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【教育愛と対話】 |
この愛はシュプランガーの定義にしても、私自身の定義にしても抽象性は免れず、それを具体的にどのように人間の現象界に表していけばよいかは疑問を生む。また、教師の自己教育力を促す契機は、教師が教育愛を抱き、まさにその思い、子どもに「興味深い徴候」が現れた時であり、教師の眼に映る「子どもの眼差し」である。ここにおいて、教育愛の形を自分の眼で確認することの必要性が提起される。第V章は、教育愛をどのような具体的な形で表すことができるのかを考察した。
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『生の諸形式』 |
『教育者の道』 |
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人間を社会化するもの |
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社会化する以上のもの |
この突破口がシュプランガーの文献にないかと探した結果、彼の著書の『性の諸形式』と『教育者の道』では教育愛の捉え方が変化していた。シュプランガーの『生の諸形式』で当初は教師の教育愛が、人間を社会化するものに留まっていたが、その後の『教育者の道』ではそれを社会化する以上のものと修正した。社会化する以上の力は、人間の人格形成を指しているのではないかと考えられる。
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・特に人格形成に必要となってくるもの がコミュニケーション能力である。コミ ュニケーション能力の中でも、とりわけ 教育的な意味を持つ、人と言語を媒介と する「対話」に注目した。 |
以上、対話によって教育愛を教師から子どもへと表現していくことを考察したのである。対話の特徴には、「結びつきと隔たり、対等性と力関係、ゲームの規則性と役割の交替、用件の陳述と自己の陳述、積極性と受けいれ、刺激を与えることと待ち受けること、訂正することとされること」がある。この特徴と関わらせて、教育愛との共通部分をみていった。そして、この共通部分から、教育愛は対話によって表現可能であり、対話は教師が子どもを評価すると同時に、教師自身にも評価を下すものとなりえることを述べた。この教師自身の評価という観点から、教育愛が形成可能であることは断定できるであろう。