本研究の目的は、個人の志向性によってわりきり志向が、精神的健康に及ぼす影響が変化するのか、抑うつ、時間的展望の2つの観点から考察していくことであり、この目的に沿うように、以下の仮説を立てた。
1. 高志向性、高べきの専制の人において、わりきりの有効性認知は抑うつを低減し、時間的展望を高める。
2. 高志向性、弱べきの専制の人において、わりきりの有効性認知は抑うつ、時間的展望に影響を与えない。
3. 志向性の低い人において、わりきりの有効認知は抑うつを低減するが、時間的展望に影響を与えない。
4. 志向性の高低・べきの専制の強弱に関わらず、対処の限界性認知は抑うつを高め、時間的展望を低める。
1. わりきり志向と抑うつの関連
1-1. 相関分析から
まず、わりきり志向尺度とCES-Dの相関分析を行った。わりきり志向尺度のわりきりの有効性認知は、抑うつに弱い負の相関があり、浅野(2010)、浅野ら(2013)を支持する結果となった。しかし、対処の限界性認知と抑うつについては、有意な相関は見られなかった。浅野(2010)、浅野ら(2013)で見られた、対処の限界性認知と抑うつの間に見られた有意な負の相関は、本研究では確認できず、先行研究を支持しない結果となった。その理由として考えられるのは、わりきり志向尺度の因子間での相関の高さであると考えられる。わりきり志向尺度のわりきりの有効性認知と対処の限界性認知は因子の間で中程度の相関があり、この相関は浅野(2010)、浅野ら(2013)よりも相関係数が高いものであった。北山(2001)は、あきらめについて、「つまり特別な場合を除いて、『あきらめた』と言う人は『あきらめてはいない』し、『あきらめないぞ』と言う人も半分『あきらめている』のでないか。《と述べ、「あきらめ半分《の感覚を提唱している。人が諦めを意識するとき、ポジティブなイメージだけを持つ、ネガティブなイメージだけを持つという人は少なく、諦めの動機についても、正負が入り混じるものであると考えられ、本研究の被験者は、諦めについて両価的な理解をしている人が多かったのだと考えられる。 が入り混じるものであると考えられ、本研究の被験者は、諦めについて両価的な理解をしている人が多かったのだと考えられる。
1-2. 志向性ごとの、わりきり志向が抑うつに及ぼす影響から
次に、仮説1から4の前半部について検討するため、個人の志向性の傾向とそれぞれのわりきり志向と抑うつとの交互作用を検討した。交互作用項を含む階層的重回帰分析、単純主効果の検定の結果、志向性×べきの専制×わりきりの有効性認知の交互作用が有意であり、高志向性・高べき者と低志向性高べき者において主効果が見られ、自我理想型と低志向性弱べき者においては主効果が見られなかった。高志向性・弱べき者に主効果がなかったことは、仮説1の前半部を支持し、高志向性・高べき者が抑うつを有意に低減していたことは、仮説2の前半部を支持する結果となった。仮説3については、低志向性高べき者において主効果が見られたことは仮説を支持したが、低志向性弱べき者については、主効果が見られず、仮説が支持されなかったと言える。また、志向性×べきの専制×対処の限界性認知の間に交互作用が見られなかった。仮説4については、対処の限界性認知が抑うつと無相関であったこと、交互作用が見られなかったことを鑑みると、支持されなかったと言える。
上記の結果を踏まえると、べきの専制が強い人はわりきりの有効性認知によって抑うつが低まることが分かる。また、べきの専制は抑うつに単独では影響しないが、個人のわりきり志向が抑うつに及ぼす影響について効果を与えるものであることが分かった。
また、Figure2より、高志向性・弱べき者と高志向性・高べき者を比べると、わりきりの有効性認知が低い状態であれば高志向性・弱べき者より高志向性・高べき者の抑うつが高く、わりきりの有効性認知が高い状態であれば同程度の抑うつを持っているように見られる。低志向性高べき者と低志向性弱べき者を比べると、わりきりの有効性認知が低い状態であれば低志向性弱べき者より低志向性高べき者の抑うつが高く、わりきりの有効性認知が高い状態であれば低志向性弱べき者より低志向性高べき者の抑うつが低くなっている。
この結果より、わりきりの有効性認知が高い人は「~すべき《であると感じても、その感情とうまく折り合いをつけ、柔軟に生きていける可能性がある。また、茂垣(2005)においても、理想がかなわない状況における対処について、高志向性・高べき者の人は「更なる努力や志向の継続の意思《を見せることが示されており、べきの専制が高い人は、自己の超自我からの要請が強いことを意識し、わりきりを活用しているのだと考えられる。低志向性弱べき者のわりきりの有効性認知が高い群と低志向性高べき者のわりきりの有効性認知が高い群を比較すると、低志向性高べき者の方が抑うつの得点が低い。低志向性高べき者においては、わりきりの有効性認知が高いことは、自己の超自我に折り合いをつける以上の意味があるのではないかと考え、べきの専制には二つの側面があるということを考察したい。茂垣(2005)を参考に、本研究においては、べきの専制を「自我に対する目標の拘束力が強い状態《と捉え、上適応なものとして扱ってきた。しかし、べきの専制と類似した概念である完全主義には、適応的、上適応的の2つの側面があることが分かっている。大髙・田上(2013)は完全主義の「達成努力《と「評価的関心《の2つの側面からなるモデルを提唱しており、「達成努力《は高い課題を設定し、コミットしていく傾向であり、「評価的関心《は、他者からの評価を気にし、失敗を恐れ、自分の行動に疑いをもつ傾向である。また、「達成努力《は抑うつに無相関であるが、「評価的関心《は抑うつに正の相関が認められることが分かっている。完全主義と似た、べきの専制についても適応的・上適応的な2側面があるのではないかと考えられ、わりきりの有効性認知を高く持つ人は、べきの専制の正の側面を活用できると考えられる。このことは、志向性が低い人は、「べきの専制《の正の側面を活用できる傾向は顕著であり、低志向性高べき者でわりきりの有効性認知が高い人は、自己の志向性を高めるためのアイデンティティの探索に努力できる可能性を示唆していると考えられる。
2. わりきり志向と時間的展望の関連
2-1. 相関分析から
まず、わりきり志向尺度と時間的展望体験尺度の相関分析を行った。その結果、わりきりの有効性認知は時間的展望体験尺度の下位因子とは相関は見られなかった。わりきりの有効性認知は抑うつを低減するなど、上適応状態から脱するためには有効であるが、その後の展望を持つことについては影響しない可能性が示唆される。抑うつは時間的展望の下位因子の全てに負の相関があり、わりきりの有効性認知は抑うつを低減することで間接的に時間的展望を高めるものであることが考えられる。対処の限界性認知は、時間的展望体験尺度の下位因子の、過去受容と希望に負の相関が見られた。また、対処の限界性認知は現在の充実感と無相関であり、意図もなく諦めることは、現在をそれなりに生き、過去や未来へのイメージを悪化させるものであると捉えられる。?
2-2. 志向性ごとの、わりきり志向が時間的展望に及ぼす影響から
次に、仮説1から4の後半部について検討するため、個人の志向性とわりきり志向と時間的展望の交互作用を検討した。交互作用項を含む階層的重回帰分析、単純主効果の検定の結果、時間的展望体験尺度のそれぞれの下位因子に対しては、志向性×べきの専制×わりきりの有効性認知の交互作用は有意でなかった。
時間的展望体験尺度の下位因子の現在の充実感を目的変数とした分析においては、志向性×べきの専制×対処の限界性認知の交互作用が有意であり、高志向性・弱べき者と高志向性・高べき者において主効果が見られ、低志向性高べき者と低志向性弱べき者においては主効果が見られなかった。Figure3より、高志向性・弱べき者の対処の限界性認知は現在の充実感を低め、高志向性・高べき者の対処の限界性認知は現在の充実感を高め、低志向性高べき者、低志向性弱べき者は対処の限界性認知は現在の充実感に影響を及ぼさない傾向が見られることが分かった。
過去受容を目的変数とした分析においては、志向性×べきの専制×対処の限界性認知の交互作用が有意であり、高志向性・弱べき者と低志向性弱べき者において主効果が見られ、高志向性・高べき者と低志向性高べき者においては主効果が見られなかった。Figure3より、高志向性・弱べき者は対処の限界性認知によって過去受容をより低め、低志向性弱べき者は対処の限界性認知によって過去受容を高めることが分かった。
希望を目的変数とした分析においては、志向性×べきの専制×対処の限界性認知の交互作用は見られなかった。これらのことより、仮説1~3の後半部については支持されず、仮説4の後半部については一部支持されたと言える。
これらの結果をまとめると、高志向性・弱べき者は対処の限界性認知によって時間的展望の現在の充実感、過去受容、希望を低めることが分かった。高志向性・弱べき者は、「~すべき《だという信念に囚われず、自己の目標に向かって柔軟にコミットしていける型であるので、葛藤時に、目標が実現できないことを意識する傾向が高いことは自己の志向性を否定するものであると考えられる。そのような自己否定は、過去から未来における自己のイメージを低めるものであると考えられる。
高志向性・高べき者は、対処の限界性認知によって現在の充実感を高め、希望を低めることが分かった。高志向性・高べき者は、超自我からの「~すべき《という要請を受けやすい目標を持つ型であり、高志向性・高べき者にとって対処の限界性認知は、自己の超自我から、目的もなく回避し、現在の充実感を高めるという、「今がよければいい《という刹那的なものであると考えられる。現在の充実感が高く、希望が低い状態は、白井(1991)における時間的展望に対する個人の信念の1つとして挙げられる、“生きている実感のある今の一瞬がいちばん大切だ”などの項目を含む「現在重視《の状態であると考えられる。森田(2010)では現在重視が抑うつに負の相関があることが明らかになっているが、そのような信念は自分の人生に対してどこか投げやりな印象を受け、その後に上適応に陥る可能性が考えられる。よって、高志向性・高べき者における対処の限界性認知は、一時しのぎの対処であると考えるが、現在の充実感を高めるのには有効であるが、有効なものでもあると考えられる。
低志向性弱べき者は、対処の限界性認知によって過去受容を高め、希望を低めることが分かった。この結果は、低志向性弱べき者が諦めに対して持つ印象の違いによるものであると考える。菅沼(2014)は諦めが、ポジティブ・ネガティブの両方の意味を持つことを指摘し、諦めることに対する認知尺度を作成し、諦めることの有効性や有用性について認知する認知傾向を表す有意味性認知、諦めることを挫折や失敗と認知する認知傾向を表す挫折認知の2因子を抽出した。本研究で使用したわりきり志向尺度は、諦めの意図に着目したものであり、個人の諦めそのものに対しての認識について分別するものでない。茂垣(2005)において低志向性弱べき者は、葛藤状態においても楽観的な構えを示すことが示唆されており、そのような人は、諦めに対しても肯定的な認識をすると考えられ、対処の限界性認知の項目の文章についても肯定的な意味合いを見出している可能性がある。対処の限界性認知の項目は、「自分の限界を超えることはあきらめたほうがいいと思う《など自分の限界を感じるようなニュアンスが含まれており、過去に起きたことのような、今からは変えることのできない、ある種の「限界《を肯定的に捉えることで、低志向性弱べき者は対処の限界性認知により過去受容を高めているのではないかと考えられる。