問題と目的


 私たちは初対面の人に出会った時、様々な情報から相手に対して何らかの印象を持ち、同時に相手からも何らかの印象を持たれる。初期に形成された印象はその相手との関係に影響を及ぼすこともあり、大変重要であると言える。福屋(1994)は、初対面場面において相手の印象を形成する要因として、顔立ちや服装といった外見の次に、初期印象の肉づけの材料として、相手が自分に対して好感を持っているか、相手にユーモアがあり、楽しい人物かどうか、知識や才能があり、人間的にも尊敬できるかということを挙げている。これらの要因の中からユーモアに注目し、初期印象形成に対する有効性を検討することを本研究の目的とする。

 上野(1992)は、ユーモア(humor)とは「おかしさ」「おもしろさ」という心的現象を示すものであると定義している。また、漫画やジョーク、喜劇といったユーモアを引き起こす個々の刺激事象をユーモア刺激とし、ユーモア刺激を口に出して言ったり体で表したりすることをユーモア表出としている。ユーモアには様々な機能があるが、Ziv(1995)の挙げる5つの機能のうち社会的機能に注目すると、Ziv(1995)によれば、ユーモアは対人関係の扉を開く鍵として使うことで社会における適応能力を拡大させることができ、ある集団に仲間入りしたいと思う場合、ユーモアのセンスのある人は間違いなく有利である。浅田(2000)はユーモア表出と対人場面での積極性との関連を明らかにしており、ユーモア表出は対人関係の円滑化において有効であり、初対面場面においてもユーモアが初段階での壁を取り除き、関わりを切り開く、「対人関係の扉を開く鍵」として機能しているというように、Ziv(1995)の挙げるユーモアの社会的機能を確認している。これらのことから、初期印象形成時において、ユーモア表出の効果は大きいと考えられる。

 上野(1992)はユーモアを表出の動機から以下の3つに分類している。
@「遊戯的ユーモア」(playful humor)
 陽気な気分、雰囲気を醸し出し、自己や他者を楽しませることを動機づけとして表出されるユーモア刺激によって生起するユーモア。遊戯的ユーモアを生起させる刺激を遊戯的ユーモア刺激としており、これは事象の不適合などからおかしさを引き出す刺激である。例としてはだじゃれなどの言葉遊び、ありふれた日常のエピソードなど、内容自体にはあまりメッセージのないものが挙げられる。気分や雰囲気を明るくするため、気分転換の効果が強い。
A「攻撃的ユーモア」(aggressive humor)
 他者攻撃を動機づけとして表出されるユーモア刺激によって生起するユーモア。攻撃的ユーモアを生起させる刺激を攻撃的ユーモア刺激としており、皮肉、からかいなどがよく利用される。ユーモア喚起に伴って、攻撃の動因の充足や優越感が引き起こされるが、攻撃の動因状態にない場合や、むしろその攻撃を嫌う場合は、ユーモア喚起は不快感によって抑制される。したがって、ユーモア喚起の効果は個人差が特に激しい。また、Gutman&Priesut(1969)によって、攻撃的ユーモアは送り手に対する好意を低減させることも報告されている。
B「支援的ユーモア」(support-relief humor)
 自己や他者を励まし、勇気づけ、許し、心を落ち着けさせることを動機づけとして表出されるユーモア刺激によって引き起こされるユーモアであるが、初対面場面で表出することは不自然だと考えられるため、本研究では扱わない。

 初期印象形成に対するユーモア表出の有効性を検討するにあたり、ユーモアの種類だけでなく、表出するユーモア刺激の量も考えなくてはならない要因だと言える。それは、表出するユーモア刺激の種類が同質であっても、表出の量によって相手に持たれる印象は異なる可能性があるためである。対人場面においてユーモアの種類と量を同時に扱っている研究は見当たらないが、牧野(1999a)は説得に及ぼすユーモアの効果に関する研究において、ユーモアの重要な構成要素でありながら先行研究でユーモア刺激の量が取り上げられてこなかったことを問題とし、ユーモアの種類、量の両要因を扱っている。牧野(1999a)によれば、挿入されるユーモア刺激の量があまりに少なすぎる場合にはユーモア刺激が刺激として感知されず、したがってある程度の刺激量が必要となる。遊戯的ユーモアは、刺激の増加に伴いポジティブ・ムードやメッセージ評価、および送り手評価が高まることにより、効果は少量よりも多量の方が顕著にみられると予想される。一方、攻撃的ユーモア刺激の量が多い場合には攻撃的要素が増すため、ネガティブ・ムードの喚起、メッセージ評価や送り手評価の低下を介して、効果が相殺されるかあるいは抑制されると考えられる。している。これらの研究から、ユーモア刺激の種類が同質であっても、挿入する量によって説得の効果に違いがみられることが分かる。これらのことはユーモアの説得に及ぼす効果にのみ言えることではなく、初期印象形成に対する有効性を検討する際にも意義のある課題である。

 これまでの研究において、初期印象形成場面でのユーモア表出の有効性について論じられてはいるものの、実際に扱った研究は見当たらない。さらに、対人場面に限らず、種類や量の異なったユーモア表出の有効性を比較した研究も少ない。したがって本研究の第1の目的は、上野(1992)によるユーモアの分類のうち、遊戯的ユーモアと攻撃的ユーモアの2種類それぞれについて、表出するユーモアの量も操作し、初期印象場面におけるユーモア表出の有効性を検討、比較することである。

 ところで、時代とともに、人々に受け入れられるユーモアは変化している。それを最も反映しているのが、テレビで放映される「お笑い番組」ではないだろうか。そこで、戦後の「お笑い番組」が時代とともにどのように変化してきたのかを少し見てみると、村瀬(1996)によれば、戦後最大の好景気に見舞われた1960年代には、会社人間を笑いものにする「お笑い番組」が流行した。この頃の「笑い」は、秩序に一瞬の揺らぎを与えるようなものであった。1970年代に高度経済成長期が終わり、展望の見えない時代になると、子どもたちは親と教師から多大な期待を受けることとなった。その結果、秩序の羽目を外すというような、親や教師を笑いものにする「お笑い番組」が子どもたちの間で流行した。経済停滞の時代である1980年代に入ると、「確実なものがないという感じ」がリアリティをもつ時代となり、その「確実なものがないという感じ」が「本物」より「にせもの」にリアリティを覚えるという風潮を生んだ。それはすべてを相対化、パロディ化し、本物を嘲笑化するという形で「お笑い番組」に覿面に表れた。しかし、それより若い世代が、ある種の「確実なもの」を求めだすようになり、1990年代に入ると「本気」という感覚を再発見するようになる。このように、「お笑い番組」はそのときの人々の笑いのニーズに答えており、また同時に、人々のユーモアの認知は、その人が見てきた「お笑い番組」から影響を受けていると考えられる。

 そこで、ユーモアの認知が異なると考えられる世代差について、社会人、大学生、中学生を取り上げ、ユーモア表出の有効性を検討することを本研究の第2の目的とする。  本研究の仮説をまとめると次の通りである。


仮説1
 遊戯的ユーモアには気分や雰囲気を明るくする効果があるため、初対面場面の緊張を和らげると考えられる。一方、攻撃的ユーモア表出は、攻撃の動因状態にない場合や、むしろその攻撃を嫌う場面ではユーモア喚起は不快感によって抑制される場合がある。初対面場面では攻撃の動因状態にあるとは考えにくい。
 よって、同程度の量を扱うとき、遊戯的ユーモア表出を含んだVTRが最もポジティブな印象を持たれ、攻撃的ユーモア表出を含んだVTRが最もネガティブな印象を持たれる。

仮説2
  遊戯的ユーモアは、刺激の増加に伴いポジティブ・ムードやメッセージ評価、および送り手評価が高まり、攻撃的ユーモア刺激の量が多い場合には攻撃的要素が増すため、ネガティブ・ムードの喚起、メッセージ評価や送り手評価の低下を介して、効果が相殺されるかあるいは抑制されると考えられる。
 よって、遊戯的ユーモア群は少量よりも多量挿入した場合の方がポジティブな印象を持たれ、攻撃的ユーモア群は多量よりも少量挿入した場合の方がポジティブな印象を持たれる。

仮説3
 社会人、大学生、中学生では、接してきた「笑い」が異なる。
 よって、世代により、ユーモアの種類によって表出の受け入れられ方に違いが出る。


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