結果と考察




  3.「三者関係」
 Figure 1は、最後に掲載した。

 三者関係は、大人との愛着として「Yとの愛着関係」、友達への意識として「B児への意識・関わり」の2つの分析指標を手がかりとして、以下の2つの視点から検討した。1つは、「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」のそれぞれで抽出された5つの時期の移行が、どのように関連しているかであった。2つは、その関連において、三者関係を成立させるためにどのような関係性や環境・支援などが重要であるかであった。 また、「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」のそれぞれの5つの時期を、時間軸に沿って対応させたものをFiguer 1に示した。

 (1) 「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」の第T・@期の期間の一致について
 「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」の第T期はともに観察4回目までであった。この一致がみられたのは、A児のYへの接近−維持が、Yの反応を気にせず一方的に関わるというものであったことによると考えられる。つまり、A児は一方的にYに関わることを求める時期であったため、Yが誰と関わっていようが意識が向かなかったということだ。そのため、この時期にはA児−Y−B児という三者関係は成立していない。「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」の第A期にかかることではあるが、三者関係の成立のためには、まずは大人との愛着としてYとの愛着関係をつくっていくことが必要であるといえる。

 (2) 「Yとの愛着関係」と「B児への意識・関わり」の第U・A期開始の一致について
 「Yとの愛着関係」の第U期は、快の情動を引き起こすYの行為を求めて接近−維持をはかる時期であった。そして、「B児への意識・関わり」の第A期は、B児のことが気になりだし、じっと見るという注視行動が出現した時期であった。この2つの時期が重なっているということは、A児にとって、Yとの関係の変容とB児との関係の変容が関連していることを示す。ここで重要となるのは注視行動の意味であり、注視行動がB児とYの関わりの後に生じているという点と、A児とYの関わりの直後や最中にみられたものもあったという点にも注目する。別府(1999)は、他者同士が関わっている行為への注視行動について、次のように述べている。「これは他者を行為者として理解にしているために、その他者の行為と別の他者の行為の随伴性に注意が向けられた結果と推察される。行為者として他者を理解することは、別府(1997)も指摘するように、その他者の行為の自分にとっての意味を理解することにつながる。」ここでいう行為者としての理解とは、情動や意図を有する主体としての他者理解ではなく、行為を発する主体としての他者理解のことを指す。これをA児の注視行動に置き換えると、YとB児が関わっている場面を見ることで、その2人の行為の随伴性に注意が向いたことが推察される。そして、B児への注視行動が繰り返されたことは、B児の行為(Yと関わること)がA児自身にとって何を意味するのか理解するための行動であったと考えられる。さらに、A児とYとの関係を踏まえると、以下のように推察できる。A児はこの時期、快の情動を引き起こすYの行為を求めて接近−維持をはかっていた。具体的には、Yの膝の上に座ったり抱きつくことや、頬を触ってもらうことで快の状態になっていた。そのような関係において、B児がYと関わっている場面をみることは、B児が、Yから行為を引き出すのを阻害する他者なのではないかという不安を生じされるきっかけとなり、そのことを確かめようとするために、結果としてB児への注視行動がみられたのではないかということだ。さらに、A児とYの関わりの直後や最中にみられた注視行動があったことから、A児自身がYと関わることがきっかけとなり、実際に関わってはいないB児への不安が生じていたことも示されている。
 これらの関連を三者関係の視点で捉えると、Yとの間に、快の情動を引き起こす行為を求めるという愛着関係が形成されると、自らの快の情動の生起を阻害する他者なのではないかという不安から、Yと関わるB児への意識が生まれたということになる。そして、そのような意識を生じさせるためには、愛着関係にあるYがA児以外の他者と関わっている場面をみせることが必要不可欠であったことがわかる。さらに、今述べたことは、注視する対象がB児であったことの理由も示している。YはA児のクラスで一緒に活動をしていたため、T先生やM先生、A児以外の5人の他児とも関わっているのである。その中でも特にB児に注視行動を起こしたということには、B児が自らの快の情動の生起を阻害する他者かもしれないとクローズアップされた理由があるはずである。そして、その理由とは、他児の中でもB児が最もYに接近−維持をはかっていたことと、特に遊びなどの要求が強かったことであろう。T先生やM先生とはすでに愛着関係があるし、Yとの関わりは話したりする程度であったため不安を抱く対象ではなかったということだ。
 以上のことより、不安といったネガティブな情動がきっかけとはなるが、大人との愛着関係が基盤となり、第三者である他児へと広がっていくことが示唆された。そして、そのためには、まずは愛着対象の大人が子どもの要求に応じて快の情動で満たしてあげることが必要となる。そしてその後、愛着対象の大人が自分以外の他者と関わる場面に、広く出会う機会が必要であると考えられる。

 (3) 「Yとの愛着関係」の第V期への移行と、「B児への意識・関わり」の第A期の注視行動の消失の関連
 「Yとの愛着関係」の第V期は観察7回目からであり、この日は「B児への意識・関わり」の第A期において、B児への注視行動がみられなくなった日であった。さらに、第A期の結果でも述べたが、この7回目の観察日は、たまたまB児が学校を欠席した日でもあった。「Yとの愛着関係」の第V期から、A児のYへの接近−維持行動は強まっていくという変化をみせるのだが、注視行動がみられなくなったことと相互に関連している可能性がある。「Yとの愛着関係」の第V期の初回である7回目の観察日は、B児が欠席だったため、A児はB児への意識が生起されることなく、Yへの接近−維持をはかり快の情動をもつ経験を積み重ねることができた。そしてまた、十分にYとの間に快の情動経験を積み重ねることができたため、一定期間(観察7〜11回目の間)B児への不安が解消されたという相互の影響があったことが考えられる。そして、その語観察12回目以降になると、Yへの接近−維持はさらに強まり、再度B児への注視行動が出現したのではないだろうか。
 以上に述べた期間において、A児を主体としてYとB児との三者関係がみられなくなってしまったことがわかる。その要因の一つとして、Yとの間に十分な快の情動の経験が積み重ねられたことが考えられる。このこと自体は愛着形成において非常に重要なことであるが、自分と大人との愛着関係に満足してその二者関係に終始してしまっては、第三者への広がりが妨げられることになってしまう可能性が示唆された。子どもとの愛着形成は非常に重要であるが、その愛着関係において常に満足されることばかりを意識するのではなく、一種の不満や不安を抱かせることも意味のあることだと考えられる。

 (4) 「Yとの愛着関係」の第W期と「B児への意識・関わり」の第B期における、A児の特徴的な行動について
 この2つの時期にかかる観察14回目にみられた特徴的な行動として、「YがB児につみき取って渡したあと、B児のもとへ行きじっと見て、Yのもとへ戻ってきてくっつき、再びB児を見に行き…というのを8回繰り返す(14)-104」というものがあった。この三者関係と思われる行動は、A児とYがどんな愛着関係にあるかと、A児のB児への意識がどのようなものであるかという視点から解釈することができる。
 (1)でも述べたように、B児への注視行動は、 B児が、Yから行為を引き出すのを阻害する他者なのではないかという不安や疑問が生じることにより、そのことを確かめようとする行動であると考えられる。そして、この注視行動が、YとB児に交互に関わるという形で8回も繰り返されるということには、A児とYとの愛着関係が関連していると考えられる。14回目以降「Yとの愛着関係」は第W期に入っており、不安・不快に立ち向かう安全基地の役割を果たす愛着関係である。A児にとってB児が未だ不安な対象であるとすれば、注視という不安に向かっていこうとする行動の支えとして、Yのもとへ戻ってくるという行動を示したのではないだろうか。これ以前もB児への注視行動はみられていたため、支えがないと立ち向かえないほどの不安をもっていたとは考えにくいが、注視という行動を強めた要因がYとの愛着関係であることは大いに考えられる。また、その反対の影響も考えられる。「Yとの愛着関係」の第V期から第W期にかけては、A児のYへの接近−維持が強まっていた。それは、よりYに快の情動を引き起こす行為や意図を求めるようになったということであり、それに伴って、B児が阻害するのではないかという不安も強まっていることが想定できる。そのため、注視行動も増加してくることが考えられるが、その分、不安を軽減し立ち向かうためにYへの接近−維持をより求めるようになるという、先ほどとは反対の影響も考えられるのである。
 以上のことからわかるのは、A児を主体とした三者関係において、Yとの愛着関係がB児への意識を生じさせたり促したりする影響があるだけではなく、B児への意識が強まることで、Yへの接近−維持が強まり愛着関係が深まるという相互の影響があるだろうということである。そして、次の(5)で取り上げる内容にかかることであるが、注視行動を重ねることによりB児への意識の変容がみられてくるため、愛着対象である大人は、子どもの他児への意識(本研究ではA児からB児への意識)の広がりを支えるため、不安・不快に立ち向かうための安全基地としての愛着を形成することが必要となるだろう。

 (5) 「Yとの愛着関係」の第X期への移行と、「B児への意識・関わり」の第B期・第C期のB児への身体的な働きかけの変化との関連からみる、B児への意識の変容
 「Yとの愛着関係」が第X期に移行する境目である観察17回目から、「B児への意識・関わり」について、B児への身体的な働きかけがみられるようになり、これまでのB児への不安といった思いが薄れてきたことを意味すると考えられる。これに関連するのは、「Yとの愛着関係」において、A児がYの存在やそばにいることを求めて接近−維持をするようになった第X期への移行であると考えられる。この時期のA児は、具体的な行為や意図を求めず、Yのそばにいることができればそれだけで満足であるという様子がみられ、それまでの、具体的なYの行為や意図を求めていた時期とは大きく異なる。そして、Yの行為や意図を求めなくなったということは、B児が、Yから行為を引き出すのを阻害する他者なのではないかという不安や疑問が根本から解消されたということになる。そのため、B児がYから行為を引き出すのを阻害する他者なのかどうか確かめようとする注視行動は消失してもおかしくない。しかしここでB児への身体的な働きかけがみられ始めたということは、これまでの、A児−Y−B児という三者関係から生じたB児への意識ではなく、B児個人への意識が芽生えているこというではないかと推察できる。このように、三者関係の中から独立してB児への意識をもちはじめて第C期へ移行したと考えられる。
 そして、「B児への意識・関わり」の第C期になると、B児とYの関わりの場面を見ても、B児の存在や行動を気にしないでいる様子がみられるようになっている。それと同時に、B児への意識が向くようになったと思われる点として、B児への働きかけが注視行動を伴わなくなったということが挙げられる。このことからも、B児が、Yから行為を引き出すのを阻害する他者なのではないかという不安や疑問としても意識から、B児個人への興味や関心といった意識へと変化したことが考えられる。
 これまで、A児を主体とした三者関係において、不安といったネガティブな情動がきっかけではあるものの、Yとの愛着関係が基盤となってB児への意識が芽生えて、関わりをもつようになるということを述べてきた。しかし、三者関係の中で芽生えた意識は、その中だけで終始してしまうのではなく、他児個人への意識へと変化していくものだということが示唆された。そのためには、他児が、愛着対象から行為を引き出すのを阻害する他者なのではないかという不安や疑問を解消するために、愛着対象は具体的な行為や意図を求められる関係から、存在そのものを求められる関係になる必要がある。そして、子どもが他児に関わろうとできる環境を整えることも必要となるだろう。




Figure 1 「Yとの愛着」と「B児への意識・関わり」の関連