おわりに


 教師の発達を考えることは、教師の個人的な成長と専門職的な成長を考えることであり、教師の学級での教授や学級経営などの仕事だけを考えることに留まらない。また、教師のこれまでの人生の生き方やその教授に影響することを考えると、教師の子どもへの関わり方や教育愛という情熱なるものの存在は否定できないだろう。  この「教師の生産的態度における教育愛」では、教育愛が教育の基盤であり、教師と子どもの関係に重要な影響を及ぼすものとして示したつもりである。また、筆者のこれからの教師生活に向けての基礎となる信念を構築する材料となり得たと思う。  しかしながら、今後においても教育愛についてさらなる研究が必要である。それは、やはり教育愛の抽象性の脱却と大いに関係がある。対話以外に、教育愛を教師と子どもが眼に見える形で推し測っていく術はないのであろか。また、本論文において教育愛はひとつの理想であり、それを得ようと目標に掲げることを前提に、教育愛が教師にとって形成可能なものであるということがあった。形成可能であるならば、それを高める手段は教師の自己内省であると言えるだろう。けれども、自己内省以外に教育愛を高めていくことはできないのであろうか。さらに教育愛が、教師を目指す若者や現職の教師に生じる初期の段階として、どのような経路を辿るのであるかは不明瞭である。教育愛は依然として、いくつもの論議を生む余地が有する。  なおも教育愛についての課題が多く残る中、少しでも教育愛が重要視され教育の諸要素として論及されることを望みつつ、この論文が教師に教育愛を抱くことの必要性を訴えていけるなら幸いである。

 

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