【問題と目的】
1.はじめに
わたしたちが日常生活をおくるうえで、乳児とかかわることは少なからずあるだろう。乳児とかかわることは、わたしたちが大人になり、やがて子育てを経験する際、大いに役立つ重要な経験になるだろう。しかし乳児とかかわる場面では、ときに対処が困難な状況になり、負担を感じることもある。特に子育て場面では負担を感じやすくストレスとなることもある。子育て中の負担感に関しての統計において、7割以上の女性が子育てに負担を感じることがあるということが示された(子育て支援データ集, 2006)。また岡田・荒川・種子田・中嶋(2003)は、未就労児をもつ母親は就労児をもつ母親に比べ育児負担感が高いということを報告している。このように負担を感じることがある乳児とかかわる場面においては、乳児とかかわることに対して動機づけられることが重要である。動機づけられることにより、負担を感じることがあっても、乳児と前向きにかかわることができるだろう。なお本研究では、以下乳児とかかわる場面を「対乳児場面」と定義する。
またわたしたちは日々動機づけられながら活動している。動機づけられることで意欲をもって活動に取り組むことができる。桜井(2007)は、動機づけ(motivation)とは「ある目標を達成するために行動を起こし、それを維持し、目標達成へとみちびく内的な力」であるとしている。動機づけ研究にはさまざまな視点がある。目標を達成するための行動が内発的なものであるのか、外発的なものであるのかという観点からとらえる、内発的動機づけ(intrinsic motivation)と外発的動機づけ(extrinsic motivation)という2つの概念がある。また内発的にも外発的にも動機づけられていない状態を無動機(amotivation)という。外発的動機づけ(extrinsic motivation)とは外部からの働きかけによって動機づけられている状態である。また内発的動機づけ(intrinsic
motivation)とは有能さと自己決定への欲求に基づく生来的な動機づけである。Deci (1975)は、「内発的に動機づけられた行動とは、人がそれに従事することによって、自らが有能で自己決定的であると感知することのできるような行動である」と定義しており、この内発的動機づけが高まれば、活動に対して意欲的に取り組むことができる。本研究では、とくに内発的動機づけ(intrinsic motivation)に着目し検討を行う。
人が活動に対して内発的に動機づけられるプロセスに注目した自己決定理論(Deci & Ryan, 1985;Ryan & Deci, 2002)によると、無動機、外発的動機づけ、内発的動機づけの順に自己決定性が高くなる。しかし外発的に動機づけられている場面においても内面化と統合の過程を通じて自己決定的になるとし、その度合いに応じてさらに3つに分類している。まず最も自己決定の度合いが低い外発的動機づけは外的調整(external regulation)であり、「親に叱られるから勉強をする」「単位を取らないといけないから勉強する」というように外的圧力によって行動が調整されているものである。次に自己決定の度合いが低いものが取り入れ的調整(introjected regulation)であり、これは自己価値を維持するなど自尊心に関連したもので、行動は内的圧力によって調整されている。しかし「恥をかきたくない」、「他人にすごいと思わせたい」などの、活動はあくまで外的ものとして位置づけられる。そして外発的動機づけの中で、最も自己決定の度合いが高いとされるものが同一視的調整(identified regulation)である。この段階では行動を個人的に重要なものと受容し、その価値を認めた上で行動を調整している。具体的には「自分の将来のために勉強する」や「自分にとって必要なことだから」といったものが挙げられる。同一視的調整は自己決定の度合いは高いが、あくまで外発的動機づけである。
また自己決定理論によると人間の中には自分自身の成長と発達を目指す志向があり、自律的な動機づけには基本的な心理的欲求が満たされていることが必要であるとしている(岡田,2008)。Deci & Ryan (1980)はこの心理的欲求として、有能さへの欲求(周囲の環境や他者との関わりをもっていくなかで自分自身の有能さを感じたいという欲求)、自律性への欲求(自分の意思で行動したいという欲求)、関係性への欲求(他者との関係や結びつきを持ちたいという欲求)という3つを仮定している。ある事象がどのように認知されるかによってこれらの欲求が変化し内発的動機づけに影響を与え、またこれらの欲求が同時に満たされるような条件のもとで人は意欲的になりパーソナリティが発達すると考えられている。
さてこれまで内発的動機づけに関して、学習場面においての研究が多くなされてきた。しかしわたしたちは集団生活の中で活動しているため、内発的動機づけは学習場面だけでなく対人場面においても重要であると考えられる。岡田(2008)は自律的な動機づけが親密な友人関係の形成や維持に影響することを報告している。
2.報酬が内発的動機づけに与える影響
一般的に日常生活において動機づけを高めるために報酬が利用されることがある。学習場面においては、親から子どもに対して「テストで満点とれたら新しいおもちゃをかってあげる」というように報酬を用いることがあるだろう。報酬には言語的報酬(ほめ言葉)・物質的報酬(ごほうび)などがあり、内発的動機づけに外的報酬が影響を及ぼすことを報告した研究もみられている(Deci, 1971,1972 : Lepper ,Greene, & Nisbett, 1973 )。本研究では報酬が内発的動機づけにどのような影響を及ぼすのかを検討する。なお以下「報酬」とは物質的報酬を指すものとして扱う。
Deci (1971) は大学生を被験者として実験を行い、金銭報酬を与えることによって面白いパズルに関する興味が損なわれることを報告している。まず被験者を実験群(報酬を与える群)・統制群(報酬を与えない群)にわけ、パズル課題を2回遂行してもらい、それが3セッション行われている。実験室には最新号の雑誌3冊が置かれており、各セッションで課題終了後に8分間の自由時間が設けられている。この自由時間でパズル解きに従事した時間を内発的動機づけの指標としている。なお第2セッションでは実験群のみに、1つのパズルを解くごとに1ドルの報酬を与えることが予告され、課題終了後に報酬が与えられている。また第3セッションでは実験群のみに、今回報酬は与えられないと教示し、実際には報酬は与えられていない。その結果報酬が全く与えられなかった統制群に対して、第2セッションで報酬が与えられた実験群では、第3セッションの自由時間でパズル解きに従事する時間が短くなり、パズルに対する内発的動機づけが低下したことが示されている。
また事前に報酬を与えることを予告しておく「報酬の予期」は、単に事後報酬を与えるよりも内発的動機づけを低下させる。Lepper ,Greene, & Nisbett (1973) はこの「報酬の予期」の効果を、絵を描くことが好きな保育園児を被験者として3つの実験条件を設けて検討している。第1の条件では、優秀な者には賞状(外的報酬)を与えることを予告し、被験児が絵を描いた後報酬が与えられている(報酬予期群)。第2の条件では外的報酬を与えることの約束はしないが、課題終了後に報酬が与えられている(報酬無予期群)。第3の条件では外的報酬を与えることの約束をせず、課題終了後も報酬は与えられなかった(無報酬群)。その後1.2週間後の自由時間の際に、絵を描いている時間を内発的動機づけの指標として、絵を描くことへの内発的動機づけが測定された。その結果報酬予期群は報酬の約束がされていなかった他の2群に比べ有意に内発的動機づけが低いことが示された。
Deci (1971) やLepper ,Greene, & Nisbett (1973) の実験のように、自由時間においての課題に従事する時間を内発的動機づけの指標としているものだけでなく、質問紙を内発的動機づけの指標とした研究もなされている。桜井 (1984) は小学生を被験者として、被験者を言語的報酬群と物質的報酬群にわけ、パズル課題に取り組んでもらっている。物質的報酬群には「3分以内課題ができたらほしいものと交換できるカードをあげる」と教示し報酬の予告が行われている。その後課題に取り組んでもらい、言語的報酬群には「何秒で解けました、速いですね。」など適宜言語的報酬を与え、物質的報酬群には3分以内に課題ができた場合には、カードを与え、その後質問紙調査に回答してもらっている。その結果「自分から進んでやった」という動機の評価の項目に関して、言語的報酬群は物質的報酬群よりも内発的に(自ら進んで)課題に取り組んだと認知している傾向が示されている。すなわち物質的報酬の予期の操作を行ったことで、報酬を得るために課題を遂行するという認知が生じ内発的動機を少なく見積らせたといえる。
このように外的報酬による内発的動機づけへの損傷的効果は広範囲な年齢において認められている(Deci&Ryan,1980) 。このような外的報酬や拘束などの外的誘因の導入が後の内発的動機づけを低める現象は一般にアンダーマイニング(undermining)効果と呼ばれる。
3.対人場面においてのアンダーマイニング効果
アンダーマイニング効果は学業場面や課題達成場面だけではなく、対人場面などの社会的な行動についても影響すると言われている。しかし対人場面において報酬の影響を明らかにした研究はなされていない。そこで本研究では、対人場面において報酬が内発的動機づけに与える影響を検討する。
4.動機づけを測定する尺度
これまでの動機づけ研究において、動機づけを測定する尺度が数多く開発されてきている。桜井(1983)はHarter(1980 , 1981)の内発的−外発的測定尺度の日本語版を検討した。
また自己決定理論(Deci & Ryan, 1985;Ryan & Deci, 2002)に基づき、自己決定性の度合いから、動機づけに関して様々な動機づけ測定尺度が開発されてきている。廣森(2003)は日本での英語教育場面を想定して、高校生を対象に「内発的動機づけ」「同一視的調整」「取り入れ的調整」「外的調整」「無動機」の5つの下位尺度からなる英語学習における動機づけ尺度が作成している。
5.まとめ
本研究では、対乳児場面での内発的動機づけを測定する尺度を開発するという目的のため、自己決定理論に基づく尺度を作成し、質問紙調査を行い新たな動機づけ尺度の妥当性を検討する(研究1)。また対乳児場面における報酬予期の効果をみる目的のため、乳児とかかわる実験を行い報酬予期は後の内発的動機づけを低下させるのか検討する(研究2)。