【教育愛の定義】 |
私の教育愛の場合も、シュプランガーと同様教師に教育愛が存在してほしいと考えている。教育愛の定義にあたっては、以下のような視点で考察した。
@子どもの成長(変化)への愛 A子どもをあるがままに受け入れる愛 B教師自身の成長(変化)への愛 |
上記のように、私が教育愛の構造を分化し、シュプランガーの教育愛の特徴を踏まえ、教育愛と「エロス」、「アガペ」、「フィリア」との関連を述べた。
愛の3要素を@ABに当てはめて考えると・・・
@はエロス的、Aはアガペ的な愛といえるだろう。そして、@Aを上手く機能させ、教師が子どもと共に成長する点で、@ABのどれにもフィリアは当てはまると言える。「的」を使用するのは、それぞれの愛と教育愛が必ずしも一致しないからである。
教育愛の方向性についても述べておくと、教育愛は対象である子どもだけになぜ限られないのだろうか。今までは、教育愛を教育における愛という観点から、愛の形態と関連づけ、その方向を教師から子どもへと見てきたに過ぎない。それでは、教育への愛という観点はないのであろうか。教育への愛という観点は、教育を担う教育者が自分を限りなく高めていく為の愛であり、教師が教育者として自分自身をどのように捉えているかを見返すことをその本質としている。
子どもへの愛を含めて教育それ自体への愛が、教師に自己反省と自己教育力を与えて、教育愛は自ら愛の調節を図ることが出来るのだ。また、この3つの愛はいずれも教育的側面を持っている。
よって、教育愛を次のように定義した。
教育愛はエロス的・アガペ的・フィリア的という3つの愛の特徴を持つ複雑構造で、愛の中でも特殊な愛であり、教師の自己内省で愛を自己調節することができる。