【考察】




  本研究の目的は、絵本の物語内容における現実性の程度(日常性・空想性)が子どもの想像力にどのような影響を及ぼすのかについて検討することであった。考察では、まず、物語内容における現実性の程度(日常性・空想性)が想像力の量や質にどのような影響を及ぼしているのかについて考察する。次に、幼児や児童の発達特性をふまえ、物語内容と想像力との関連や、経験と想像力との関連について総合的に考察する。最後に、保育や教育場面における想像力を育てる実践について総合的に考察する。


1.物語内容が作話量に及ぼす影響
(1)幼児における作話量の分析から
  幼児において、Table4より、作話の長さは学年が上がると有意に長くなっていたが、物語内容による影響はみられないということが明らかになった。年齢の主効果が有意であったことに関しては、4歳児よりも5歳児のほうが、作話量が有意に多かったということである。5歳児のほうが多く作話できた理由として、言葉の発達が挙げられる。内田(1994)は、物語ることについて、「幼児期もおわりごろになると、想像力が余すところなく発揮され、ことばはある程度の完成段階に達するようになる」と述べている。また、4歳から5,6歳ごろにかけて、言葉は伝達手段としてだけでなく、言葉の思考機能や行動調節機能として用いられるようになるとされている。このような言葉の発達が進むにつれて、自分の気持ちや思いを言葉で表現できる量も増えていくだろう。このことから、4歳から5歳にかけて言葉の発達が進み、様々なことを言葉で表現できる量も増えたため、言葉の発達に伴って作話量が増加したと考えられる。この結果から、幼児においては、作話量には物語内容よりも言葉の発達が大きく影響しているということがいえる。
  また、幼児において、本研究で絵本を作成する際に参考にした『はじめてのおつかい』(筒井頼子作・林明絵、福音館)と『はじめてのおるすばん』(しずみちを・岩崎書店)を知っているかどうかによって作話量に差がみられた。『はじめてのおるすばん』を知っている幼児の方が、知らない幼児よりも作話量が多いという結果が得られた。本研究において絵本を作成する際には両方の絵本を同程度参考にし、さらに、内容に関しては『はじめてのおつかい』の方が類似しているにもかかわらず、『はじめてのおるすばん』の影響が強く見られたのは興味深い結果である。このような結果が得られた理由として、絵本の冒頭部分が強く影響した可能性が考えられる。両方の絵本については、絵本作成にあたって同程度参考にしたのだが、『はじめてのおるすばん』に関しては特にその冒頭部分を参考にした。子どもは、絵本の冒頭部分を“聞いたことがある”と感じたことにより、その物語内容に親しみを感じ、そこから生まれるイメージの量が無意識のうちに増加したと考えられる。このことから、幼児において絵本の冒頭部分というのは、想像力の量を左右する重要な要因の一つであるといえる。
  また、性差について、幼児を対象とした実験で作話量に性差がみられたという研究もあるが(中澤ら,2005)、本研究において性差はみられなかった。中澤ら(2005)の研究では女児の作話量が多くなった原因について、女の子が主人公の絵本を用いたため、感情移入しやすかったためではないか考察されている。本研究では、男児、女児ともに同じくらい感情移入できるよう男女それぞれが主人公の絵本を作成したため、性差がみられなかったと考えられる。
  以上のことから幼児においては、物語内容ではなく、言語発達と絵本の冒頭部分といった要因が作話量に影響を与えていることが示唆された。


(2)児童における作話量の分析から
  児童において、Table5より、作話の長さについて学年による差はみられなかったが、日常群よりも空想群の方がより長い話を作るということが明らかになった。
  日常的な物語内容よりも、空想的な物語内容のほうが作話量が多くなった理由としては、物語スキーマが考えられる。「物語スキーマ」とは、「起承転結」といったような、典型的物語構造をはじめとした物語展開の基本構造に関する知識が内面化されたものであり、物語の予測や理解をする際に心的用具として働くものである。(西川,2007)この物語スキーマが働いたことにより、日常的な物語の続きを作話する際には、日常で起こる範囲の想像にとどまってしまったため、日常群のほうが作話量が少なかったのではないかと考えられる。例えば、児童の作った話には、おつかいを頼まれた主人公が「おつかいに行ってミルクを買って帰ってくる」「途中で友達に会って一緒に遊ぶ」など典型的な流れが多くみられた。秦野(1994)は、日常的経験が含まれている題材の方が作話しやすいが、次々と登場人物をあるパターンにはめ込んでいくというパターン化した作話になりやすいと述べている。よって、物語スキーマができているからこそ、日常的な物語の続きを作る際には、典型的な流れを超えて想像するのは難しかったと考えられる。
  一方、空想的な内容の方が、自分の興味・関心のあるものを登場させるなど、現実性にとらわれずに自由に作話できるため、作話量が多くなったのではないだろうか。一見、空想的な内容の方が想像力をたくさん必要とするため作話が難しいのではないかと感じられる。しかし、今回の実験は既に冒頭がある物語の続きを作るものであり、話の筋道や主人公の目的などある程度の情報や材料がそろっていた。ある程度の枠が決められた中で自由に作話をすることができたために、空想的な題材のほうが作話しやすかったのではないかと考えられる。
  また、幼児においては作話量に学年の差がみられたのに対し、児童ではみられなかった。その理由として、児童期になると言語発達がある程度完成し、作話に関連する言語能力が安定してきたからであると考えられる。
  以上のことから児童においては、物語内容が作話量に影響を与えている一要因であることがわかった。児童期では日常的な物語内容に比べ、空想的な物語内容の方がより想像が働やすく、それには物語スキーマが関係しているということが示唆された。


2.物語内容が作話内容に及ぼす影響
(1)登場人物の分析から
  登場人物について、幼児には物語内容における差がみられなかったのに対し、児童では物語内容において差がみられた。幼児について、幼児の作話データをみると、日常、空想といった物語内容に関わらず、うさぎやきつね、またお母さんや好きなキャラクターなど様々な登場人物が登場していた。ここから、幼児は空想と現実といった物語内容に関係なく、自分の興味関心に基づいて作話しているということがわかる。一方、児童になると、日常的な内容ではお母さん、友達などが登場することが多く、空想的な内容では動物や好きなキャラクターなど空想的な登場人物が多かった。ここから、児童期においては、日常的な物語内容の際には日常的なお話の続きを、空想的な物語内容の際には空想的なお話の続きを作ることができるということがわかる。
  また、明神(1994)は、絵本の主な特徴について、登場人物として擬人化された動物や自然物などが活躍するものが多いこと、現実にはありえない非現実的な内容が多いことの2点を挙げている。保育場面で絵本はよく用いられており、このような絵本の世界に触れる機会の多い幼児において、お話の中で現実と空想を区別することは難しいだろう。また、アニミズムや擬人化、実念論といった絵本の特徴と類似した発達特性をもち、物語世界を楽しんでいる幼児にとって、物語の中で現実と空想の区別をする必要性は低いといえる。
以上のことから、幼児期においては、日常性、空想性といった物語内容に関係なく、自分の興味関心に基づいて物語世界を楽しんでおり、児童期になると、日常と空想それぞれの内容に沿った想像力を働かせて、物語の世界を楽しんでいるということが示唆された。


(2)作話内容の分析から
  まず、幼児と児童について、作話内容の「行為」に有意差がみられたことについて述べる。幼児においてはTable12より、5歳児のほうが4歳児よりも「行為」に関する言及が多いという結果が得られた。また児童においては、Table16より、空想群のほうが日常群よりも「行為」に関する言及が多いという結果が得られた。ここで、「行為」については、幼児、児童といった学年に関係なく、他のカテゴリよりも圧倒的に突出して多くみられるという特徴があった。ここから、「行為」に含まれるIUというのは、物語を作る際の最も基本的なIUであると考えられる。そのため、「行為」というカテゴリ自体のもつ意味よりも、“作話量”に近い意味において影響が顕著に表れたのではないかと考えられる。作話量の分析においても、幼児では5歳児のほうが4歳児よりも作話量が多く、児童においては空想群のほうが日常群よりも作話量が多いというように、「行為」の分析と同様の結果が得られている。「行為」の分析と作話量の分析から同じ結果が得られたことからも、「行為」と作話量が“作話の長さ”という同じ側面を測っていることがいえる。よって、幼児においては、作話量と同様に、4歳から5歳にかけての言葉の発達が大きく影響しているが、児童になると日常と空想といった物語内容の違いが作話に大きく影響するようになるということがいえる。
  次に、幼児について、Table15の結果より、「心的状態」の交互作用がみられ、5歳児において日常群で「心的状態」に関する言及が多いということがわかった。「心的状態」に関する言及は、4歳児においてはほとんどみられないが、年齢に伴って増加しており、特に4歳から5歳にかけて有意に増加している。5歳児の日常群において「心的状態」に関する言及が多くなった理由としては、4歳から5歳にかけて獲得される“心の理論”が関係していると考えられる。“心の理論”とは、自己や他者の心的状態を理解するための知識や認知的枠組みのことである(木下,2009)。心的状態を表す心的語彙の獲得は心の概念の発達を反映すると考えられ、心の理論の発達と心的語彙の獲得には深い関連があると言われている(長田,2008)。よって、他者の心の状態を想像する想像力の一つともいえる“心の理論”の獲得により、登場人物の心の状態に目を向けることができるようになったため、日常群の5歳児において「心的状態」が多くなったと考えられる。
また、5歳児では空想群に比べ日常群において「心的状態」に関する言及が多い。また、今回の研究では、幼児と児童において実験方法が異なっていたため直接は比較できなかったが、データをみると、5歳児全体で「心的状態」に言及したIUは2つであったのに対し、1年生全体では21というように、5歳児から1年生の間で「心的状態」の言及に大幅な増加がみられた。このことから、日常群においては4歳から5歳にかけて「心的状態」に関する言及が大幅に増加しているのに対し、空想群においては5歳から1年生にかけて「心的状態」への言及が大幅に増加していることがわかる。日常、空想といった物語内容の違いによって、「心的状態」への言及にこのようなズレが生じた理由としては、空想的な内容は日常的な内容に比べ作話が難しく、空想的な物語内容の続きを作る際にはより高度な想像力が必要であるということが考えられる。内田(1982)は、作話における想像力について、空想的な内容の続きを作る際には非現実的な前提を受け入れ、現実から想像世界に飛び越えることが必要であり、ここに空想的な想像力の難点があると述べている。よって、「心的状態」への言及について、日常的な内容では4〜5歳の心の理論の獲得に伴って「心的状態」への言及が増加し、空想的な内容では少し遅れて5歳児から1年生にかけて「心的状態」への言及が増加したのではないかと考えられる。
  最後に、児童について、Table17より、「物の状態」において空想群のほうが日常群よりも多く、Table18より、「人の状態」において2年生のほうが1年生より多く言及しているという結果が得られた。まず、空想群のほうが日常群よりも「物の状態」に多く言及していたということについて、本研究において空想群で用いた「はじめてのぼうけん」では、この絵本に登場する“魔法の森”や“魔法の薬”といったものがどのような様子、状態であったかに関する言及が多かった。 この“魔法の森”や“魔法の薬”がどのような状態であるかということに関しては一般的な共通認識がなく、個人の中で何らかの設定を作ることが必要となる。つまり、空想的な物語の場合は、話を進めていく上で物や空間的な場面設定が必要となるということである。よって、空想的な物語内容では、“魔法の薬はどんな薬なのだろう”といった物や空間的な場面設定に着目した想像力が促進されるのではないかと考えられる。このことから、物語内容における日常性、空想性が、子どもの想像力に質的な違いを与えていることが示唆された。そして、特に空想的な物語内容は、空間的な想像力を促進するということがわかった。
  次に、「人の状態」においては、2年生のほうが1年生よりも「人の状態」に多く言及していた。「人の状態」とは、登場人物の状況や属性、特色のことである。小学校に入学すると、子どもたちは同じ年齢層の学級集団の中での生活が始まり、学級集団に適応して生活することになる。このような集団生活を円滑に過ごすためには、他者との関係性をうまく作っていく必要があり、小学校に入学して1年に満たない1年生と、学級でのふるまい方をある程度身に付けている2年生の間では、他者との関係性や、集団における人間関係の形成において経験の量に違いがあると考えられる。そのため、人と関わりや人との関係性にについて多く経験している2年生のほうが、1年生よりも「人の状態」に言及しやすかったのではないかと考えられる。また、「人の状態」において、「行為」や「物の状態」でみられていた物語内容の主効果がみられなかったということについては、脱中心化という発達の影響によるものではないかと考えられる。脱中心化は7,8歳でおこると考えられており、小学校低学年という時期は、今までの自分中心であった視点から、他者というものに目が向けられるようになる時期である。そのため、他者がどういった属性や立場にあるかなど他者の状態のほうが、より強く影響したのではないかと考えられる。
  以上をふまえ、5歳児の「心的状態」において物語内容で差が見られたのには、心の理論が関連していることがわかった。また、児童の「物の状態」において物語内容で差が見られたことについて、空想的な物語内容からは、物の状態や場面設定などの空間的な想像が促されるということが示唆された。


3.総合考察
(1)発達にみられる絵本の物語内容の影響の違い
  作話量、作話内容について、幼児においては物語内容による影響はみられなかったのに対し、児童においては日常的か空想的かといった物語内容の違いが影響してくることが明らかになった。また、登場人物についても、幼児においては物語内容の違いで差がみられなかったのに対し、児童になると日常的な物語では日常的な登場人物、空想的な物語では空想的な登場人物が多く登場した。つまり、幼児には物語内容の違いによる影響はみられなかったが、児童期になるとその影響がみられるようになったということである。
これらの結果から、幼児期においては“日常的”“空想的”といった物語内容をはっきりと区別することなく物語の続きを作っているが、児童期になるとしっかりと区別をした上で物語の続きを作っているといった発達の変化が読み取れる。このような幼児期から児童期にかけての変化について、Piaget(1926/1955)は、直観的な思考が中心である「前操作期」から、現実世界について論理的に考えることができる「具体的操作期」へと移行するとしている。前操作期における幼児の発達特性については、アニミズムやリアリズム、自己中心性などがあり、幼児は空想的な事象の実在を信じ、非現実的な魔法的な事柄も起こりうるような空想世界に没頭しやすい存在であるといえる。尾崎(2005)は、そのような幼児の世界観について、「絵本にみられる幼児の世界観は、幼児のものの見方やかかわりの中心をつらぬいている“自己中心性”や“未分化”にもとづくものであるが、いわば、大人の客観的で知的な世界観に比して、きわめて主観的で情緒的な色彩の濃い世界観ということができる」と述べている。ここからも、幼児は他者からの客観的な視点ではなく、自分の興味関心に基づいた世界の見方をもっているといえる。一方、児童期になると学校教育が始まり、具体物の性質や関係についての象徴的な関係の理解が徐々に発達する。児童期では、現実と空想の区別の認知的な理解など、科学的なものの見方や考え方が進むと考えられる。
  これらのことから、幼児はその発達特性から日常性、空想性といった物語内容の区別が曖昧であるため、物語内容による影響を受けにくいが、児童になると現実と空想の認知的な理解が進み、物語内容の影響を受けやすくなると考えられる。つまり、幼児はその発達特性から日常性、空想性といった物語内容の影響よりも、自分の興味関心の影響を強く受けた想像を働かせており、児童期になると現実と空想の認知的な理解が進んで、物語内容に沿った想像を働かせるようになるということがいえる。また、日常、空想それぞれの物語内容から促進される想像力については、空想的な物語内容では空間的な想像が促されるといった特徴がみられ、日常性、空想性といった物語内容の現実性の程度は、想像力に質的な違いをもたらすということが示唆された。
  また、5歳児においては、作話量では物語内容の影響はみられないが、作話内容の「心的状態」において物語内容の影響がみられた。これは、量的な側面では差がみられないが、質的に詳しくみていくと物語内容の影響を受けているということである。内田(2008)は、5歳半すぎになると「夢」や「回想」のような「組み込み技法」を使ったファンタジーが生成できるようになると述べている。「組み込み技法」とは、現実性世界では起こりえないことが起こった際に、物語の結末を「夢の中の出来事であった」と締めくくったり、現実世界とは異なる虚構の世界を作り出すという展開方略のことである。「組み込み技法」は1,2年生の空想群における多くの児童が用いていたが、5歳児においても組み込み技法を用いている幼児が何人かみられた。これらのことから、“5歳”という時期は、幼児期から児童期への移行期であり、小学生になると量的にも質的にも物語内容による影響がみられやすくなるということがわかった。
  以上のことから、上に述べたような幼児から児童における発達の変化が、物語内容の影響と大きく関連しているということがわかった。特に幼児においては、物語内容の日常性や空想性に関わらず、自分の興味関心基づいて物語の世界を楽しむという幼児の発達特性をもっており、5歳児は幼児期から児童期への移行期という重要な時期であるということが示唆された。


(2)発達にみられる経験の組み込み方の違い
  幼児と児童の作話において、そのお話の中には自分自身の経験であると思われる表現がいくつもみられ、子どもが実際に見たり聞いたりしたことが出発となって想像世界を作り出すということがわかる。例えば、登場人物の一人として“お兄ちゃん”が登場する幼児には実際にも兄がいること、また、児童が実際に行ったことがあると思われる場所が登場するなどである。想像力について、Vygotsky(1972)は、想像と経験とは相互に依存する関係にあり、想像が経験に基づくだけではなく、経験も想像によって豊かになると述べている。また、内田(2008)は、想像力と経験との結びつきについて、私たちは想像力の素材として経験を利用し、経験が豊富なほど想像世界が豊かになると述べている。しかし、同じように経験が想像力の土台となっているといっても、幼児と児童においては、その経験の組み込み方の違いが見てとれる。
  例えば、4歳児空想群の男児の作話例を以下に示す。

  『シンデージャー。たかしくん(主人公)と遊んだ。そして、たかしくんと一緒にさ、本読んだ。そして、たかしくんとさ、夜になったらさ、あのさ、おもちゃ遊んだ。おもちゃで遊んだら、たかしくんがさ、粘土遊ぼって言ったらさ、○○(自分の名前)がいた。○○がさ、あのさ、粘土した。粘土したらさ、ゴーカイジャーの本読んだ。』
[4歳児クラス 空想群 男]

   ○○とは、作話者自身のことであり、自分自身を作話の中に登場させている。また、自分の好きなキャラクターや、粘土遊び、絵本を読むことなど日常で身近なことが作話の中心となっている。さらに、空想的な物語『はじめてのぼうけん』における“魔法の薬を探す”という目的については一切触れられておらず、物語のストーリーとは全く関係なく作話が進んでいる。4歳児においては上記のような特徴を含んだ作話が多くみられた。以上のことから4歳児は、自分の経験や興味関心が中心となって想像が広がり、その想像世界に没頭しているということがわかる。また、「お話をつくる」といった本来の目的から離れやすく、 “魔法の薬を探す” という物語における目的を維持して作話することが難しいといえる。

  次に、5歳児の作話例を以下に示す。

  『えっと、お店は後ろらへんのとこやって、で、「おつかいに来とんのやな」ってお店の人が言って「おーい」って言ったのはどうかなぁと思うんやけど。そして、はるちゃんは、お店屋さんやとわからなくてそのまままっすぐ行ってしまったっていうこと。そして、知らんところに来てしまって、迷子になったっていうのはどうやろう。それで、一回「ここどこやろう?」って思ってみたら、そこは…うーん…どれにしよかなあ…そのまま、まっすぐ行ってしまったら、いつの間にか海の船が止まるところに来てしまって、そして「どこや?」って言って振り向いてそのまままっすぐ行ってみたらお店が見 えて、「やっぱあそこお店なんやな」と思ってお店に行ったっていうわけ。』
[5歳児クラス 日常群 女]

   この5歳児の作話からは、事実の羅列が多かった4歳児に比べると、「おつかいに行く」というストーリーに沿って話が展開していることがわかる。また、「〜って言ったのはどうかなぁと思うんやけど」「どれにしようかなあ」など、ストーリーを作るということを意識した発言が多くみられた。さらに、自分の経験を中心に話を進めてしまうのではなく、「いつの間にか海の船が止まるところに来てしまって」という表現からもわかるように、自分の知っている知識や経験をうまくストーリーに組み込んで話を展開することができていた。しかし、「おつかいに行ってミルクを買う」という目的は達成できていないまま話が終わってしまっている。これらことから5歳児においては、自分の知識や経験をうまく文脈に組み込んで想像の世界を広げることができるが、物語の目的を維持して作話することは難しいという特徴がみられた。
  これらのように、4,5歳間においても、その経験の組み込み方に違いがみられた。さらに、児童においても、作話の中に様々な日常の経験や知識が組み込まれており、それらの組み込み方において幼児との違いがみられた。以下に、児童の作話例を示す。
  『「おーい」と、はるちゃんの友達のるーちゃんが一緒に遊ぼうと誘ってきました。はるちゃんが「おつかいをして赤ちゃんのミルクを買ってってお母さんが言っていたから行けないんだ。時間がかかると思うんだ。ごめんね。赤ちゃんのミルクを買って家について赤ちゃんにミルクを飲ませてから公園に行くよ。」と言いました。それから公園に行ったけど友達のるーちゃんがいなくなってる。「なんでやろう。たぶん遅かったからかなぁ。まぁいっか、家に帰ろっと。夕ご飯は何やろう。やったー。私が大好きな目玉焼きとハンバーグだ。母ちゃんありがとう。」「いいよ。おつかい手伝ってくれたお返しだからね。母ちゃんも助かったわ。」これで一日が終わりました。』
[2年生 日常群 男]

  『さっきの魔法使いがいました。「魔法の薬が狙われているから早く取りに行って。お友達のティラノサウルスをあげるから急いで行って。」一方魔法の森では、森の魔女が魔法の薬を探していました。ティラノサウルスとはるちゃんは、魔法の森にやっと着いていました。それから魔法の魔女とはるちゃんたちが戦っていました。森の魔女は魔法を使えるので強いから、ティラノサウルス1体がやられてしまいました。あとは、ティラノサウルス2体とはるちゃんとくまちゃんだけでした。今度は、ティラノサウルスが2体かかったけど、ティラノサウルス2体ともやられました。次はくまちゃんが、かかったら森の魔女がやられました。恐るべきくまちゃん、今度はくまちゃんがリーダーになりました。そしたらすぐ魔法の薬が見つかりました。それから魔法使いに渡しました。魔法使いが「ありがとう。」と言ってくれてはるちゃんはとても喜びました。おわり。』
[2年生 空想群 男]

   これらの児童の作話からは、自分の知識や経験、興味関心をうまく組み込んでストーリーを展開しているが、さらにその組み込み方が幼児に比べるとより複雑になっていることがわかる。5歳児においては、自分の知識や経験は作話の一部に組み込まれているのだが、児童になると、自分の知識や経験、興味関心が一部ではなく全体に組み込まれているという特徴がみられ、特に2年生においてその特徴が顕著であった。例えば、上記の日常群の例においては、友だちが遊びに誘ってきただけで作話が終わってしまうのではなく、おつかいが終わってから遊ぶ約束をして、さらに遊ぶために公園に行くというように、“友達と遊ぶ”という経験が、時間的な系列に沿って複雑に組み込まれている。また、空想群の例においては、ティラノサウルスと出会うだけではなく、一緒に魔法の森へ行って、魔法の魔女と戦うというように、“ティラノサウルスが魔法の魔女と戦う”という設定を通して話が展開している。これらのように、児童期においては、最初に出てきた登場人物がもう一度最後に登場したり、ある設定がストーリー全体を通して維持できていた。さらに、物語の目的についても、多くの児童において“ミルクを買う”“魔法の薬を探す”といった目的が達成されていた。
以上のことから児童期になると、知識や経験を、物語全体を通して作話の中により複雑に組み込んで、想像の世界を広げることができていることがわかった。さらに、物語の目的を維持しつつ、物語内容に沿った想像を働かせているということが示唆された。


(3)保育・教育場面における想像力を育む実践
   ここまで、絵本における想像力と物語内容の関連について、幼児や児童の発達といった視点から述べてきた。特に幼児においては、現実と空想が曖昧であるという発達特性から、物語内容の影響を受けにくいのではないかと考察を進めてきた。しかし、だからといって、保育・教育場面においてその日常性や空想性を軽視してよいというわけでは決してない。日々の生活の中で、あらゆることを体験から学んでいる幼児にとって、物語における日常性、空想性を体験する意味は大いにあると考えられる。今回の実験では、「お話の続きを作る」という方法によって想像力を測る指標としたため、特に幼児においては空想的な想像を広げることが難しかった。しかし、幼児においても空想的な物語の世界を体験することによって、空想的な想像は広がっているはずである。
では、どのような条件や環境ならば、幼児にとって語るのが難しいとされている空想的な場面においても、幼児の想像力が広がっていくのだろうか。幼児の非日常場面における“しゃべりたくてしょうがない体験”をどのように引き出していくのかというところに、保育実践の難しさがあり、面白さがあると考えられる。
   例えば、幼稚園・保育園における実践に関して、大野ら(2010)は、非日常的な活動の中で子どもたちはどのような体験を具体的にしているのか、空想と現実の境界を往還している子どもの体験の内実について研究している。この保育実践は、毎年お泊り保育の際に行われている実践であり、森に住むと伝承されている架空の生物ゴーリーについて、教師と4歳児クラスの幼児がゴーリーの手紙を偶然発見することから始まる。そして、「おとまりほいくのよるにあいにきてくれ」というゴーリーからのメッセージ通り、お泊り保育の際に幼児が一人ずつゴーリーと出会うという体験をするというものである。この実践では、ゴーリーに対する幼児の印象の変化という視点から、空想的な想像がどんどん展開していく様子が読み取れる。例えば、ゴーリーの印象について、ゴーリーと出会う前は「眼が光っている」「歯も光っている」といった“恐いイメージ”であったが、実際にゴーリーと出会った5歳児クラスの幼児から断片的な知識を伝達されることによって、「幼稚園を守ってくれている」といった“守護するイメージ”へと変化している。そして、お泊り保育を終えた後には「ゴーリーは日本語ではない、ゴーリー語をしゃべっていた」「泣くふりをしたら、ぎゅぎゅってしてくれた」というように、ゴーリーの言動について語り合う姿がみられた。さらに、「ゴーリーは本当のおうちがあって、遊びにきた」「ゴーリーは字がうまい」など、相互に語り合うことによってゴーリー像を再構築し、イメージを豊かにしている子どもの姿がみられた。この研究からは、幼児が物語を生きることにより、教師の意図を超え、非日常的な体験として機能していく実践の意義について検討されている。そして、幼児が物語を共有し、生きることで、幼児の活動に新たな意味づけをするということを明らかにした。
  また、保育の中で非日常的な想像上の生き物をあたかも現実のものとしてとらえ、保育実践に生かした研究として、岩附・河崎(1987)は絵本『エルマーのぼうけん』を題材に、想像上の生き物をめぐって探検遊びが展開していく様子を描いている。この探検遊びは、『エルマーぼうけん』の読み聞かせの最後に保育者が述べた、「その後のエルマーとりゅうのゆくえは誰も知りません。どこへ行ったのでしょう。みんなのそばにひょっとするとエルマーとりゅうは隠れているかもしれませんね。」という言葉がきっかけとなる。子どもたちの中から「りゅうはどこへ行ったんやろ。」「知りたいな。」という声が上がったため、保育者は「むかし、おじいさんが片田の山へ出かけて行ったとき、ほら穴の中でりゅうのしっぽをチラッと見たことがあるって聞いたことがあるよ。」という言葉をかける。ここから、探検が始まるのである。山に入って保育者がタイミングよく「りゅうのしっぽが見えた!」と叫ぶと、「どこに」「どこに」と一斉に振り向く子どもたちの姿がある。そして次第に「ガサガサという音が聞こえた。」「ぼくはチラッとしっぽが見えたような気がする。」など次々と会話が展開していく。この実践からは、身も心もワクワクするような経験を創り出し、体験することの重要性について述べられている。
  これらの実践をふまえ、幼児は「お話の続きを作る」という作話によって空想的な想像力を働かせることは難しいとしても、ゴーリーやエルマーの実践のように、具体的な体験があることによって、どんどん話を展開していくことができると考えられる。つまり、子どもの体験を伴うことが重要であるということである。しかし、単に体験することが重要なのではなく、絵本の空想世界と、現実世界とをつなげるような体験に意味があると考えられる。例えば、ゴーリーの実践においては、“ゴーリーから手紙が届く”ことによって、ゴーリーという架空の人物と手紙が届くという現実世界とをつなげている。また、エルマーの実践では、「ほら穴の中でりゅうのしっぽを見たことがあると聞いた」という保育者の言葉が、エルマーという架空の人物と“本当にいるかもしれない”という現実世界とをつなげる重要な言葉かけとなっている。岩附(1987)は、その著書の中で、子どもたちの大好きなお話や、興味を持った出来事を現実性のあるものとして子どもたちに投げかけてみると、想像力を働かせながらどんどん夢をふくらませていったと述べている。ここから、物語で空想の世界を体験するだけではなく、ゴーリーやエルマーが“本当にいるかもしれない”という心の動きを体験することが、空想的な想像を膨らませていく上で重要であるといえる。
  以上のことをふまえ、想像力を育む際には、絵本から発展した実践につなげるということが重要であるといえる。絵本を読むことによって空想世界を体験することにも意味はあるだろう。しかし、絵本の中の空想世界を体験するだけでなく、「現実世界で空想世界を体験する」という具体的な体験を伴うことによって、子どもの中の空想的な想像がどんどん広がっていくのである。よって、想像力を育むという視点から考えると、絵本を読んで終わってしまうのではなく、子どもの体験や発見といった実践へとつなげることに想像力を育むための大きな意味があるといえる。そして、その際の保育者の言葉かけが、お話の世界、想像の世界と子どもたちの現実の世界とを結び付ける重要な役割を果たしているといえる。


4. 今後の課題
(1)手続きの観点から
  今回の研究では時期の都合により、幼児は口頭での作話、児童は筆記での作話というように、幼児と児童で実験方法における手続きが異なっていた。そのため、幼児と児童から得られた作話データを直接比較、検討することが難しく、特に作話量に関しては手続きによる影響が大きかったと考えられる。今後は、幼児、児童における手続きを同じにし、児童にも口頭で作話してもらう実験を行うことにより、学年を通して作話データを直接比較、検討する必要があるだろう。また、児童においてはクラスで一斉に課題を行ったということから、その作話データは周りにいた友達の影響を受けている可能性がある。本手続きにおいては、机間巡視を行い児童同士で会話することのないよう配慮したが、実験者の個々への働きかけや児童個人のつぶやきなどは聞こえる状態であった。また、たとえそういった会話がなかったとしても、クラスの雰囲気や非言語の情報伝達における影響は少なからずあったと考えられる。よって、今後は児童においても個別面接で実験を行う必要があるだろう。
また、今回の研究においては、幼児、特に4歳児クラスの実験協力児の人数が少なかった。そのため、学年の影響よりも個人差が大きく影響した可能性が考えられる。今後は幼児の実験協力児の人数を増やして、より厳密なデータに基づいて検討していくことが必要である。


(2)想像力の観点から
  今回の研究では絵本の物語内容における現実性の程度という視点から想像力について検討した。しかし、絵本における想像力は物語内容の違いだけでなく、絵や文、読み聞かせ環境など様々な要素が関係していると考えられる。よって、今後は物語内容以外の他の視点からみた想像力について検討していく必要があるだろう。
  また、本研究ではお話の続きを作るという方法を用いて、作話データに含まれる想像力について実証的に検討した。しかし、想像力という定義や概念は広く、作話データから得られる想像力はその一部でしかない。人間の認知能力は大きく言語性能力と動作性能力に分けられると考えられているが、こうした立場からすれば、お話作りにおける想像力というのは言語的な想像力のみを調べる場合にのみ使用できるのかもしれない。よって今後は、描画や造形にみられる想像力や身体表現に関する想像力など、動作性の観点から想像力を研究していく必要があるだろう。そして、それぞれの子どもの得意な領域で想像性や意欲を育てていくような支援について考えていくことが重要であると考えられる。