問題と目的




1.感情制御


1-1 感情の制御について

日常生活を営む上において、対人関係はかかせないものである。大学生にとってはアルバイト先の店長、先生など目上の相手への対応、友人に関しても部活・サークルなど所属集団によって付き合う友人の変化は必然であり、 相手によって自分の本音や思っていることを直接表出できないことも多くある。また感情の表出の仕方次第ではその後の関係性にも大きく影響するだろう。
感情の制御は個人内でも行われる。同じようにネガティブイベントを経験しても、それを乗り越えられる個人もいれば、ネガティブ感情にとらわれる人も存在する。またそのような中では心理社会的ストレスは増え、 個人内においても心理的、身体的に様々な影響を受ける。ネガティブ感情を抱えたままでは適応的な生活は送れず、自分の感情と折り合いをつけながら生活していく必要がある。 Gross&John(2003)では、健常な大学生は社会適応のために感情制御を日々行っていると述べられているように、感情制御は大学生において身近なものであるといえよう。
       感情の制御は海外ではEmotion Regulationとして研究されてきた。Emotion Regulationに関しては1990年代前半から徐々に研究が増え始め、2011年には、年間4427件もの研究が存在するほどになっている。(Science Direct調べ,2012)。 感情の制御の定義は、研究者によって様々に定義されてはいるが、大きく分けると自己内における感情の制御と社会集団内における表出の制御について研究されてきた。 Wegner&Pennebaker(1993)は感情の制御を“自らの心的状態を変化させようとする活動の一つであり、自らの心の状態に影響を与えようとする活動を含むもの”と定義しており、これは個人内において生じた感情をどのように扱うか(沈静化させるのか、より強めるのか)という過程を重視していると言える。 一方でThompson&Pennebaker(1996)は“個人の置かれている社会的な状況に応じて適切に感情を表出すること”とし、これは感情が生起した後の個人外に表出する過程を重要視している。しかし、現在ではGross(1998)の定義が多く引用されている。GrossはEmotion Regulationを“個人の今現在の感情状態もしくは感情が生じた時にその感情をどのように変化させるか、また、生じた感情をどのように体験・そして表現するかという過程”と定義している。これは個人内において感情をどのように扱うかという点に加え、どのように表出するかという個人外への表出までを含んでいる。 つまり現在では感情の制御を感情を感じてから感情の強度を変える、種類を変化させることに加え、変容した感情をいかに表出するかまでを含んだ包括的な定義が一般的にされているといえる。
本研究でも感情の制御をGross(1998)の定義に従い、「感情が生じてから、それをどのように変化させ、状況に応じてどう表出(行動)するかという過程」という包括的な定義を採用する。

1-2 ネガティブ感情の制御

ではどのような感情が制御されやすいのだろうか。私たちが日常生活において表出の制御の対象とする感情は、怒りや失望、悲しみといったネガティブ感情が圧倒的に多い(崔・新井,1998)とされている。 さらに中村(1991)も日本人は喜びまたは驚き・悲しみ・恐れ・怒り・嫌悪の順で表出しやすいことを報告している。井上(2008)は喜び、悲しみ、嫌悪、怒り、驚き、恐れの基本感情についての感情偽装の観点から検討した結果、 ネガティブ感情である悲しみ・嫌悪・怒り・恐れの感情は感じている感情を表出しないで抑制したり、無表情あるいは別のものにする隠蔽が多く、感じていない感情を表出する擬態が少ないことを指摘している。 また感情制御は感情種類別にも研究されている。吉田・高井(2008)では悲しみという感情は、悲しみの生起対象に対して表出するのは難しいが、悲しみの緩和という意味では方略と関わってくること、 怒り感情に関しては、表出の有無がより適応と関わっていることや、攻撃行動と結びつきやすいため、対人関係を破壊するリスクを最も含んでいるとし、怒り感情の表出制御方略について研究している。これらからも先行研究でもネガティブ感情の制御に関する研究が圧倒的に多いといえるだろう。

1-3 感情制御方略

感情制御のプロセスの中でも個人内における感情の変化と生起した感情の体験・表出という2側面において感情制御方略が考えられている。感情が生起する前の段階における調節は先行焦点プロセス(antecedent-focused emotion regulation)と呼ばれ,感情決定後における調節は反応焦点型プロセス(response-focused emotion regulation)と呼ばれる。 前者の代表的な感情調節方略としては認知的変化(cognitive change)の段階で行われる再評価方略(reappraisal strategy)が取り上げられ検討されており、後者の代表的な感情調節方略としては反応調節(response modulation)の段階で行われる抑制方略(suppression strategy)が取り上げられ検討されている。 再評価方略とは感情の原因となる出来事を再解釈することにより感情の生起そのものを調節するものであり、一般的にはネガティブな事象に対する認知的な変換を行いネガティブ感情を緩和するという方略である、抑制方略とは生起した感情を表情や動作などといった外見上の行動として表出しないことである(Gross, 1998)。再評価方略はポジティブ感情を増加させるが、抑制方略はポジティブ感情を減少させること(Gross & Levenson,1997)が実験で示されている。 Gross(1998, 2002)は,これらの実験的研究に基づき再評価方略は適応的な結果を導くが,抑制方略は非適応的な結果を導くと述べている。
またGross(2003)でも再評価方略の日常的な使用はポジティブ感情やwell-beingと正の相関があるが、抑制方略の日常的な使用は非適応的な結果をもたらし、ポジティブ感情やwell-beingと負の相関があることを主張し、日常生活における再評価方略と抑制方略の使用の個人差を測定する質問紙であるERQ(Emotion Regulation Questionaire)を使用した一連の研究においてその裏付けを試みている(Gross&John,2004 ,Evers,Wilhelm&Gross,2006)。 また非適応的な制御方略として抑制のほかに反芻が知られている。反芻とはネガティブな情緒的反応を統制することを目的とし,過度に情緒的な内的事象(感情や思考)に固執してしまう方略である。抑制(suppression)と共にネガティブな反芻(depressive rumination)は抑うつの悪化を引き起こすことが見出されている(Aldao, Nolen-Hoeksema, &Schweizer, 2010)。またGarnefskiら(2001)によると自己批判、反芻は制御後にネガティブな結果を招く制御方略であることが明らかにされている。非適応な感情制御方略は抑うつの悪化や維持を促す要因である(Cicchetti, Ackerman, & Izard,1995)とも述べられており、感情制御方略には適応的なもの、非適応的なものがあると考えられているといえる。 また近年では感情制御方略についての検討ではなく、感情を偽装するという観点からの感情制御を研究しているものもある。井上(2008)は表情コントロールにおける感情の制御を感情の偽装として検討した。井上は感情の偽装を感じている感情を表出しないで抑制したり別のものにしたりする隠蔽、すなわち中立化も含めた隠蔽と、感じていない感情を表出する擬態を感情偽装の方略としている。 また押見(1999)の作り笑いに関する研究では作り笑い尺度の作成を試みている。作り笑いも笑いという表情変化を作り出す表出の形のひとつであり、感情の制御の形の一つであると考えられる。その結果、(1)ネガティブな感情を隠蔽することを意図した感情制御の作り笑い(2)場の緊張を解消したり、場を盛り上げたりする雰囲気操作の作り笑い(3)他者の行動をコントロールしようとする行為統制の作り笑いの3つの作り笑いがあること、またこれらの作り笑いが公的自己意識と相関することを見出している。さらに、押見(2002)は、公的自己意識の高い者が対人交渉において積極的に作り笑いをすることを見出している。 つまり感情制御方略については個人内における感情の抑制・再評価という1側面だけでなくネガティブ感情に対するコーピングという側面があること、対人関係の表出における抑制、隠蔽、擬態などさまざまな方略が考えられている。


1-4 感情制御の動機

なぜ人は感情制御するのだろうか。北村・木村(2006)では感情制御の動機を4点に大別している。 1点目として、感情的な判断や行動は、しばしば理性的な活動の妨げとなっており、人は自らの感情を抑えることによって行動や経験、認知への望まない影響を除くことができるということである。 感情制御は理性的な活動を維持することを通じて、自らの判断や行動を望ましい方向に導いていくことができるとも木村らは指摘している。
2点目として、強い感情の経験は不快であり、また心身の健康を損なう危険性があるため、人は感情状態を快適なレベルに維持しようとしていることである。 敵意や不安などの強いネガティブ感情は、喘息、関節炎、動脈の疾患につながるリスクファクターとして知られている(Friedman&Booth-Kewley,1987)。福西(2007)の研究では、社会不安障害患者、パニック障害患者はいったん不安感情が起こると、破壊的な認知に陥りやすく、不安感情の扱い方が苦手であると推察されており、これは感情制御ができない結果であると考えられるとされている。杉浦(2010)は感情制御の目的にはネガティブ感情を低減させることだけでなく、ポジティブ感情を制御したり、感情を維持したり高めたりすることも含まれると述べている。
3点目として、感情の表出の程度は、個人内だけの問題ではなく、社会規範に強く関わっているため、人は自らの感情を社会規範に合うように調整しようとしていることが挙げられている。 社会規範に近い概念として社会的表示規則がある。社会的表示規則とは「抱いている真の感情とは無関係に、どのように感情を表出すべきかについて命じている社会的規約」(Saarni,1982)、または、「与えられた状況(場面)において社会的に適合すると思われる表出」(Underwood,Coie&Herbsman,1992)と定義されている。 Gnepp&Hess(1986)は感情表出を制御しようとする動機の異なる場面における言語の表示規則と表情の表示規則の発達的変化を検討した。仮想場面を用いたこの研究では,二つの動機を仮定し、一つは、相手との関係を守ったり、行動の規範を維持するために制御するというような「向社会的動機(prosocial motives)」に基づくものであり、 もう一つは自分にとって、ネガティブな結果を避けたり、自尊心を維持するために制御するというような「自已保護的動機(se1f-protective motives)」に基づくものが挙げられている。つまり向社会的動機による制御は社会規範に従い、自己感情を制御しているといえる。
4点目として、われわれは個人的には制御を望まない感情であっても、感情表出によるさまざまなコストを避けるためであることが挙げられており、特に、対人場面において自らの印象を良好に保とうとしているときには他者からの注意をひくような感情の表出は避けられることが多いと木村らでも述べられている。 崔・新井(1999)では中学生・高校生における感情表出の制御尺度の作成を試みている。結果、第1因子は友人に合わせて喜びや好感,悲しさなどの比較的に弱いポジティブおよびネガティブ感情を強調して表わす内容と,友人の言動に対し,友人が喜ぶような形で自分がそれほど感じていないポジティブ感情を比較的弱いネガティブ感情を強く表す内容の感情表出の制御である「八方美人的感情表出の制御」、第2因子は友人に対し、自分がもつネガティプ感情を実際感じている感情より強く表す内容と,相手の友人に対し自分の中で生じているポジティブ感情を表さない内容から構成される「非仲間志向的感情表出の制御」、第3因子は友人に対し自分の中で強く感じている怒りやイライラなどのネガティブ感情を表さないように抑制している内容から構成されており、友人に対し怒りや嫌悪の感情が生起しているのに,それを抑圧する「自己抑圧的感情表出の制御」、第4因子は友人が感じている感情とは異なるポジティブおよびネガティブ感情をもっているのに,友人に合わせるため自分の感情を表さないように抑制する内容から構成されている「同調のための抑制的感情表出の制御」、第5因子は友人が感じている強いネガティブ感情を,自分はそれほど感じていないのに,友人に合わせるため自分も同じぐらい感じているように表す内容から構成されており、友人がある対象に対し強いネガティブ感情を表出することに同調するために自分の感情を強調する表出を行う「同調のための強調的感情表出の制御」の5因子が抽出されている。これらはすべて他人からの評価に心配と不安を持っているという対人不安と関連をもっており、対人関係による衝突を避けるために行われていると考えられる。

1-5 感情制御と対人関係

感情制御の動機の観点からも、感情を制御して状況に合わせて表出、行動することは社会的スキルとの関連が考えられる。感情制御と社会的スキルに関してGoleman(1995)は、感情を制御して表すことは重要な社会的スキルの中のひとつであり、このスキルが不足した場合、社会での不適応と対人関係の失敗をもたらすと考えられると述べている。中村(1991)ではネガティブな感情をそのまま表出することは、人間関係を悪化させることが容易に想像でき、社会的場面においては実際に感じた感情をそのまま表せば、”子どもである”と言われ、怒りを抑えながら冷静に対処した場合は”大人である”という評価を受ける傾向が強いと述べており、感情の制御はうまく人間関係を築いていくための社会的スキルのひとつとして考えられるだろう。 感情制御は、制御を行う相手との関係や場面によって大きく異なってくることが考えられる。大学生に1番身近な人間関係は友人関係である。国分(1995)は人間関係の中でも友人関係は、夫婦、親子、師弟、同僚関係とは異なり、利害関係も上下関係もない人間関係であり、本来的には安心して自分を出すことができ、またそれによって、本当の自分と出会うことのできる関係であると述べている。一方で、松尾・安藤・坂本(2005)は、昨今の若者は友人との深い付き合いを避け、表面的で希薄な友人関係しか築けない傾向にあるという論調が多く見られると述べている。このような中では、当然のことながら感情の制御は大いに行われるだろう。長谷川・吉村(2009)は女子大学生に対して心理的距離の自己認知が感情表出に与える影響について検討した。結果、不安・悲しみ、怒り・嫌悪といった感情に対し、相手との心理的距離を縮める必要がない、つまり自分からの心理的距離が近い、親しいと感じている相手には、社会的に望ましくはないネガティブ感情もあまり注意を払わず表出されることが指摘されている。怒り感情に関して、吉田(2011)では恋人条件、同性友人条件に対して自身の感情表出に対する態度が怒りの制御方略と自身の親密度認知に与える影響を検討した。結果、怒りの表出は友人に対してよりも恋人に対して行われやすく、友人に対しては相手の心情にも配慮して怒りを表出する「建設的表出」が「親密度」に対して、正の影響を与えていた。吉田はこれを一般に友人は恋人とは異なり、同時に複数の相手を交際相手として選択しうるため、価値観が衝突しないような相手との選択が成就しやすいと考えられると同時に友人には迷惑をかけたくない、踏み込みすぎて相手を煩わせたくないといったジレンマや気遣いが働いている可能性があるだろうと指摘している。 さらに、崔・新井(1998)は大学生におけるネガティブ感情表出の制御と友人関係満足感の関連について検討している。その結果、ネガティブな感情表出制御の中でも友人との関係が悪化することを避けたいという「言語的被害場面での向社会的動機」、普段の自分の姿を崩したくないという「体面の気になる場面での自己保護的動機」において友人関係満足感とマイナスの関連がみられた。これはネガティブ感情を制御することはその場限りでは円満に付き合うことを可能にするかもしれないが、長い目で見ると打ち解けて話が出来、本当にお互いを理解しあっているという充足感や満足感が得られにくいという予測を一部支持したといえると述べている。 以上より、自己が親しいと認知している相手、親密度が高い相手に対しては感情の制御は行われにくく、望ましくないネガティブ感情も表出されやすい。しかしネガティブな感情を制御するということ自体は友人関係満足感にマイナスに関連していることが考えられる。また、怒り感情に関しては表出したとしても相手を考慮した建設的な表出が方略として選択されている。自己開示研究において、下斗米(1990)は対人関係における親密度が増加するにつれ、自己開示は頻繁になされると述べており、特に親しい相手には自分を分かってもらいたいという気持ちから自己開示をより多く行うということからも親しい相手に対しての感情制御は少なくなり、ありのままの表出が多くなるという結果と一致する。


1-6 感情制御の弊害

前述したように感情を制御することで得られるメリットは多々ある。しかし、感情制御することは難しい。山田・杉江(2012)ではその理由として以下の2点を挙げている。1つは感情は生物にとっての“生き残りのシステム"であり,それに従うことによって進化してきたと考えられ、多くの動物にとっては、自らの感情の命じるままに行動することが最も適応的であるといわれている。感情制御とは,これらの適応のための生物学的システムを認知的な方略によって操作しようとするものであり,過度な感情制御は自らの適応を脅かすものとなりうると推察されるということである。2点目はJamesの感情末梢起源説に基づくと、感情が意識に上る前にすでに自動的に生じている身体反応を感じることで,感情を体験することができる。つまり,われわれが無意識に行っている. または普段行おうとしている感情制御は、感情の意識という1つの局面のみで,それ以前に生じていた感情反応や身体反応を変化させようという活動なのだという。以上より感情制御,感情を調整するという課題は非常に困難かつ高度な課題である結論付けられている。 また北村・木村(2005)でも意識的な感情制御はなかなか難しく、感情制御や自己制御の上手い個人が問題解決場面や脅威状況で「再評価しよう」と思いながら暮らしているとは考えずらいと述べている。さらに、感情を制御することでの弊害、デメリットは大きい。 King&Emmons(1990)は感情表出における葛藤は自尊感情と負の相関を、抑うつ傾向とは正の相関をもつことを明らかにしている。それに基づき、崔・新井(1998)でも自尊感情と抑うつ傾向を精神的健康の指標とし、ネガティブな感情表出の制御との関連を検討した結果、向社会的動機による感情制御高群は自尊感情が低く、自己保護的動機による感情制御高群は抑うつ傾向が高く、同様の結果がみられている。 また抑うつ・反すうといったネガティブな感情制御方略による影響も挙げられる。不適応な感情制御方略は抑うつの悪化や維持を促す要因である(Cicchetti, Ackerman, & Izard,1995)という見解や感情の抑制がかえって感情を増幅させるという逆説的な効果が示されている(Wegner,1987)ことからも、不適応な感情制御方略からの影響も大きい。この点に関して村山(2013)は抑うつへの脆弱性が高い女子大学生を対象とし、思考抑制とストレッサーが反芻にどのような影響をもたらすかという縦断的な研究を行っている。思考抑制傾向が強い女子大学生では,ストレッサーを経験するほど反芻が強まったが,思考抑制傾向が低い女子学生ではストレッサーを経験しても反芻の強さは変化しなかった。本研究結果から,思考抑制傾向は反すうを強める要因である可能性が示唆されると示しており、抑制が反すうという方略につながっていることも示唆されている。 また、Wegner&Pennebaker(1993)は感情制御の失敗には厳しい社会的評価が下されるだけでなく、しばしば強い落ち込みや自尊心の低下が伴い、自己評価や動機づけなどに深刻な影響をもたらすことを指摘している。 また、崔・新井(1998)では感情制御行動と精神的健康との関係を検討している。結果、感情制御行動を多く行う人は自尊感情が低いこと、自己保護的動機の感情制御を多く行う人は抑うつが高いことを示している。この結果に関して崔らは感情制御を多く行う人は自分を偽って表現することが多いため、自分自身に対する信頼や尊厳を傷つけていること、佐藤(1994)の自己嫌悪研究の中の、自分の本当の気持ちを正直に表せないことに対する嫌悪感は自身の欠如と関連しているという結果と一致していると述べている。 概観すると、感情制御方略をとることはその場では感情を抑え込むことできていると自覚するが、のちの影響が大きく、結果的には非適応的な結果を招くという結果が多いという反面、対人関係においては人間関係の悪化を防ぐという側面もある。この点について、崔・新井(1997)は対人関係と精神的健康の観点から感情制御をアンビバレントな心のはたらきであるとしている。

1-7 感情制御能力

感情を制御することの弊害は大きい。しかし一方で対人関係における衝突を避ける、感情の制御の成功がネガティブ感情を緩和する、状況をより再評価できるなどメリットも多い。   北村・木村ら(2005)では感情制御について感情を制御しなければ、望まない思考、感情、行動に悩まされることになる一方で、感情を制御すれば、心身の負担や逆説的効果、感情フィードバックの低下などさまざまな弊害が生じ、感情の制御は諸刃の剣であると揶揄している。感情制御はそのメリット・デメリットにおいて極めてアンビバレントな性格をもっているといえよう。ではなぜ感情制御の上手い/下手な個人が存在しているのだろうか。 キュール(Kuhl,1985)は感情制御の上手い人は意識的に感情制御方略を用いているのではなく、非意識的・自動的な感情制御プロセスを働かせていると考えた。キュールは感情制御の個人差指標として、方略の違いではなく能力そのものに着目し、行動志向性・状態志向性(action orientation vs. state orientation)という感情制御能力の個人差指標を提案し、これをAction Control Scale 90という質問紙によって測定している。行動志向性とは脅威や要求のようなストレス状況下にあっても、すぐに意図した行動に移ったり、気持ちを切り替えられる傾向のことを指し、状態志向性とは逆にそうした状況でも気持ちを切り替えることができず、その状況での感情状態にとどまる傾向である。つまり行動志向性の高い人は感情制御や自己制御が上手く、状態志向性の高い人は上手くないというものである。日本でもキュールが作成したACS-90英語版が宮本(1996)によって日本語訳され信頼性、妥当性が検討されている。社会情勢の変化に伴って佐久間・佐藤(2008)によってACS-90の再テスト信頼性・妥当性が検討されている。佐久間・佐藤(2009)では日本語版Action Control Scale(J-ACS)が作成されてはいるが、ACS-90は行動を測定する尺度である。山田・杉江(2013)の指摘によれば、ACS-90は感情制御能力と関連が深い尺度であるが、これは”個人内においてどのようにして感情を制御しているのか”という側面が反映されておらず、感情制御の全ての側面を測定しているとは考えにくい。 つまり行動のみでなく定義に沿った感情が生起してから行動が表出するまでの過程をすべて含むというGrossの定義に沿って必要感情制御能力を測る必要があると考えられる。  この点に関しGratz&Roemer(2004)が作成したDifficulties in Emotion Regulation Scale(以下DERS)はより総合的に感情制御能力を測定する尺度である。DERSは、生起した感情を自覚して、その感情を受容し、自分が置かれている状況との兼ね合いから最適な感情制御方略を選択し、最終的に自分が従事すべき活動を遂行するという、感情喚起から行動表出までの過程が反映されている。 よってDERSは現時点で感情制御能力を最も包括的に測定できる尺度である(山田・杉江,2013)。山田らではこれをもとに日本語版感情制御困難性尺度を作成している。しかしGratzらや山田らでは臨床的な介入に役立つ尺度を作成するという目的で、感情制御を困難にする要因を測定する尺度を作成しており、感情制御能力の高さを測ることは出来ないと考えられる。さらに感情制御能力の高さが与える影響について、山田・杉江(2012)では感情制御能力が高い個人にどのようなメリットがあるのかという観点についてはまだ研究が少ないことを指摘している。しかし青林(2013)では、感情制御方略の時間的変動性と感情制御能力が主観的幸福感に与える影響について検討しており、抑制方略使用が増加傾向にある者であっても感情制御能力が高ければ、主観的幸福感も高いという結果を示しており、能力の効果が認められる。しかしこの研究ではACS-90が感情制御能力を測る尺度として使用されており、感情制御能力の中でも行動のみの観点からしか検討されていないといえる。そこで本研究の目的を目的@感情制御能力の高さを測る尺度の作成、目的Aとして感情制御能力の高い個人のメリットとして内的適応感が高いことを想定し、感情の自覚から行動として表出するまでの過程を含んだ感情制御能力が自尊感情に与える影響の検討とする。

2.能力を規定する要因について


2-1感情特性、パーソナリティからの影響
 感情制御の上手い/下手である感情制御能力を規定する要因としてパーソナリティからの影響を挙げる。パーソナリティ特性はさまざまなものが提唱されているが、その中でも外向性-内向性と神経症傾向-情緒的安定性は最も広く見られる特性概念であり、また感情との関係も深いといわれている(Gross et all.,1998;Lucas&Fujita,2000)。感情制御方略の使用には一定の個人差があり、(Gross&John,2003)では外向性と抑制方略の間に中程度の負の相関、神経症傾向と再評価方略の間に弱い負の相関が認められている。また、Garnefskiら(2002)では抑うつや不安が高い場合、自己批判や反すうといった方略を用いやすいことを明らかにしている。  概観すると、感情制御とパーソナリティについて研究の多くが、よいパーソナリティをもつものはよい感情制御をおこないやすく適応的で、よくないパーソナリティをもつものはその逆という研究が多い。Kuhl (2000)でも慢性的なネガティブ感情の生起は拡張記憶の働きを抑制し、ネガティブ感情の緩和が難しくなると述べており、これらを裏付けられるだろう。 しかしネガティブなパーソナリティをもっていても、感情制御能力が高い、内的適応感が高い個人も存在するのではないか。Gross&John(2004)ではネガティブ感情経験の頻度と非適応的な感情制御方略の頻度は必ずしも一致していないことを明らかにしている。また、Tamir(2005)は外向的な人がポジティブ感情を多く経験し、神経症傾向の高い人はネガティブ感情を多く経験することから、外向性が高い人はポジティブ感情が自己に一致した感情であり、神経症傾向はネガティブ感情が一致した感情であると考え、特性と感情が一致している状態では動機的な情報処理が促進されること、また自己が認知している自己のパーソナリティ概念、自己概念と感情が一致している状態では刺激に対しての反応が速いことを明らかにしており、神経症傾向が高い人がネガティブ感情が高まるような感情制御を行うのは単に感情制御能力が上手くないだけでなく、少なくともある程度負荷の高い課題を行うような場面では自己概念に一致した感情を導出する方が適応的なためでもあると考えている。これらは特性一致効果(気分一致効果)と呼ばれる。伊藤(1999)では気分一致効果について“特定の気分の時にその気分と一致する特定の感情価をもつ刺激の認知が促進されること”と定義している。 また水子・寺崎・金光(2002)ではネガティブな感情特性の高い人は不快刺激に対する感受性が高いため、報酬より罰をもたらすものとして対人相互作用をとらえる傾向が強く、将来の対人相互作用においても罰がもたらされるだろうという予期が高まり、それらを回避しようと対人相互作用を抑制すると述べており、自己が頻繁に経験すると感じている感情、自己認知が認知や行動へ影響していることがわかる。坂上(1999)では感情の認知に関する先行研究レビューから個人の一過的な感情 反応と認知との関連よりも,人格特性としての感情特性(affective trait)、すなわち個人のもつ,時間的に安定した感情傾向と認知との関連の方が検出しやすいという可能性があると述べている。 よって本研究では個人のパーソナリティ要因を感情特性とし、感情制御能力への影響を検討する。寺崎・古賀・岸本(1994)では感情特性を特定の感情への近さ、感じやすさとし、感情特性尺度を作成している。を各因子5つの形容詞から構成しており、感情特性尺度を作成しており、十分な信頼性・妥当性を得ているため本研究ではこれを使用する。特定の感情への近さ、感じやすさである。  ネガティブな感情特性を近いと感じるものは、自己感情の認知ができず、適切な方略をとれず、感情を制御した行動がとれないと考えられ、ポジティブな感情特性を近いと感じるものは自己感情の認知ができ、適切な方略をとることができ、感情制御行動がとれると考えられる。



2-2 公的自己意識
感情を制御の上手い/下手である感情制御能力を規定するもう一つの要因として公的自己意識からの影響を挙げる。公的自己意識は自己の服装や髪型, あるいは他者に対する言動など、他者が観察しうる自己の側面に注意を向ける程度に関する個人差を示す(Fenigstein, Scheier, & Buss ,1975)と解釈されている自己意識特性のひとつである。公的自己意識の高い人には特徴的な行動様式を持つことが示されている。公的自意識の高い人は, 他者からの評価的態度に敏感であり (Fenigstein, 1979), 他者の目を意識して自己表出の仕方をコントロールする傾向の強いこと (Scheier, 1950; Carver & Humphries, 1981)が知られている。山田・斎藤(2011)では公的自己意識の高い個人は外からの印象を強く意識し、自分の行動をより強くモニタリングしているのではないかと推測している。   公的自己意識と感情制御について崔・新井(1999)では中高生に対し感情制御行動と公的自意識との関連を検討しているが感情制御行動との関連は見られず、他者から観察できる自己の側面に注意を向けやすい人は、他人からの評価を気にはしても、他人に合わせて自分を表現したり、自分を押さえたりすることは少ないことが考えられる。それと比べ て、他人からの評価に心配と不安を持っており、どう行動していいかわからず、対人関係に緊張したり、硬直するような対人不安の方が感情制御行動との関連大きいと結論付けている。 一方で土田・福島(2007)では自己コントロールにおける認知的・行動的側面のセルフモニタリング尺度を作成し、公的自己意識との関連を検討しているが、公的自己意識とモニタリング認知の間に有意な負の相関が示されている。公的自己意識の高さは自分の感情や状態を知覚することよりも、周囲の評価を強く気にする傾向を示すものであり、自己の状態を認知することよりも外的状況に合わせようとする意識の強さと考えられるとしている。   以上より、公的自己意識は感情制御行動とは関連がみられず、自己感情のモニタリングとは有意な負の相関を示しているなど公的自己意識から能力へ負の影響が仮定される。しかし、崔・新井(1999)では中高生を対象としており、中高生よりも大学生の方がより周りを意識した感情制御行動をとりやすく、能力も高いと考えられる。また公的自意識の高い人の特徴的な行動様式として、公的自己意識の高い者は、他者からの評価的態度に敏感であり (Fenigstein, 1979)、他者の目を意識して自己表出の仕方をコントロールする傾向の強いこと (Scheier, 1950; Carver & Humphries, 1981)が知られていること。また上野(1994)では同調性の高い交友関係を取る青年は公的自己意識が高く、友人からの評価懸念が高いことを見出している。つまり公的自己意識の高い者は自己感情を制御した行動をとりやすいのではないかといえる。また山田・斎藤(2011)では自己意識の高い個人は外からの印象を強く意識し、自分の行動をより強くモニタリングしているのではないかと推測しており、感情制御能力のひとつである自己感情のモニタリングとの関連も推測されることから本研究では公的自己意識から感情制御能力への正の影響を仮定し、検討する。公的自意識を測る尺度については先行研究でも多く使用され、信頼性・妥当性も十分だと考えられる菅原(1984)の自意識尺度のうち公的自意識尺度を使用する。

本研究の目的

 以上より本研究の目的を目的@として感情制御能力尺度の作成、目的Aとして感情制御能力が自尊感情に与える影響の検討とする。その際、Gratz&Roemer(2004)の感情制御能力の定義に基づき感情の自覚から行動までの過程を感情制御能力とする。彼らは感情制御はいくつかの要素に分かれ、それらが互いに関連し合っているものだと仮定した。具体的には(a)感情を自覚する能力(b)感情を受容する能力(c)状況に応じて柔軟に感情制御方略を用いる能力(d)ネガティブ感情を感じた際に衝動的な行動を抑えて目標志向的に行動する能力という4つであると述べている。また(a)(b)に関して、吉田(2007)の怒り感情による研究では、親密でない相手に対して自己感情のモニタリングが出来ているほど、怒りの「一方的な表出」は少なく、「抑制」「再評価」といった配慮的な表出をとりやすいことを明らかにされている。このことからネガティブ感情一般に関しても能力の中の一つとして裏付けられるのではないか。またTull&Roemer(2007)はパニック発作経験者と未経験者の比較において、パニック発作経験群は未経験群に比して、感情の受容が欠如しており、自分がどのような感情を抱えているかはっきりわからないという傾向を見出している。これは自分の中に生起した感情にはっきりとラベル付けができておらず、”何かわからないが抱えていられない”という心理状態が見て取れるとされている。この点からも感情を受容して認識できるかどうかは能力の一部であるといえる。また(c)では状況のモニタリングすること(d)では自己の行動を調整する能力が必要となるだろう。土田・福島(2007)では自己コントロールにおける認知的・行動的側面のセルフモニタリング尺度を作成しており、Gratzらの定義に近いものだと考えられるためこれらも参考にして使用する。 また目的Aとして感情制御能力が精神的健康に与える影響について検討する。崔・新井(1998)では感情制御行動と精神的健康の関連を検討し、適応の指標として自尊感情を挙げている。青林(2013)の研究で明らかになったように感情制御能力の高さが個人の内的適応感に影響されること、感情制御能力の高低から内的適応感への影響についてはプラスの影響、マイナスの影響が予測されることから目的Aとして感情制御能力が自尊感情に与える影響について検討する。 最後に目的B感情制御能力を規定する要因の検討とする。要因の1つ目として感情特性からの影響を検討する。ネガティブな特性、ポジティブな特性から感情制御能力への影響、特性から感情制御能力を介した自尊感情への影響を検討する。要因の2つ目として公的自己意識から感情制御能力への影響を検討する。公的自己意識の高い人は, 他者からの評価的態度に敏感であり (Fenigstein, 1979)、 他者の目を意識して自己表出の仕方をコントロールする傾向の強い (Scheier, 1950; Carver & Humphries, 1981)というような行動様式からも、公的自己意識は感情を制御した行動に大きく影響するのではないかと考えられる。