問題と目的
 人が社会生活を営む上で、他者とのコミュニケーションは不可欠である。その中でも、共同で問題を解決するという目的を持ったコミュニケーション場面においては、人と人とが充分な議論をすることが求められる。
 集団で議論をすることで期待される効果は大きい。「3人寄れば文殊の知恵」と言われるように、議論を通して自分では想像もできなかった考えを知ることができたり、他者と様々な意見を交わしたりすることで、それぞれの思考をさらに深めることができると言える。
 企業や職場において、議論に関するスキルの開発や教育などが強く望まれている。
 近年では、学校教育現場においても、総合的な学習や生活の時間などが新設されたことからも考えられるように、ますます共同学習という授業形態が重視されてきている。そして、このような授業形態においては、必然的に学習者同士が活発な議論をすることが求められる。
 しかし、実際には、情報や意見を交換するだけの話し合いに終始し、議論をするスキルなどを教えるまでは至っていないのが現状なのではなかろうか。つまり、議論をすることを方法として用いていても、議論をすること自体に焦点をあてた授業や、議論をするためのスキルを習得するためのトレーニングは充分になされていないと言える。
 そこで本研究では、授業中の少人数でのグループ討論・グループ学習に焦点をあて、そこで行われている学習者相互のコミュニケーション過程を観察し、議論においてそれぞれの学習者がどのような働きをしているのかを分析することで、効果的な議論をするためには何が必要なのかを検討する。さらに、議論をすることへの個人の志向性を探り、それらが議論の中でなされる発言や議論の中で個人が果たす役割とどう関わっているのかを探っていくこととする。

1.議論の定義

 本研究においては、学習者同士が様々な言語的コミュニケーションをとりながら、何らかの問題解決を目指す「問題解決的議論」を「議論」と定義する。
 また、議論する問題についてもいろいろなものが想定できる。明確な答えはないが何らかの解決策を見いださねばならない問題や、数学の問題のように解があるものへ議論を通して接近するような問題などが考えられる(加藤・丸野,1996)。
 よって本研究では、共同で意見を出し合い、何らかの解決策を見いださねばならない問題と、解があるものに対して接近するような問題についてを取り上げ、両方の議論の特徴を捉えつつ、観察していくこととする。
 なお本研究においては、「発言」を、口頭で意見を述べること、「発話」を、その結果生じた音声とし述べていく。

2.議論における学習者相互のコミュニケーション

 学校教育において行われるグループでの学習や討論の進め方は、基本的にグループのメンバーにまかされることが多い。
 丸野・加藤(1996)は、「議論の過程で絶えず繰り返される自己と他者との絶え間ない対話の連続は、グループ全体の論理的な流れの中に一つの方向性と秩序をも創り出していく。」と述べていることから、個々人の発言に注目するだけでなく、議論全体における発言の流れに注目をすることが必要であると考えられる。そこで、本研究では、議論を進めるに過程において、学習者相互のコミュニケーションがどのように議論を展開していくのかを探る。そして、議論で発せられる発言が、議論の中でどのような役割を果たしているのかについてを整理することによって、議論の構造を分析する。

3.否定的フィードバックの抑制(RNF;Restraint on Negative Feedback)と自意識、対人不安傾向について

1)否定的フィードバックの抑制(RNF;Restaint on Negative Feedback)について

 議論の中で同じような意見の羅列が続いたり、沈黙が続いたりすることによって議論がうまく機能しないことが多々見受けられる。このような場合、議論をするメンバーの個人個人が発言に消極的になってしまっていることが考えられる。
 その要因は多々存在するだろう。その中でも、自分の中で言いたいことを明確に持っているにもかかわらず、それを議論をするメンバーに伝えられないことは、議論への動機付けや、個人の有するスキルの他に阻害する要因があるといえる。その原因として「他者からの反応や評価が気になる」ということが考えられる。
 集団討論の研究においても、「自分は批判を大切だと思うが、他の人に非難として受け止められることを懸念してしまう」という意見が参加者全員から聞かれたということが報告されている(中島, 2004)。このように、人が発言することに対して躊躇することの根本には、「相手からのネガティブな反応をおそれる」ということが一つの要因として考えられる。

 繁桝・池田(2003)は「2者間において、相手とぶつかるくらいなら言いたいことを言わない」という考えによって言動を抑制することを否定的フィードバックの抑制(Restraint on Negative Feedback;以下、RNF)と名づけている。
 しかし、言動を抑制する要因は相手と「ぶつかる」ことだけではなく、自分が意見を述べることによって相手にどう思われるか、という懸念も含まれると考えられる。したがって本研究では、「他者からネガティブな反応がかえってくるくらいなら、言いたいことを言わない」という考えによって言動を抑制するということをRNFと定義する。
 RNFには、「円滑さ」というポジティブな効果をもたらすことができる(繁桝・池田,2003)。また、相手の面子を守るという他者志向的な側面がある一方、自己の面子を守るという自己志向的な側面がある(繁桝・池田,2003)。しかし一方で、このような効果は表面的効果であり、「ネガティブな反応がかえってくるくらいなら、言いたいことを言わない」という考えから発言を控えた場合、それが相手に伝わってしまうと、逆に相手の不満は高まる(繁桝・池田,2003)。このように、RNFという行動をとることには、利点も欠点もあるが、相手との長期的な関係を考えると、RNFはあまり有効であるとはいえないだろう。
 では、議論場面ではRNF的志向性はどのように発言に影響してくるのであろうか。複数の人間が共同して問題を解決していく場面では、2者間のコミュニケーションとは違い、メンバーそれぞれがより全体のこと見渡せるかが重要となってくる。つまり、複数の人間が問題解決的議論をする場面においては、他者からの反応の懸念を気にする程度に加えて、個人が自己にどの程度注意を向けているのかという自意識についても検討していく必要があると考えられる。

2)議論場面でのRNFと自意識について
 
 自分自身にどの程度注意を向けやすいかの個人差を自意識特性と言う。自意識には、自分の内面・気分など、外からは見えない自己の側面に注意を向ける程度の個人差を示す私的自意識と、他人に対する行動など外から見える自己の側面に注意を向ける程度の個人差を示す公的自意識の2つがある(Feningstein,Scheir,&Buss,1975)。私的自意識の高い人は信念・態度と行動の一貫性が高いことが示されている(Scheir,1980)。このことから、私的自意識の高い人は、議論場面において言いたいと思うことを抑制することは少ないのではないかと考えられる。一方、公的自意識の高い人は、他者からの評価的態度に敏感であることが示されている(Feningstein,1979)。よって、自分が発言することによって起こる自他の関係、あるいは自己の評価を気にすることから、発言を抑制したり発言内容を濁して不明確なものにしてしまっていることが考えられる。また、「こんなことを言ったら他者にどう思われるか」ということを気にして言葉を選ぶうちに発言できなくなる可能性もある。よって、公的自意識の高い人は、発言を控えるたり不明確な意思表明をすることが多いのではないかと考えられる。
 また、複数の人間が共同して問題を解決していく場面では、メンバーそれぞれがより全体のこと見渡せるかが重要となってくるので、自分の考えにばかり注意を向けていると、他者の考えや議論の方向性などが見渡せなくなってしまう。よって、公的自意識、私的自意識が共に高い人は、自分に向けられる注意が多いため、議論中に話題を切り替えたり確認したりするなどの、談話の制御な役割に関しては、発話の割合が少ないのではないかと予想が出来る。
 そこで、以下の仮説を立て、検証していく。

 仮説T:公的自意識の高い人は、私的自意識の高い人に比べ、発言を抑制したり、不明確な意思表明をしたりする割合が多い。

 仮説U:公的自意識、私的自意識が共に高い人は、談話の制御的な役割をする割合が少ない。

3)議論場面でのRNFと対人不安傾向について

 松成(2003)は、対人不安傾向が高い人は、対人コミュニケーション場面において話をする時「焦り」「変なことを言わないように気をつけようという気持ち」等をより強く感じることを明らかにしている。先にも述べたように、RNFとは他者からのネガティブな反応を懸念して言いたいことを言わないという行動なので、他者との関係に不安を感じた結果の行動であるとも考えられる。よって、他人からの評価を懸念することの一側面として、対人不安傾向が高いことが発言を抑制したり不明確な意思表明をしたりすることにつながるのではないかと考えられる。

 仮説V:対人不安傾向の高い人は、対人不安傾向の低い人に比べ、発言を抑制したり、不明確な意思表明をしたりする割合が多い。

 また、実際に議論を経験したことで「自分は議論では人との関係の中で嫌な思いをするから発言をしないでおこう。」と考え、発言を抑制するというケースも考えられる。すなわち、対人不安傾向が高いから発言が困難になるという因果関係とは逆に、議論によって対人不安傾向が高くなるということも考えられるため、本研究では、事前と事後での対人恐怖心性得点を比べることによって、議論が個人の対人不安傾向に与える影響も検討する。