U 問題
@この研究をはじめたきっかけ
私たち人間は家族をはじめ多くの人々と助け合い、支え合うことによって生きており、一人では生きていけないものだと考える。しかしその一方で、人間の悩みの大部分は他者と自分との間における人間関係に起因するものではないだろうか。そのため、多くの人は他者と良い関係を築いていくためにはどうすれば良いのだろうか、と悩み、考えるのだろう。そして、それは筆者自身にも当てはまる。
他者と良い関係を築くためには、相互に好意を持ち、親しくしたいと思うことが必要である。また、他者に対する好意はその他者に対してもつポジティブな印象から形成されるだろうと考えられる。
そこで、筆者は他者と良い関係を築くための第一歩として、他者にポジティブな印象をあたえるにはどのようにすれば良いのだろうか、ということに関心をもち、探索的に研究していきたいと考えた。これが、今回の研究を行うことになったきっかけである。
A印象形成における順序効果
Asch(1946)による研究をはじめとして、これまでに他者に対する印象形成を問題とした研究が数多くなされてきた。
印象形成における順序効果の研究としては、Asch(1946)の形容詞リストを用いた研究が知られている。Aschは、被験者に刺激人物についての特徴を記した形容詞リストを提示することによって刺激人物の印象を形成させた。その結果、ある人物について最初に比較的望ましい内容の特徴を知り,その後で比較的望ましくない特徴を知った方が,逆の場合よりも良い印象を形成しやすいという初頭効果(primacy
effect)が明らかにされた。Aschによると、個々の情報は印象形成に対して相互に関連し合い、ある情報の意味が変容したりして、1つのまとまった印象が形成されるという。初頭効果が生ずるのは、先に提示された情報がその印象をほぼ決定し、後で提示された情報は、先に形成された印象に適合するように意味の変容が行われるためであると解釈されている。しかし、2つの異なる情報提示の間に、簡単な作業を受け手に行なわせた場合などには、後で知った情報の方が印象形成に強い影響を与えるという新近効果(recency effect)も認められている(Hovland ,1957)。
B認知的熟慮性−衝動性
滝聞(1991)は、印象形成における初頭効果と新近効果の現れ方の個人差と認知スタイルの一つである認知的熟慮性−衝動性との関連性を探ろうと試みている。認知的熟慮性−衝動性はKaganら(1964)によって提出された概念であり、熟慮性は「速さよりも正確さを重視し、より多くの情報を収集した上で慎重に結論を下そうとする傾向」、衝動性は「正確さよりも速さを重視し、ある程度の情報に基づいて最初にこうだと思ったことを性急に結論する傾向」であり、一次元の連続体の両極であると仮定される。滝聞は、熟慮性の高い者は、得られる情報を偏りなく利用して判断を下すであろうから、初頭効果も新近効果も現れにくいであろうが、一方、衝動性の高い者は、初期に得られた情報に基づいて早々に大方の結論を下してしまうであろうから、初頭効果が現れやすいだろう、と予想をたて、実験を行った。滝聞は、4つの特性語リストを被験者に提示し、刺激人物の印象を形成させ、リストの前半の特性語の利用度が高ければ初頭効果、後半の特性語の利用度が高ければ新近効果とみなした。その結果、熟慮群においては全ての特性語を偏りなく利用し、初頭効果も新近効果も現れにくいことが示されたが、衝動群については、2番目に提示した特性語の利用度が落ち込み、また後半の特性語の利用度が高まるという予想しなかった傾向が見られた。また、初頭効果と新近効果両者の相対的現れやすさは、熟慮性−衝動性によって弁別できていない、という問題点が残されている。
C初期印象に注目した理由
Kelley,H.H.(1950)やKulik,J.A.(1983)は、私たちが最初に得た情報にいかに拘束されるかということをよく示している。二人の研究から池上(2000)は、「人間は何らかの期待をもつと、それを確証するような情報を選択的に求めるようになり、仮に期待に反する事実に遭遇しても、巧みに再解釈し既存の内容を維持しようとするものらしい。」と述べている。これらの研究から、私たちは、初期印象から他者の人となりを判断しがちであると言える。ある他者に対する初期印象は、その後の人間関係を大きく規定してしまうものであり、良好な人間関係をスムーズに築いていくためには、ポジティブな初期印象をもたれることが必要である。このことが、本研究において初期印象の形成に注目した理由である。
D表情に着目した理由
初期印象の形成において重要な手がかりとなるのは、情報の入手のしやすさという観点から、外見や所属集団などの客観的情報であると考えられる。Beach & Wertheimer(1961)は、客観的情報を体格や容貌といった刺激人物の外見、両親の職業や国籍といった刺激人物の背景的情報、また、刺激人物の職業や出身校といった一般的情報に分類している。それでは、これらの客観的情報の中で、どのような情報が重要なのだろか。笹山(1989)は、ある人物の外見と職業を被験者に提示し、どのような印象が形成されるか、という実験を行った。その結果、刺激人物の職業のみを提示された被験者は、提示された職業から推測したと思われる印象を形成したのに対して、刺激人物の外見と職業の両方を提示された被験者は、職業にかかわらず、外見をもとに印象を形成していることが示された。このことから、初期印象形成においては刺激人物の外見が比較的重要な手がかりとなると考えられる。刺激人物の外見には、体格、容貌、服装、声質、表情など、様々なものがあるが、これらの中で、表情は自身の意識次第でもっとも変化させやすいものの一つであるだろう。そこで、本研究では表情に着目することとした。
E笑顔の効果
印象形成研究において、表情に関する研究は従来から数多くなされてきたが、特に笑顔が他者にポジティブな印象を与えることや、好意を増すということが明らかにされた研究がいくつかある。本荘(1988)は、VTRを用いた実験を行っている。刺激人物(男性)は同様に10分程度の話をするが、一方は5ヶ所でSmileを表出し、もう一方は一度もSmileを表出しない2種類のVTRを作成した。どちらか1つのVTRを刺激人物と面識のない被験者の男女に提示し、刺激人物の印象を質問紙によって評定させた結果、未知の人がビデオで一方的に知識を伝える話をするのを短時間(10分間)聞くという条件のもとで、Smileは、話をする人物に対する印象上、個人的親しみやすさを増す効果をもつことが示された。また、同実験では対人魅力についての効果も検討しているが、有意な効果は得られていない。対人魅力は、Byrne(1971)のInterpersonal Judgement Scaleの日本語訳(末永, 1987, Pp.218-220.)における6項目のうち、個人的感情(好意度)と実験で一緒に働きたいか、の2項目の合計点によって求められたものであった。対人魅力について有意な効果が得られなかった原因として、本荘は、Smileの量が少なかったことや、求められた対人魅力得点が、対人魅力を測定していなかった可能性があると述べている。後者について本荘は、刺激人物が男性であるのに対して、被験者のほとんどが女性であったので、被験者が自分の正直な評価を示さなかった、と考えている。この点については、刺激人物の話の内容や質問項目の妥当性の問題など他の原因についても吟味する必要があるだろう。さらに横矢(2002)は、刺激人物と被験者が実際に会話を行う場面を設定した実験を行った。刺激人物と被験者は初対面であり、全ての条件において「職業について」の3分程度の会話をするが、一方の条件では刺激人物は終始微笑を表出して会話を行い、他方の条件では終始微笑を表出せずに会話を行う2条件を設定した。また、刺激人物が男性の場合には男性の被験者を、刺激人物が女性の場合には女性の被験者を割り当て、性ごとに分析を行っている。刺激人物と被験者の会話終了後、被験者に刺激人物の印象及び好意度を質問紙を用いて評定させた結果、初対面場面において微笑を表出して他者と接することは、対人認知次元にかかわらず、その他者からポジティブな印象をもたれ、強い好意を抱かれることが明らかにされた。しかし、横矢も指摘するように、この結果は同性間のコミュニケーションでのみ言えることであり、異性間についても検討する余地がある。
F自己紹介場面を取り上げる意義
これまでの印象形成研究の問題点の一つとして、研究自体が非現実的であり、日常生活への応用が極めて困難であることが挙げられる。この問題点を克服するためには、横矢(2002)の実験のように実際に刺激人物と被験者が対面し、コミュニケーションをとる場面を設定して研究を行うのが最良であると思われる。しかし、この方法は要因の統制を行うことが極めて困難である、という問題点がある。そこで、本荘(1988)の研究と同様に、本研究では要因の統制を容易にするためにVTRに録画した人物を刺激人物として研究を行うことにした。また、日常場面において、今後も関わりをもつであろう初対面の人物を一方的に観察する、というシチュエーションとして十分にあり得ると考えられる自己紹介場面を研究の対象とした。
G日常生活へ応用可能な研究を!
本研究では、筆者と同性である女性が初期印象をより良くするためにはどのように行動すれば良いのか、ということを笑顔の順序効果という観点から明らかにしたい。女性が同世代の初対面の他者に自己紹介を行うとき、初期に笑顔を表出する場合と終期に笑顔を表出する場合とではどちらがよりポジティブな印象をもたれ、より強い好意をもたれるか、ということを明らかにしようとする本研究は、日常場面においても十分応用可能であり、また、応用価値のあるものだと考える。
V 目的
1.女性が同世代の初対面の他者に友人づくりを目的とした自己紹介を行うとき、初頭効果、新近効果の観点から、初期に笑顔を表出する場合と終期に笑顔を表出する場合とではどちらがよりポジティブな印象をもたれ、また、より強い好意をもたれるか、ということを明らかにする。
2.女性が同世代の初対面の他者に友人づくりを目的とした自己紹介を行うとき、相手の性にかかわらず笑顔を表出した場合は笑顔を表出しない場合よりもポジティブな印象をもたれ、また、より強い好意をもたれるかどうかを検討する。また、相手が同性であるか異性であるかによって印象形成における初頭効果と新近効果の現れ方に差が見られるかどうかを検討する。
3.女性が同世代の初対面の他者に友人づくりを目的とした自己紹介を行うとき、相手の認知的熟慮性−衝動性の違いによる、印象形成における初頭効果と新近効果の相対的現れやすさの差を検討する。