問題と目的



1.幸福感への関心の高まり
 近年、先進諸国で経済的な成長が限界を迎え、経済成長が伸び悩むにつれ、幸福感と経済指標が必ずしも一致しないこと、経済的指標が人々の物心の豊かさを測定する物差しとしては必ずしも十分ではないことが指摘されている。これらの指摘から「経済成長=幸せ」という考えが見直され、国の豊かさを示す指標として経済指標のGDP(国内総生産)ではなく個々人・社会全体の幸福感を取り上げようとする動きが出てきた。実際に「世界幸福度報告書2013」において、世界一の経済大国であるアメリカは17位、続く中国・日本はそれぞれ93位・43位という結果であり、「経済成長=幸せ」というわけではないことが示された(国際連合, 2013)。幸福度指標を活用しようとする動きは大きくなっており、経済協力開発機構(OECD)やイギリス、フランス、ドイツでは指標づくりが進められ、日本においても2010年に内閣府で「幸福度に関する研究会」が発足し、2011年12月に指標案が発表された。
 幸福感を取り上げようとする動きがあるのは世界や国だけではない。私たちの日常生活においても県民に対して幸福度調査を行う県があるほか、メディアによる国民の幸福感調査や「幸せ」を特集としたテレビ番組の放送、「幸せ」に関する書籍やブログなど、「幸せ」に関する情報を得る方法は少なくない。
 このような世界や世間の動きから、現代において幸福感への関心が高まっていると言えるだろう。

2.文化的幸福感の検討
 人々は、何をもって“幸せである”と感じるのだろうか。内田・荻原(2012)は「幸せかどうかの判断に思い浮かべられる要因は多層的であるが、すべてのカードがそろっていなければ幸福でなくなってしまうわけではない」と述べている。「お金があること」や「寝ているとき」、「世界中の国が平和であること」など、“幸せである”と感じる要因はいくつかあることが考えられるが、これらすべての要因がそろっていれば“幸せである”と言えるのだろうか。お金さえあれば幸せだという人もいれば、お金がなくても世界から紛争がなくなれば幸せであるという人もいるだろう。または、いくらお金があっても幸せではないという人もいるだろう。このように、“幸せである”と感じる要因は人それぞれであり絶対的なものはなく、幸福感は主観的である(内田・荻原, 2012)と言えるだろう。
 人々がどのようなときに幸福を感じるのか、またどのような人がより幸福を感じているのか、このような個人の主観的幸福感についての問いの前提として、まず人々が幸福をどのように捉えているのかという「文化的幸福観」の検討が必要である(内田・荻原,2012)。
 今までの国際比較における幸福感研究において日本は幸福感が低いことが示されてきた。子安・楠見・de Carvalho Filho・橋本・藤田・鈴木・大山・Becker・内田・Dalsky・Mattig・櫻井・小島(2012)は13ヶ国を対象に「幸福感の国際比較調査」を実施し日本の幸福感が特に低いことを明らかにしており、大石(2009)はPavot & Diener(1993)の調査において人生満足感尺度(Diener et al., 1985)の得点がアメリカの大学生で23-26点なのに対し、日本の大学生は18-22点程度であったことを明らかにした。しかし、これらの幸福感研究では他国で行われた研究をもとにしており、日本でも信頼性や妥当性があるのかという疑問はまだ解決されていない(大石, 2009)。また、有能感や自尊心など、日本人の特徴から考えて幸福感の要因とは言いがたいものも幸福感として捉えている。つまり、これらの結果には文化的差異が考慮されていないのである。大石・小宮(2012)は「幸せ」という言葉が意味する状態が文化によって異なることが主観的幸福感の文化的差異をもたらしているのではないかという批判があると述べている。よって、「日本における幸福」とは何かを明らかにする必要がある。
 日米で幸福の特徴や効果を尋ねた調査(内田・北山, 2005)では、アメリカでは98%の回答が“何事にも前向きになる”“人に優しくなれる”“自尊心が高まる”など幸福についての良い側面になっていたのに対し、日本では良い側面だけではなく、“幸福が続くと、かえって上安になる”“幸福は長続きしない”“周囲の嫉妬を招いてしまう”などの幸福の悪い側面についての回答が30%ほどみられた(内田, 2006)。森田(2002)は幸福への関心や幸福に対する志向性、幸福というものに対するイメージなどを「幸福のとらえ方」と定義し、日本の大学生を対象に調査を行い「幸福のとらえ方質問紙」を作成した。その結果、幸福は日常のささやかな出来事から感じることのできるもの、具体的な目標を設定しそれがかなえられた状態、他者と作り上げたり共有できるものといったポジティブなとらえ方と、幸福は移ろいやすいもの、漠然としたものといったネガティブなとらえ方があることを明らかにした。これより、日本における幸せとは肯定的な側面のみではなく否定的な側面も併せ持つものであると考えられる(熊野, 2011)。

3.日本人の幸福感に関する研究
 日本人が“幸せである”と感じる要因にはどのようなものがあるのだろうか。
 内閣府の幸福度に関する研究会(2011)は10代から70代の国民139吊に対して幸福度指標に関するアンケート調査を実施し、「幸福を標準化するときに重要であると思われること」を29項目の中から5項目選ばせた。その結果、最も多く選ばれた項目は「仕事の満足度や経済的安定」であり、続いて「心の健康」「犯罪の被害の少なさ」「貧困の状況」であった。また、同研究会(2013)は15歳以上69歳以下の国民1万469吊に対して生活の質に関する調査を実施し、「幸福を判断する際に重視した項目」を10項目の中から選ばせた。その結果、「家計の状況」が最も多く、続いて「健康」「家族関係」となった。これより、日本人にとって「経済的安定」と「心の健康」が幸福感を得るための要因であると考えられる。
 2011年の調査結果を年齢別に見てみると10代・20代は「心の健康」が約5割を占めているのに対して30代・40代では「経済的安定」が約5割を占めていた(表1)。また有元・風間(1997)は“幸福と感じる時”について、「仕事」と答える割合が45~49歳の中年層は高いのに対して25~29歳の若年層は低いということを明らかにした。これより、若者と大人では“幸せである”と感じる要因に違いがあり、若者の幸福感は“経済的豊かさ”よりも“精神的豊かさ”によって得られるのではないかと考えられる。
 現代の大人たちは急激な経済復興を遂げた高度経済成長期の時代に生まれ育った。1960年代から1970年代前半は新しい時代のかたちがここから開かれて来るはずだという熱い夢たちが奔騰しており、経済成長が終わりを迎えた1970年代後半から1990年代では経済の安定軌道が追求され、いつからか日本を「先進国」であると意識しはじめるようになった(見田, 1995)。大人たちは経済状況の変化が激しく経済的安定を求める時代を生きていたため、“経済的豊かさ”に幸福感を求めるようになったのではないかと考えられる。それに対して現代の若者はモノに満たされて育ち、デフレ経済の中で「安かろうそこそこ良かろう」といった安くて良質な商品・サービスの恩恵を受けてきた(原田, 2013)。インフラや生活環境といった面では、現在の若者は過去最強の「豊かさ」の中で暮らしていると言える(古市, 2011)。もともと裕福なせいで物欲が育みにくかった上に、経済的に豊かでなくてもある程度良質なモノを得ることができた若者たち(原田, 2013)は、大人たちのように経済的な豊かさに幸せを感じることがなかったのではないかと考えられる。
 若者が“幸せである”と感じる要因について、数多くの研究が行われている。大学生を対象とした邵・堀内・大坊(2007)の研究では、「生活充実感」「恵まれた人間関係」「幸運」「他者の幸福」「家族」と幸福感との間に有意な相関が見られ、家族や周りの人と良い人間関係を保っていること、また周りの人が幸せであり、日常生活においてラッキーなことが多く起こると、幸福感につながることを示唆した。曽我部・本村(2010)の研究では、大学生の主観的幸福感を規定する社会心理的要因の構造は「将来社会への期待」「自他評価の一致」「人間関係における親密性」「生活資源の豊かさ」といった4つの因子によって説明されることを明らかにした。また、有元・風間(1997)は若年層が趣味や家族との対話に幸福を感じていることを示した。これらの研究からも、若者の幸福感は“精神的豊かさ”によって得られるのではないかと考えられる。

4.日本の若者を取り巻く状況と若者の幸福度との関連
 古市(2011)が若者の「幸せ」を支える生活の基盤自体が腐り始めていると述べるように、日本は少子高齢化や財政赤字、領土問題などの他国とのトラブル、就職率の低下などの問題があり、現代の若者を取り巻く社会の状況は悪く、また将来についても良くなるとは言えない状況である。しかしこのような状況にも関わらず現代の若者は幸福感が高いということが明らかにされている。内閣府の「世界青年意識調査」(2004)によると、「いろいろ考えてみて、あなたは幸せですか」という質問に対して「幸せだ」「どちらかといえば幸せだ」と答えた18〜24歳の若者は9割以上であった。また村田・政木(2013)は、NHK放送文化研究所の「中学生・高校生の生活と意識調査2012」の報告において、「今、幸せと思うか」という質問に対して「幸せだ」と答えた中高生が9割以上であることを明らかにした。社会の状況は幸せとは思えない現代において若者の幸福感が高いのはなぜだろうか。

5.日本の若者の価値観
 幸福度の高い若者はどこに幸せを感じているのだろうか。
 松永(2007)は中学生・高校生・大学生・短大生・専門学校生・青年期の社会人を対象に行われた「現代青少年の意識及び生活実態等に関する調査」の結果から、どの年代の青少年も“個人的なものを重視”し“日常生活の上にたった”価値判断が働いていることを明らかにした。片桐(2009)はNHK世論調査研究所が行っている「日本人の意識」調査の生活目標に関する調査の結果から、「世の中をよくする」というような社会に対する目標よりも「自由に楽しく過ごす」「豊かな生活を築く」「なごやかな毎日を送る」といった私生活に対する目標を選択する人が多いことを示し、学生たちは身近で小さな幸せが一番大事であると述べている。また、古市(2011)は政治に対して無力感と無関心を抱き、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする「コンサマトリー(自己充足的)」な価値観を持った若者が1990年代以降増えていったと述べている。豊泉(2010)もNHK放送文化研究所の「中学生・高校生の生活と意識調査」の望ましい生き方を尋ねた項目の結果から、良いと思う生き方が「他人に負けないようにがんばる」生き方から「のんびりと自分の人生を楽しむ」生き方に反転したことを示し、若者はコンサマトリー化を良しとしながらそうした生き方をしだいに可能にしてきたと述べている。
 こうした現代の若者の幸せに対する価値観が変化してきたことに対して、古市(2011)は「幸せ」な今の若者は素朴に「今日よりも明日がよくなる」とは信じることができないからこそ、「今は幸せだ」と言うことができるという解釈を提唱している。古市によると、多くの調査で共通して、「今よりもずっと幸せになる将来」を想定できないとされる高齢者は幸福度や生活満足度が高く、また20代の生活満足度が上昇するのは一般的に「上況」と言われるような「暗い時代」が多いことが明らかにされている。実際、「今日よりも明日がよくなる」と信じることができ、自分の生活もどんどんよくなっていくという希望があった高度成長期やバブル期の若者は生活満足度が低かった。これより古市は、「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのであるという解釈を行っている。つまり、「より幸せ」なことを想定した未来のために生きるのではなくて、「今、とても幸せ」と感じられる若者の増加が、「幸せな若者」の正体であるというのである。ただし、古市の仮説はコンサマトリー化している若者の増加と若者の幸福感が高いことを思索的に結びつけているだけであり、実証的検討はされていない。
 もちろん現代の若者すべてがこのような価値観を持っているとは限らない。今まで行われてきた若者の価値観に関する研究は若者の持つ価値観の傾向を示しただけであり、それらの価値観の傾向がすべての若者に共通して見られるとは考えにくい。また、これらの論は若者の価値観の傾向と若者の幸福感を単に結びつけて「現代の若者はこのような価値観を持っているから幸せである」と述べているだけであり、実証的研究はされていない。

6.本研究の目的
 本研究では、若者の持つ価値観傾向との関連から現代の「幸せな若者」について明らかにすることを目的とする。
 幸福度を高めるための生き方にはどのようなものがあるのだろうか。この問いに答えるために“幸せ”への動機づけをとらえるための尺度である浅野・五十嵐・塚本(印刷中)が作成した日本版HEMA尺度を使用する。HEMA(Hedonic and Eudaimonic Motives for Activities)尺度とは個人や社会全体の“幸せ”を実現するために重要な意味を持っている快楽主義と幸福主義の両方を測ることができる尺度であり、幸福感と関連があると考えられる。本研究で使用する日本版は、ポジティブ感情を覚醒度の軸によって分類するモデルの提案を受け、日常活動において覚醒度の低いポジティブ感情を求めるかを測る「くつろぎ追求」、覚醒度の高いポジティブ感情を求めるかを測る「喜び追求」、自分自身の存在を最大限に生かすことを目指しているかを測る「幸福追求」の3下位因子で構成されている。「くつろぎ追求」と「喜び追求」が快楽主義に基づき自己の心地よさを求めた動機づけを指す快楽追求、「幸福追求」が幸福主義に基づき自分自身の存在を最大限に生かすこと目指した動機づけを指す幸福追求である。現代の若者の幸福感から、“精神的豊かさ”の中でも“くつろぎ”や“やすらぎ”といった覚醒度の低いポジティブ感情による“精神的豊かさ”を幸福感として捉えていると考えられるため、先行研究で指摘されている現代の若者の幸福感は「くつろぎ追求」が高くなることが期待できる。
 若者のコンサマトリー的な価値観を測るために、久世・宮沢・二宮・和田・後藤・浅野・宗方・大野・内山・鄭(1987)が作成し、久世・和田・鄭・浅野・後藤・二宮・宮沢・宗方・内山・平石・大久(1988)によって一部修正・変更された私生活主義を使用する。なお本研究では下位尺度の「身近な事象への関心・社会的事象への無関心」のみを使用する。私生活の充実、私的人生観、他者への関心の低さ、社会的政治的無関心などをさし、社会よりも私生活を重視し、コンサマトリー的な価値観を持っているかを測ることができると考えられる。
 若者の将来や今に対する価値観を測るために、白井(1993)が作成した時間的信念尺度を使用する。時間的信念とは時間的展望に対する個人の価値体系であり(白井, 1991)、将来・現在・過去それぞれに対する価値観を測ることができると考えられる。また、従来の時間的展望に関する尺度では“今のために今を大切にする”ことと“将来のために今を大切にする”ことが混在していたが、時間的信念尺度では「現在重視」と「満足遅延」という下位尺度によって区別がされており、“今”に対する価値観を正確に測ることができると考えられる。将来に対して無関心であるかを測る「将来無関心」、今を大切にしているかを測る「現在重視」、将来のために今に満足せず努力しているかを測る「満足遅延」の3下位因子で構成されている。
 また本研究では幸福感と満足感を区別して扱うこととする。邵・堀内・大坊(2007)は、日本における幸福感研究では、日米における幸福感と満足度の捉え方が異なるにもかかわらず、幸福感を操作的に生活満足度と定義した欧米の幸福感尺度の邦訳版や改訂版が数多く開発され使用されており、これらの尺度は必ずしも日本の現状に即しているとは言えないと述べている。寺崎・綱島・西村(1999)が人生に対する満足感は主観的な幸福感の構成要素であると述べているように、人生満足感は幸福感の一部を構成するものではあるものの、両者は必ずしも同一ではない(大石, 2009)。また、邵らは幸福感は包括的な概念であり、ある程度の時間的安定性と状況に対する一貫性を持つため、満足度で測定されるような変化量では捉えられないと述べている。これより、幸福感と満足感を区別した上で幸福について検討を行う必要があると考える。
 本研究では、幸福感を測るために島井・大竹・宇津木・池見・Sonja(2004)が作成し曽我部・本村(2010)によって改良された主観的幸福感尺度を使用する。自分自身がどれほど幸福であるかを聞く項目で構成されており、主観的な幸福度を測ることができると考えられる。また、満足感を測るために若者の生活満足感を測ることができると考えられる近藤・鎌田(1998)が作成した生きがい感スケールのうち、「現状満足感」の「私は今の生活に満足感がある」という1項目を使用する。

7.仮説
 本研究では以下の仮説を検討する。
 1.くつろぎ追求、喜び追求、将来無関心、現在重視、私生活主義の間にそれぞれ正の関連がある。
 2.幸福追求と満足遅延の間に正の関連があり、それぞれは私生活主義と負の関連がある。
 3.くつろぎ追求傾向、喜び追求傾向、将来無関心傾向、現在重視傾向、私生活主義傾向を持つ若者は幸福度が高く、幸福追求傾向、満足遅延傾向を持つ若者は幸福度が低い。