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考察
1 2要因分散分析の結果について
内面的関係(高群・低群)と表面的関係(高群・低群)を独立変数、「孤独・不安」「充実・満足」「自立・理想」を従属変数とした2×2の分散分析を行った。分散分析の結果、「孤独・不安」「充実・満足」「自立・理想」のすべてにおいて、交互作用が有意でなかった。また、「表面的関係」から「孤独・不安」に有意傾向が見られた。この結果から仮説1は支持されなかった。
Winnicott(1971)は、必要な時に必ず助けてくれる母親(またはその代理)がそこにいながら、互いにひとりであるという状態(自我の関係化)が、幼児の心の中に、内的現実(私)でもなく外的現実(私でないもの)でもない、母と子が共有する幻想によって成立する世界、心的領域である中間領域を生み出し、この中間領域によって、幼児は夢中になって“遊ぶ(playing)”ことができ、ネガティブな感情を抱くことなく、ひとりでいることができる、と述べている。そして野本(2000)では、中間領域が確立されることが、CBAを獲得することである、と述べている。また、野本(2000)によると、早期幼児期には、前述したような、いざという時には助けられる機能をもっていながら今はただそばにいる、という母親(またはその代理)との関係で子どもは一人でいられたのだが、幼児期以降になると、その関係の相手は、母親(またはその代理)ではなく、別の他者や心の中の良いイメージ、友人や人を超えた存在や神、世界とのつながりなどになっていく。よって幼児期以降にも「一人でいること」に対して、ひとりの時間に孤独感や不安感を抱くことなく、過ごすことができるのである、と述べている。すなわち人は情緒の発達に伴い、関係の相手も変化していくのである。つまり「ひとり」でいることができるようになるのは幼児期からであり、それ以降には、関係の相手を母親から様々なものに変えて、「ひとりの時間」を過ごしていくのである。そしてその関係の相手は、“友人”に特定されず、神や世界など人それぞれであることがうかがえる。そのため、岡田(2007)で言われていたような、社会的な適応において内面的関係と表面的関係を両立させ、友人関係が成熟している者であっても、その者にとって、友人が必ずしも「ひとりでいられる」要因となる関係の相手になっているとはいえないのではないか。よって、2要因分散分析を行った結果、「内面的関係」と「表面的関係」は「ひとりで過ごすことに関する感情・評価」の3下位尺度のいずれにも交互作用が見られなかったのではないか、と考えられる。
2 重回帰分析の結果について
2−1 友人関係とひとりで過ごすことに関する感情・評価の重回帰分析結果
強制投入法によって、友人関係2下位尺度を独立変数、ひとりで過ごすことに関する感情・評価3下位尺度を従属変数とした重回帰分析を見た結果、友人関係尺度の「表面的関係」から、ひとりで過ごすことに関する感情・評価尺度の「孤独・不安」に対して5%水準で正の影響が見られた。また、「内面的関係」から、「充実・満足」に対して10%水準の正の有意傾向が見られた。この結果から、仮説2は支持されなかったが、内面的関係を築く者は、ひとりの時間に対して「充実・満足」感を抱いている傾向が見られた。
岡田(2007)では、内面的友人関係を、親密で内面を開示するような関係、あるいは人格的共鳴や同一視をもたらすような関係とし、この関係によって、青年は新たな自己概念を獲得し,健康な成熟が促進される、と指摘している。さらに、このような友人関係が持つ意味として、不安や悩みを共有することで情緒的な安心感を得られる点、かかわりを通して自分の長所・短所に気付き、自己を客観的に見つめる機会が得られる点、傷つき傷つけられるという体験を通して人間関係を学べる点の3点が指摘されている(松井, 1990)。つまり内面的友人関係を築いている者は、自分のことを何でも打ち明けられる、また、自分に対しても何でも打ち明けてくれる友人との普段のかかわりを通して、自分の考えや感じ方、生き方などのさまざまな自己概念を形成しており、そのような者は、実際にひとりの時間を、ただぼーっと過ごしてしまうのではなく、自分を見つめ直すことに費やしたり、自分の考えを深めることに費やしたりなど、自分にとって意味のある時間として捉え、活用しているために、ひとりの時間に対して充実感や満足感を感じているのではないだろうか。よってこのような結果が得られたのではないか、と考える。
また、友人関係とひとりで過ごすことに関する感情・評価の重回帰分析結果から、仮説3は支持された。岡田(1995)によると、表面的友人関係とは、内面的な自己開示を避ける、表面的で希薄な友人関係であり、同調行動をとってはいるが、集団中心の生き方を望んでいるのでも、協同的であるのでもなく、心理的には友人たちと離れていて、ただ集団からはずれまいと群れ集っているだけ、と指摘している。このような友人関係を取る理由として、藤井(2001)は、現代青年は相手と親密な関係を持ちたいと願う一方で、傷つけあうことを恐れるという葛藤、すなわち「近づきたいが近づき過ぎたくない」、「離れたいが離れ過ぎたくない」ヤマアラシ・ジレンマから逃れるため、相手にしがみつき執着する、相手の動きをうかがう、かかわりそのものを避けて相手と隔たりを置く、といった対処がなされている、としている。つまり、表面的友人関係を築く者は、自分が築いている友人関係に対して、不安感や恐怖感を抱いているケースが考えられ、ひとりの時間に対しても、ネガティブなイメージを抱きやすく、有意義に過ごせてはいないため、孤独感や不安感を感じやすいのではないか。よってこのような結果が得られた、と考える。
2−2 対人依存欲求と友人関係の重回帰分析結果
強制投入法によって、対人依存欲求2下位尺度を独立変数、友人関係2下位尺度を従属変数とした重回帰分析を見た結果、対人依存欲求尺度の「情緒的依存」から、友人関係尺度の「内面的関係」、「表面的関係」に対して0.1%水準で正の影響が見られた。この結果から、仮説4の内容を一部支持したと言える。
竹澤・小玉(2004)において、対人依存欲求を「是認、指示、助力、保証などの源泉として他人を利用ないし頼りにしたいという欲求」と定義している。そしてこの欲求は、他者との情緒的で親密な関係を通して自らの安定を得る情緒的依存と、自身の課題や問題解決のために、他者からの具体的な援助を求めようとする道具的依存の2因子から成り立っている。すなわち今回の結果により、内面的友人関係にしろ、表面的友人関係にしろ、友人関係を築く、ということに関して言えば、情緒的依存欲求という欲求は、必要不可欠なものであり、友人関係を築くための起因としての役割を担っている、と言えるだろう。この結果は、対人依存欲求は、否定的な意味ではなく必要な欲求である、ということが言えるだろう。
2−3 対人依存欲求とひとりで過ごすことに関する感情・評価の重回帰分析結果
強制投入法によって、対人依存欲求2下位尺度を独立変数、ひとりで過ごすことに関する感情・評価3下位尺度を従属変数とした重回帰分析を見た結果、対人依存欲求尺度の「情緒的依存」から、ひとりで過ごすことに関する感情・評価尺度の「孤独・不安」に対して、0.1%水準で正の影響が見られ、また、「充実・満足」に対して、5%水準で負の影響が見られた。この結果から、仮説5は支持された。
先ほども述べたように、対人依存欲求の情緒的依存欲求とは、「3. できることならどこへ行くにも誰かと一緒にいたい」、「13. いつも誰かに見守ってもらいたい」などのように、他者との情緒的で親密な関係を通して自らの安定を得ようとする欲求のことである。この欲求は友人関係を築く上で必要不可欠なものではあるが、ひとりの時間という視点から考えると、海野(2007)において、ひとりの時間が「一人でいる場所で、単独の行為を行う、時間」で、「心理的に『一人でいる』『単独である』と感じられる時間」と定義されているように、ひとりの時間というのは、他者とのかかわりを持たない時間のことであり、そのような状況においては、関係を通して安定を得たいという情緒的依存欲求は、他者と関わることのできないひとりの時間に対して、孤独感や不安感に影響を与え、孤独・不安感と真逆の感情である充実・満足感には負の影響を与えている、と考察する。