【問題と目的】



直観的確率判断
私たちは日常生活の中で,様々な直観的確率判断を行っている.例えば,混雑したスーパーのレジで,どこのレジに並ぶのが最も早く会計を済ますことができるかを考える時に,わざわざ店員のレジのスピードと並んでいる人数との関係を計算するだろうか.3時間の特番に自分の好きなアーティストが出演する時のお風呂のタイミングは,今までに彼らが出演した時間帯を考慮したり,まだ歌っていないアーティストの数と番組の残り時間を計算して入るだろうか.これらは,私たちが日常生活で何気なく行っている直観的な確率判断といえる. このように日常生活の中で毎日繰り返し直観的な確率判断を行っているのだとすれば,その判断はどんどん上達し,正確な確率判断ができるようになるのではないかと思うかもしれない.しかし,そうではなく直観的確率判断にはいろいろなバイアスと呼ばれるクセがあるということが多くの研究で報告されている.また,こういったバイアスには頑健性があり,多くの人が同じ状況下で発生させることも明らかにされている.

ヒューリスティック このようなバイアスは,ヒューリスティック(heuristic)を使うことによって生じるとされている(Tversky & Kahneman,1982).Simonは,人間は限られた認知能力と限られた時間の範囲内で有効な意思決定や判断を行っているという限定合理説(bounded rationality)を主張した.すなわち人々は「最適化」ではなく限定された時間の中で受け入れることができる最小限の基準を満足化(satisfying)基準とし,その選択肢を選んでいるというものである.この具体例がヒューリスティックである.
ヒューリスティックとは,客観的で明確な判断を導き出すアルゴリズムとは対照的に,便宜的で短時間に能力を限定的に使う方法である.私たちが日常生活において適応的に行動する上で身に付けた,高度に自動化された推論ルールと言える.ヒューリスティックは時に規範解から大幅に逸脱することもあるが,日常生活においてたいていの場合に妥当な判断を導き,時間や認知的資源が節約できる点で,とても有効な方法と言える.つまりバイアスとは,単なる錯覚や間違いではなく,ヒューリスティックという高度な処理の結果生まれる認知の食い違いなのである.しかしながら,ヒューリスティックそのものがどのようなルールなのか,なぜ多くの人が同じようなヒューリスティックを身につけているのか,どのような状況でヒューリスティックが使われるのかなど,まだ明らかにされていない点も多い.

連言錯誤(Conjunction Fallacy)
1970年代以降,人の直観的確率判断がヒューリスティックに基づき,しばしば規範解かれ逸脱することが提唱されてきた中で,Tversky & Kahneman(1982; 1983)は,連言錯誤という現象を発見した.連言錯誤とは,規範的確率論からすると,ある単一の事象(B)とそれに関する連言事象(A&B)との確率関係は,P(A&B)≦P(B)となるはずだが,直観的確率判断は選択肢によってはこれに違反し,判断確率P´は,P´(A&B)>P´(B)となることが多いというものである.このように,連言事象の方が元の単一事象より確率が大きいと判断されるバイアスを,一般的に連言錯誤と呼ぶ.

連言錯誤の出現において,よく扱われる確率推論課題に「リンダ問題」がある(Tversky & Kahneman,1982).「リンダ問題」とは,「リンダは31歳の独身,率直で大変聡明な人である.彼女は大学で哲学を専攻した.学生時代には,差別課題や社会正義の課題に強い関心を持っていた.また,反核デモにも参加していた.」という人物描写を与えたときに,次の2つの選択肢のうち,どちらがより可能性があるかを推論させる課題である.「(1)彼女は,現在銀行の出納係である.(2)彼女は,現在銀行の出納係であり,女性解放運動に熱心である.」(1)は単一事象,(2)は連言事象なので,P(出納係&女性解放運動)≦P(銀行の出納係)が正しいのは確率論では自明のことである.しかし,多くの人がP´ (出納係&女性解放運動)>P´(銀行の出納係)とする連言錯誤を出現させる.
中島(1992)によると,連言錯誤について,Tversky & Kahneman(1982; 1983)は,代表性ヒューリスティックが使用されることから起こると説明している.代表性ヒューリスティックとは,その事例がカテゴリーに対する代表性をどの程度持つのかを考え,それに基づいて可能性を判断するヒューリスティックである.リンダ問題では,リンダに関する人物描写にとって,「銀行員である」という事象は代表性が低く,「女性解放運動に熱心であること」は代表性が高いと判断される.そのため代表性が低いだけの単一事象よりも,代表性の高いものも含んだ連言事象の方が,確率が高いと判断されるのである.
連言錯誤については,これまでに様々な研究が行われており,出現の原因について議論されているが,はっきりとした原因は解明されていない.

連言錯誤に関する先行諸研究
連言錯誤の出現の原因については,これまでに多くの研究がなされている.寺尾・米澤(1994)は,今までに代表性ヒューリスティックの働くメカニズムや推論過程がほとんど明らかにされてこなかったことに着目し,その過程を明らかにするために有効な同型課題アプローチを用いて実験を行った.リンダ問題と同型問題である「リンゴ問題」を作成し実験を行った結果,代表性の違いと余事象の大きさの違いにより連言錯誤の出現が,部分的に有意に上昇することが明らかになっている.また,寺尾・米澤(1995)は,リンダ問題の課題文の最後の部分を「あなたは大学時代のリンダの友人であり,これから数年ぶりにリンダに会うのだが,その前に現在のリンダについて予想をしてみよう.次の2つのうち,当たる可能性が高いのはどちらか.」という予想文脈にすることによって,連言錯誤の出現が有意に低くなることも明らかにしている.この結果に関連して,伊藤(2007)によると,Wolford et al(1990)も10年前のリンダのプロフィールから現在の状況を予測するという設定(既知結果モデル)と,リンダの現在のプロフィールから10年後の不確定の状況を予測するという設定(未知結果モデル)では未知結果モデルでの連言錯誤の出現が58%,既知結果モデルでの連言錯誤の出現が89%と,未知結果モデルの方が連言錯誤の生起率が有意に低いことが明らかにされているとしている.
リンダ問題の選択肢のうち,「リンダは現在銀行の出納係である」という言明が,「リンダは女性解放運動の積極的ではなく,現在銀行の出納係である」というように,被験者に誤解を与えているのではないかということについても,数々の研究で議論されている.寺尾・米澤(1996)は被験者に「これは数学の課題である」と教示し,全ての被験者に「選択肢を背反的に解釈しないこと」と注意を促した後に実験を行ったが,これらの原因は単独で取り除いても効果がないことが明らかになっている.伊藤(2007)によると,Tversky & Kahneman(1996)も被験者が選択肢を背反的に受け取った可能性を検討し,「リンダは銀行の出納係である」という選択肢を「リンダは女性解放運動に熱心であるにせよないにせよ銀行の出納係である」として実験を行ったが,それでも被験者の57%が連言錯誤を出現させているとしている.
また,伊藤(2007)によると,連言項が相互に矛盾する連言よりも,矛盾しない連言の方が連言錯誤の出現率は低い(Shafir et al ,1990)ことや,よくある出来事の方が,稀な出来事よりも連言錯誤の出現率は低い(Locksley & Stangor ,1984)ことも明らかになっている.
これらの研究の結果を受けて,麻柄(1998)は,被験者がリンダ問題の教示を正しく理解していないから連言錯誤が生じるという解釈は,一応否定されており,Tversky & Kahnemanの代表性ヒューリスティックによる説明が妥当であるという現状であるが,被験者の選択肢への誤解の可能性について,検討が不十分だったのではないかとし,再検討している.その結果,リンダ問題で連言錯誤が生じるのは必然ではないことを示し,普遍的な「人間の情報処理様式(ヒューリスティック)」による連言錯誤の説明は不適切であり,題意を理解しやすくすれば連言錯誤を抑えられるとした.

頻度教示 統計学の素人である学部学生で89%,ある程度の知識を持つ大学院生で90%,より知識が洗練されている博士課程学生でも85%の者が連言錯誤を出現させていることが示されている(Tversky & Kahneman ,1982)ことから,専門知識の有無はヒューリスティックの使用条件ではないと考えられる.また,南(1997)では,連言確率と同様に,ヒューリスティックを用いることから規範解とは異なる判断をしてしまう「基礎比率の無視」についての課題で,被験者に正しく判断することを動機付けたが,バイアスが消えることはなく,動機付けもヒューリスティックの使用条件ではないと考えられる.
以上のように,専門知識の有無や動機付けに関係なく,多くの人が同じような状況で同じようなバイアスを示すことが明らかになっている.
また一方では,「確率」としてよりも「頻度」として課題文を表現する方が連言錯誤を減少させることが知られている(Fiedler, 1998; Hertwig & Gigerenzer, 1999).Tversky & Kahneman(1983)も事象の生起率を%で問うと65%が連言錯誤を出現させるのに対し,頻度で問うと25%まで連言錯誤の出現が低下したという結果を残している.しかしながら日本でこのような実験が行われた例はあまりなく,日本語表記であっても同様の結果が得られるかどうかについては明らかにされていない.そこで本研究では,日本語課題文であっても確率教示と頻度教示の違いで,連言錯誤の発生率に違いが出るのかを検討する.統計の専門家であっても出現する連言錯誤が,「確率」から「頻度」の教示に変わるだけで素人でも正解率が上がるのは「頻度」という表現の方が,合理的思考の活性化または直観的思考を抑制するのだろうか.

REI(Rational Experiential Inventory)
社会的認知の領域では,1980年代以降,Chaiken & Trope(1999)らによって,人の情報処理において2種類の過程が使われるとする二重過程モデルが多く提唱されてきた(豊沢・唐沢,2004による).CEST(Cognitive Experiential Self Theory)は二重過程モデルをパーソナリティ理論に発展させた認知的経験的自己理論で,人は2つの情報処理様式(合理的処理−直観的処理)を持ち,この2様式を経て自己観や現実観を構築するとされるものである.合理的処理は,論理ルールなどの知性に基づいて作動する意識的で分析的なシステムであり,感情の影響が少ないとされる.直観的処理は,勘や過去経験に基づいて作動する自動的で全体論的なシステムであり,感情の影響を受けやすいとされ,ヒューリスティックに基づいた処理を行う様式である.直観的処理は進化上古くから存在し,環境への適応に役立ってきたと考えられている.
REI(Rational Experiential Inventory)は,CESTの唱える両システムの日常的な活性レベルを自己評定に基づき測定する尺度である(Pacini & Epstein,1999).内藤・鈴木・坂元(2004)は,合理的処理および直観的処理の個人差を測定する情報処理スタイル尺度(日本語版REI)を作成し,尺度の構成概念妥当性を確率推論課題であるリンダ問題を用いて検討した.その結果,直観性高群は直観性低群よりも連言錯誤を多く出現させ,ヒューリスティックに基づく判断が多く,直観性と連言錯誤の発生率に交互作用が認められた.

追加情報の有効性評定 南(1998)は,確率推論課題で被験者が誘導される注意の方向の違いは,続く確率の更新のための情報探索に影響を与えることが予測されるとし,次にどのような情報を得ることに関心を向けるかという点においてその差異が見出されるとして,確率推論課題の後に,その課題に関する追加情報の有効性の評定をさせた.その結果,部分的に追加情報の有効性に有意な差が出ることが明らかになっている.

そこで本研究では,REIの立場からの合理性−直観性の高低と,課題文での「確率」「頻度」という表現の違いを掛け合わせて,ヒューリスティックを使用する際の個人差を検討することを目的とする.また,追加情報の有効性を評定させることで,連言錯誤を起こす際または起こさない際の確率判断の着眼点の違いについても検討することとする.

仮説
1,直観性高群は「確率」よりも「頻度」という表現の方が連言錯誤を回避できるだろう
2,合理性高群は低群よりも「頻度」という表現の方が連言錯誤を回避できるだろう
3,連言錯誤を起こさない人は,連言錯誤を起こす人よりも,連言項に対する有効性の評価が低いだろう。