【問題と目的】
1.はじめに
思春期に子どもが親へ歯向かう時期は「反抗期」として広く知られている。乳児期から幼児期にかけて現れるものが「第一反抗期」と呼ばれるものに対して、思春期に現れるものは「第二反抗期」と呼ばれる。
内田(2006)によると、「第二反抗期」が自我の目覚め、自我の芽生えから生じると説明されることもあり、現代では第二反抗期が存在することは自明のように考えられていることもある。しかし、心理学界隈では第二反抗期が減少してきている(白井,1997)といったことが報告されてきている。そのため、世間では「自分の子どもは反抗期がないのだが大丈夫か」といった声が多く見られたり、「私は第二反抗期が無かったのだが、問題があるのだろうか」といった質問が学生から多くあったりする(石川,2013)といった現状がある。このことから、現代では「第二反抗期が無い」ことに不安を抱える人が一定数いるということが分かる。しかしこのように、第二反抗期の有無にのみ焦点をあててしまっていていいのだろうか。反抗期が無くなってきていることが本当であるならば、何か原因や背景があるはずである。それとともに、子どもに与える影響の良し悪しを考えていくことで、現在の反抗期の現状について明らかにしていく必要がありそうである。
2.第二反抗期
(1)第二反抗期の定義
1920年代に、ドイツの心理学者クロー(Kroh,H)とビューラー(Buhler,C)が、子供の発達成長の3歳前後と10代前半に、周囲のおとなに対して反抗行動が多発する現象を見出した。そして前者を「第一反抗期」、後者を「第二反抗期」と名付けるようになった。このことは、第二反抗期というものは日本に限らず他の国の子どもにおいても共通して見られる現象であることを意味している。また、日本では、第二反抗期について近年雑誌などで盛んに取り上げられており、2013年8月号「児童心理」は、「反抗期を乗り切る」といった特集を組み、何故子どもは反抗するのか、といった原点に返って議論をしていたり、第二反抗期における子どもへの対処の仕方などを指摘したりしている。
また、山口(1991)は第二反抗期について、自我が急速に成長する12,13歳の頃の思春期に現れるものであり、独立した一個の人格が確立されようとする時期だと説明をしている。また、内田(2006)は、思春期の第二反抗期は、「自我の目覚め」「自我の芽生え」と表現されるように、子どもが自分の意思や主体性を持ちはじめたことの証であるといっている。つまり、第二反抗期が生じる理由としては、人間が成長するにあたって自我が確立される過程で、精神面での独立・自立欲求を抱くためであると考えられる。そのような独立・自立欲求を抱くために、多くの場合、父親・母親や教師・社会的な権威、制度、など、抽象度の高い対象に対しても攻撃,批判,嫌悪,いらだちといった反抗的な態度が表れると考えられる。
また、反抗の形は様々であると考えられており、住田(1995)によると、反論・口論・嘘・不平不満といった言語的反応、黙殺・冷眼・不機嫌といった非言語的反抗、癇癪や破壊的行動といった行動的反抗があると言われている。また、あからさまに行動に移す反抗だけではなく、心の中で抵抗をするといった内面的な反抗もあるという。このことから、第二反抗期を研究として扱っていくうえで、行動面と感情面の両方からの検討が必要になってくると言えるだろう。
(2)これまでの第二反抗期の研究
このように「第二反抗期」は、自我の芽生え・自我の目覚めと言われることから、人間が成長する上でとても重要な時期であると考えられており、一般的にもよく知られている用語である。しかし、心理学のテーマにおいて第二反抗期を取り上げたものはまだ少ない。また、近代において「第二反抗期」というものは減少してきているとの指摘すらある。これを裏付ける根拠として、深谷(2004)が中学生の家族や親に対する意識・かかわりを調べるために行った調査がある。その結果、「親との関係はうまくいっているか」といった質問に対し、全体として約8割の学生が「うまくいっている」と回答をしていることが分かる。また、2008年3月号の「児童心理」において「第二反抗期の喪失が男の子にもたらすもの」といった特集がくまれており、著者の小野寺は「NHK中学生・高校生の生活と意識調査」を取り上げている。この調査は親との関係を時系列的に検討するといった目的があり、「お父さん・お母さんは、私に対してやさしくあたたかいほうだ」といった質問に対して、「そう思う」と回答する学生が増えてきていることが分かっている。つまり、かつての厳しい親は姿を消してしまったように解釈ができ、優しく友好的な親の前で反抗期をおくる子どもというものが存在しにくくなっていると考えることができる。しかし、「自我の芽生え」が起因となる第二反抗期が減少しているということが本当であるならば、それは子どもの発達に支障をきたす可能性もあるのではないだろうか。
そこで、第二反抗期は必ずしも必要がないという近年の新しい考え方として白井(1997)が提唱した「組み替えモデル」というものに注目する。組み替えモデルにおいて、第二反抗期は必ずしも青年の発達のために必要ではなく、むしろ青年の自律の欲求の芽生えに対して、親が適切に家族システムを対応できない場合に生ずるものだと考えられている。つまり、組み替えモデルにおける第二反抗期とは、親の対処行動の失敗であり、青年の自律欲求の高まりに対する親子システムの不具合によるもので、青年に必然でも、必要不可欠なものでもないとされている。深谷と小野寺が指摘するように親子関係が良好になってきているならば、この近代に登場した青年と家族の考え方というものは、第二反抗期を考える上で重視をされるべきであろう。
しかし、青野(1997)が大学生女子の反抗の実態を把握するために行った調査では、「反抗的な気持ちを強く感じた時期があったか」といった質問に対し、155名中の149名、つまり96.1%もの学生が「あった」と答えていると報告した。これを見ると、大学生女子のかなりの者が、第二反抗期が存在したと回想していることが分かる。このような調査をふまえると、現代において「第二反抗期」が減少しているということは一概に言えないことが分かる。
「親との関係がうまくいっている」「親はわたしに対して優しい」と答えるものが大半を占める現代で、「第二反抗期」はどのように存在をし続けているのであろうか。現代の「第二反抗期」は、子どもにどのような影響を与えているのだろうか。「第二反抗期」を改めて見直す必要がありそうである。
また、これまでの第二反抗期の研究として、松平・三浦(2006)では、中学生男女の父親存在感認識と情緒的自律の発達について調査をしている。その結果、「お父さんの考え方はたいてい正しいと思う」などの項目をもつ「父親肯定感因子」と、「情緒的自律得点」が負の相関関係を持っていることを報告した。つまり、父親への情緒面での第二反抗期と、中学生の情緒的自律が促進されることは関係があるということが分かる。
他にも、江上・田中(2013)では、大学生男女の「反抗期有」群と「反抗期無」群の多次元自我同一性の差を比べており、「反抗期無」群の方が、多次元自我同一性の平均値が有意に高いことを報告している。この研究では、反抗期があった理由や無かった理由を調査しているが、反抗期の有無の背景の違いが多次元自我同一性に及ぼす影響については検討がなされていない。それと比べて、石川(2013)では、第二反抗期の有無だけではなく、その影響評価の観点から検討をし、有無のみでは明らかにならない背景を検討している。その結果、反抗期が無かったことが今の自分にとってプラスに感じると答えた群の自我同一性が、反抗期が有ったことをマイナスに感じている群・反抗期が無かったことをマイナスに感じている群よりも有意に確立されていると報告をしている。また、石川(2013)は女性の被調査者に限定をして分析を行ったため、これは女性の傾向が現れた結果と言えるだろう。そして、この調査においても、反抗期有群が74.4%,反抗期無群が25.6%といった結果が報告されており、従来のように、第二反抗期と呼ぶにふさわしい特定の期間が青年前期に存在すると考えられる。
これらの調査の結果から第二反抗期は現在も存在していると言えるが、それは必ずしも必要であるということは言えないと考えられる。第二反抗期有無の背景によって子供への影響の良し悪しが問われるべきであるといえるだろう。
(3)親の養育態度と第二反抗期
杉山・長谷川(2013)は、中学生になるまでの親の養育態度と第二反抗期の規模との関連を検討している。杉山・長谷川が養育態度を測るために使った尺度は、Parkerら(1979)が作成したPBI(Parental Bonding Instrument)尺度の日本語版である。この尺度は「親は、私によく微笑みかけてくれた」といったCare(養護)得点と「親は、私がしようとすることすべてにわたって、コントロールしようとした」といったOver-protection(過保護)得点の2つの下位尺度からなる。その結果、両親ともに、過保護得点が高いことは第二反抗期を促進し、養護得点が高いことは第二反抗期を抑制しているといった結果を報告した。
また、親子関係の研究において多方面にわたり使われている、辻岡・山本(1976)が作成した親子関係診断尺度(EICA)というものがある。EICAの下位尺度には「好きなだけ外に行かせてくれる」といった「自律性」と、それと対になる「私が何をすべきか私に指図したがる」といった「統制性」が含まれる。そこで注目したいのが、PBI尺度におけるOver-protection(過保護)得点とEICAの統制性がとても似ているということである。よって、PBI尺度のOver-protection得点は「統制性」を測ることに適する尺度であり、「過保護」という養育態度は測ることはできないのではないかと私は考える。また、「過保護」は「親の愛情の押しつけ」とよく言われることから、親の子どもへの愛情を伴うものであると考えられる。よって、「過保護」を測るには、鈴木ら(2002)がPBI尺度のCare得点高群とOver-protection得点高群を組み合わせたものを「過保護」としたように、親の子どもへの情愛を考慮する必要があると考えられる。
また先ほども述べた、江上・田中(2013)では、大学生に第二反抗期が有った理由・無かった理由を記述形式に答えさせている。有った理由としては、「親が過保護すぎたから」や「親の普段の態度や性格」、「子ども扱いする親とのぶつかりあいのため」といった理由が報告されており、無かった理由としては、「父や母がいい意味で自由にさせてくれた」や「親が厳しく、反抗の意思を持つだけの余裕すらなかったため」といった理由を報告している。このことから、子どもの第二反抗期の有無を決める要因の1つとして、親の養育態度があることがわかる。よって、第二反抗期の有無の経験が子どもに与える影響を考える上で、反抗期の有無を左右する親の養育態度に注目をすることは意義があると言える。
(4)第二反抗期の対象
先ほども述べた青野(1997)は、大学生女子の第二反抗期の実態を把握するために、反抗現象そのものに焦点を当てた調査を行っている。その結果、大学生女子は母親を38.3%、父親を32.9%、両親が26.2%と、母親と父親の両親共が反抗の対象に選んでいることを報告した。また、親にどのような態度をとったかについて、母親へは「言い返す」といった態度が一番多かったことに対し、父親へは半数近くの学生が「口をきかない」といった態度をとっていることを報告した。このことから、娘は母親に対して反論や感情をぶつけるなど自己主張をし、自分を理解してもらおうと努力をしていると読み取れる。それに対して、父親に対しては口を聞かない、交渉をさけるなどといった回避的な、関係を持たないことで反抗的な態度を示していることが読み取れる。つまり、大学生女子は反抗の対象によって反抗態度が変わる傾向があり、母親とは、言い合いやいがみあいが多い反面、対立を克服してこその絆が深まる可能性が見られる。しかし、父親に対しては自己表現を抑制してしまい、コミュニケーションの回路が断ってしまう傾向があることが分かる。
反抗期が最も多いと言われている青年期前期の親子関係を取り扱っている研究として、高橋(2003)は青年期前期の自我同一性の発達と親子関係についての調査をしている。結果として、青年期前期の中学生男女において、両親との親和性とRasmussenの自我同一性尺度の全体得点に有意な正の相関が出ていることを報告した。これは、親との絆が深められていないことと、自我同一性が低くなるということは関係があるということである。これを反抗期時期の女子に置き換えて考えてみると、反抗対象が父親である場合、コミュニケーションが断たれることにより、父親との絆が深まらない可能性が考えられる。その結果、中学生時の自我同一性確立がされにくくなると予想できる。また、中学生である青年期前期は、急速な身体の成長とともに自我同一性の発達がはじまる時期にあたるため、その後の自我同一性の確立のされ方を考えていく上でも重要な時期であると言うことができるだろう。
よって、第二反抗期からの青年への影響を考えていく上で、親子関係を変化させる可能性がある反抗態度を考慮する必要があり、反抗態度を異なったものにさせる可能性がある反抗対象についての考慮をすることは意義があるといえるだろう。
3.自我同一性
Erikson(1959)は、人間の生涯を8つのライフサイクルに分け、それぞれの時期に特有の発達的テーマを通して、自我同一性の確立を提唱した。また、内田(2006)によると、人は青年期になると自我同一性形成期を迎えると言われている。そのため、自我同一性が確立するまでの過程である青年期までが、自我同一性を考える上でとても重視される時期であるという。形成期である青年期以降は、自我同一性安定期と自我同一性危機期を交互に繰り返しながら自我同一性が成熟されていくといわれている。
また、自我同一性とは、斉一性・連続性をもった主観的な自分自身が、周りから見られている社会的な自分と一致するという感覚である(谷,2001)といわれている。藤田・岡本(2009)は、Eriksonの自我同一性についての記述を整理し、自我同一性形成期までに、「自分とは何者か」「自分にはなにができるのか」という「同一性」の問題に悩んだ末に答えを導き出し、その答えに自分で納得し、それに従って行動できるようになることで形成が完了すると言っている。同一性の問題に答えを出すために必要な存在は、両親、友人、恋人といった他者であるといい、これを自我同一性確立のための不可欠な「土壌」として例えている。自分の考え方や、感じ方、価値観が他者との関わりの中で取捨選択され再構成されて自我が統合すると言われる。
また、自我同一性を確立するとどのようなメリットがあるかについては、大久保(2009)が、永続的な連続性があると無意識に感じられるような「自我統合」を行うことにより、成人の社会に入り込んで個を生かすことができるようになると言っている。また、自分の所属する集団の価値観や理想と、自分の核心をなす何かが一致していることを確認することができ、集団との間に連帯を持って生きていくことができると言われる。
つまり、青年期後期の自我同一性の確立とは、これから社会に出ていく上で、自分が必要とされる場所を考える上でも役に立つことが考えられ、そのためにも、友人はもちろん、両親との関係においての相互作用の中で確立されていくということが言える。
4.本研究の視点
前述したように、自我同一性の確立とは、「自分とは何者か」といった問題に答えを出した状態であるといえる。また、第二反抗期も「自我の芽生え」「自我の目覚め」のために生じるものだと言われていることから、第二反抗期の有無とその様態が、その後の子どもの自我同一性確立にどのように関係をしているかを調査することはとても意義があることであると言える。現に、石川(2013)や江上・田中(2013)の第二反抗期をテーマにした先行研究においても、自我同一性の確立を従属変数として調査をしている傾向が見られる。
また、第二反抗期の有無の経験が子どもに与える影響を考える上で、反抗期の有無を左右する親の養育態度に注目をすることが重要であるだろうということは先ほどにも述べた。そして、親子関係と第二反抗期と自我同一性をテーマにした論文として、さきほども述べた石川(2013)の論文がある。この論文において、自我同一性の確立が一番高かった、反抗期が無かったことが今の自分にとってプラスであると回答した群が、中高生の親との関わりの選択肢の中で有意に選んでいた項目として、「親は、自分を拘束したり干渉したりせず、自分の自由にさせてくれることが多かった」といった項目がある。このことから、親の養育態度からの反抗期時期を通した子どもへの影響を考える上で、親の養育態度の「自律性」が、結果として反抗期が無い子どもの高い自我同一性確立に関係してくるのだと考えられる。
また、前述した反抗期無群の被調査者において自我同一性の確立が高かったと報告した江上・田中(2013)であるが、反抗期無群が記述した反抗期が無かった理由として、「父や母がいい意味で自由にさせてくれた」「親が厳しく、反抗の意思を持つだけの余裕すらなかったため」などの理由があることが分かっている。石川(2013)のことを考えれば、この反抗期無群においても、親の養育態度の違いによって自我同一性の確立の高低が異なってくるのではないだろうか。
また、児童期の自我について徳山(2014)によると、児童期までの子どもは、大人の言葉を素直に自分の中に取り込む傾向があると言われ、周囲の大人が自分をどういった風に見ているかが、人格形成に重要であると言う。大人の見ている自分が、子どもにとっては「自分」というものであり、自分の特性や人格として受け入れられるといわれる。つまり、大人からの関わりが自分の人格の土台に関連すると考えられる。また徳山は、青年期は、児童期までに育てられてきた人格を、自分自身によって再構築し、自分でさらなる発達へと展開していく時期であると言っている。また、児童期と青年期を分ける最も重要な特徴は、子どもの独立・自立への希求が表れ始める点であると言う。以上により、青年期の自我同一性の確立の在り方が、親子関係からどのような影響を与えられているかを考える上で、人格形成の過程における重要な岐路にある児童期の親の養育態度を取り上げることは意義があると考えられる。
よって、本研究では、児童期の親の養育態度が反抗期の有無、そしてその後の青年期後期の自我同一性にどういった影響を及ぼすのかを検討することを目的とする。
また、田中(1993,2003)において、男女により父母の養育態度から受ける自我同一性への影響が異なるといったことが分かっているので、性差にも注目をすることとする。