりせず判断しづらいので診断名が付けられない、一般的にグレーゾーンといわれる児童も学級には多く在籍している。このような児童は、発達障害という診断は受けていなくても、集団行動が苦手だったり、友達とうまく関われなかったりする。このようなグレーゾーンの児童も合わせると、通常学級には多くの気になる子どもが在籍しているといえる。櫻井・佐久間(2007)は、過半数の教員が通常の学級の中で、特別な教育的支援を要する児童を担任していることを明らかにしている。つまり、気になる子どもは、どの学校・学級においても、教師たちが日常的に出会う子どもたちなのである。
 
 本研究では、障害の有無にかかわらず、小学校での学習や生活に支援を必要としている児童を、「気になる子ども」として、支援の対象として扱う。これについて、佐藤・小出・大竹・小橋・難波・築山・松本(2002)は、小学校におけるごくあたりまえの教育活動においては、障害カテゴリーによる視点よりも、「支援が必要な児童すべてを対象とした教育的支援」といったまなざしの方がなじみやすいと述べている。このことからも、障害の有無にかかわらず、教育活動全般で支援が必要な子どもを対象にすることは、実際の教育現場での考え方に即しているといえる。


通常学級での支援

 そのような児童には個に応じた支援が必要とされている。我が国で、平成19年4月から始まった特別支援教育の影響から、通常学級における気になる子どもへの適切な支援に関心が集まっている。そこで、通常学級での担任による配慮や指導の工夫が求められている。
 
 この通常学級での特別支援教育について、教師が現状で行っている支援を明らかにするための研究が行われている。櫻井・佐久間(2007)は、小中学校の通常学級を担任する教師に対し、特別な配慮を要する子どもたちへの支援の現状を明らかにするために、アンケート調査を行った。調査の結果、全般的に対象児への支援として「事前準備をするもの」「準備に時間や工夫の必要なもの」はあまり行われていないこと、また「集団への指示」が多く、「個への対応」は少ないことがわかった。この理由としては、通常学級の教師の多くは、集団指導を中心に教育実践を積み上げてきたため、個に応じた支援に慣れていないことが考えられる。


学級集団づくりを考えた個別指導

 櫻井ら(2007)が明らかにしたように、現状行われている通常学級での気になる子どもの指導は、集団指導は多く行われているが個別指導があまり行われていないことがわかっている。しかし、集団指導だけでは、気になる子どもに指示が伝わらなかったり、その児童の個別の特性に合った指導ができなかったりするだろう。よって、通常学級で気になる子どもに支援を行っていくためには、個別指導も必要であると考える。しかし、反対に、個別指導だけを行うと、その児童との1対1の関係になってしまうので、学級全体を考えた指導が行き届かなくなるだろう。よって、学級集団づくりを考えた個別指導が大切であるといえる。学級集団づくりを考えた個別指導とは、衝動性や多動性のある気になる子どもが授業中に突然発言した場面で、その児童の話を受け入れるとともに、学級全体に話を広げ話し合いをすることなどが考えられる。
 
 このことについて、佐藤(2002)は、個別的な支援を次々に展開していくにつれ、支援が必要な児童への教育的支援の柱として、学級経営に関する実践にも、それまで以上に目を向けていく必要があることがわかってきたと述べている。また、個別支援が学校の教育活動にしっかりと根づくためには、これまで述べてきたような組織的な個別支援を推進しつつも、支援を受けた子どもが、学級の一員としてつねにクラスの仲間とつながりがあって、子どもどうしが互いに認めあえる学級を用意していくことが不可欠であると述べている。一方で、クラスで学びつつ、なお個別的な関わりが必要な児童には、いつでも適切な個別支援が行える体制が整えること、すなわち個別支援と学級経営との循環、個別支援と学級経営との相補的な支援であると主張している。つまり、通常学級で個に応じた支援を行うためには、個別的な配慮を考えるだけでは不十分で、個への対応を支える学級集団を作ることが不可欠であり、対象児を取り巻く全ての児童を含めた学級づくり、授業づくりが必要とされているといえる。


学級集団づくり

 なお、本研究では、学級集団に対する支援を「学級集団づくり」と呼ぶこととする。その理由としては、教師が日常よく用いる言葉は「学級集団づくり」や「学級づくり」だからである。それは、例えば、『困った子は 困っている子―「軽度発達障害」の子どもと学級・学校づくり』(今関・日笠・中川, 1998)のような、「学級集団づくり」や「学級づくり」という表現を用いた本の題目が多いことが示している。
 
 学級集団づくりに関しては、多くの研究がされてきた。川越・山中(2007)は、「学級づくり」とは、担任教師が、学級集団に、(自らのもつ何らかの価値の実現に向けた)規範・ルールを構築し、浸透させていく取り組みであると述べている。また、学級経営とは、教師の教育目標を実現するための教師の意図的な教育的配慮と位置づけられる(小川, 1979)。このように、学級集団に対する支援には、様々な用語が存在するが、「教師がどのような学級にしたいかということを児童に広げようとする取り組み」という点で共通しているといえる。
 
 また、川越・山中(2007)は、学校教育の種々の営みの基礎をなす学級によって子どもの諸特性に顕著な違いがあるわけではないことを考えれば、容易に認められる学級の差異は、担任教師の学級経営によるところが大きいと主張している。


先行研究の問題点と本研究の目的

 佐藤ら(2002)の研究では、特別支援の子どもへの支援を行うにあたって、学級集団にも目を向ける必要性を指摘した意義はあるものの、次の2点で問題がある。1点目は,学級集団づくりと個別指導の方法との詳細な関係について述べられていないことである。学級集団づくりに対しては、小林・竹下(1993)が、教師の学級経営に関する信念の差異によって、教師の学級経営観タイプが異なることを明らかにしていることからもわかるように、学級集団づくりへの考え方は教師によって異なる。その学級集団づくりに対する考え方の違いによって、気になる子どもへの支援がどのように異なるかは明らかにされていない。
 
 また、そうであるならば、学級集団づくりに対する信念を検討することで、個別指導と学級集団づくりの関係をより詳細に明らかできると考える。学級集団づくりに対する信念とは、学級集団づくりに関する教育実践の中でとる傾向のある態度および指導行動や児童への対応をする際の思考のことである。教師の信念に関して、河村・田上(1997)は教師の教育実践に関するビリーフの強迫性と児童のスクール・モラールとの関係についての研究を行った。その結果、教育実践に関する信念の強迫性の高い教師は、児童に教師の意図した行動や態度を強いたり、管理的な態度をとったりする傾向があることが明らかになった。つまり、教師の指導や支援は、その教師が持つ信念に影響されるといえる。
 
 また、教師の指導・支援と学級集団の関係について、学級の雰囲気は、担任の指導や支援の方向性と密接に関係していることが明らかになっている(近藤・沢崎・斉藤・高田,1988)。よって、担任は学級状態や個の実態に合わせた適切なリーダーシップ行動をとる必要がある(河村,2006)。このように、学級の雰囲気は教師の指導・支援に影響されるので、教師の信念によって学級の雰囲気は変わるといえる。
 
 2点目は、佐藤ら(2002)の研究は、あくまで実践現場からの報告であり、実証的に明らかにされていないことである。よって、本研究では、実際に教師に学級集団づくりに対する信念をたずね、また気になる子どもの仮想場面を尋ねることで,より実証的に学級集団づくりに対する考え方によって、個別指導の方法がどう変わるか検討する。 
よって、本研究の目的は、気になる子どもへの支援方針と学級集団づくりに対する信念にどのような関連があるのかを明らかにすることである。
 
 なお、本研究の事例は、ADHD傾向のある児童が授業中に突然発言してしまう場面を用いた。ADHD傾向のある児童にした理由は、(1)通常学級に多く在籍していること、(2)ADHDの子どもの場合、定型発達児との行動上の連続性が強く、一見すると障害とはみられにくい。それゆえ、その子への対応は、先生によって違いが出やすいと思われるからである。また、一斉授業場面にした理由は、通常学級での教師の学級全体を考えた支援を検討するため、最も学級全体とかかわる場面であると考えたからである。


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