*問題と目的*



1.はじめに


 友人とは、児童・生徒にとって大切な存在であり、学校生活における多くの時間を友人と過ごし、その中で子どもたちは様々なことを学ぶという意味で非常に重要な意味をもつ。先行研究においても良好な友人関係が学校適応に影響を与えることが示されている(Berndt & Keefe, 1995)。 しかし、青年期における友人関係が学校生活上の問題に発展する場合もある。文部科学省の不登校のきっかけと考えられる状況に関する調査では、小学生では、「不安など情緒的混乱」(33.6%)、「無気力」(20.5%)、「親子関係をめぐる問題」(19.2%)に次いで「いじめを除く友人関係をめぐる問題」が10.8%であるのに対し、中学生では、「不安などの情緒的混乱」(22.1%)、「無気力」(22.0%)に次いで「いじめを除く友人関係をめぐる問題」が16.2%と3番目に多い結果となっている(文部科学省初等中等教育局児童生徒課, 2010)。このことから、小学生よりも特に中学生では、不登校のきっかけとして友人関係に関する問題が大きな要因となっていることがわかる。一方で、五十嵐・萩原(2009)は、中学生を対象とした不登校傾向に関する短期縦断的調査から、学年末までに形成された友人関係が登校への意欲に関与するようになることを示している。この結果から、五十嵐・萩原(2009)は、友人関係など対人関係の側面への援助をこころがけることが「精神・身体症状を伴う不登校傾向」低減に重要であることを示唆している。よって、このような中学生の友人関係は、生徒の適応、不適応を左右する重要な要因であることがうかがえる。



2.友人関係


 友人関係は、発達とともに変化していく。保坂・岡村(1986)は、仲間関係の発達について、ギャング・グループ(gang-group)、チャム・グループ(chum-group)、ピア・グループ(peer-group)という3つの発達段階を提唱している。まず、ギャング・グループとは、小学校高学年頃、思春期の発達課題である親からの分離―固体化のための仲間集団を必要とし始める時期に現れる徒党集団である。外面的な同一行動による一体感(凝集性)を特徴とし、集団の承認が家庭(親)の承認より重要になってくる。ギャング・グループでは、コンパやゲーム、スポーツなど全員で同じ行動をとることによって仲間意識がもてるような状態で、主として言葉のやりとりより行動が優先される。次に、チャム・グループは、中学生あたりによくみられる仲良しグループであり、内面的な互いの類似性の承認による一体感(凝集性)を特徴とする。チャム・グループでは、興味・趣味やクラブ活動で結ばれ、互いの共通点・類似性を言葉で確かめ合うのが基本となる。さらに、ピア・グループは、高校生以上において、チャム・グループとの関係に加えて、互いの価値観や理想・将来の生き方等を語り合う関係が生じてくるグループである。ここでは、共通点・類似点だけでなく、互いの異質性をぶつけ合うことによって、他との違いを明らかにしつつ自分の中のものを築き上げていくことが目標になってくる。異質性を認め合い、違いを乗り越えたところで、自立した個人として共にいることができる状態が生まれてくるのである。「chum」とは、Sullivan(1953)によって提唱された思春期に見られる親密な関係を指し、重要視されている。須藤(2003)は、このSullivan(1953)の提唱したchumshipについて再検討し、9歳〜15歳の頃に、chumshipのような友人関係があったことを示している。さらに須藤(2003)は、chumship体験と自己感覚との関連から、chumshipという親しい二者関係の経験を持ったものが、周囲との疎通性をもち、周囲との不安なき一体感や安心感、自分は守られているという感覚が培われるとしている。つまり、この思春期におけるchumship体験は、安定した対人関係を築いていくうえで重要なものであり、その後の対人関係の構築にも繋がっていくものであると考えられる。青年期において、チャム・グループでみられるような類似性や同質性を特徴とする友人関係は多くの研究で指摘されている。たとえば、「みんなと同じようにしようとするつきあい方」は高校生や大学生より中学生において多くみられることや(落合・佐藤, 1996)、女子では中学生から大学生にかけて、友人との行動や趣味などの類似性に重点をおいた関係から他者を入れない絆をもった閉鎖的な関係となり、その後互いの相違点を理解し、互いに尊重した関係へと変化することが報告されている(榎本, 1999)。しかし、このように友人と同じであるということを求める関係が必ずしもポジティブな効果をもたらすとは限らないことも指摘されている。高坂・池田・葉山・佐藤(2010)は、中学生における同性友人との「共有」と心理的機能の関連について分析している。その結果、気持ちや目標などの“心理的な共有”では、ポジティブな機能をもつ一方で、おしゃべり、部活動、移動行動など“行動的な共有”では、負担感というネガティブな心理的機能が生じていることが明らかになっている。つまり、チャム・グループの特徴である友人との類似性や同質性によって生徒たちにネガティブな影響が生じる可能性があることがわかる。そこでは本研究では、友人関係においてチャム・グループの特徴がみられる中学生に焦点をあてる。


 多くの子どもたちは、学校生活において「仲良しグループ」と呼ばれる仲間集団を形成し、所属していることが報告されている(石田・丹村, 2012, 隅田・島谷, 2008)。このような仲間集団については多く研究でその特徴が明らかにされている。たとえば、青年期前期や中期でみられるグループは、同調性が高く、透過性が低いことや(Gavin & Furman, 1989)、グループ境界の強固性は、高校生や専門学校生より中学生において最も高いこと(石本, 2011)、仲間集団における閉鎖性や凝集性が報告されている(石田・小島, 2009)。つまり、「仲良しグループ」はチャム・グループとしての特徴を持ち、グループにおいて同質な者どうしで集まることを求めるために、他のグループとは境界がはっきりと引かれていることが想定される。 このような仲間集団に所属することが、生徒たちにとって必ずしもポジティブな意味をもつとは限らない。佐藤(1995)は、高校生女子がグループに所属する理由について分析し、複数の友人によって支えられているからという積極的な理由だけでなく、浮いた存在になりたくないからという消極的な理由も持ちながらグループに所属していることを明らかにしている。つまり、生徒たちはポジティブな面だけでなく、ネガティブな面も感じながらも、グループに所属せざるを得ないでいるのである。そういった仲良しグループの問題をきっかけにしていじめや不登校という問題が引き起こされることも少なくない。石本(2011)は、友人関係のあり方として、友人との心理的距離、友人への同調性、グループ境界の強固性と心理的適応、学校適応との関連について検討している。その結果、中学生において、グループ境界が強固であるほど、心理的適応や学校適応が低下することが示された。このことから石本(2011)は、「いつも一緒にいる仲良しグループといわれるような集団に所属していたとしても、そのことが必ずしも心理的適応や学校適応には結びつかず、むしろ不適応に結びつくこともある」と述べており、友人関係が不適応に結びつく可能性を示唆している。つまり、「仲良グループ」としてまとまっており、表面的には仲が良く見えたとしても、そのことについて生徒たちは何らかの悩みや不安、ストレスを抱えながらも仲間集団に所属していると考えられる。表面的には仲良く見えるということは、たとえ生徒が仲間集団の中で悩みや不安、ストレスを抱えていたとしても、教師など外部の者はそのことに気づきにくい可能性が考えられる。よって、複雑な生徒たちの仲間関係をとらえ、理解することは、仲間集団の中で困難を抱える生徒たちを援助するうえで意義があるといえる。



3.排他性


 仲間集団におけるグループ境界の強固性をとらえるひとつの指標として、「仲間集団外の者に対する排他性」という特徴をもつことが指摘され、研究が積み重ねられてきた(たとえば、三島, 2004, 有倉・乾, 2007)。排他性とは、「自分の仲間であるか否かによって相手に対する態度を変えたり、自分の仲間と活動することに比べて、仲間以外の児童と活動することを楽しくはないと感じたりすること」と定義されている(三島, 2004)。この仲間集団外の者に対する排他性について、三島(2008)は、仲間同士の結び付きが強く、仲間集団の成員の流動性が小さく、仲間と仲間以外との者に対する態度の違いが大きい仲間集団の成員がもつ指向性を仲間集団指向性とし、仲間集団指向性尺度を作成している。仲間集団指向性尺度は、二者関係をはじめとした特定のきわめて親しい友人との親密な関係を背景に、その関係には属さない第三者に対する排他的な考え方や行動傾向の強さを示す「独占的な親密関係指向因子」、成員の流動性が小さい固定化した仲間集団に対する指向性を背景に、自分が所属する仲間集団に所属していない者に対する排他的な考え方や行動傾向を示す「固定的な集団指向因子」から構成されている。このような自分が所属する仲間集団以外の者を排除しようという性質は、同質性を重視し、グループで固まろうとするチャム・グループの特徴と一致する。仲間集団の持つ排他性という特徴が、子どもたちの学校適応に様々な影響を与えることが指摘されている。三島(2007)は、女子児童において、「独占的な親密関係指向」を強めた女子児童は総合的適応感覚を低下させていることを示唆している。黒川(2006)は、学級適応には仲間集団内での関係の良好さよりも、仲間集団以外の学級成員との関わりがより強く影響していると述べている。つまり、仲間集団以外の者と関わらず、排他的な考え方や行動傾向をもつ者は、学校生活における適応感を低下させる可能性があり、仲間集団内のみの交流だけでなく、仲間集団外の者とも関わることが重要であると考えられる。有倉・乾(2007)は、個人の感情レベルでの排他性欲求と所属する集団における排他性規範の二つの側面から排他性をとらえて検討し、排他性規範の強い仲間集団にいながら排他性欲求の弱い児童・生徒が最も自集団適応感が低いことを報告している。この結果は、自分自身は排他性が低かったとしても、所属する集団の排他性によって、適応が左右される可能性を示している。三島(2003)は、親しい友人をいじめた体験と排他性の高さとが男女共通して関連していることを示唆している。つまり、排他性は、生徒たち自身の適応のみならず、いじめとも関わるものであることがわかる。よって、中学生における友人関係について検討するうえで、排他性という仲間集団の特徴をとらえることは意義があると考えられるため、本研究では排他性に着目した。


 排他性とは、新しい仲間を受け入れようとしない傾向であり、自分が所属している仲間集団に属していない者に対する概念であるとして、従前の研究では考えられてきた。しかし、仲間集団内においても、そのメンバーが排除される場合があることも報告されている。例えば、須藤(2012)は女子大学生の過去の友人関係の調査で、同性友人関係で難しかったことについて、仲間集団内で誰かを排除したり、悪口を言ったりするなどの「グループ内のいじめ」について触れられているものが多かったと報告している。また、仲間集団で同一であることを絶対的な条件とするギャング・グループやチャム・グループにおいて、短期間に順繰りに仲間からはずされていく仲間はずしが起こることが指摘されている(保坂, 1998)。中学生時期にみられるチャム・グループのような仲間集団は、グループの境界線もはっきり引かれており、さらに同質性も高く、「みんな一緒」であると考えられるが、なぜそのようなグループであっても、グループの中のメンバーの誰かを排除しようとする気持ちが生じるのだろうか。これまで仲間集団外の者に対する排他性について検討した研究は多くみられるが(たとえば、三島, 2004, 有倉・乾, 2007)、管見の限りでは、仲間集団内の者に対して感じる排他性に焦点をあてた研究はみられない。そこで本研究では、仲間集団内のメンバーに対する排他性について焦点をあてる。仲間集団内においてグループの中の誰かを排除しようという動きは、必ずしも意図的であるとは限らない。三島(2008)の仲間集団指向性尺度における「独占的な親密関係指向因子」は、二者関係をはじめとした親しい友人との親密な関係を背景とし、その関係には属さない第三者に対する排他的な考え方を示している。このことから、仲間集団の中でも、その中の一部の者と特に親密になることを望むことによって、その関係に属さない者が結果的に孤立してしまうことがあると考えられる。よって、集団内における排他性を個人の感情的な側面からとらえる際には、仲間集団の中でも一部の者と特に親密になろうとする気持ちも含めて検討する必要がある。なお、仲間集団外の者に対する排他性についての三島(2004)の定義を参考に、集団内における排他性を「自分の仲間集団に所属するメンバーであっても、相手によって態度を変えたり、その中の特定の人と活動することを楽しくはないと感じたりする気持ち」と定義する。排他性のとらえ方は研究者によって異なる。三島(2008)の「仲間集団指向性尺度」では、特性としての排他性を扱っており、相手を排除したいという排他的な感情と実際の排他行動が混在している。他にも、有倉・乾(2007)は、排他性を排他性欲求と排他性規範の二つの側面からとらえている。しかし、より詳細に生徒たちの排他性について明らかにするためには、排他性についてあらためて検討する必要がある。現実には同じ仲間集団に所属する者を排除したいという気持ちを持っているとしても、それが必ずしも行動に現れるとは限らない。排他感情と排他行動は区別して検討する方が妥当であろう。同じ仲間集団の者を排除したいという気持ちをもっている者は、それを実際に行動に移す者よりも多いことが予想され、排他感情に焦点をあてることで、ストレスや不安を抱えながら仲間集団に属している中学生の心理的特徴を理解することができると考える。そのため、本研究では排他性を排他感情に限定して検討する。このような同じ仲間集団に所属するメンバーを排除したいという気持ちは、生徒たちの友人関係や適応に大きな影響を与えることが指摘されている。三島(2003)は、親しい友人からいじめられた体験は、親しくない者からいじめられた体験に比べて友人に対する満足感により大きな負の影響を与えることを示唆している。三島(2003)の調査では、自分をいじめた親しい友人の範囲については指定をしていないと述べられているが、同じ仲間集団に所属するメンバーから排除されてしまった場合も、友人に対する満足感に大きな影響を与えると考えられる。また、大獄・多川・吉田(2010)は、友人グループ内で日々感じる感覚として「誰かと一緒にいることで得られる安心感」とともに「形として群れている状態への漠然とした不安感」とが共存するとし、「壁を越えられない逃げ場のなさ」がより高ストレス状況をもたらす可能性を示唆している。つまり、同じ仲間集団に所属するメンバーに対して、一緒にいたくないと感じながらも一緒に居ざるをえないことが、生徒たちのストレスにつながる可能性がある。よって、同じ仲間集団に所属するメンバーから排除される側、同じ仲間集団に所属するメンバーを排除しようとする側双方にとって、仲間集団内の排他性について詳しく検討することは意義があるといえる。


 三島(2004)が定義するような仲間集団外の者に対する排他性は、グループのまとまりたいという気持ちを示すと考えられる。しかし、そこに同じ仲間集団に所属する者を排除したいと思う集団内の排他性という要因が加わった場合、グループとしてまとまりたいが、一方で、グループのメンバーの誰かを排除したいという葛藤が生徒たちの中に生じることが想定される。三島(1997)は、「学級内の多くのインフォーマル集団の排他性が高いということは、自分が所属している集団を排斥された場合、孤立化する可能性が極めて高いということを意味している」と述べている。大獄・多川・吉田(2010)は、女子において青年期前期では、「一人で過ごすことへの不安感」があり、一人で過ごすことは、よりいっそう「壁が明確であるがゆえの一人で過ごすことの居づらさ」を実感することを示唆している。つまり、生徒たちは学級における仲間集団の排他性が高かった場合、一人で過ごすことに対し、強い不安を感じていると考えられ、たとえ自分の仲間集団に所属するメンバーに対して一緒にいたくないという気持ちを抱いたとしても、そのグループに居ざるを得ないと感じながら仲間集団に所属している可能性がうかがえる。そこで、本研究では、仲間集団外の者に対する排他性と仲間集団内の者に対する排他性両方から中学生の仲間集団をとらえ、その関連についても検討する。三島(2013)では、仲間集団指向性と学級雰囲気との関連について検討し、固定化した仲間集団に対する指向性を背景にした仲間集団外の者に対する排他性を示す「固定的な集団指向」を強めることが、間接的に二者関係をはじめとした特定のきわめて親しい友人との親密な関係を背景に、その関係に属さない者に対する排他性を示す「独占的な親密関係指向」を強めることが男女共通してみられたことを報告している。つまり、仲間集団として固まろうとする気持ちが高いほど、その仲間集団内の中でも一部の者と特に親密になろうとする気持ちも高まることが予想される。また三島(2003)では、親しい友人をいじめた体験と排他性の高さとが男女に共通して関連していることを示している。これらのことから、仲間集団外の者に対する排他性が高い者ほど、仲間集団の中で、特定の者を排除したいという気持ちや、その中の一部の者と特に親しくしたいという気持ちが高いと想定できる。



4.集団内排他性と関連する個人の要因


 では、同じ仲間集団に所属する者を排除しようという動きはなぜ生じるのだろうか。この点については、これまでグループのメカニズムという観点から、いじめ研究の中で取り上げられてきた。チャム・グループを形成する時期にみられる陰湿ないじめは、自分たちの集団のまとまり(凝集性)を維持できないために「スケープゴート(いけにえ)」としていじめの対象が必要であることが指摘されている(保坂, 1998)。グループの閉鎖的・排他的特質として見出される、何かを排除することによって内部に引き起こされるグループのメカニズムは、個々の存在を委託すべきグループの結束・安心感を高める働きももつのである(三好, 1998)。つまり、「集団内いじめ」のような自分たちの仲間集団の中から誰かを排除しようとする動きも、自分たちの仲間集団の同質性を高めようとする気持ちから、異質とみなされる者を排除することによってさらに仲間集団の凝集性を高めようとする動きであると考えられる。このように、これまで仲間集団の中から誰かを排除しようとすることについて、仲間集団としての要因は検討されてきているが、どのような個人が仲間集団の中から誰かを排除したいという気持ちをもつかという、個人の特徴は明らかにされていない。そこで本研究では、仲間集団としての特徴ではなく、仲間集団内における排他性に関連すると思われる個人の特徴に焦点をあて、排他性に関連する要因を検討する。



5.コンピテンス


 仲間集団内における排他性に関連する要因について、「コンピテンス」に着目した。現代青年の対人関係に関するストレスの原因は直接的な衝突によるものよりも良好な関係を維持するためのコストや、それがうまくできない劣等感が中心となっているということが示唆されている(橋本, 1997)。よって、「うまくできない」「自信がない」というコンピテンスの低さが友人関係に関連する可能性がある。排他性とコンピテンスの関連について検討するうえで、「仮想的有能感」の研究が参考になる。仮想的有能感とは、「自己の直接的なポジティブ経験に関係なく、他者の能力を批判的に評価、軽視する傾向に付随して習慣的に生じる有能さの感覚」と定義され (速水・木野・高木, 2004)、Hayamizu, Kino, Takagi, & Tan (2004)は、仮想的有能感尺度を作成している。小平・小塩・速水(2007)は、仮想的有能感と自尊感情との組み合わせによって、仮想的有能感と自尊感情が低い「委縮型」、仮想的有能感が低く、自尊感情が高い「自尊型」、仮想的有能感が高く、自尊感情が低い「仮想型」、仮想的有能感と自尊感情が高い「全能型」の4つのタイプに分類し、「仮想型」が日常生活の対人経験において抑鬱、敵意感情の両方を強く感じていることを報告している。さらに、松本・山本・速水(2009)は、「仮想型」・「全能型」では、身体的いじめ、言語的いじめ、間接的いじめ加害経験者が有意に多いことを示し、仮想的有能感が高い人は蓄積されたストレスを緩和するために、「自分より下」と思っている相手にいじめを行うことを示唆している。これらの知見を踏まえると、自分に自信がなく、他者を軽視する傾向が強い者は、「自分より下」である他者に対して敵意を抱いたり、いじめを行うことで、優越感を感じたり、自分の立場を安定させようとすることが想定できる。よって、仲間集団内においても、自分に自信がなかったり、うまくできないと感じたりしている者は、同じ仲間集団に所属するメンバーであっても、排除したいという気持ちを持ち、そのことによって自分が優越感を感じたり、仲間集団内における自分の立場を安定させようとしている可能性が考えられる。一方で、自分に自信を持ち、価値があると感じている者は、他者も受容でき、安定した友人関係を構築できると考えられる。高井(1999)は、他者との関わりを楽しみ、人をありのままに受け入れることができる寛容さや他者への共感性を持って生きる他者受容的な人は、自己を受容できており、自己の存在価値意識を自覚できている様子を示唆している。つまり、自分に自信があり、価値があると感じている者ほど、仲間集団内においても友人を受け入れることができ、誰かを排除したいという気持ちは持ちにくいことが想定される。



6.規範意識


 仲間集団内での排他性について関連すると考えられるもうひとつの要因として「規範意識」を挙げる。三島(1997)は、集団内いじめの生成と進行に関して、いじめる側の子どもは、いばる、約束を破る、友だちを独占しようとする、などの“問題行動”を改めさせることを攻撃の理由とすると述べている。黒川・大西(2009)では、いじめ加害傾向を動機別に検討した結果、いじめの対象が集団内・集団外に関わらず、こらしめのいじめが最も起こりやすいことを報告している。さらに、井上・戸田・中松(1986)は、その理由ならいじめても「むりはない」「かまわない」とされるものを許容度とし、許容度の高いいじめは、自分勝手だから、うそをついたからなどの「こらしめ」のいじめであることを報告している。つまり、“問題行動”など、相手が排除される理由を持っていると認識した場合、相手を排除することに対して正当性を感じやすく、そのような秩序やルールを守ろうとする規範意識が、仲間集団内において誰かを排除したいという気持ちに関連するのではないかと考えられる。このような規範意識による誰かを排除したいという気持ちは、悪いことであるという認識というよりむしろ、正しいこととして認識されている可能性がある。本間(2003)では、いじめ加害者によるいじめ停止について、いじめやいじめ被害者に対する道徳・共感的認知や感情との関連を示し、加害者のいじめ停止には、いじめ問題に焦点をあてた道徳・共感的な認知や感情を高める取り組みが効果的であることを指摘している。しかし、このような規範意識によって誰かを排除しようとする傾向が認められた場合、共感性があったとしてもそのことが必ずしも誰かを排除しようとする気持ちの低減には結びつかないことが予想される。そのため、仲間集団内における排他性と規範意識との関連を明らかにすることによって、仲間集団の中から誰かを排除しようという動きに対して、共感性を高めること以外の指導やアプローチの有効性を検討するきっかけとなる可能性がある。



7.性差


 友人関係における性差については、多くの研究で報告されている。たとえば、男子より女子の方が同性友人関係をサポート源として認識していることが報告されているが(Furman & Buhrmester, 1992)、一方では、女子は男子と比較して友人関係を含めた対人関係について特にストレスを感じやすいことも示されている(廣岡・森田, 2002)。友人とのつきあい方についても、性差が報告されている。長沼・落合(1998)では、青年期女子は互いの個別性についての自覚が薄いベッタリとくっついた関係である一方で、男子は同性の友だちとは内面を隠した分離したつきあい、いわば防衛的なつきあい方をしていることが示されている。落合・佐藤(1996)は、女子はお互いがひとつになるような関係を望んでいるが、男子は自分に自信をもち、友だちと自分は異なる存在であるという認識をもって友だちづきあいをしていることを示唆している。これらの知見から、女子は友人との同質性を重視したつきあい方であるのに対し、男子は友人との距離を保ったつきあい方をしていると推察できる。しかし、このような性差は中・高校生では性差がみられるが、大学生ではみられないという報告もある(落合・佐藤, 1996)。さらに、友人関係における感情や態度にも男女間で違いがみられる。杉浦(2000)は、親和動機を拒否不安と親和傾向の2つからとらえた結果、拒否不安は女子では中学生が高校生、大学生より高く、中学生、高校生では女子が男子より拒否不安が高いことを示している。大獄(2007)は、「学校などの集団内におかれた状況において、『無理にでも友だちをつくり、うまく関わっていかなければいけない』という、対人関係のあり方に関する規範意識」を「ひとりぼっち回避規範」とし、中学生女子を対象に検討している。三好(1998)は、ひとりでいることで異質なものとされがちで、阻害されたり排除されたりするため、女の子グループの中でうまくやってゆくためのストラテジーとして欺瞞的とも言える同調的関わりを示している。つまり、中学生時期において、特に女子は、拒否されてひとりになることを極端に恐れ、表面的で同調的な友人関係を築いていることが推察できる。そのため、女子の方が友人関係においてのストレスも多く感じていることが予想される。その他、仲間集団のサイズについても性差がみられ、女子の仲間集団は男子にくらべて小さく閉鎖性が高いことが示されている(石田・小島, 2009)。さらに、男子は遊びを共有すること、女子は他者を入れない固く親密な絆を友人との間で築くことが友人関係に安定感をもつことができるという知見から(榎本, 1999)、男子は遊びを共有することでだれとでもつながることができるため、仲間集団の境界もはっきりとはしておらず、仲間集団のサイズも大きいことが予想されるが、女子は、仲間集団における親密さを重視し、仲間集団の境界をはっきり引くことで固まろうとするため、仲間集団のサイズは小さくなることが想定できる。また、石田(2003)は、中学生の交友関係の縦断的な調査から、交友関係の形成過程について、男子は、校内での多くの交友関係を維持しながら、校外でも交友するような親密な関係を広げていくのに対し、女子は、校外でも交友できる親密な関係の形成にともなって、交友範囲を縮小させることを示唆している。このことから、友人関係の形成過程やその広がりにも男女差がみられるといえる。


 排他性についても、性差がみられることがいくつかの研究で明らかにされている。たとえば、有倉・乾(2007)では、女子は男子よりも排他的な友人関係をクラス内で作っていることが示されている。三島(2008)においても、特定の親しい友人との親密な関係を背景に、その関係には属さない第三者に対する排他的な考え方や行動傾向の強さは、男子に比べて女子の方が強いことが示されている。よって、本研究においても、仲間集団外の者に対する排他性は女子の方が強いことが予想される。これまで、仲間集団内における排他性についての性差は報告されていない。しかし、先行研究において、「集団内いじめ」は小学校高学年の女子に多くみられると言われており (三島, 1997)、相手の友人関係などにダメージを与える関係性攻撃は男子より女子に特徴的であることや (Crick & Grotpeter, 1995)、男子では力を背景としたいじめが多く認知される一方で、女子では仲間外れ、無視など集団から疎外するタイプのいじめが多く認知されていることが明らかにされている(井上・戸田・中松, 1986)。よって、仲間集団内において、誰かを排除したい、という気持ちも男子より女子の方が高いと考えられる。以上のように、仲間集団における性差が様々な点から述べられているが、学校現場において仲間集団における問題を指導する際にも、性差を踏まえた指導をするべきであるため、本研究においても性差について検討する。



8.目的


 以上のことから、本研究の目的について述べる。まず第一に、これまで仲間集団外の者に対する排他性については多くの研究がなされているが(三島, 2007, 有倉, 2011)、仲間集団内者に対する排他性については、焦点があてられていない。そのため、仲間集団内における排他性を測定する尺度を作成し、その構造について明らかにする必要がある。加えて、仲間集団外の者に対する排他性との関連について検討することで、仲間集団内における排他性についてより詳細にとらえることができると考えられる。第二に、これまで仲間集団の中から誰かを排除しようとする動きは、グループのメカニズムという観点から取り上げられてきた。しかし、仲間集団としての特徴でなく、仲間集団内における排他性に関連すると思われる個人の要因について検討することによって、従来とは異なる仲間集団や友人関係の指導やアプローチの可能性を検討するきっかけになると考えられる。よって本研究では、仲間集団内における排他性とコンピテンス、規範意識との関連を明らかにする。また、本研究で得られた結果をもとに、中学生の仲間集団における問題について、どのような指導やアプローチが有効かについて検討する。