【問題】



2.同情とは
2-1.同情の定義
 Wispe(1986)は,同情を「苦境に立たされている他者に対して「かわいそう」「気の毒」「不憫」と感じることで,いたわりや心配,あわれみを相手に向ける感情である。」と定義している。佐藤(2010)によると,共感という概念が導入される以前は,日本では同情,英語圏ではsympathyという言葉が用いられており,次第に同情と共感が区別されるようになった。心理学領域における共感についても,初めは同情と似たものと扱われていたが,ネガティブな感情体験だけではなく,ポジティブな感情体験の意味や主体の能動的な視点が強調されるようになり,同情とは区別されるようになったと考えられている。本研究においては,Wispe(1986)の定義を用いることとする。


2-2.同情の生起メカニズム
 Weiner(2006)は同情の生起メカニズムについて述べている。同情の生起には,原因の所在(locus),安定性(stability),統制可能性(controllability)の3つの次元に分けられた原因の認知が影響している。原因の所在は,その人の能力や努力など自分自身の資質や行動に原因があるとする内的帰属と,運や他者からの妨害など自分以外の人や事象に原因があるとする外的帰属に分けられる。安定性は,原因の時間的安定性に着目した次元であり,例えば,能力は時間が経っても変わるものではないので安定と考え,一時的な努力やその時の運などは不安定と考える。統制可能性は,出来事の原因が自分の意志によって変わりうる程度のことを指す。 Weiner(1980)は大学生に友人が授業のノートを借りたいと頼んできたと言う場面を想定させた。そのノートを借りたいという理由として,@ビーチで遊んでいたために授業に出られなかったとする場合(統制可能条件)と,目の治療のために黒板が見えなかったとする場合(統制不可能条件)に分け,この2つの条件で怒りと同情をどの程度感じるかを評定させた。その結果,統制可能条件では同情よりも怒りを感じ,統制不可能条件では怒りよりも同情を感じることを示した。ビーチで遊んでいたことで授業に出なかったことは,その人の努力で解決できることであり,評定者はただの努力不足だと判断し,怒りを感じたと考えられる。一方で,目が見えないといった身体的な問題は,その人の意志で変えられるものではないので,評定者は同情を感じたと考えられる。この研究から,この統制可能性の次元が,同情の生起に最も影響する原因の次元であると示唆された。 また,Weiner, Graham, & Chandler (1982)は,大学生に日常生活で同情した例を想起させてどのような状況で同情を感じるのかを調べた。その結果,最も頻繁に報告されたのは身体に障害のある人を見た時であった。このことから,同情は内的で安定した統制不可能な状況で最も生じやすいと示唆された。


2-3.同情と共感の違い
 同情と類似した概念に「共感」がある。広辞苑(第六版)によると,同情とは「他人の感情,特に苦悩・不幸などをその身になって共に感じること」とされており,共感とは「他人の体験する感情や心的状態,あるいは人の主張などを自分も全く同じように感じたり理解すること。同感。」とされている。心理学領域においては,同情は「苦境に立たされている他者に対して「かわいそう」「気の毒」「不憫」と感じることで,いたわりや心配,あわれみを相手に向ける感情である」(Wispe,1986)と定義されており,共感は「他者の感情の理解を含めて,他者の感情を共有すること」(澤田,1998)と定義されている。しかし,同情と共感の違いについて明確に定義した研究者はいない。そこで,本研究において,同情は自己指向性を持った他者との共有経験であるのに対し,共感は他者指向性をもった他者との共有経験である(佐藤,2010)として区別する。つまり,誰かがある状況にあるとき,「あの人はきっとこう感じているだろう」と他者指向的な視点をとるか,「自分ならきっとこう感じるだろう」と自己指向性な視点をとるか,ということである。例えば,「それはつらかったね。」という言葉は,あわれみの意味を含んでおらず,他者指向的な視点をもっているため,「共感」である。対して,「それは気の毒だね。」という言葉は,相手をあわれんでおり,自己指向的な視点をとっているため,「同情」である。


2-4.同情された出来事およびそのときの感情
 小川(2011)の研究において,日常生活のなかで人から同情される状況や,同情されたときの感情を把握することを目的として予備調査がとられた。その結果,同情された出来事は,「対人関係の悩み・トラブル」,「部活の大会の失敗」,「勉強・受験の失敗」,「病気・事故によるケガ」,「恋愛での失敗」,「所有物の損失」,「家庭・経済環境」,「死別」,「その他」の9つに分類された。本研究のおいては,これらの分類された出来事を参考にして仮想場面を設定する。また,同情されたときの感情の分類としては,相手の同情に含まれる心配や励ましに対して喜ぶ感情である「喜び感情」,同情されて自分自身がネガティブな状況にいることを強く認識し,自分の状態や相手に気を遣わせたことに対して落ち込む感情である「落ち込み感情」,相手と自分が同じ立場に立っていないと認識し,同情した相手に対しての怒りや苛立ちといった感情である「反発感情」の3つに分けられた。本研究では,より多面的な感情を測るために多面的感情状態尺度を用いるが,採用する下位尺度を判断する際に小川(2011)の分類を参考にした。採用した下位尺度である「抑鬱・不安」,「敵意」は大きくネガティブ感情として扱われるものであり,「落ち込み感情」,「反発感情」に近いものであると考えられる。「活動的快」,「非活動的快」は大きくポジティブ感情として扱われるものであり,「喜び感情」に近いものであると考えられる。


3.情緒的サポート
 人はネガティブな状況に陥ったとき,親密な関係の人からの情緒的なサポートを求めることが示唆されてきた。これまでの研究において,情緒的サポートの効果が送り手と受け手の親密さによって異なってくることが報告されている。例えば,Dakof & Taylor(1990)の研究があり,がん患者との面接場面で親密さによる情緒的サポートの効果の違いを調べた。がん患者は親密な人からの情緒的サポートを有益だとみなし,その一方で,親密な人からの情緒的サポートがなかった場合には,がん患者はその相手との関係は有益でないとした。このように,情緒的サポートはサポートの受け手にポジティブな影響を与えることが明らかにされてきた。その一方で,情緒的サポートを含むソーシャルサポートがネガティブな影響を与えることも報告されている。先述したDakof & Taylor(1990)の研究もその一例であり,様々なストレスを経験する場面において報告されている。サポートの送り手が受け手にとって有益になると意図した行為が,結果として受け手は受け入れられず,心理的苦痛を増幅させてしまうことが示されている(福岡,1997)。また,福岡・橋本(1999)では,友人関係における認知レベルでのサポート受容(入手)・提供の相互性について調べている。サポート入手−提供の互恵性が感情状態に及ぼす影響について,認知レベルでは満足感が「入手≒提供」群,負担感・苛立ちが「入手<提供」群,心理的負債感が「入手>提供」群,それぞれ最も得点が高かった。これらのことからサポートを受けることだけがポジティブなのではなく,むしろサポートを与えることや両者のバランスが重要である,ということが示唆された。本研究においても,同情をする/されるという情緒的サポートに関わる行為を扱う上で,サポートをすること,されることが必ずしもポジティブな影響を及ぼすわけではないことを考慮する必要があるだろう。


4.同情による感情の生起に関わる要因
4-1.劣等感
 劣等感とは,「他者と自己を比較し,他者よりも劣っていると感じる主観的な感情 (友尻,2011)」である。佐藤(2010)は,同情においてはする側とされる側に優劣の関係が生ずることがあると述べている。小川(2011,2014)の研究では,青年期は友人に対する劣等感を強く感じる時期であり,同情における劣等感を想定することの必要性を示唆している。先行研究においては,劣等感の強弱に関わるパーソナリティとして,自己志向的完全主義,内省,競争心,親和動機などがあげられてきた(高坂・佐藤,2009)。また,同情の受け手が同情をされてネガティブな感情を生起する原因として,自分がネガティブな状況になった原因を自分の能力不足にあると認識するためであると報告されてきた(Graham,1984)。小川(2014)では同情された人が自分の能力不足を認識するプロセスを同情する人の視点,同情される人の視点からまとめている。同情をする人はネガティブな状況になった原因が統制不可能で相手の能力不足にあると認識して同情することが多い。同情をするときにはこのような認識をもっているため,自分が同情をされるときにもその原因を自分の能力不足と推論しやすくなるのである。このとき,同情をされる人は自分には能力がないのだと自己評価が低下し,劣等感などのネガティブな感情を抱いていることが予想される。したがって本研究においては,劣等感を媒介変数として扱う
 
 
4-2.親密さ
 同情においては,同情した人があまり知らない人の場合よりも親しい人の場合のほうが,喜び感情は高くなり反発感情は低くなることが報告されている(小川,2011)。この結果から,親密さの違いが同情によって生じる感情の違いに影響していることが示唆された。本研究では,劣等感を弱める要因として相手との親密さが関連してくると捉える。親密さと劣等感を関連づけるものとしては,Tesser(1984)の提唱した自己評価維持モデル(Self Evaluation Maintenance Model:SEMモデル)があげられるだろう。SEMモデルとは,主に友人関係を中心に他者との比較を通じた個人の自己評価をどのように維持するかをモデル化したものである。SEMモデルでは,自己評価を行う際の過程として,比較過程と反映過程の2つが想定される。それらの過程の生起は他者と自己の心理的距離(closeness),課題が自己に関連する度合いの自己関連性(relevance),他者の遂行レベル(performance)の3つの要因によって規定される。比較過程は,自己と他者を比較するプロセスである。自己関連性の高い課題において他者の遂行が自分よりも優れていた場合,その他者が心理的に近ければ近いほど,自己評価は脅威にさらされ,ネガティブな感情を生起すると考えられている。反映過程は,自分と他者を同一視するプロセスである。自己関連性が低い課題において他者の遂行が自分よりも優れたものであるとき,その他者が自分と心理的に近ければ近いほど,その成功を共に喜ぶ気持ちが強くなり,他者の成功を自分に引き寄せて自己評価が引き上げられると考えられている。しかし,これらのことについて下田(2011)は,他者との関連性に焦点をあてた場合,他者よりも優れていることが必ずしも手放しで喜べることではないと述べている。ある遂行領域において親密な他者よりも自分のほうが優れている場合,これは同時に親密な他者が劣っているということになる。よって,親密な他者は自己評価が下がり,劣等感などのネガティブな感情を抱くことが予想される。自己評価が関わる場面においては,親密な他者からのメッセージが必ずしも受け手にポジティブな影響を与えることにつながるとはいえないだろう。劣等感が他者比較によって生じる感情であることを踏まえると,劣等感が生じると想定される同情に親密さが関わってくる可能性があるだろう。よって,本研究では劣等感を想定して親密さを1つの要因として検討する。


4-3.経験の共有
 経験の共有というのは,同情をする側がされる側の経験したネガティブな出来事を同じように経験しているかどうかをいう。同情する側とされる側が同じ経験の共有をすることは,両者の差異をなくすことになると考えられるため,両者の比較から生じる劣等感を弱めると予想される。丸山・今川(2002)は,他者に悩みを開示・共有することによって安心感を得たり,不安を軽減したりといった心理的サポートが得られると述べており,ここでは同情する側と同じ経験を共有する際に,相手から開示されることが重要であると考えられる。また,小川・中澤(2014)は,慰めが受け手に与える効果に影響する要因や,慰められたときに生じる認識や感情の要素を探索的に検討するため,大学生を対象に過去に友達から慰められた体験についての半構造化面接を行っている。その1つの要因として「相手との立場」があげられており,これはストレスになった問題に関して,慰めをした相手が自分と同じ状況にいるか,自分よりも望ましい状況にいるかどうかの要因である。慰められてポジティブな感情になったときは,慰めた相手が自分と同じ立場や状況で頑張っていた場合であり,相手は自分の気持ちを理解していると認識して感謝の気持ちが生じたことが示唆された。それに対して,慰めた相手と自分の立場の違いが明確であり,その立場の違いが正当なものでない場合には,相手は自分のことを理解せず見下していると認識して,反発する感情が生じていたことも示唆された。このように,相手と自分が同じ立場にあること,つまり両者の立場に差異がないことがポジティブな影響をあたえると予想される。本研究においては,この両者の差異をなくすための要因として経験の共有を検討する。


4-4.被援助志向性
 人は日常生活で困難に直面したとき,その問題を解決するために他者に援助を求めようとすることがあり,その認知・態度を「被援助志向性」という。水野・石隈(1999)は,被援助志向性を「個人が,情緒的,行動的問題および現実生活における中心的な問題で,カウンセリングやメンタルヘルスサービスの専門家,教師などの職業的な援助者および友人・家族などのインフォーマルな援助者に援助を求めるかどうかについての認知的枠組み」と定義している。同情は情緒的サポートの1つであり,生活上の困難に立たされた相手に対して行われるものであるが,これまでの同情研究では同情される側の被援助志向性に焦点を当てられてこなかった。同情のような肯定・否定のような二面性を持った曖昧で感情的な要素を含んだ他者からのメッセージは,相手の抱く期待によって解釈が大きく異なると考えられている。また,サポートへの期待が大きいほど,サポートの欠如は受け手に心理的不満を生むとされている(源氏田・村田,2007)。つまり,サポートの受け手がネガティブな場面に遭遇し他者からの共感的なメッセージを期待した場合に,送り手が受け手の感情を理解したメッセージを送れば,それを受け手は肯定的に捉えポジティブな感情を生起するだろう。逆に,送り手が受け手の感情を理解していない非共感的なメッセージを送れば,受け手はそれを否定的に判断し,心理的不満を生むだろう。さらに,先述したように親密な相手に対して情緒的サポートを期待することが示唆されており,個人がどのようなサポートを求めるかについては明らかになっている。しかし,どの程度援助を求めるかといった個人のパーソナリティについては明らかにされていない。そこで,本研究では,この期待を被援助の期待と捉え,同情される側の要因として被援助志向性に着目し,同情される側の他者に援助を求める態度を検討する。
 また,被援助者に焦点を当てた研究では,被援助者にとって援助が常に肯定的な意味をもつわけではないことが明らかにされている。これについて,Fisher, Nadler & Whitcher-Alagna(1982)が自尊心脅威モデルを提唱している。この自尊心脅威モデルは,援助を受けることが自己に対して肯定的,支持的な効果と否定的,脅威的な効果の双方を生みだすことを前提にしている(西川・高木,1990)。援助が脅威的になる場合として,援助が援助者の被援助に対するあわれみや軽蔑を意味するときや,援助が社会のなかで望ましいとされている自立に失敗したことを意味するときなどがあげられている。本研究の同情は「あわれみ」の意味が含まれるため,同情の受け手が同情を「あわれみ」の言葉として受け取った場合には,同情というサポート行為が受け手には脅威的なものとなりネガティブな感情を生起することが予想される。さらに,西川・高木(1990)では,援助を受けずに苦境を乗り切ることができるかどうかという事態の統制可能性,援助者と被援助者の間の社会的近接性,被援助者の自尊心の高さの三要因から,自尊心に脅威的な被援助経験が,援助原因の帰属や被援助者の感情反応に及ぼす影響を検討している。その結果,援助者が知人の場合には,統制可能性が低い状況の被援助者のほうが,援助者に対して好意的な感情態度を抱き,援助者が友人の場合には,統制可能性が高い状況の被援助者のほうが,援助者に対して好意的な感情態度を抱くことが示唆された。同情の生起メカニズムとして統制可能性の次元が,同情の生起に最も影響する原因の次元であるといわれており,統制不可能な状況で同情が生起されると考えられているため,本研究では統制不可能(統制可能性の低い)な状況を設定する。つまり,同情が生起される統制不可能な状況では親密な相手から同情をされたほうがポジティブな感情が生起されると考えられる。
 以上より,本研究では同情されたときの感情を左右する要因として,親密さ,経験の共有,被援助志向性に着目し,他者からの同情によって生じる感情を検討する。