1.はじめに
授業場面や授業で扱う課題に対し、児童の学習に対する内発的動機づけを高めるため、その学習または課題自体にひと工夫し、児童に学習に対して「面白さ」を感じさせ、学習に対する児童の興味・関心をより高め、学習促進を図ろうとする動きもみられる。
このように教育現場や学習場面には、教師、教材、環境、学習方法など学習に効果的な影響を与える要因が数多く存在し、研究されている。どのように学習を組み立てれば、または、どのような教材を用い、どのような学習環境を整えれば、より学習を効果的に進めることができるかが議論されている。その中でも学習場面における個人の感情に着目した研究が存在する。
近年、そのときの個人の感情、気分が対人行動や学習に与える影響について、認知発達心理学において数多く研究されている。
学習を効果的に行うためには、どのような感情の中で学習すればよいのだろうか。学習する際、自己の感情を操作し、学習に適した感情の中で学習することができれば、効果的に学習を進めることができるのではないだろうか。
「わくわくする」「おもしろい」といった気持ちで勉強すると、なんだかやる気が高まったり、頑張ろうと思えたりする。それとは逆に、「つまらない」とか「なんだか悲しい」といった気持ちで取り組むと、やる気が起きなかったり勉強が手に付かず、なかなか集中できなかったりしたことがある。
また、学習に対し、「わからないから不安だ」「まちがえないか心配だ」「つまらない」というようなネガティブな感情を持って臨むよりも、「おもしろい」「楽しい」といったようなポジティブな感情を持って臨む方が、より集中して取り組むことができたり、集中が継続したりするように感じられるし、学習中に感じるストレスも少ないように感じる。
一方で、「楽しい」や「おもしろい」といったポジティブな感情を抱いているときに、なかなか目の前の勉強に集中できず、ずっとその「わくわくした」気分でボーっとしてしまうというような「楽しいな」と感じているときに、勉強が手に付かなかったりすることもある。
このように、そのときに感じている気持ち、抱いている感情によって、物事に対する考えや見方、または行動の内容も変わってくるのだろうか。
これらの体験から、学習と感情は関連があると考えられる。今までの体験から、数ある感情の中でも、「楽しい」「おもしろい」などのポジティブ感情が一番学習に効果的に働くのではないかと考える。よって、感情の中でも特にポジティブ感情に注目したい。
では、本当にそのときの個人の感情、とくにポジティブな感情が学習活動に影響を与えるのだろうか。
また、効果的な学習方法の一つとして、協同学習が挙げられる。協同学習については、日本協同教育学会が存在したり、さまざまなワークショップが行われたり、それに関する書籍や研究校による実践などが多く存在するなど、今注目されている学習方法である。
この協同学習をより効果的に行うには、教材や課題、教師の指示などさまざまな環境要因や取り組む個人のやる気であったり集中力などの内面的な要因を整えることが考えられる。学習中の感情によってそのときの学習の取り組み方が変わるのであれば、協同学習に取り組んでいる最中の個人の感情も大きな影響を与えるのではないだろうか。
これらのことより、ポジティブ感情を持って協同学習にかかわると学習効果が上がるのではないだろうかと考える。
2.学習に影響する要因
2-1.感情について
私たちが体験する感情経験には、「なんとなくわくわくする」というような比較的穏やかな感情状態や、「飛び上るほど嬉しい」というような激しい感情状態が存在する。山本(2001)は、前者のような比較的穏やかで原因が明確には意識されない持続的な感情状態を「気分」といい、後者のような一過性の激しい感情状態は「律動」と呼ばれ、気分とは区別されていると述べている。
Fredrickson(2001)は、情動(emotion)は特定の対象をもち、短時間しか接続せず、主観的経験だけでなく表情や生理的変化ももたらし、恐れや怒りなどの別々のカテゴリーに分類されるが、感情(affection)は、特定の対象を持たず長時間持続し、主観的経験のレベルでのみ現れると述べている。
このように感情状態には2つの種類がある。場面想定法によって感情を操作した藤原・大坊(2009)では、この感情操作より生じた感情が情動と定義するほど強度の強いものになるとは考えにくく、気分と定義するほど長時間持続するとも考えにくいと述べ、長時間持続するかどうかという点から、「気分」ではなく「感情」を用いることとしている。
本研究で取り扱う感情についても同じ理由から「感情」を用いることとし、「比較的穏やかで特定の対象を持たず、原因が明確には意識されない持続的な感情状態」とする。
さて、Fredrickson(2001)は、快と活性などの2次元で概念化されると述べている。
感情にはさまざまな種類が存在するが、快と覚醒(または活性)の2軸による2次元構造とした場合、感情は、「わくわくした」や「活気のある」などの『快・高覚醒』、「落ち着いた」、「ゆったりした」などの『快・低覚醒』、「おびえた」、「ぴりぴりした」などの『不快・高覚醒』、「退屈」、「ぼんやりした」などの『不快・低覚醒』の4つのカテゴリーに分類することができる(町田, 2010)。そして町田(2010)では、この4つのカテゴリーの中の『快・高覚醒』と『快・低覚醒』をポジティブ感情とし、扱っている。
本研究でのポジティブ感情とは、この4つのカテゴリーのうちの「快・高覚醒」を示すものとする。
2-2.学習と感情
そのときの感情がその人の考えや行動に大きく影響を与えることは多くの分野、研究で明らかとなっている。その中でも、学習と感情の関係についての研究は数多く存在する。
認知に関連して、ポジティブ感情は、自己内にある多様な知識の使用を促すので、ポジティブ感情を生起している場合には、自分が持っている様々な知識を利用しながら外的情報に対応できるようになり、その結果、外的情報の持つ様々な側面に気付きやすくなり、外的情報に柔軟に対応できるようになるとされている(Fielder, 2001)。
肯定的感情が英単語の記憶に及ぼす促進的影響に着目した生田(2008)の研究によれば、被験者が「笑い」によって肯定的感情になることで、記憶の再生率の平均値が高まる傾向があるという結果が示された。
認知過程が何らかの影響を受け、英単語の記憶が苦手な学生の記憶率を上げた可能性が示唆された。生田(2008)の研究では、「笑い」による肯定的な感情が単語再生に影響を与えた要因の一つとして、被験者の抱える学習阻害要因である「不安」が肯定的感情によって低減されたためであるという可能性についても述べられている。これはリバーサルセオリーに基づくものであり、「笑い」によってメタ認知状態はTelic(目標追求の生真面目モード)からParatelic(楽しみ優先モード)にリバースしたためではないかと考えられ、高覚醒の不快であるほど快であるのではないかと述べられている。
リバーサルセオリーとは、動機づけ状態が違えば、同じ状況に対して同一人物でも違った認識を持つという、メタ認知的側面が重視されている理論である。この理論によれば、学習場面で想起したポジティブ感情が、その時点まで持っていた感情を低減させたりなどの変化をもたらし、感情だけでなく、そのときの思考や後の認知的な行動にも影響を与えるとしている。生田(2007)はこの理論について、今までの他の理論と決定的に違い、動機づけの状態を静的なものとみなさず、ダイナミックな常に変動する心理的過程と考えている。この理論には4つの対比する動機づけスタイルが存在する。教育に関係が深いスタイルとして、目標追求の真面目モードをTelic、目的を脇に置いた活動中心の遊戯モードをParatelicと呼ぶものがある。この対比する2状態は決して共起することはない。Paratelicでは高覚醒は快感情を引き起こし、低覚醒は退屈を感じさせる。一方、対比するTelicでは高覚醒は高不安を引き起こすが、低覚醒はリラックスを感じさせる。では、高覚醒の快感情を引き起こすParatelic状態になるには何が必要となるのか。生田(2007)は、Paratelicな状態では、「安全を確実にしてくれるもの」としてプロテクティブフレームが存在し、高覚醒の快感情を引き起こすためには、プロテクティブフレームという認知上のフレームの存在がなくてはならないとされている。また、Telicが優勢な人とParatelicが優勢な人がいるが、Telicが優勢な人でも、きっかけさえあれば一時的状態としてParatelicが優勢な状態に変化するのであると述べている。
また、気分状態と課題継続時間の長さが、解決の様々な可能性を探るような拡散的な思考を必要とする発散的思考課題によって創出されるアイディア数にどのような影響を与えるかに着目した池田(2012)の研究では、活性アラウザルの高い女性において、ポジティブ感情価がネガティブな感情価に比べ、アイディアの生成を促すことが確認された。
また、この研究によれば、感情の影響には性別によって異なるということや、ポジティブ感情、快感情の覚醒レベルによっても影響の度合いが異なることがわかる。このことから、ポジティブ感情が学習にどのように影響しているか、性別や覚醒レベルにおいての影響の違いの可能性も考えられる。
Fredrickson(2001)は、ポジティブ感情の拡大‐構築理論(broaden-and-build theory)を提起している。拡大‐構築理論では、ポジティブ感情はその時々の思考‐行動レパートリーを広げ、個人の資質を高める。ここでの思考‐行動レパートリーは、注意、認知、好意、思考のレパートリーを指し、個人の資質には、健康や寿命などの身体的資質や、レジリエンスなどの心理的資源だけでなく、友達関係やソーシャル・サポートなどの社会的資質や、専門的知識や知的複雑性などの知的資質も含まれている。
このように、ポジティブ感情が学習に正の影響を与えていることが明らかになっている。しかし、その一方でポジティブ感情の負の影響、ポジティブ感情のネガティブな側面も報告されている。
Aspinwall(1998)は、ポジティブ感情が注意を低下させ、浅い処理をもたらすことを指摘している。これは理由として、ポジティブ感情が、すべてが順調であるという安全信号を意味し、環境への注意は必要なく、負の情報などはポジティブ感情を損なうということから避けられる傾向をもつことが考えられている。
また、認知や情報処理の観点から、Park&Banaji(2000)は、ポジティブ感情が高い人は普段から頻度高く使用している方略や基準をもって自動的に情報を認知・処理しているのに対し、ネガティブ感情が高い人は注意深い認知・処理を追求していると述べている。
このように、ポジティブな感情とネガティブな感情のどちらもが、それぞれ学習を促進させているというように、両者の研究がそれぞれ存在する。ただし、これらは二種類の認知・処理の度合いが異なるため、結果が一貫していないのではないかと考えられる。すなわち、ポジティブ感情が高い人は浅く、ネガティブ感情が高い人は深いというように処理の度合いが異なっているため、結果が異なるのではないだろうか。感情そのものの影響がみられる結果を得るためには、認知・処理の度合いを同等なもので検討する必要がある。
そのためには、ポジティブ感情が高い人も、ネガティブ感情が高い人と同じように、認知・処理の度合いの高いものにする、つまり、与える課題やその学習環境に対して、ポジティブ感情が高い人も深い認知・処理をしようとするような工夫が必要である。これについては、協同学習という手法を用いることや、課題に答えが複数存在するものを時間内でできるだけたくさん考えてもらうことで、ポジティブ感情が高い人でも深い処理・認知にすることができ、度合いを合わせることができるのではないだろうか。
これらのことから、ポジティブ感情は学習に対して、良い影響も与え、悪い影響も与えると考えられる。しかし、これらはすべて「一人での学習場面」であり、個人での学習場面で起こりうることである。では、一人ではなく複数人、集団で学習する場面、協同学習場面ではどうだろうか。ポジティブ感情は学習に対して同じような影響を与えるのだろうか。
2-3.協同学習と感情
教育現場では、その児童の個性や学習のレベルなど、できる限り一人ひとりの児童に合った教育を行うために、グループ活動や少人数での授業展開といった取り組みなど、小集団での学習活動が多くみられるようになった。その中でも、「協同」による学びが広く取り入れられ、注目されている。実際に協同学習を授業に取り入れ、学習を進めていく例は数多く存在し、協同学習を取り入れた授業を大学においても多く体験し、教育実習では実習先の児童生徒に対してそのような授業を行った。
協同学習とは、教育の基本的な考え方を体系的に示す教育理論であり、教育の原理だといえる。また、協同学習はひとつの理論があるわけではなく、一人ひとりの研究者または実践者によってその理論や手法、定義が異なることもある。
Johnson, Johnson, &Holubec(1993)によると、「協同学習とは、小集団(small group)を活用した教育方法であり、そこでは生徒達が一緒に取り組むことによって自分の学習と互いの学習を最大限に高めようとするものである」と定義されている。
杉江(2011)は、「協同学習は、授業の進め方の技法に関する理論ではなく、学校すべての場面における子どもの学習に対する支援の基盤にある基本原理に関する理論」だと考えている。また、「協同とはグループメンバーが全員同時に到達できるような目標が設定されている事態を言い、競争とはメンバー内ひとりでも目標に到達したら他の成員は目標に達することができない事態をいう」と協同と競争の違いを明らかにし、これを学習に即して言い換え、「学習集団のメンバー一人ひとりの成長が互いの喜びであるという目標のもとで学習する場合が協同であり、学習集団の中で誰が一番かを目標にして競い合う場合が競争」だと述べている。また、「『集団の仲間全員が高まることをメンバー全員の目標とする』ことを基礎に置いた実践すべてが協同学習」だと述べ、「『学び合い、高め合い、認め合い、励まし合う』学習活動を協同学習だと言うこともできる」と述べている。
これらのことから、協同学習とは、個人での学習とは異なり、メンバー同士が互いのことを意識し、助け合い、協力しながら学習することが必要であり、それによって互いに学びを深め、自らの力を高めていくことができると考えられる。つまり、個人での学習では必要のない知識やスキル、行動が必要となることがあると考える。「みんなで一つのことについて考える」、「他者を意識し、助け合ったり協力しながら学びを深める」というような協同学習ならではの学習の取り組み方や考え方があり、それに取り組む際には、どのようにしたら上手く自分の意見を伝えることができるか、相手を受容し、話しやすい雰囲気をつくるには、また相手をここで助けるにはどうしたらよいかという知識に併せて、自分の思っていることを上手く伝えたり、相手の意見を尊重したりするなど実際に行動するためのコミュニケーション能力も必要となるのではないだろうか。このように、個人での学習場面と協同学習場面で異なることが多くある中で、個人の学習場面での実験結果が、協同学習場面でも同じように見られるのだろうか。別の結果がでるのではないだろうか。また、協同学習ならではの結果が見られるのではないだろうか。
ところで協同学習のときに重要になってくるこれらのスキルとポジティブ感情には以下のようなことが明らかになっている。
藤原・大坊(2008)の研究では、笑いによるポジティブな気分が、後のコミュニケーション行動の頻度に影響しているという結果が一部でみられた。この研究では、ポジティブ感情を「活動的快」と「非活動的快」の2因子に分類して検討されており、ポジティブ感情への気分誘導後の会話場面で、女性では活動的快群で会話中の頭や右手の動きの頻度が大きく、男性では活動的快群で動きの頻度が小さいということが明らかとなった。この研究から、ポジティブ感情がコミュニケーション行動にも影響を及ぼすとともに、男女差や覚醒レベルによる差も生じるとも考えられる。
また、原田(1984)は、ポジティブ感情が援助行動を促進することを示唆しており、ポジティブ感情には認知的機能だけでなく、対人的な機能もあることを示している。
このことから、ポジティブ感情は対人的、特に他者を援助することにも影響を与えていることが明らかとなっている。
協同学習場面におけるポジティブ感情の影響について研究した奈田・堀・丸野(2012)によれば、ポジティブ感情は、パフォーマンスの改善に効果があること、より自己修正行動を行うことを明らかにし、「ポジティブ感情は、その活動に従事させるとともに、相手の考えや意図理解に対する認知的柔軟性を高め、自分の新たな視点からの捉え直しを促すことで、自己の知識構造を再構成していくといった認知的営みを推し進めている」と述べている。このことから、協同学習という複数人で行う学習活動においても、ポジティブな感情が行動、また認知の側面にも影響を与え、それが結果として協同学習をより効果的なものとしているといえる。
しかし、奈田・堀・丸野(2012)では、他者とのやりとりを通じて生起するポジティブ感情について扱っており、ポジティブ感情を「他者と一緒に課題を行っていくことに対する楽しさ」としている。
また、この研究は、協同問題解決に着目しており、パフォーマンスの改善回数や自己修正行動の回数などの行動として現れている部分しか検討されておらず、その内面にある動機づけや課題追求の度合い、参加態度などの協同学習場面での様子、印象などの側面からは検討されていない。
それに併せて、対象は小学3年生であり、この結果が中学生や高校生、大学生まで有効であるかは明らかではない。
3.本研究の目的
本研究では、学習と感情の関係、中でも、協同学習とポジティブ感情の関係において、協同学習場面の参加態度といった様子や印象、また、動機づけや課題追求の度合いの側面に着目し、検討する。
その際、Isen& Simmonds,(1978)では、ポジティブ感情を喚起された者は、見知らぬ人を援助するという課題が自分たちの抑うつ気分を高めるといった、何らかの危険性を孕んだり、自分の損失となる可能性のある場合では、統制群に比べて援助することが少ないと示唆されているためそれに注意する。
なお、ポジティブ感情を生起させる感情操作については、協同学習で取り組む学習課題に、場面例としてユーモアのある漫画を使用することによって感情導入を行い、この課題をポジティブ感情を生起させる課題(以下ポジティブ課題とする)として扱う。