まとめと今後の課題
本研究の目的は,対人場面において相手への何らかの要求を行う際に,どのような要求表現をするのか明らかにすることであった。
一般的には,お願い事をするときには相手への配慮が必要であるが,言語表現上それがどのような形で示されるのか,被験者に自由記述で表現してもらった。想定場面としてシナリオを4種類用意して,設定された場面でのお願いの仕方を表記してもらった。その際,想定する相手として,社会的地位の高低(先輩か同級生か)と,社会的距離の高低(親しい関係か,あまり話をしたことがない関係か)による条件設定をして,お願いの仕方がどのように変わるのか検証した。記述されたお願いの仕方の自由記述の文章については,言語的配慮を示す次元として丁寧度(politeness)と間接度(indirectness)の 2 つの観点から第3者が評定した。その結果,条件間の差が見られた。社会的地位が高いときほど,社会的距離が遠いほど,丁寧度,間接度ともに高いという結果であった。この結果自体はある程度予想されるものであった。
また,丁寧度においても間接度においても,相手の関係性に関しての交互作用(社会的地位×社会的距離)は見られなかった。このことについては,もっと細かく,具体的な相手との関係性を想起すべきだったか,ないしは被験者自身の持つ人間関係で特定の聞き手を想起させるべきだったか,これらは検討課題と言える。
本研究では,想定場面での具体的な要求表現を知りたく,被験者には自由記述の回答を求めたわけであるが,一言の表現だけの回答も多かった。Googleフォームでの回答なので,長文を書きにくい面もあったと推測する。実際の場面でもそういうシンプルな表現は確かにあり得ると推測するが,一連の文脈のなかでの一場面の切り取りになってしまっているので,要求表現の細かい側面についての検討は困難であった。実際の場面では,要求量が増えると要求内容をどう組み立てるか,発話までの会話のターンも増える(石川,1989)ということであるので,データの収集方法としては,シナリオの場面設定も含めて今回のやり方が適切であったかどうか検証が必要と考える。
今回の被験者の自由記述回答の中には,「お願いします!」「なんですけど…」「・・・笑」など言い方のニュアンスをわざわざ付け加えたり工夫した回答があった。実際の対面での要求場面では,そこでの会話において,言語表現上の文字だけのものではなく,ノンバーバルコミュニケーションの側面が確かに付随している。要求する側もされる側も,言語表現の部分だけでなく,むしろノンバーバルコミュニケーションの部分の要素が重要視されることも十分あり得る。本研究では,表情やしぐさ,言い方(声のトーン)までは検討することできなかったが,こういう観点からの検討も必要であったかもしれない。要求表現の場面設定であり,自分の過失が前提のシナリオでは,お詫びも含まれるし,配慮が必要な表現においては,言語表現とノンバーバルコミュニケーションは確かにセットになっていると考えられ,この点は大きな課題と考えている。
本研究で検討したかったもう一つの点は,ソーシャルスキルと要求表現(言語表現)との関係であり,ソーシャルスキルが高い人は必ずしも丁寧な表現を用いない場合がある,ということについてであった。
相手に快く承諾をしてもらえるためには,丁寧すぎる表現や間接的過ぎる表現は,場合によっては慇懃無礼というか形式的と捉えられそうな印象もあり,むしろ日常的な柔らかい砕けた表現の方が,承諾されやすいことがあるのではと予想していた。相手の感情を理解したり,関係性の調整がうまくできたり,問題解決ができたり,そういうことがソーシャルスキルが高いということであり,難しい要求場面でどのような言語表現をするのか,そういったことを明らかにしたいと考えていた。その意味で,高いレベルでソーシャルスキルを持っている人が,相手への要求表現についてどのような表現を用いているのかということに焦点を当て探索的な検討をすることも目的の一つであった。
今回の研究では,被験者から多くの自由記述を得ることができたが,ソーシャルスキルが高い人が,一様に砕けた軟らかい表現を用いてお願いをしているという形での検証は困難であった。被験者の記述からは,結果として,特定の関係に対して,この表現を用いるということまでしか読み取れず,明確に相手との関係を調整しようとする目的や意図が見えるような記述があまりなかったことから,関係を調整する目的でその表現を用いようとしたことまでは把握できなかった。
相手が同級生であったり,親しい関係であれば,比較的砕けた表現の記述が多く見られたが,これはソーシャルスキルが高い人でなくてもそういう表現を記述しており,なかなか実証することが難しかったと言える。
自分がもし,社会的距離が遠く,社会的地位が自分よりも低い人から非敬語的な言い方で要求表現をされたときに,果たしてそれが許容できるかどうか考えたとき,やはり一般的にはネガティブな印象を持つと推測する。しかしながら,初対面の相手であっても,相手のパーソナリティや人柄によっては,丁寧な表現でなくても受け入れることができる場合があることを経験的に知っている。何かしら相性が合うといったことでしか表現が難しいところであるが,人づきあいが上手で,会話の調子がうまく合う相手となら,親しくなくてもコミュニケーションがスムーズにいく場合がある。こういうやりとりや会話に含まれる要素に焦点を当てて検討したかったが,課題が残ったと認識している。
今回の研究では,ソーシャルスキルの測定についても課題がある。使用したKiSS-18の尺度はメジャーな尺度であるが,今回の研究に即したソーシャルスキルをきちんと測れていたのかどうか,である。そもそもこの尺度で測定したソーシャルスキルは,自身の認知であり,このような要求表現をするときの実際のスキルを測れていたのかどうか,そういう意味で,実際のスキル測定としての客観性はどうであったかという点である。KiSS-18尺度と丁寧度,間接度の関連がほぼなかったことからも,このような研究において,どのような尺度が適切であったか検討が必要と考える。
研究全体として多くの課題が残ったと考えているが,被験者から多くの自由記述回答が得られたことは収穫であったと考えている。想定場面とはいえ,そのような場面での要求表現においてかなりのバリエーションがあり,条件間でも表現上の違いが見られた。今後は,これらのローデータを元にさらに様々な検討が可能であると考えている。