問題と目的
1.一人でいること
最近、「一人」ということが注目されている。「ランチメイト症候群」「便所飯」「ぼっち」という言葉がよくつかわれている。これらは、「一人でいる=友人がいない」という意識が多くの人の中にあるために生まれてくる行動・言葉だと考えられる。友だちがいないと思われることを避けるために、一人になることを嫌う者が存在していることが指摘されている(諸富,2001)。大嶽(2007)は一人で浮いた存在になりたくないからという理由で「無理にでも友だちを作り、一緒にいなくてはいけない」と考える規範意識を「ひとりぼっち回避規範」としており、そのような規範意識を高く持つ者は集団に所属するだけで満足するという。その反面、対人場面で不安が生じやすくなり、友人グループ内で是が非でも上手くやっていこうと意識するあまり、ストレスフルな状態に陥るとも指摘している。このように、一人でいられない、一人でいることを避けようとする人が存在するのである。
一人でいることについて否定的な面について注目する若者が多いことが示されているが、一人でいることがすべて悪いものであるとは言えないだろう。海野・三浦(2008)は一人の時間は自分を見つめなおし、他者との関連性について考える場、自我同一性を形成するとして重要だと述べている。また、田所・渡辺(1998)は一人でいられる人ほど自己を受容していることを明らかにしている。
海野・三浦(2007)は「一人」を、自分の意思であえて一人で過ごす「能動的なひとり」と、一人で過ごしたくないのに一人で過ごすしかない「受動的なひとり」の2つに分けている。このことからも、「一人」には様々なパターンがあることが考えられる。つまり、自ら好んで一人になっている者、一人になりたくないが一人になってしまう者、他者との関係を築いた上で一人の時間を大切にしている者などである。
「一人でいる能力」をもって一人でいることは、孤立した状態ではなく、他者に対する信頼感があり、そばにいなくとも大事な人が心にいると感じることができる状態である。「一人でいる能力」とは、Winnicott(1958)が提唱したもので、一人でいることの肯定的な面に注目したものである。一人でいる能力は、個人の中の心的現実によい対象がいるかどうかによって決まると言える。内的対象が確立すれば、一時的に外界の対象や刺激がなくても安心して休むことができるようになる(松尾・小川,2000)。一人でいる能力について野本(2000)は、一人でいることに耐えられる「孤独不安耐性」、一人の時間をくつろげること・自ら一人の時間を求める「くつろぎ・孤独欲求」、物理的に離れていてもつながりを感じることができ、他者に支えられていると感じる「つながりの感覚」、人間の個別性を意識し、自分なりの生き方を模索している「個別性に対する気づき」の4つの因子からなる尺度を作成しており、この下位因子全てをバランスよく持つことが大切であると述べている。生活していく中で一人になる場面は必ず存在するだろう。一人の時間を不安に思わず、快適に過ごしていくためにも、一人でいる能力の獲得は重要な課題ではないだろうか。一人でいる能力の獲得のためには対人関係の中で、他者への信頼感、自分という「個」を意識することが必要となってくると思われる。では、青年期における重要な対人関係の一つである友人関係は、一人でいる能力とどのような関係があるのだろうか。
2.青年期の友人関係
2-1 内面的友人関係
青年期は、依存的で親中心であったそれまでの時期とは異なり、親から独立し、自己の形成や自立性を確立する時期である。そのような時期に悩みや感情を吐き出す相手として、また、一緒に学んだり遊んだり、時にはケンカをしながら共に成長していく相手として、友人は重要な存在であるだろう。
青年期における友人関係は、親密で内面を開示するような関係、あるいは人格的共鳴や同一視をもたらすような関係を特徴としており、岡田(2007)はこのような友人関係を「内面的友人関係」としている。内面的友人関係は緊張や不安・孤独などの否定的感情を緩和・解消する「安定化機能」、「社会的スキルの学習機能」、友人が自己の行動や自己認知のモデルとなる「モデル機能」などの機能を持つこと(松井,1990)、自我同一性探究の際の積極的関与に意味を与える重要な他者としての機能を持つこと(Waterman,1993)が言われている。高木(1996)は友人のことを、信頼関係をもって結びつき、情緒を安定させてくれたり、自分が発展させたいと願っている面に対して、良い刺激を与えてくれる人間と述べている。さらに友人関係を通して社会および人間関係の本質、あるいは人間としての徳を学ぶと述べている。このように、青年期における友人関係は重要な対人関係の一つであると言えるだろう。
2-2 表面的友人関係
現代青年の友人関係において、上記のような友人関係とは異なり、内面的な自己開示を避ける、表面的で希薄な友人関係であるという指摘がされている。上野・上瀬・福富・松井(1994)は、「同調行動をとってはいるが、集団中心の生き方を望んでいるのでも、協同的であるのでもなく、心理的には友人たちと離れていて、ただ集団からはずれまいと群れ集っているだけ」の者が存在していることを示している。同時に、男子において、このような希薄な友人関係であると、劣等感や問題行動念慮などの精神的な問題を持ちやすいことを明らかにしている(上野・上瀬・福富・松井,1994)。また、岡田(2007)は、「自他共に傷つくことを回避しつつ、円滑な関係を志向する」者、「友人関係から回避し、自分にこもる傾向を有する」者が存在するとしている。このような友人関係は、表面的な楽しさを求める一方で、関係が深まることを恐れる傾向があるという指摘がなされている。また、表面的友人関係において現代青年は、友人に受け入れてもらうため自分自身を明るく演出する必要があり、この演出が自己不一致感を引き起こしてしまう可能性が示されている(岡田,2002)。
2-3 内面的友人関係と表面的友人関係の両立
上記のように現代青年の友人関係は表面的で希薄化しているとされていた。しかし、斉藤・藤井(2009)は大学生において、表面的関係と内面的関係の両方を同時に成立させている者がいることを、岡田(1999)は青年自身が内面的な関係と表面的な関係の両方を友人関係の理想として肯定的に捉えていることを示している。友人関係について、これまでは表面的か内面的かのどちらかであると考えられていたものが、変わりつつあるのである。また、廣實(2003)は、互いに深入りせずに付き合うことは社会的スキルの一種であり適応であるとしており、岡田(2007)は、社会的な適応において内面的関係と表面的関係を両立させることが友人関係の成熟であるとしている。
3.セルフ・モニタリング
現代の友人関係は表面的で希薄化しているという意見に対し、状況に応じた切替、選択的友人関係など、新しい視点から友人関係を捉えなおす動きもみられる。大谷(2007)は友人関係において状況に応じて関係対象や自己のあり方を切り替えるという新しい視点から捉えなおすことで、友人関係は従来の広さ・深さという2次元では整理されないものであることを述べている。さらに、趣味や興味に基づき、状況や目的に応じて遊ぶ相手を選ぶような関係である選択的友人関係が存在することが示されている(松田,2000;松尾・安藤・坂元,2005)。本研究においても、内面的・表面的のみではなく、SMという視点を含め検討する。
Snyderはセルフ・モニタリング傾向の高低により、友人関係の基盤が違うとしている。セルフ・モニタリング(以下、SMと略記)とは、対人場面において周囲の状況や他者の期待を敏感に察知し、その状況や期待に適した自己表出行動をしようとする傾向のことである。Snyder(1986)は、SM傾向が低い者(以下、低モニター)は情緒を基盤とした友人関係を築き、気のおけない友達と過ごすのが好きである一方で、SM傾向が高い者(以下、高モニター)は目的を基盤とした友人関係を築き、秀でたスキルをもった友達が好きで、何をするかで友達を分けるとしている。低モニターは「友人と何をするか」よりも、「誰と一緒にいるか」ということに楽しみを見出すため、相手への好意度と自分と似た人物かどうかで友人を選び、活動は二の次である。逆に高モニターはあまり好意を持っていない相手であっても、その人が自分がやりたいと思っていることに対するスキルが高い場合、活動のパートナーとして選ぶ(例えば、テニスをしたい時は、テニスが上手い人を選ぶ)のである。活動を楽しむことを第一の目的としているので、相手のことをどう思っているかは二の次である。
4.本研究の目的
以上のように、友人関係には様々な形があると考えられる。本研究では、SM傾向と内面的関係・表面的友人関係が、一人でいる能力とどのような関係があるのかを明らかにすることを目的とする。