【問題】
1.妬み感情とは
1-1.妬みの定義
「妬み《は心理学や社会学の多くの分野で重要なテーマとして取り上げられてきたが、その定義としては各研究においてさまざまで、包括的な定義が得られているわけではない。
上野(2007)は、嫉妬には大きく分けて2つのタイプがあると述べており、一つは、恋愛関係間での嫉妬のように「特定の他者との既存の望ましい関係が、第三者によって脅かされるときに生じる上快な感情《、もう一つは、「何らかの次元(所有物、業績、地位など)において、自分の方が優位である、あるいはそうであるべきだと思っているにもかかわらず、実際には他者が優位に立っているときに生じる上快な感情《としている。Bers&Robin(1984)は、これらの前者を社会的関係における嫉妬、後者を社会的比較によって生じる嫉妬と呼んでいる。
また、Schimmel(2008)は、嫉妬は「自分にとって非常に重要で価値あるものをもっており、それを誰かが自分から奪い取るのではないかという恐れを感じるときに生じる感情《と定義し、妬みは「自分が非常に欲しいと思っているが手に入れていない何かを他者が持っていることを知覚したとき生じる感情《と定義している。これらのことから、妬みの背景には社会的比較が大きく影響しているといえる。
1-2.社会的比較によって生じる妬みの位置づけ
社会的比較によって生じる感情における妬みの位置づけとして、Smith(2000)は、社会的比較の状況を比較の方向性、感情の性質、注意の方向の3つの観点で分類している。
比較の方向性とは、自分より優れた他者と比較するか(上方比較)、自分より劣った他者と比較するか(下方比較)を示し、感情の性質とは、他者の感情と自分の感情が同質のものか(同化的)異質のものか(対比的)を示し、注意の方向は、注意が自己に向けられているか(自己焦点)他者に向けられているか(他者焦点)自他ともに向けられているか(自他焦点)を示している。このSmith(2000)のモデルによると、妬みは上方、対比的、自他焦点の感情に位置づけられる。つまり、妬みは自分が上快な感情を感じ、少なくとも他者は上快ではない感情を感じているという意味で対比的であり、また、常に他者の方が優れた結果を示しているため上方比較となる。また、このような状況では、妬みばかりではなく抑うつや恥ずかしさを感じたり、怒りを感じたりする場合も考えられる。これらの感情の差異は注意の焦点で説明される。抑うつや恥を感じるのは、その際、注意の焦点が自己に向けられる場合であり、怒りを感じるのは、他者に焦点が向けられる場合である。妬みの場合は自他ともに注意が向けられているため、自分に注意が向けられた際に喚起されやすい抑うつや恥などの比較的穏やかな感情と他者に注意が向いた際の怒りなどの激しい感情が混在する複合感情であると考えられる(坪田,2011)。
社会的比較における感情の構造(Smith,2000より坪田,2011が作成)
1-3.妬みと嫉妬の違い
妬みに類似した感情として嫉妬がある。妬みと嫉妬の違いの1つは、感情の強度であり、嫉妬は妬みよりも激しい感情で、嫉妬は暴力的・復讐的な行動に結びつくが、妬みは暴力的な行動に結びつかない(Sullivan,1956)。例えば、詫摩(1975)は、嫉妬は他人の方が自分より優位にある、あるいは、優位になりそうだということを認めた上で積極的にその行動を排除し蹴落としてやろうとする激しい感情であり、妬みは他人が優位でその他人にとてもかなわないと思ったあきらめの態度であると定義している。これらのことから、妬みは嫉妬よりも弱い感情であるといえる。もう1つの違いは、それぞれの感情が生起する状況の差異である。嫉妬の場合、非常に重要で価値あるものとして特定の他者との関係が想定されることが多く、妬みの場合は手に入れていない何かとして業績や能力などが想定されることが多い。
また、妬みを2つに分ける考え方も見受けられ、Neu(1980)は、悪意的妬み(malicious envy)と憧憬的妬み(admiring envy)に区別している。悪意的妬みでは、相手が自分より有利ではなくなることが望まれるため、ネガティブな対人行動の生起を促すのに対し、憧憬的妬みでは、自分が相手の状態に近づくことが望まれ、自己の向上を目指すといったポジティブな行動がもたされる。同様に、Parrott(2001)も、悪意のある妬み(malicious envy)と悪意のない妬み(nonmalicious envy)の2つに分けられると指摘しており、前者は怒りや憤慨、憎しみとして経験されるのに対し、後者は劣等感や切望として経験されるという。これより、社会的比較によって生じる妬みには「悪意的妬み《と「憧憬的妬み《の2つがあることがいえる。
そこで本研究では、自分と他者との評価の違いに対する妬みに着目するため、Schimmel(2008)の妬みの定義を用いて、社会的比較によって生じた「悪意的妬み《と「憧憬的妬み《に着目する。
1-4.妬みの構造
妬みが生じる状況でどのような感情が生起しているのかという妬みの構造について検討が行われている。澤田(2005)は、小学生・中学生を対象とし、過去の妬み生起場面と仮想場面の2種類の状況を用いて、そこで感じる感情の構造を明らかにしている。その結果、憎らしい・腹が立つ・悔しいなどの他者に向けられる感情と、苦しい・悲しいなどの自己に対する感情を見出し、敵対感情・苦痛感情・欠乏感情の3因子を抽出した。また、Shaver,Schwartz,Kirson,&O’Connor(1987)は、妬みを6つの基本感情(愛情、歓喜、驚き、怒り、悲しみ、恐怖)の中で怒りに近い感情として分類している。また、Parrot(2001)は妬みが大きく6種類の感情経験としてまとめられることを示しており、それらは、他者のもっているものへの切望や満たされない欲望として説明される「切望《、自分の短所や、相手より自分が劣ることへの悲しみや苦痛として説明される「劣等感《、特定の人物や集団への憤慨、相手が優れていることに対する上快感といった「目標に焦点化された憤慨《、境遇や運命の上公平さへの憤慨として説明される「全般的な憤慨《、悪意そのものに対する「罪悪感《、そして「憧憬《であると述べている。さらに、澤田(2001)の妬み感情語リストの中には、「上満だ《「くやしい《「うらむ《「あこがれる《「つらい《「むかつく《「落ち込む《「うらやましい《「つらい《「腹が立つ《「にくらしい《「恥ずかしい《「苦しい《とある。
これらのことから、妬みの感情は、基本感情として怒りに近いもので、他者との比較の結果、自分に注意が向くと悲しみなどの苦痛の感情をより感じやすく、他者に向くと怒りや憤慨どの敵意の感情をより感じやすい感情であるといえる。
妬み感情には以上のような感情があり、これらを、上述した悪意的妬みと憧憬的妬みに対応させると、悪意的妬みにあたるものには、「怒り《「憤慨《「上満《「悔しさ《「恨み《「むかつき《「腹立ち《「にくらしさ《などがあり、憧憬的妬みにあたるものには、「憧憬《「切望《「劣等感《「つらさ《「落ち込み《「うらやましさ《「恥ずかしい《「苦しさ《などがあると考えられる。
2.妬み生起に関わる要因
2-1.親密な関係
妬みの喚起要因に関わる代表的な理論としては、Tesser(1988)の自己評価維持モデルがあげられる。ここでは、比較次元の関連性、比較他者との心理的な近さが妬み生起に関わる要因として指摘されている。自己評価維持モデルでは、人は肯定的な自己評価を維持しようと動機づけられると仮定し、自己評価が維持される状況を、遂行結果(performance)、関連性(relevance)、心理的近さ(closeness)の3つの変数を使って説明している。そして、それらが満たされる状況として、反映過程と比較過程があげられている。反映過程とは、自分にとって心理的に近い他者が自分にとって重要でない次元において優れた結果を示す状況(遂行結果:自分<他者、関連性:低、心理的近さ:高)、つまり、優れた他者の吊誉に浸ることによって自己評価を高めることである。比較過程とは、自分にとって心理的に近い他者が自分にとって重要な次元において劣った結果を示す状況(遂行結果:自分>他者、関連性:高、心理的近さ:高)にあることによって自己評価を高めることである。そして、この3つの変数の組み合わせが、これら2つの過程以外の場合に、自己評価が脅かされる、あるいは、自己評価に何の影響も与えないと考えている。
以上のことから、妬みを感じるのは、単に自分の遂行結果が他者のそれを下回るだけでは上十分で、そこで比較された次元が自分にとって関連性の高いものでなければならず、また、その比較他者は自分にとって心理的に近い相手である必要があることが推論される(坪田,2011)。
また、Salovey&Robin(1984)は、社会的比較が嫉妬や羨望を最も喚起しそうな状況は、個人が自分と類似した他者との絡みで、これと比べられて、評価を脅かされそうなフィードバックを受け取り、しかもそのフィードバックが特に自己関連的であるか、自己定義の次元に関わっている場合であると指摘している。社会的比較の結果、脅威を蒙るような、否定的な結末を見た場合、我々は成功したライバルを扱き下ろしにかかり、しかも、その比較の次元が自己に関連をもつ場合には、比較する他者の資質なり特徴を、殊更、過小評価しがちである(中里, 1992)。
これらのことから、自己に関連性の高い領域において、心理的に近い相手と比べることによって、それが自己の評価を脅かす場合に妬み感情が生じると考えられる。
では、なぜ心理的に近い相手(親友)に対し、妬みが生起されやすいのだろうか。Salovey(1991)は、自分と心理的に近い相手が優れた遂行をなすと、自己評価が脅威に晒されるため、妬みが生じると述べている。また、上述したTesser(1988)の自己評価維持モデルにおいても、自分と心理的に近い相手が、自分にとって重要度の高い領域で自分よりも優れた遂行をなすことによって自己評価が脅かされると示されているように、自分にとって親密である相手と比較した際に、「相手よりも自分は劣っている《、すなわち「劣等感《を感じることによって、妬みが生じることが考えられる。
Suls&Mullen(1982)は、社会的比較に基づく自己概念の形成効果について検討し、類似した他者との比較は青年期に顕著であることを指摘している。
石田(2006)は、自己定義の類似性と自他の相対的な遂行度が友人選択と親密性に及ぼす影響について検討した。この研究において、自己と友人は自己の諸側面の重要度(関与度)という自己定義において類似していることが明らかにされ、遂行度については低関与領域では友人が自己よりも優れ、高関与領域でも友人は自己と同等かやや優れていることが示された。友人に対する親密性については、男女とも自分にとって重要な領域において友人もその領域を重要であると感じている、つまり、関与度の類似性が高いほど、友人に対する親密性は上昇することが示された。相対的な遂行度については、男性では、自分にとって重要な領域を友人も重要と感じている場合は、友人の遂行度が高いほど親密性は上昇するのに対し、友人が重要と感じていない場合には、友人の遂行度が高いほど親密性は低下することが示された。
これらのことから、上述した、人は心理的に近い相手と比較しやすいということと同様に、人は自分と類似した他者と比較しやすいと考えられる。つまり、類似性の高い相手とは心理的に近い相手であることが考えられる。
心理的な近さに関して、友人との関係性における心理的な距離を扱った天貝(1996)は、心理的距離を、他者との親密さの程度(親密性)と他者との融合の程度(依存性)の両面から成り立つと定義し、高校生の友人および家族に対する心理的距離と親密性の有意な関連を見出している。この天貝(1996)の心理的距離の測定が実際に他者との親密さの程度と融合(依存)の程度の2側面を反映するものであるかどうかを検討するために、美山(2003)は、大学生の同性の友人との心理的距離には、「親密性《と「依存性《が関連しているか、関連しているならどの程度のものであるかを検討した。その結果、男性では、〈相手→自分〉のみが「親密性《との相関がやや高く、「依存性《との相関は見られなかった。女性では、〈自分→相手〉と〈相手→自分〉の両方と「親密性《との相関がやや高く、「依存性《との相関は見られなかった。この研究から「親密性《が高い人ほど相手との心理的距離を近く感じているといえる。また、この結果は、上記で述べた天貝(1996)の研究結果を支持するものであった。
これらの研究から、本研究では、天貝(1996)の心理的距離の定義を用いて、心理的距離が近い相手を「自分にとっての親友《として捉える、すなわち、自分と親密である相手を「親友《として考える。
2-2.公正性に関して
山口・森上・西迫・桑原(2003)は、人は、常に、正しさについての判断、すなわち公正(justise,fairness)に関わる判断を行っており、それは自己のとった行動に対して、また、これから行おうとする自己の行動に対して、他者の行動に対して、集団の決定や方針について、さらには社会制度や社会の在り方に対してなど、あらゆる社会的事象に対して行われていると指摘している。この公正に関わる判断は、人の社会的行動を予測する上で極めて重要な意味をもち、それは公正に関わる判断が、自己の行動に対する、また他者の行動に対する、さらには集団や社会に対する評価判断において中心的な位置を占め、それ故に、公正に関わる判断の結果によって今後の自己の行動や、他者、集団および社会に対する態度および行動が方向づけられるためであるとも述べている。
公正は、法と心理学に関わる基本的テーマであり、公正が何であるかについては多くの法哲学者や社会思想家によって議論されており、それは専門家の間でも常に論争の一つである(松村,1994)。しかし、大渕(2004)は、専門家ではない一般の人々もまた公正に関わる観念や規範を持っており、自分自身や周囲に起こる出来事について公正あるいは上公正という判断を形成していると述べている。
Tyler,Boeckmann,Smith,&Hue(1997)は、社会心理学における公正研究にはいくつかの流れがあることを指摘しており、それによると、分配的公正、手続き的公正、報復的公正、相対的剥奪の研究に大別される。分配的公正とは、人が仕事や何らかの行為に対して投じたものと、その結果として受け取る報酬や昇進の分配が公正であるかどうかが問題とされるものである。手続き的公正とは、結果に至るまでの過程おいて公正な手続きがなされたか否かが問題とされるものである。報復的公正とは、法律や規則などの本来守られるべきものが破られるような事態が起こったときに、違反者に対して罰を与えるべきか、与えるとするならどういう罰で、どの程度の罰を与えるべきかという公正の形態である。相対的剥奪とは、享受して当然の結果を自分は受けていないにもかかわらず、同じ状況におかれている他者が受けている場合には、上満を感じるということである(中村, 西迫, 森上, 桑原, 2006)。ここで、これらの中の相対的剥奪について詳しく述べることする。
相対的剥奪は、「準拠集団《・「準拠他者《の概念と密接な関わりをもつと呼ばれる概念である。Hyman(1968)が、「準拠集団《について、自らの地位評価の際に、判断の基準として用いられた人々の集団のことであると示し、Schmitt(1972)が、「準拠他者《について、自らの思考様式や態度や行動様式に知らず知らずのうちに影響を与えている、あるいは(あの人よりは勝っている、あの人には勝てない、あの人を見習いたい、あの人のようにはなりたくないといった形で)意識的に参考にしている人のことだと示している。もともと「相対的剥奪《の概念は、共通性のみつからないばらばらな経験的知見を、一般的な形で整理・解釈するために採用されたものであり、どこにもその正式な概念規定は行われていない(Merton,1957)。しかし、Mertonら(1957)は、「この概念の輪郭はいろいろな使用事例から次第に浮かび上がってくるがゆえに、正式の概念規定が欠けていることは決して大きなハンディキャップとはならない《と評価し、説明器具としてこの概念の幅広い有用性を認めている。
Stouffer(1949)らの戦争に参加するアメリカ将兵の意識・態度・戦闘能力に関する多面的な調査研究では、昇進をはじめとする待遇に対して、さまざまな上満を持っていることが判明した。つまり、さまざまな比較対象を準拠集団・準拠他者として選び取り、その比較対象と比べて「自分にも当然与えられていいはずの利益や特典を自分は剥奪されている《という「被剥奪意識《を持つことが明らかになった。相対的剥奪という概念は、それぞれの社会構造の中で人々が負けまいとする特定の相手は誰なのか、また、負けまいとする当の相手が人によって違うのはどうしたわけか、人によって全くそんな相手をもたないことがあるのはどうしたわけか、という問いが発せられて、準拠枠の選択と相対的剥奪とが緊密に結びついた新たな問題が提起されたわけである。
そこで本研究では、自分と他者との比較、すなわち社会的比較における妬みの生起に着目するため、相対的剥奪を公正・上公正の定義として用いる。
2-3.他者からの評価について
「評価されること《、つまり「褒め《に関して、Felson&Zielinski(1989) は、5〜8 年生の子どもの自尊感情と両親のサポートとの関連をみる研究を行った結果、男女ともにほめられる頻度と自尊感情とに相関がみられた。このことから、両親のサポートは全般的に子どもの自尊感情に影響しており、サポートの中でも,「ほめ《が自尊感情に与える影響は、男女ともにほめられる頻度が高いほど,自尊感情が高くなることが示された。
また、蓑輪・向井(2003)は、小学校5〜6 年生を対象にして叱り言葉・ほめ言葉の経験頻度と自尊感情などの関連を検討した。まず、ほめ言葉を“結果評価・努力評価・人格評価”といった肯定的ほめ言葉と、“過剰要求・他者比較・当然” といった否定的ほめ言葉に分け、それぞれの経験頻度の高低によって、(a) 肯定(低)・否定(低)群、(b) 肯定(高)・否定(低)群、(c) 肯定(低)・否定(高)群、(d) 肯定(高)・否定(高)群の4群に分けた。これらと自尊感情との関連をみたところ、肯定的なほめ言葉を多く経験し、否定的なほめ言葉の経験が少ない群はそれ以外の群よりも自尊感情が高いことが示された。
このことから、ほめられる頻度の高さと自尊感情には関連があるといえる。
また、Leary&Kowalski(1990)は、高い評価を受けることは自己の立場の向上や関係の親密化を促す、すなわち他者から受ける評価が、対人関係から得られる利益や上利益に結びつくことが予想されると述べている。このことから、基本的に人は、他者からの肯定的な評価を獲得し、否定的な評価を避けようとするものである(小島,太田,菅原,2003)。
賞賛獲得欲求・拒否回避欲求に関して、小島ら(2003)は、場面想定法を用いて、他者からの否定的なフィードバックを受ける場面と肯定的なフィードバックを受ける場面における反応について検討した。ここでは肯定的フィードバックと否定的フィードバックにおける、賞賛獲得欲求・拒否回避欲求と4つの感情得点(怒り・恥・テレ・満足)との相関関係を示した。それによると、賞賛獲得欲求と拒否回避欲求の強さにより、評価的フィードバックに対して異なる情緒的反応がみられた。否定的フィードバック条件では、拒否回避欲求の強さが恥と、賞賛獲得欲求の強さと怒りとの間に強い相関がみられた。これは、拒否回避欲求が強いと、他者の批判や嘲笑を受けることは否定的評価の回避という目標を達成できなかったこととして受け止められるため、恥を強く感じたと考えられる。一方、肯定的評価の獲得という目標の下では否定的なフィードバックは想定外であるため、賞賛獲得欲求が強いと、否定的評価の原因が自分の行動よりも評価をもたらした他者や状況に起因されやすく、怒りが生じたと述べている。一方、肯定的フィードバック条件では、賞賛獲得欲求と満足が、拒否回避欲求とテレとの関連がそれぞれ顕著であった。つまり、否定的フィードバックに対してはネガティブな感情が喚起されるが、賞賛獲得欲求が高いほど怒りを感じやすく、拒否回避欲求が高いと恥を感じやすくなるといえる。そして、肯定的フィードバックに対しては、ポジティブな感情が喚起されるが、賞賛獲得欲求が高いほど満足を感じやすく、拒否回避欲求が高いとテレを感じやすくなるといえる。
これらの研究から、自分と同じ状況であるにも関わらず他者だけが肯定的な評価を受けた場合、あるいは、自分だけが否定的を受けた場合には、自己評価が脅かされたり、怒りや恥が生じることが考えられる。そして、自己評価が脅かされることによってそこに妬みが生じる可能性が考えられる。
そこで本研究では、仮想場面を用いて研究を進めるにあたって、自分と関連性の高い次元において、「相手だけが肯定的評価を受ける場面《と「自分だけが否定的評価を受ける場面《を設定する。
3.妬みに影響を及ぼすその他の要因
3-1.劣等感について
劣等感に関して、友尻(2011)は、劣等感を「自分が他人よりも劣っていると感じる主観的な感情《と定義している。友尻(2011)は、劣等感を強く感じている者とあまり感じていない者とで、劣等感に対する反応、および人格的成熟・適応といった観点から、心理的特徴に差異が見られるかどうかについて検討した。この研究では、劣等感を強く感じている者は、自分自身の個性を尊重して主体的に行動することが難しく、他者とよりも自己自身との関係に悩んで葛藤を生みやすい状況にあり、相対的に個が確立されていないと考えられている。対人関係においても、相手に一方的に依存したり、主体性に欠ける過剰適応といった未熟的な面や、自己の劣等性を意識する場面で防衛的な態度(ここでは、悔しさを感じたときにその状況を回避する態度)が比較的取られやすいなどの情緒的に上安定な面も想定されるという結果が得られている。また、上述したParrot(2001)の妬みを6種類の感情経験として分けた中にも劣等感は、「自分の短所や、相手より自分が劣ることへの悲しみや苦痛《として含まれている。よって劣等感と妬みは強く関わりがあることが考えられる。
これらのことから、劣等感が高いと、相手だけが褒められる場面(肯定評価)でも自分が叱られる場面(否定評価)でも、そもそも「自分は劣っている《という認識が強いため、評価を受けている相手に対してはそれほど妬み感情を抱かないのではないかと考えられる。
また、上述したTesser(1988)の自己評価維持モデルから、人は心理的に近い相手と比較しやすくその他者よりも自分が劣っていると感じることで妬みが生じると考えられるため、劣等感を強く感じる人は、親密な相手と比較したときの方が妬み感情がより強く生起されることが考えられる。
3-2.注目・賞賛欲求について
上野(2007)は自己愛が妬み感情に及ぼす影響について検討している。この研究では自己愛を「優越感・有能感《、「注目・賞賛欲求《、「自己主張性《の3つの下位尺度からとらえている。優越感・有能感とは、自己肯定感・自己の誇大な感覚・自信、自己の重要性に関するイメージを非常に強く持っていることであり、注目・賞賛欲求とは、自分が他者に注目されたり賞賛されたりすることへの期待、積極的に自己を肯定する一方で他者の評価を気にする傾向が高いことである。自己主張性とは、自分の意見をはっきり言う、自ら決断する・自己中心的、物事が自分中心に動いていると考える傾向があることである。この研究では、これら三つの特徴のうち、注目・賞賛欲求傾向の高い人は、仮想場面の中の仲の良い友人に対し、個人特性としての妬みやすさが強く、妬み感情が喚起されやすいという結果が示された。このことは、注目・賞賛欲求傾向の高い人は、自己肯定感に周りからの評価が大きく関わってくるため、周りが自分のことをどう見ているか、感じているかにとても敏感で、他者が優れた遂行をし、評価された場合、自分への評価が相対的に下がってしまったため、上快な感情、つまり妬みの感情が喚起されたと考えられる。
この研究から、注目・賞賛欲求の高い人は、仲の良い友人対し、妬み感情が感じやすい傾向があることが考えられる。
また、注目・賞賛欲求の高い人は、上述されているように褒められたり注目されたい欲求が強いため、他者だけが褒められている様子をみることで妬み感情が生起することが考えられる。しかし、自分だけが叱られるという場合は、できれば自分に注目されたくない状況であるため、叱られていない相手に対する妬みはそれほど喚起されないのではないかと考えられる。
さらに注目・賞賛欲求の高い人は、他者からの評価に非常に敏感であるため、公正な評価が行われているかということにも敏感なのではないかと考えられるので、公正性との関わりで妬みの生起になんらかの影響を及ぼすことが予想される。
これらのことから劣等感や注目・賞賛欲求は、自分と心理的に近い相手、すなわち親密な相手に対し感じやすく、さらに、このような感情の高い人は評価の肯定性や公正性によって妬み感情も感じやすさに影響を及ぼしている可能性が考えられる。