総合考察
公正世界信念の下位概念について
本研究では,中学生のもつ公正世界信念を測定するために村山・三浦(2015)の公正世界信念尺度の3つの下位尺度12項目の一部に若干の修正を加えた尺度を用いた。その結果,不公正世界信念は,究極的公正世界信念と弱いながらも負の相関関係があったが,内在的公正世界信念との間には有意な相関は見られなかった。これは村山・三浦(2015)と一致している。村山・三浦(2015)は,究極的公正世界信念と内在的公正世界信念を合わせ一般的公正世界信念として扱える可能性を述べている。しかし,本研究では,究極的公正世界信念と内在的公正世界信念との間には相関関係が示されているが,それほど高い数値ではないことから,被験者たちが究極的公正世界信念と内在的公正世界信念を異なる概念として認識していることがうかがえる。よって,以降の分析において究極的公正世界信念と内在的公正世界信念はそれぞれ独立したものとして扱った。
いじめ関連行動について
本研究では,蔵永他(2008)のいじめ関連行動尺度に回答を求め,中学生のいじめ関連行動について検討を行った。はやしたて行動は被害者援助行動と負の相関関係を示す一方,傍観行動とは正の相関関係を示していた。また,傍観行動は被害者援助行動と負の相関関係を示していた。これは何を意味しているのか。はやしたて行動とは「いじめをはやしたておもしろがって見ている子どもたち(観衆)」の行動であり,傍観行動とは「見てみぬふりをしている子どもたち(傍観者)」の行動である。彼らは共にいじめを取り巻く周囲の子どもたちであるという点において共通している。本結果から,この両者はどちらの立場にもなる可能性があり,さらに被害者援助行動と負の相関関係を示していることから共にいじめを解決する方向に作用する者になるとは考えにくい。傍観者のこうした自己保身はいじめっ子への服従的態度の表明であり,むしろ彼らの存在はいじめを抑制するどころか,かえっていじめを黙認し,いじめっ子を支持する存在となる(森田・清永,1994)と言えるだろう。
集団内地位といじめ関連行動について
本研究では,提示したシナリオにおいて,そのシナリオ上での被験者の集団内地位を「人気者」または「目立たない存在」と示し,その集団内地位においてどのようないじめ関連行動をとるか蔵永他(2008)のいじめ関連行動尺度に回答を求め検討を行った。その結果,人気者が目立たない存在よりはやしたて行動および被害者援助行動とより行うこと,目立たない存在が人気者よりも傍観行動をより行うことが明らかとなった。この結果には,学級の他の子どもや教師からのサポートの感じやすさおよび学級集団内での自由に動きやすさが関係していると思われる。いじめ場面において解決行動を躊躇う心理として,学級や教師のサポート不足があることが分かっている(富澤・佐野,2014)が,集団内地位が上位の子どもは,自分自身は学級に影響力があると理解していること,学級集団内の地位が上位の子どもは下位の子どもより先生との親密性が高いこと,また集団内地位上位の者の方がより自由に動くことができることが分かっている(鈴木,2012)。よって人気者は周囲からのサポートを感じつつ自分の思い通りの行動をとれるため,はやしたて行動や被害者援助行動をとることができると考えられる。しかし,目立たない存在は周囲からのサポートを感じづらく,いじめへの巻き込まれ懸念があり(富澤・佐野,2014),思い通りの行動をとることが憚られた結果,行動しないという行動である傍観行動を選択せざるを得なかったと考えられる。
公正世界信念といじめ関連行動について
本研究から,究極的公正世界信念高群が究極的公正世界信念低群より被害者援助行動を行うこと,究極的公正世界信念低群が究極的公正世界信念高群より傍観行動を行うこと,内在的公正世界信念低群が内在的公正世界信念高群よりはやしたて行動を行うこと,内在的公正世界信念高群が内在的公正世界信念低群より被害者援助行動を行うこと,内在的公正世界信念低群が内在的公正世界信念高群より傍観行動を行うことが明らかとなった。つまり,「負の結果が起こったのは,過去の負の投入に原因がある」と考えない者ほどはやしたて行動を取りやすいこと,「被害者はいつか救われる」「負の結果が起こったのは,過去の負の投入に原因がある」と考える者ほど被害者援助行動を取りやすいこと,「被害者はいつか救われる」「負の結果が起こったのは,過去の負の投入に原因がある」と考えない者ほど傍観行動を取りやすいことが示された。ここから,中学生がいじめ場面を目撃した第三者となった際には,公正世界信念を強く持った者はいじめの解決者になりえるが,公正世界信念を強く持たない者は,むしろいじめを肯定したり黙認したりする立場に回り,その結果いじめをエスカレートさせる原因になりうると言えるだろう。
集団内地位と公正世界信念の組み合わせといじめ関連行動について
本研究から,不公正世界信念高群においては,人気者の方が目立たない存在よりもはやしたて行動を行う可能性があることが明らかとなった。この結果は,人気者の中でもこの世を不公正だと強く考えている者は特に,いじめ目撃場面においてはやしたて行動をとりやすいことを示唆している。また,不公正世界信念については,人気者の被害者援助行動と弱い有意な負の相関関係を示していた。
これらの結果を勘案すると,強い不公正世界信念はいじめ目撃場面において,学級内で比較的自由な居振る舞いが可能である第三者がとる行動のうち,いじめ被害者が救われるような働きかけやいじめ解決への働きかけを促す要因であるよりも,いじめを加速させるような働きかけを促す要因である可能性が指摘できるだろう。
いじめ目撃場面において解決者になりうる第三者を育てるための教師の働きかけ
傍観行動とはやしたて行動が正の相関を示し,いずれも被害者援助行動と負の相関を示した本研究から,いじめを解決するためには第三者となった者が傍観行動を取らず被害者援助行動を取ることができるように,往々にして第三者となりうる子どもたちに働きかけを行うことが大切だと言えるだろう。ここからは本研究でいじめ関連行動への影響を検討した集団内地位および公正世界信念について,教師がどのように関わることが解決者を育てることにつながるのかを提言する。
集団内地位について,人気者は傍観者より被害者援助行動をとるという結果が得られたがその理由は先述のとおり,集団内でのサポートの感じやすさおよび自由に動くことができると考えているか否かであろう。それら2つの点から教師の働きかけを考えると,周囲からのサポートをどんな子どもも感じやすくするためには日ごろからいじめに対しては集団で立ち向かうように指導し,被害者援助行動をとるものを積極的に助けるという学級雰囲気づくりを行うことが効果的だと考える。さらに教師もサポートすると感じさせるためにはすべての子どもとできる限り会話をし,教師の目は自分に向いていると思わせることが大切であるだろう。また子どもと教師の間に学級における集団内地位の認識の差はそれほどない(鈴木,2012)ということから,教師は学級に存在する子どもたちの集団内地位を把握し,それを活用して子ども一人ひとりが学級という集団において自由な振る舞いができるように子どもたちの人間関係を整えることが,教師の役目だと言えるだろう。
公正世界信念については上記の結果から,この世界をより公正だと考える方が被害者援助行動を行うと言え,あまり公正だと考えていないとはやしたて行動や傍観行動をとると言える。公正世界信念は,経験を通して形成されるということ,特に内在的公正世界信念については報酬・罰の経験を通して形成,強化される(Bennett,2008)ことから,中学生とのかかわりの際に,子どもがよいことをしたら褒め,悪いことをしたら叱るということを通して中学生の公正世界信念を強化できる可能性がある。
また不公正世界信念ははやしたて行動と関連する可能性が見られた。不公正世界信念とは,この世に公正は存在しないと信じる(村山・三浦,2015)傾向であり,これを中学生において具体的に考えると,「頑張ったが褒められない」「悪いやつが怒られていない」といったことがよく起こると考える傾向と言い換えられるだろう。ここから,中学生の不公正世界信念を弱めるための働きかけとして,「頑張ったが褒められない」「悪いやつが怒られていない」といったことをできる限り無くし,中学生にそのように感じさせない,経験させないということを教師は心がけるべきである。