本研究の目的は,場面による言語の使い分け,すなわちコードスイッチの傾向と,セルフモニタリング,社会的スキル,地元への愛着との関連を検討することであった。これらの関連を検討することは,現代方言の研究分野において重要である「会話」に焦点を当てることと,これまでなされていなかった,回答者が話し手となった場合の方言使用について焦点を当てることが目的であった。
まず,コードスイッチの傾向とセルフモニタリングとの関連について述べていく。セルフモニタリングの下位項目である「外向性」,「他者志向性」,「演技性」について,多重比較の結果有意差は一切見られなかったため,すべての項目について関連はないと明らかになった。これにより,場面によって言語の使い分けをするかどうかという個人の考えは,その場の状況に自分の行動が適しているのかどうかをその都度判断しているわけではないと言える。コードスイッチをする人というのは,「この場面では共通語を使って話すべきだ」といったことや,「この場面では方言を使って話すべきだ」というように,毎回考えて判断しているのではなく,ごく自然に,無意識で方言と共通語を使い分けているのではないかと考えられる。そうであれば,自分の行動がその場の状況や対人的に適切であるかどうかということについての関心度と,コードスイッチ傾向の違いに関連がないことは説明がつく。同じく,コードスイッチをする傾向のない人たちも,無理に意識をして方言,共通語を使用しているのではなく,話しやすいから,慣れているからといった理由で,その場の状況によって判断するという強い意識があるわけではないということが考えられる。
また,本研究では方言の項目において「以下の場面では方言を使うか,共通語を使うか」という尋ね方をしている。これにより,その場の状況によって言語を選択する意識のない人にも,強制的に場面ごとの使用言語を選ばせていることになる。そのため,実際にその場面において使用する言語と,本研究での回答が異なっていた可能性もある。町ら(2006)他の先行研究では,回答者が聞き手の立場として回答をしていたため,実際の会話音声等を用いて実験をしていた。本研究においては,回答者が話し手の立場であると想定して回答を求めたため,先行研究に倣うのであれば回答者自身に発話させるなどして実験をする必要も考えられる。
次に,コードスイッチの傾向と社会的スキルとの関連について述べる。先述のセルフモニタリング傾向については,場面に応じてコードスイッチをする,しない等の方言使用は意識的に行っていない可能性が高く,状況に適しているかどうかに関心があるわけではないと考えられたが,社会的スキルの「コミュニケーション力」において「コードスイッチをする群」,「コードスイッチをせず,共通語を使用する群」の間に有意な差が見られた。他にも,多重比較の結果有意差は出ていないが,「問題解決」の項目においても「コードスイッチをする群」,「コードスイッチをせず,共通語を使用する群」の間にわずかながら差が見られた。筆者は,コードスイッチをする傾向のある人ほど,コミュニケーションを円滑にする能力である社会的スキルが備わっているのではないかと仮説を立てていた。それは,先述した通り町ら(2006)の先行研究において,適切なコードスイッチができる人ほど良い印象評価をされていたためである。しかし,本研究において得られた結果は仮説に相反するものであった。考えられる理由としては,回答者の立場が町ら(2006)では「コードスイッチをしている話し手に対しての評価をする聞き手」であったものから,本研究では「自らがコードスイッチをする傾向があるかどうかという話し手」の立場であったことである。また,コードスイッチをしている人に対して良い印象を抱くからと言って,実際にコードスイッチをしている人たちに,円滑に対人関係をはこぶスキルが必ずしも備わっているわけではないということが考えられる。また,方言に関する質問項目において,その場に適した言語を選択しようとした結果,「コードスイッチをする傾向がある人」は,社会的望ましさを気にして回答をした可能性もある。
「コードスイッチをせず,共通語を使用する傾向のある群」が,社会的スキルの下位項目3つの「問題解決」,「コミュニケーション力」,「トラブルの処理」全てにおいて他の2群の平均を上回っている。これは,普段から方言を使わない人ほど対人関係を円滑にする能力が備わっていることを示唆している。筆者は,地元方言を使いつつも,場面に応じて使い分けができる人ほど対人関係を円滑に進める能力あるのではと仮説を立てていた。しかし,この結果からは,「コードスイッチをせず,共通語を使用する」,つまり「いつも共通語を使用する」人は,方言を使うことにネガティブな意識があるのではなく,共通語を用いることによってどこの出身地の人とでもうまくコミュニケーションをはかろうと努力をしているのではないかと考えられる。先述した通り,岡本(2013)は,多くの研究に共通して,社会経済的に有力な言語・方言を話す実験条件の方が,有力でない言語・方言を話す実験条件に比べて,知的・能力的な次元で話し手が高く評価されているとした。この通り,共通語のように全国放送のニュースで話されるような言語というものは,どの地域の人にとっても聞きやすい言葉である。共通語を主に使用する人ほど社会的スキルの平均が高くあらわれているのは,このような理由が考えられる。
最後に,コードスイッチをする傾向による違いと,地元への愛着についての関連を述べる。地元そのものへの親しみと,地元方言を使うかどうかについては概ね仮説通りの結果が得られた。それぞれの地元への愛着得点の平均は,「コードスイッチをする群」は3.70,「コードスイッチせず,方言を使用する群」は3.61,「コードスイッチせず,共通語を使用する群」は2.87である。つまり,「コードスイッチをする群」と「コードスイッチせず,方言を使用する群」には大きな差がなく,どちらの群も地元への愛着が強い傾向にあり,「コードスイッチせず,共通語を使用する群」は他の2群と比べて地元への愛着傾向が顕著に低かった。やはり,地元への親しみが強く,地元の言葉を使いたいと感じる人というのは,場面に応じてコードスイッチをしたり,常に方言を使ったりと方言への愛着も見られた。
上述の通り本研究では,地元そのものへの親しみと,地元方言の使用傾向には強い関連が見られた。しかし,これは本研究における回答者の出身地も関連しているのではないかと考えられる。井上(2007)は,地域ごとの方言に対するイメージを調査しているが,例えば東北地方出身者は,地元の方言にマイナスイメージを抱いている傾向がある。このように,地域によって地元方言に対する印象は異なるため,本研究での被験者の出身地方が異なれば地元そのものへの親しみと,地元方言の使用傾向との関連も異なる結果になる可能性がある。
本研究では,方言使用時のコードスイッチに焦点をあて,セルフモニタリング,社会的スキル,地元への愛着との関連を検討した。その結果,コードスイッチ傾向の違いによって社会的スキルである「コミュニケーション力」と,地元への愛着には関連が見られた。筆者は,コミュニケーションを取る場面において,方言を使うか共通語を使うかといった言語の選択をすることと,状況に応じた行動を取ったり,会話を上手く進めようとしたりする能力には関連があるのではと考え,これらのセルフモニタリング,社会的スキルの視点を用いた。仮説はほとんど支持されなかったが,本研究の結果により,コードスイッチをする人ほどコミュニケーションの点において優れている,コードスイッチが出来ない人はそうではないという当初の考えが改められた。コードスイッチをせず,共通語を主に使用する人は,あえてどの場面においても共通語を使用しているという考えがあり,コミュニケーションを円滑に進めようと努力をしているからであるとも考えられる。しかし,方言を使用する人が共通語を使用する人に比べてコミュニケーション場面においてけして劣っているわけではなく,地元への親しみがあるからこそ地元方言を用いたりするなど,個人の対人関係についての考えがうかがえる。
本研究では,回答者の出身地と現住地について尋ねていない。そのため,周囲の人の使っている方言と自分の地元の方言とにギャップがあるかどうか,それによって回答が変わってくる可能性について検討することができていない。自分の周りに,自分と同じ方言を使用する人がいれば,同じく自分も方言を使いやすいのではないかと考えられる。一方,地元の方言が現住地では通じなかったり,イントネーションなどが大きく異なっていたりする場合には共通語を率先して使用する可能性も考えられる。現に,共通語を使う人ほど,対人関係を円滑にしようとする傾向が見られている。出身地と現住地のギャップは,使用する言葉に大きな影響を与えるものではないだろうか。その影響を検討することが,今後必要になってくるのではないかと考える。