総合考察
1.学習者相互のコミュニケーションについての考察

1)司会者の明確化について(Cについての考察)
 
 実験Aでは、最初は誰が司会をするのかということは決まっていなかったが、議論が進むにつれて、一人の被験者が議論の展開を考えた発言をし、最終的に議論をまとめていた。
 一方、実験Bでは、特に誰が議論を進行をするのかということは明確にはならなかった。
 実験Aにおいて、この司会者の存在が、議論の流れを作っていったのは明らかであり、司会者が進行をしていくことによって、後半になればなるほど、皆からどんどん意見が出て、活発な議論になった。
 実験Bでは、沈黙が起きることが多かったことや、また話の流れが確認されないまま次へ次へと進み、メンバーの間で議論の流れが共有されず理解に食い違いが起きていたこと、回を重ねるにつれて増えた議論に関係のない話を止める人がいなかったことなどから考えても、司会者がいたほうが、どのような内容を議論しているのかを確認でき、理解できたことをメンバーで共有することにつながり、より有意義な議論になったのではないかと考えられる。
 よって、本研究では、司会進行者を明確にすることが、より議論を活発にすることが示唆された。しかし、本実験の場合では、議論のテーマや条件が実験ごとに異なるため、テーマを統一して議論を観察するなど、より正確な検討が必要だろう。

2)根拠のある発話及び、情報付加的な発話について(R、Iについての考察)

 実験A、実験B、両実験において、根拠のある発話(R)は、議論を展開していく上で、皆に説得力のある意見として影響を与えたり、難しい問題点を明確にしたりと、議論を有意義にしたと考えられる。
 特に実験Aでは、議論の中で、皆の問題点が解決される時にはRの発話がみられ、その発話がメンバーを納得させており、議論とメンバーの考えにより深まりを与えた。
 そして、実験Bでは、Rの説得力に加え、実験Aではほとんど見られなかったI(情報付加)も、議論において重要な要素になっていたと言える。実験Bの議論では、実験Aとは逆に、「こんなことも書いてある。」といったように、テキストにある情報をメンバーで共有することで、新たな理解が得られたり、根拠のある発話につながったりと議論とメンバーの知識により広がりを与えた。
 よって、本研究では、根拠のある発話や、情報付加的な発話が、議論を充実させる要因の一つであることが明らかとなった。

3)余談について(Oについての考察)

 実験Aでは、少しの「笑い」が、それまで堅い雰囲気だった議論空間をなごませ、メンバーが次々に話し出すきっかけになっていた。このように議論に関係のない余談にも、場をなごますという重要な役割もあることが確認された。ただし、実験Bにおいては、余談が長引いて、本題の議論の時間が少なくなったので、議論に関係のない余談は程々である必要があるといえるだろう。

4)「わからない」という意思表明について(Mについての考察)

 実験Aが、司会者によって進行されたことに対して、実験Bは、メンバーの「ここがわからない」という発話によって進行されていた。共同学習場面では、メンバーの「ここがわからない」といった意思表明をもとに、それを取り上げて議論を進めることが示された。被験者によっては、「わからない」という箇所を多く挙げるものもいれば、ほとんど疑問点を挙げずに、他のメンバーから出された疑問について解説する者もいたが、この疑問点の表明があったからこそ議論が進んだので、「わからない」と表明することも、有意義な議論となるための重要な要素だと言える。

5)同じテーマの議論を複数回することの影響(実験Bについての縦断的考察)

 実験Bでは、「テキストの疑問点を出し合い、話し合いで解決する」というテーマで5回の議論を行った。その結果、回を重ねるごとに、各被験者の議論への参加の仕方が決まってきた。
 第2回からは、疑問点を表明する「質問をする人」と出された疑問点について「解説する人」に役割が分かれ、第4回では、全員が1つの話題について議論する形態から、取り上げられる話題によって話題に参加するメンバーが入れ替わる形態となり、第5回では、隣同士でしか話をしないという議論空間の崩壊が見られた。
 第2回での役割の分かれ方は、「質問をする人」がどんどん質問が出し、解説を聞くことで理解ができ、また「解説する人」も解説することによってさらに理解を深めることができた様子から、議論をすることを学習にうまく活かせているといえるだろう。しかし、第4回、5回の議論の形態は、参加するメンバーが限られており、誰かが疑問を出したことに対して皆の意見が聞けないという点で、6人で集まってコミュニケーションをすることが活かされていないため、議論を学習者にとって有意義なものにできたとは言えない。
 同じテーマで議論を積み重ねることは、有意義な議論に近づくことには必ずしもつながらないことが明らかにされた。
 有意義な議論にするためにはどうすればよいのかを教示したり、議論を毎回振り返ったりすることで、有意義な議論ができるようになるかもしれない。テーマを議論の深まりに合わせて柔軟に変化をしていくことも必要であるのかもしれない。今後、検討が必要だろう。

2.個人内要因と、発言傾向についての考察

1)自意識と発言との関連

 公的自意識の高い人にとっては、「他人が自分よりすごいことを言っているように感じて発言を抑制した」というケースや、「緊張・遠慮をして発言を抑制した」というケース、「こんなことを疑問に思っているのは自分だけかもしれないから皆には言えなかった」というケースが見られた。これは、「他の人からの評価」や「他の人との関係」を気にして発言を抑制していると考えられ、公的自意識の高い人が発言を抑制する背景には、他者との評価・関係を気にすることが要因の一つとなっていることが示されたと言える。よって仮説T「公的自意識の高い人は、私的自意識の高い人に比べ、発言を抑制したり、不明確な意思表明をしたりする割合が多い」は一部支持されたといえる。しかし、私的自意識が高い人でも、「でしゃばらないようにして発言を抑制した」というケースもあったので、今後被験者数を増やして検討するなどさらなる検討が必要だろう。
 また、本研究において、話題の制御する役割をしたのは実験Aの被験者一人だけだったが、この被験者は自意識が公的自意識私的自意識共に低く、仮説Uは部分的に支持されたといえる。

2)対人不安傾向と発言との関連

 本研究で取り上げた対人不安傾向の高い人と低い人の間には、一つの傾向が見られた。それは、発言の回数は多くても少なくても、本人の自己評価が「あまり言いたいことを言えていない」であったことである。実験Aでは、全く発言数が同じ被験者同士でも、対人不安傾向の高い被験者は、「意見がまとまらないうちは、意見を言わない」という傾向が見られ、発言を抑制しており、自分自身があまり言いたいことを言えなかったと振り返っていることから、RNF的発言抑制を多くしたと思われる。一方、対人不安傾向の低い被験者は言いたいことが言えなかったのはなぜかという自由記述欄には回答せず、「やや言えたと思う」という自己評価であった。実験Bでも、やはり対人恐怖心性の高い被験者のほうが、低い被験者に比べ、「言いたいことがいえたか」についての自己評価は低い。
 よって、仮説Vは本人の自己評価から検討すると、支持されたといえる。

3.議論の経験が与える不安についての考察

各実験において、議論後に対人恐怖心性が上昇する被験者がいた。議論の経験が、なんらかの不快な感情を喚起したようであった。今回のケースでは、議論を通じて自信をなくしたということが、被験者の事後に行った質問紙での「自信がなかった」という感想から読みとれた。この感情が次の議論での発言に対する抵抗感を高めるかどうかは検討が必要だが、議論自体が対人的な不安を高めることがあるということは確認できた。