問題と目的
1.はじめに
友達がいないと思われることを避けるために、一人になることを嫌う者が存在していることが指摘されている(諸富, 2001)。ニートやひきこもり、また、近年では、ひとりでご飯を食べる「ぼっち飯」や、トイレの個室において一人で昼食を取ることを意味する「便所飯」(朝日新聞 2008.8.2 夕刊 大阪本社版 9 面)といったような症状を持つ者たちが新聞やテレビなどのマスメディアで取り上げられている。以上のような者たちは、自分がひとりでいるところを他の誰かに見られたくない、また、ひとりでいることに対して、寂しさや恐怖、不安感などを心の中で感じているので、無理にでも誰か他の人と一緒にいようとするために、前述したような症状を起こしていると考えられる。また、実際に症状として実生活場面に現れる、というまでには至らないにしても、ひとりでいることに対して、寂しさや恐怖、不安感などを心の中で感じている人は多く存在するだろうと考えられる。さらに和田(2010)は、「ぼっち飯」や「便所飯」が起こる背景に、“ いまの若者たちは「ひとりで食べている姿を見られるのが、何よりも嫌」なのだ。一人で食べる=一緒に食事をする相手がいない=「友達がいない」自分の姿を、堂々と「他人に見せて」しまうからである”と述べ、友達がいないことが苦痛なのではなく、「友達がいない」と他人から思われることが苦痛なのだと指摘している。
以上のようなひとりの時間に対するアンケート結果やメディアの取り上げられ方、さらには先行研究などを見ると、「ひとりでいること=ネガティブ」なものとして捉え、自分の「ひとりの時間」というものに対して、しっかりと向き合うことができていない人々が多く存在することが分かる。
一方で、海野(2007)で実施された、大学生143名を対象とした、@「一人」についてのイメージ、A「ひとりの時間」を好きかどうかとその理由、B「ひとりの時間」には意味があると思うか(あると思う場合、どのような意味があると思うか)について、自由記述形式(複数回答可)で回答を求めた調査によると、「ひとりの時間」に対して、「好き」「どちらかと言えば好き」と答えた人の割合は、全体の内80%(114人)を占め、その理由には、リラックスできる、自由、気楽、考え事ができる、などのポジティブな意見が挙げられている。また、B「ひとりの時間」には意味があると思うか、という問いに関しては、全体の内97%(137人)の人が「意味があると思う」と回答し、「ないと思う」と回答した人は、全体の内3%(4人)のみ、という結果が得られている。この結果から、前述したような「ひとりでいること」に不安感や恐怖感などのネガティブなイメージを抱いている者も存在するが、一方で、「ひとりの時間」になんらかの意味を見出し、充実した時間にしようと、ポジティブに捉えようとする者も多く存在することが分かる。
さらに、海野(2007)によると、「ひとりの時間」を、「一人でいる場所で、単独の行為を行う、時間」で、「心理的に『一人でいる』『単独である』と感じられる時間」と定義したうえで、現代の若者は、他者に関与されないこの「ひとりの時間」を享受し、「ひとりの時間」を自分らしく過ごしていると述べている。以上より、「ひとりでいること=ネガティブ」なものとして捉えている者と、「ひとりでいること=ポジティブ」として捉えている者の2種類が存在することがわかる。この両者の「ひとり」に対する捉え方の違いには一体何が影響しているのだろうか。ここで現代青年期の「ひとりの時間」のポジティブな面に着目し、検討した先行研究が存在するので、いくつか紹介していきたいと思う。