【はじめに】


 我々が日々生活を送る上で,活動に没頭し時間を忘れることや,自分が何のためにその活動をしていたのか分からなくなるほど熱中したりすることが,しばしばある。そのような熱中体験は,遊びから仕事や余暇に至るまでさまざまな場面で生まれる。例えば,子どもたちは日が暮れるのも忘れて遊び続けたり,ゲームに没頭したりしている。また,大人になっても仕事や趣味,家事に熱中したり,友人との会話に夢中になったりしている。つまり,子どもや大人といった年齢に関係なく,人は日常生活の中で頻繁に熱中体験をしている。

 このように,我々は日々,熱中体験をしているのだが,熱中のしやすさには個人差があるだろう。例えば,一日の中で熱中することが多い人もいれば,ほとんど熱中しない人もいる。ゲームやスポーツといった熱中しやすい活動でさえ全く熱中しない人もいる。また,スポーツや体を動かすことで熱中することが多い人もいれば,人との会話や食事といった他者と関わりを持つ活動で熱中することが多い人もいるだろう。つまり,熱中体験は日常生活の中でよく起こる体験であるが,その熱中体験のしやすさや個人が熱中しやすい活動には違いがあるのではないだろうか。

 さて,熱中している状態について,ロッククライマーは「普段より生き生きしており心地よい」と述べ,医者は「とても素晴らしく,たくさんの楽しみや満足がある」と述べている(Csikszentmihalyi,1975)。これより,熱中状態において我々は,非常にポジティブな経験をしているといえる。そして,文部科学省(2017)は子どもの頃,遊びに熱中していた人は自己肯定感が高くなると報告している。また厚生労働省(2014)は,東北の被災者が広大な畑での会話と作業により,開放感や没頭,集中による精神的安定感が向上したことを明らかにしている。さらに孔子は,「物事を知る者は,これを好む者には及ばない。好む者は,これを楽しむ者には及ばない」と述べている(金谷,1999)。孔子が言う物事を楽しむ者とは,物事に熱中している者ということであり,知っているだけの者よりも好んで行っている者の方が,また好んで行っている者よりも熱中して行っている者のほうが物事は上達するということである。これより,楽しんでいる=熱中・没頭している状態は非常にポジティブな経験であり,我々に有益な効用があるといえる。そして,そのような熱中体験をしているとき,人は満足感や,充実感を感じるだろう。

 以上より本研究では,日常生活で起こる熱中するという体験と個人差の関係性や,熱中するという体験の効果について検討していく。