-考察-


 本研究の目的は、これまでSM変数からは直接的な関係性について説明がされていない 対人的なストレスにおいて、自己受容および他者受容のバランスの均等さに着目しながら 、高モニターと低モニターがどの程度ストレスを抱えているのかを検討することであった。 また、大学生と高校生とを比べ、その差にも注目した。


1.自己受容、他者受容、SM、対人ストレスの関連性

1-1.自己受容と他者受容との関連性
 自己受容と他者受容との間に関連があるのかについての検討を行った。その結果、 【全体としての自己受容】、【望ましい自己受容】、【現状満足】と【他者受容】との 間には正の有意な関連があることが明らかとなり、自己受容が高い人ほど他者受容も高い ということが示された。つまり、自己受容が高ければ他者受容も高いということである。 これは、沢崎(1984)が述べていた結果と一致している。

1-2.自己受容・他者受容とSMとの関連性
 相関分析の結果から、【全体としての自己受容】、【望ましい自己受容】、 【現状満足】と【自己呈示変容能力】との間には正の有意な関連があることが明らかと なった。つまり、自己受容が高ければ自己呈示変容能力が高いということである。 その理由として、様々な状況において自らの振る舞いを変える際、他者の期待や周囲の 状況と自らの感情のどちらにも焦点を当てて、その上で前者を優先させているからだと 考えられる。自らの考えや感情を理解するということは、自己呈示を行う際の前提条件で ある可能性がある。
 また、【他者受容】と【自己呈示変容能力】、【他者行動に対する察知能力】との間に は正の有意な関連があることが明らかとなり、他者受容が高い人ほどSMは高いということ が示された。他者の期待や感情を察知し、それに応じた振る舞いをとるには、他者を受容 することがやはり重要であると考えられる。
 以上のことより、仮説1の「SM高モニターは他者受容が高い傾向があり、SM低モニターは 自己受容が高い傾向がある」というのは、他者受容が高ければSM度が高いという部分だけ 支持された結果となった。

1-3.自己受容・他者受容・SMと対人ストレスとの関連性
 相関分析の結果から、【全体としての自己受容】、【現状満足】、【他者受容】と 【対人劣等】との間、【全体としての自己受容】、【現状満足】、【他者受容】、と 【対人葛藤】との間、【全体としての自己受容】、【現状満足】、【他者受容】と 【対人摩耗】との間には負の有意な関連があることが明らかとなり、自己受容が高い人 ほど対人ストレスは低く、同様に他者受容が高い人ほど対人ストレスは低いという ことが分かった。自分はどのような人間で、どういった考え・感情を持っているのか を把握すること、そして、他者がどのような人間で、どういう考え方の持ち主であるか ということを理解して受け入れるということは、対人関係の中で感じるストレスを 軽減させてくれるのである。  さらに、【自己呈示変容能力】と【対人劣等】との間、【自己呈示変容能力】と 【対人摩耗】との間にも負の有意な関連があることが明らかとなった。これは、 その場の状況に合わせた振る舞いをとるという社会的なスキルを発揮することで、他者に 対しての配慮を行動化したことになり、それによるストレスや、劣等感を感じること が軽減されるということが分かった。  また、【他者行動に対する察知能力】と【対人葛藤】との間には正の有意な関連がある ことが明らかとなった。これは、他者の期待や感情を察知することで、自分の考えや感情 とそれとのどちらを優先させるか悩むことから、察知能力が高い人ほど葛藤することが 多いということだと考えられる。


2.大学生と高校生との差

 大学生と高校生それぞれにおいて、自己受容、他者受容、SM、対人ストレスとの関連性 を検討してみた。
 相関分析の結果から、大学生と高校生を比較してみたが、大きな差はみられなかった。 全体の結果と大学生、高校生それぞれの結果も比較してみたが、ここでも大きな差はみら れなかった。従って、両者の差をさらに検討すべくt検定と一元配置分散分析を行った。
 まず、t検定の結果から、【現状満足】において高校生よりも大学生の方が高いことが 分かった。つまり、高校生と比べて大学生は、過去から現在にかけての自分を一貫して 受け入れられていることが分かった。これは、Erikson(1950)が定義した自我同一性が 確立していることを示していると考えられ、高校生よりも大学生の方が、自我同一性が 確立していると言えそうである。
 さらに、大学生と高校生とをそれぞれの学年により高校2年生、高校3年生、大学1・2 年生、大学3・4年生の4群に分類した上で一元配置分散分析を行ったのだが、その結果から もほとんど差を見出すことはできず、本研究の仮説2の「高校生と比べて大学生の方が、 自己受容および他者受容がどちらも高くバランスが取れている傾向がある」というのは、 ほぼ支持されない結果となった。
 そこで、本研究の大学生・高校生の自己受容・他者受容得点の平均点と、櫻井(2013) 、上村(2007)による先行研究における大学生の自己受容・他者受容得点の平均点と比較 してみたところ、大きな差はみられなかった。したがって、本研究で集めた大学生のデ ータが、従来の大学生の自己受容得点よりも特別低かったという訳ではないが、今回は こういった結果となった。Erikson(1950)は、自我同一性形成において、青年期に確立 する人もいれば、青年期を越えても続く人もいると述べている。つまり、自我同一性とは 、一般的には青年期に確立されるものであったとしても、その時期は人それぞれに違うと いうことである。自我同一性形成の際、その過程の中で自己受容および他者受容はともに 発達していくと考えられることから、今回の結果では、自我同一性が確立していないまだ 途中段階での自己受容および他者受容の評価と、自我同一性形成後に行われる自己受容 および他者受容の評価との2つの結果が一緒にでてきたのではないかと考えられる。仮に、 自我同一性形成ができているかそうでないかを測り、両者に着目しながら自己受容および 他者受容の程度を比較したら、今回とは違った結果となった可能性が考えられる。
 また、t検定の結果から、【自己呈示変容能力】において大学生よりも高校生の方が 高いことも分かった。
 Snyder(1974)は、「生まれつきのSM志向は基本的には変わらない。しかし、 子供時代、青年時代を経て大人になり、それぞれの時代特有の行動パターンを身につけて いくうちに、もともとの志向が変化していくことはあると言える」と述べている。 社会的適切さの規範に従い、社会的拘束力の期待に合わせようとする「高モニター」な 時期もあれば、抑制されていた自分の態度や感情を直接表に出す「低モニター」な時期も ある。そして、そういう時期が過ぎると本来のSM志向に戻るのである。
 大学生は、自ら受講する授業を選んだり、いくつものサークルに所属したり、アルバ イトを掛け持ちしたりする等、自由が多く、関わる他者を比較的選択することができる。 一方で高校生は、決まったクラスで決まった他者と過ごし、アルバイトを禁止されている ことも少なくない等、大学生と比べると自由が少なく、限られた他者と関わらざるを 得ない状況であることが多い。こういった状況下にいることから、他者との関係を崩さぬ よう、社会的適切さや、他者の期待に従って行動することが多くなると言えるのでは ないかと考える。したがって、大学生よりも高校生の方が自己呈示変容能力が高いという 結果になったのであろう。


3.自己受容および他者受容のバランスとSM

 自己受容尺度得点と他者受容尺度得点とをそれぞれの平均値で高群と低群に分け、 それらを組み合わせてHH群、HL群、LH群、LL群の4群に分類し、4群でSM得点の程度に ついて比較した。一元配置分散分析の結果から、自己受容・他者受容共に低いLL群よりも 自己受容が低くて他者受容が高いLH群、さらにそれよりも自己受容・他者受容共に高い HH群、という順に自己呈示変容能力が高く、また自己受容が高く他者受容が低いHL群と 比較して、自己受容・他者受容共に高いHH群の方が、自己呈示変容能力が高いという結果 になった。これらのことから、他者受容が高い者は自己呈示変容能力が高いという傾向 が明らかになったと言える。自己呈示変容能力の程度はHL群<HH群であることから、 自己受容の程度が高くても他者受容の程度が低ければ自己呈示変容能力は低いということ が分かった。つまり、その場の状況に合わせて振る舞うか振る舞わないかは、他者受容が できているかできていないかが重要である。つまり、他者の考えや感情、人間性を受け 入れている人ほど、他者に合わせようとする傾向があることが示された。
 また、【他者行動に対する察知能力】において、自己受容・他者受容ともに低いLL群と 比較して、自己受容・他者受容共に高いHH群の方が高いことが明らかになった。これは、 他者受容と自己受容のどちらもできていない人に比べて、どちらもできている人の方が、 他者の行動から読み取れる考えや感情に対して敏感に察知するということである。 つまり、自己受容ができていれば自らが何を感じ、何を考え行動しているのか、 しっかりと理解することができ、それができている上で他者受容ができているからこそ、 他者の行動がどのような考えや感情のもとで行われているのかを察知することに長けている のではないかと考えられる。
 以上のことより、自己受容の程度が高いよりも他者受容の程度が高い方が、自己呈示 変容能力の程度が高いということが分かった。ここで再度、仮説1に着目する。 「SM高モニターは他者受容が高い傾向があり、SM低モニターは自己受容が高い傾向がある 」とは明言することはできないものの、「SM高モニターは、自己受容の程度よりも他者 受容の程度が高い傾向がある」と推測できる。これらのことから、仮説1は一部支持された と言える。


4.自己受容および他者受容のバランスと対人ストレス

 自己受容および他者受容のバランスで分けた4群における、対人ストレスの程度を比較 した。一元配置分散分析の結果より、自己受容・他者受容共に高いHH群よりも自己受容が 高く他者受容が低いHL群、さらにそれよりも自己受容・他者受容共に低いLL群の順に対人 劣等が高く、また自己受容・他者受容共に高いHH群と比べて自己受容が低く他者受容が 高いLH群の方が、対人劣等が高いという結果になった。これらのことから、自己受容が 低い人は対人劣等の程度が高いという傾向があると言える。対人劣等の程度はHH群<LH群 であるということから、他者受容の程度が高くても自己受容の程度が低ければ対人劣等は 高いということが分かった。つまり、自分自身を受け入れ、さらに他者をも受け入れる 人の方が、他者に対して劣等感を抱いていないということである。仮に他者が自分よりも 優れている場合でも、自分は自分だからこれでいいのだと自己を認め受け入れることで、 他者の優れている部分を認め、受け入れることにつながっていると考えられる。
 次に【対人葛藤】において、自己受容・他者受容どちらも高いHH群と比べて自己受容・ 他者受容共に低いLL群の方が高いという結果になった。つまり、他者との間で葛藤が 生まれたとき、自分の人間性と他者の人間性を受け入れられていない人の方が、どちらも 受容できている人と比べてストレスを感じるということである。
 そして、自己受容・他者受容共に高いHH群と比べて自己受容・他者受容共に低いLL群の 方が、また自己受容・他者受容共に高いHH群と比べて自己受容が高く他者受容が低いHL群 の方が、それぞれ対人摩耗が高いという結果になった。これらのことから、他者受容の 程度が高い人は対人摩耗の程度が高いという傾向が明らかになった。対人摩耗の程度は HH群<HL群であるということから、自己受容の程度が高くても他者受容の程度が低ければ 対人摩耗は高いということが分かった。この理由として、他者に対して気遣ったり 配慮したりする際、相手からどのような反応が返ってきたとしても、他者を認めていれば その反応をも受け入れられることによって、感じるストレスが軽減するからではないかと 考えられる。
 以上のことから、対人劣等においては、4群すべての間で有意差が見られたわけでは ないものの、感じるストレスの度合いはHH群<HL群<LL群で高くなる傾向が示された。 つまり、仮説3を一部支持する結果となった。
対人葛藤と対人摩耗においては、どちらもHH群よりもLL群の方がストレスを感じていると いう結果から、仮説3を一部支持する結果となった。


5.自己受容・他者受容・SMが対人ストレスに与える影響

 自己受容・他者受容・SMが対人ストレスに対してどのような影響を与えているのかを 検討するために、重回帰分析を行った。
 その結果、【対人劣等】に対しては、【全体としての自己受容】、【現状満足】、 【他者受容】が負の有意な影響を与えていることが示された。これは、自分自身を理解 して受け入れた上で、その現状に対して満足し、さらに他者がどのような人間かを理解 して受け入れている人ほど、他者に対して劣等感を感じることは少なくなるということで ある。
 また、【望ましい自己受容】は【対人劣等】に対して正の有意な影響を与えていること が示された。この理由として、望ましい自己受容というのは、他者と比べた上で自分が 優れていると感じたり、自らの長所を発見したりして、それを受け入れることであるから と考えられる。つまり、自らを望ましいと判断する上で、比較対象である他者は必要不可 欠な存在となる。常日頃から、他者と比較したうえで自己を捉えることで、他者という 存在に敏感になっており、故に他者に対して劣等感を感じることも多くなるのではないか と推測できる。
 次に【対人葛藤】に対しては、【全体としての自己受容】、【現状満足】、 【他者受容】が負の影響を与えていることが示された。これも先に述べたように、 自分で自分を理解して受容した上で、その現状に対して満足し、さらに他者の人間性を 理解して受容している人ほど、他者との間に葛藤が生まれた際にストレスを感じることは 少なくなるということである。互いを受け入れることで、他者は他者、自分は自分という 考えをもつことができ、他者の行動に対しても寛大に受け入れることができるの ではないかと推測する。
 また、【望ましい自己受容】と【他者行動に対する察知能力】は【対人葛藤】に対して 正の影響を与えていることが示された。先にも述べたが、望ましい自己受容とは、自らと 他者とを比較した上での自己受容であることから、他者を意識したうえでの自己受容で あると言える。つまり、他者を意識しているが故に、他者との間で葛藤が起こることも あるということであろう。また、他者行動に対する察知能力も同様に、他者の行動から その期待や感情を察知することから、他者に対しての感受性が強いと言えよう。だから こそ、葛藤が生まれるのではないだろうか。
 そして、【対人摩耗】においては、【現状満足】、【他者受容】が負の影響を与えて いることが示され、【望ましい自己受容】、【他者行動に対する察知能力】が正の影響を 与えていることが示された。双方とも前述したように、過去の自分も今の自分も受け入れ 、自らの考えや性格を受け入れた上で、他者の考えや性格を認めて受け入れていれば、 他者に対して気遣ったり配慮したりする際にも、自らの性格に合った方法を選択し、 またそれに対しての他者からの反応も素直に受け入れられることから、ストレスが軽減 されるのである。また、他者との比較の上で行われる望ましい自己受容や他者行動に対 する敏感な察知能力は、他者の存在や考え、感情に対して敏感に反応することから、 気遣ったり配慮したりする機会が多くなることから、ストレスに繋がるのではないかと 考える。


6.SMと自己受容および他者受容のバランス

 自己受容および他者受容のバランスで分けた4群の、SMの因子である 【自己呈示変容能力】と【他者行動に対する察知能力】における得点分布を検討し、 それを示した図を作成した。
 その結果、自己受容および他者受容のバランス群は点在していることが分かった。 それぞれの群の大学生と高校生の数も、やはりさほど差はみられなかった。そして、 自己受容・他者受容共に高く、自己呈示変容能力・他者行動に対する察知能力共に高い HH群×HH群、自己受容・他者受容共に低く、自己呈示変容能力・他者行動に対する 察知能力共に低いLL群×LL群に着目すると、その2つの組み合わせだけ多く存在するという ことが示された。つまり、自己受容および他者受容の程度が高いとSMの程度も高い 傾向があり、また自己受容および他者受容の程度が低いとSMの程度も低いという傾向が あると考えられる。自己受容および他者受容がともに高いということは、自分と他者の 考えや人間性を理解して受け入れているということであるから、自分と他者のどちらにも 焦点を当てることが多いであろう。したがって、相手が何を考えているのか、 何を求めているのかを察知したり、自分が何を思っていて、その上で自らがどう振る舞う かをコントロールしたりすることができるのであろう。一方で、自己受容および他者受容 がともに低いということは、自分と他者の考えや人間性を受け入れられていないという ことである。つまり、他者の期待や考えを察知できるほど他者に注意を向けられていない 、もしくは理解したとしてもそれが受け入れられないからその通りには振る舞わないと 考えられる。さらに、自らの考えをも理解し、受け入れられていないということから、 自らをコントロールすることはなおさら不可能であると推測できる。
 以上のことより、仮説1を支持する傾向がみられた。