問題
【問題】

1.はじめに

 私たちは普段の生活の中で、ベストを尽くしたい、成功したいという状況に直面することがある。大事な試験、部活の試合、仕事でのプレゼンなど、様々な状況がある。このような状況に対して「きっとうまく出来るだろう」と楽観的に取り組む人もいれば、「失敗しそうだ」と悲観的に取り組む人もいる。Seligman (1990) は、悲観主義者は無気力で希望を失いやすく、簡単に諦めやすいため、能力以下の成績や業績しかあげられないことを指摘している。悲観的な、“ネガティブ”な者は自分の能力を出し切ることができないと言われているのである。
 また、近年、ポジティブ心理学 (Positive psychology) が勃興し、それはまさに運動 (movement) と呼べる勢いを持っている (山崎, 2006) 。このポジティブ心理学は、生活の悪い面を修復することを目的とするのではなく、生活の良い面を打ち立てることを目的とした心理学に変えることにある。このように、人間のポジティブな側面に焦点を当てた研究が多く見られている。
 しかし、感情に注目してみると、ポジティブ感情は、注意を広め、全体的な認知や処理を高める。それに対して、ネガティブ感情は、注意を狭め、局所的な認知や処理を高めると言われている (Frederickson & Branigan, 2005) 。このことから“ポジティブ”と“ネガティブ”な心理的プロセスにはそれぞれの役割や機能があり、どちらが良いかということは一概にいうことはできないと考えられる。また、注意を狭め、局所的な認知や処理を高めるというネガティブ感情の特徴は、「ベストを尽くしたい、成功したいという状況」において、非常に重要であろう。
 Norem & Cantor (1986b) は過去の学業成績がすぐれており、そのことを本人も認識しているにもかかわらず、現実的とはいえない低い期待しか持たず、テストのような評価状況を前に常に不安を感じている学生がいることを指摘した。このような防衛的な方略を、防衛的悲観主義 (Defensive pessimism) と名づけた。一般的に悲観主義は否定的な概念として位置づけられ、楽観主義は適応的であり悲観主義は不適応的であると言われている。
 これらのことから、ポジティブ心理学で取り上げられているように、人間のポジティブな側面に焦点を当てるだけでなく、ネガティブな側面からポジティブな部分を見出すことも重要であると考えられる。


2.認知的方略

 認知的方略とは問題状況に直面した時に、人が目標や行動に向かうための認知・計画・期待・努力の一貫したパターンとして定義されている (Norem, 1989)。
 Norem & Cantor (1986a) では認知的方略を、過去のパフォーマンスに対する認知と将来のパフォーマンスに対する期待によって4つに分類している。
 まず1つ目は、過去のパフォーマンスに対する認知がポジティブであり、将来のパフォーマンスに対する期待が高い“方略的楽観主義”である。次に2つ目は、過去のパフォーマンスに対する認知はネガティブであり、将来のパフォーマンスに対する期待は高い“非現実的楽観主義”である。また、“方略的楽観主義”と“非現実的楽観主義”をあわせて“楽観傾向”と呼ぶ。そして3つ目は、過去のパフォーマンスに対する認知はポジティブであり、将来のパフォーマンスに対する期待は低い“防衛的悲観主義”である。最後の4つ目は、過去のパフォーマンスに対する認知がネガティブであり、将来のパフォーマンスに対する期待が低い“真の悲観主義”である。 Norem & Illingworth (1993) は、楽観主義者は、自分のパフォーマンスに関して高い期待をし、目前の課題から気をそらすことで不安を低く維持すると述べている。それに対してSeligman (1990) は悲観主義者は、楽観主義者に比べて無気力で希望を失いやすく、簡単に諦めてしまいやすいため、能力以下の成績しかあげられないと述べている。
 また、細越・小玉 (2006) は防衛的悲観主義者 (Defensive Pessimist:以下DP者) と方略的楽観主義者 (Strategic Optimis:以下SO者) について次のように述べている。DP者は、過去に似た経験で成功経験が存在するにもかかわらず、課題前に悲観的になる。しかし、その悲観的予期を利用し、課題に対して熟考することで課題達成を行うという一連の認知方略を用いる人として定義されている。SO者は、過去に似た経験を持っており、それに基づいて課題前に楽観的に考え、課題達成を行なっていく一連の認知方略を用いる人として定義されている。さらに、今村・井上 (2008) では、SO者は将来の課題に対して強い不安を感じることはなく、課題に対して悲観的に考えることを避ける。そうして、不安の上昇を避け、高いパフォーマンスを示すとされる。
 そしてNorem & Cantor (1986b) においてDP者の課題遂行は、楽観主義傾向の者と比べて成績に差がないことが示されている。Norem & Cantor (1986b) の研究1では、質問紙によって楽観主義傾向の学生と防衛的悲観主義傾向の学生を選び、迷路課題を行わせた。この結果、防衛的悲観主義傾向の学生は課題遂行前の不安が高く、課題遂行後の満足感が低かった。Norem & Cantor (1986b) の研究2では、楽観主義傾向の学生と防衛的悲観主義傾向の学生に過去の優秀な学業成績を示し、きっと出来ると励ましてから迷路やアナグラム課題を遂行させる実験群と、励まさずに課題を遂行させる統制群をおいた。その結果、励まされた防衛的悲観主義傾向の学生は、楽観主義傾向の学生や励まされなかった防衛的悲観主義傾向の学生に比べて成績が劣ることが明らかにされた。楽観主義傾向の学生においては、激励された実験群の方が、励まされなかった統制群の楽観主義傾向の学生よりも高い成績を修めていた。また、励まされなかった防衛的悲観主義傾向の学生は、課題遂行後に測定された課題に対するコントロール感や自尊心が、楽観主義傾向の学生に比べて低かったのに対して、励まされることによって従来の方略を妨害された防衛的悲観主義傾向の学生は、楽観主義傾向の学生と同様に、課題遂行後に状況に対するコントロールを否定し、利己的なコントロールの知覚を示した。この結果は、防衛的悲観主義傾向の学生が、励まされるという暗に失敗が許されない自尊心が脅かされる状況で、柔軟に方略を変更したと示唆されている。
 本来、課題遂行に対する低い期待は、一般に課題遂行を妨げると考えられている。しかし、防衛的悲観主義傾向をもつ者は、期待を低めることによって失敗に備え、課題に対する努力を動機づける。また、将来の課題に対して悲観的になることで、失敗するかもしれない全ての可能性についてコーピングを行うことで、結果的に高いパフォーマンスを行うと考えられている。Norem & Cantor (1986b) の調査では激励条件という課題の成功場面と非激励条件というニュートラルな場面を設けて遂行成績の検討を行なっている。課題の成功場面を取り上げた研究は他にも見られるが、課題の失敗場面を想定した実証的研究はあまりされていない。DP者は励まされることによって成績が下降することから、失敗場面に遭遇した際には、さらにコーピングを行うことで、成績が上昇することが考えられる。よって本研究では調査の条件として、課題の失敗場面を設ける。
 また、これまでの防衛的悲観主義に関する研究において、防衛的悲観主義との比較の為に、方略的楽観主義や楽観傾向の者が取り上げられている (荒木, 2008 : 外山, 2005 : 村田・菊島, 2009)。方略的楽観主義は、課題を楽観的に考え、課題達成を行なっていくものとして定義されている。今回の研究でも、防衛的悲観主義との比較として方略的楽観主義を採用していく。


3.防衛的悲観主義

 DP者は、自分の能力を低く見なし、失敗をするかもしれないと予測することで、その失敗を避けようと努力する。また岩永ら(2008) では、DP者は、予測が低く、不安が高い点については悲観主義者と類似しているが、問題焦点型対処を行い、パフォーマンスが高い点では楽観主義者と類似している点に特徴があると言われている。
 物事を悲観的にとらえて不安が高くても、DP者は楽観主義者と同程度の高いパフォーマンスを示す。これは、前もってネガティブな事態を予測することで不安をコントロールし、好ましい結果を得ようと努力をするためである。そして、Showers and Ruben (1990) は、防衛的悲観主義者は低い期待を公にすることで、周囲の人々が抱く自分に対するイメージを守ると述べている。それによって周囲からの否定的な評価を避けようとするのである。また、岩永・横山 (2003) ではDP者は特性不安が高いということが示唆されている。さらに外山 (2011) では、防衛的悲観主義者は、課題に取り組む前に、これから遭遇する遂行場面に付いてメンタルリハーサルをしたり、起こりうるすべての出来事に対するコーピングに広く考えを巡らせたりすることで、高いパフォーマンスを示すことを明らかにしている。
 Seligman (1990) は、悲観主義者は能力以下の成績や業績しかあげられないことを指摘している。ものごとに対する悲観的な捉え方は、不適応であるとされてきた。しかし、防衛的悲観主義方略を用いることは、課題の取り組みという点では適応的である。そのため、特性不安が高い者にとっては、悲観的思考によってパフォーマンスを高めるDPは有効な認知的方略であると考えられる。さらに、DP者は成功・失敗に関わらず内的帰属を行うと言われている (Norem, 2001) 。SO者は、過去の成功経験を認知し、将来に対する期待も高いことから、成功時には内的帰属をし、失敗時には外的帰属を行うという適応的な傾向があると考えられる。これらのことから、課題の失敗による成績や取り組み方にはDP者とSO者の間に違いがあると考えられる。


4.テスト不安

 坂野 (1988) では、テスト不安をテスト場面に対して抱く状態不安としてとらえている。Spielberger (1975) によれば状態不安とは「一時的情動状態としての不安であり、主観的、意識的に受け止められた緊張を伴う」ものであるとされている。Martinら (2001) では、防衛的悲観主義は、失敗回避の欲求と達成への欲求の両方の欲求が複合的に機能し、そのため努力して課題を遂行すると述べている。また、防衛的悲観主義は、高い不安と低い期待を持って課題に臨む認知的方略である (Norem & Cantor, 1986a) 。日本語版対処的悲観性尺度の中にも、「その状況に置いて自分の目的を達成できなくなるのではないかと、よく心配になる」「もしもその状況で大きな失敗をしたらどんな気持ちになるかを、よく想像する」など、課題に対する不安に関連した質問項目が含まれている。これらのことから、認知的方略と不安には関連があると考えられる。そして、目の前の課題に対する不安を測定する上で、テスト不安を用いることは有効であると考える。
 防衛的悲観主義をもつ者は、課題への期待を低く持ち、自らの基準を低くすることで課題が失敗した時に備えて不安をコントロールしようとする。それによって課題に充分に取り組める状況を作ると考えられる。また、楽観傾向の者は、課題への高い期待を持ち、過去の似たような場面でも成功してきたから、次の課題も上手く出来るという認識を持つことで、不安をあまり感じずに課題へ取り組める状況を作ると考えられる。この課題への不安をとらえる指標として、今回の研究では、テスト不安を取り上げる。


5.感情

 Norem & Cantor (1986b) では、課題を遂行した後、激励され再び課題に取り組んだ防衛的悲観主義傾向の学生の遂行成績は低く、激励された楽観主義傾向の学生の遂行成績のほうが高かった。それぞれの遂行成績の変化などから、激励された際の防衛的悲観主義傾向の学生と楽観傾向の学生の感情には違いがあると考えられる。課題の失敗場面において快と不快の感情それぞれの変化を見るため、本研究では快と不快を別次元として扱っている日本語版PANASを用いる。
 また、DP者は課題への期待を低めた状態で取り組むが、SO者は課題への期待を高めた状態で取り組んでいる。そのため、課題遂行後の満足度は、DP者がSO者よりも低くなると考えられる。そして、DP者はSO者よりも、次の課題への意欲が高くなり、不安が高くなると考えられる。外山 (2011) ではDP者がメンタルリハーサルやコーピングによって高いパフォーマンスを示すと言われている。このことから、DP者がSO者よりも課題の取り組み方を工夫しようと意識すると考えられる。よって本研究では、課題への満足度、取り組み方、その後の課題への意欲について尋ねる項目を作成し、比較検討する。


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