問題と目的




3.心理療法としての筆記

 日記は個人が自発的に行うだけでなく、すでに心理療法にも用いられている。
 神経症(不安障害)に対する代表的な精神療法である、森田療法の外来治療において用いられている。
 森田療法は森田正馬によって創始された精神療法であり、森田療法では今の状態をそのまま認める姿勢を良しとし、不安や苦痛、恐怖は人間が生きている限り、当然あるものだと考えている(長谷川, 2009)。
また、神経質患者が悩んでいるのは、当たり前のことを悩んでいるにすぎないのであって、その事実に気づいたら悩みながら生きていけばいいではないか、その事実を患者が知れば、もはや悩みは悩みでなくなるとしている(長谷川, 2009)。
 日記は、森田療法の中でも外来治療、また入院治療の軽作業療法期に用いられている(熊野, 1978)。
 軽作業療法期において行われる作業は注入的、他動的にはさせず、活動への欲求が、実際の作業量を上まわるくらいのところで押さえ(阿部, 1987)、治療者自身の自発性を重んじている。

 森田は日記について、

1.患者の生活態度、関心事、症状の変化がだいたい分かる
2.患者にとってもそれが反省の機会となる
3.大人数を治療する場合、いちいち面接する時間と労力を省くのに役立つ

という点を考慮していたという(阿部, 1987 ; 高良, 1965)。

 また日記筆記にあたっては「思うように書け、但し、症状の苦しさを訴えてはいけない」と指導していた(阿部, 1987)。
 日記指導は患者の反省の助けとなるとともに、医師と患者との心のふれあいを強固にする上で非常に有効な手段となっている(長谷川, 2009)。

 浅沼(2011)は森田療法で行われている日記指導について、日記の書き手にとって深く人間関係を築く経験、人に受容される経験、同じ仲間の共感を得る経験、あるがままの自分を受け入れる経験、自己肯定感の獲得などが経験できると述べている。

 また、近年、Pennebaker(1997)、Pennebaker & Beall(1986)によって提唱された筆記による感情開示法(written disclosure, expressive writing:以下筆記開示とする)の効果が検討されている。
 筆記開示では、主にトラウマ経験をテーマとした筆記が15から30 分程度、連続する3から5 日間にわたって実験室内で行われる(Pennebaker & Beall, 1986 ; 佐藤, 2012 ; 大森, 2013)。
 筆記開示は、これまで直面することを避けていた体験に注意を向けさせるために、短期的には生理的な覚醒やネガティブ気分を高め、ポジティブ気分を低下させるが、中長期的には大学生の免疫機能を向上させ、病気で保健センターを訪れる回数を激減させたり(Pennebaker & Beall, 1986 ; Pennebaker et al., 1988)、喘息患者の肺機能を改善したり、リューマチ性関節炎患者の症状を緩和したりする(Smyth et al., 1999)。
 一般的に筆記開示は精神的健康よりも身体的健康に強い効果を与えるが、差し迫った試験に関する侵入思考と抑うつ症状との関連を弱める(Lepore, 1997)といった精神的健康への効果や、ネガティブな反すうを減少させたり(荒井・湯川, 2006)、侵入思考と思考の回避を減少させて、ワーキングメモリ容量を増大させ(Klein & Boals, 2001 ; Yogo & Fujihara, 2008)、学校の成績をあげたり(Pennebaker & Francis, 1996)、リストラされた従業員の再就職率を高める(Spera, Buhrfeind, & Pennebaker, 1994)といった社会的な機能の向上も報告されている(佐藤, 2012)。

 Smyth(1998)は、筆記により健常な実験参加者の健康(自己報告による身体的健康、心理的なウェルビーイング、生理的な機能性、全般的な機能性)が有意に向上することを検証した(湯川, 2010)。また、Harris(2006)は健常群と臨床群を対象とした研究を含めてメタ分析を行い、ストレスフルな経験について筆記することは健常群のヘルスケア利用を減少させる効果をもつが、臨床群には効果がないという結果を示した(湯川, 2010)。