1.学業的援助要請、援助要請回避理由における群間の差に関する考察
2.学習動機づけからのパスの検討
3.自律性支援の認知からのパスの検討
4.本研究における適応的援助要請の捉え方について
1.学業的援助要請、援助要請回避理由における群間の差に関する考察
@学業的援助要請の群間の差について学業的援助要請尺度、援助要請回避理由尺度において対教師群、対友人群に差が見られるのかどうかを検討した結果、適応的援助要請を除く学業的援助要請の下位尺度得点において群間に有意な差が見られた。自主的学習、要請回避については対友人群よりも対教師群の方が有意に高い得点を示し、依存的要請については対友人群の方が対教師群よりも有意に高い得点を示した。援助要請について、適応的な要請では教師と友人では有意な差が見られないが、答えを求めるなどの不適応な要請は友人に対して行うという結果は先行研究(Nelson-Le Gall & Glor-Scheib,1986)と一致する。これは生徒との関係に一定の役割関係がある教師と比較して、友人は相互依存的な関係になりやすいことが考えられるためであり(野崎,2003a)、本研究の結果もこの考えに一致するものであると考えられる。しかし本研究では適応的要請の信頼性係数がα=.563と低かったことから、本来の意味での適応的援助要請として捉えられなかったことが考えられるため、今後の検討が必要である。この点についての詳細は後述する。
本研究において新たに作成した、「たとえ解けなくても取り組み続ける」という自主的学習については、教師に対してより行われることが明らかになった。この結果の原因の1つとして教師に対する努力の誇示が考えられるだろう。生徒にとって教師は学業的な援助を求めてしかるべき相手である(野崎,2003a)が、学業に関する評価者でもあることから、援助要請を行うことによる問題の解決よりも、たとえ解けなくても取り組み続けるという行為に対する努力の評価を重視する傾向があるのではないだろうか。
A援助要請回避理由の群間の差について
学業的援助要請については群間に差が見られたが、援助要請回避理由については、いずれの下位尺度においても群間に差が見られなかった。「自分でやりたいから」などの自律について、群間に有意な差が見られなかったという結果は先行研究(野崎,2003a)と一致する。質問紙において、「自分でやりたいから」という「自律」の理由は、要請回避は援助要請の対象者について考えるよりも以前の段階であると考えられることから、要請対象者の違いによる有意な差は見られなかったのではないだろうか。無関心については、「数学に興味がないから」というようにそもそも学習に対しての動機づけが低いために解決に向かおうとしないという理由であることから、要請対象者による有意な差は見られなかったのだろう。援助要請を行うことによって無能力と評価されることを避ける「能力重視」の理由は、先行研究(野崎,2003a)では、対教師群において有意に高いという結果であり、この差を親密な友人は要請することによって評価が変わらないためという親密性の違いと考察している。本研究において群間に差が見られなかったのはなぜだろうか。援助要請回避理由尺度の下位尺度間の相関を検討した結果では「能力重視」と「無関心」が比較的高い正の相関を示していた。このことから、本研究における能力重視の理由をもつ生徒は、動機づけが非常に低い状態であったということが考えられ、援助要請という方略を用いて解決を図ろうとする傾向が両群ともに低かったのではないかということが原因の1つと考えられる。また、「こんな問題ができないなんて自分がはずかしいから」などのように質問文に両群に違いのない項目も含まれたため、要請対象者についての意識づけが不十分であったことも考えられることから、これについては今後の課題である。
2.学習動機づけからのパスの検討
@内発的段階からのパスの検討
(1)「自律」を媒介したパスについて内発的段階の動機づけは、対教師群・対友人群の両群において自律の理由を媒介して自主的学習に正の影響を与えていた。この結果は、自律性の高い動機づけをもつ生徒は、「自分でやりたい」という理由から援助要請回避を行い、たとえ解けなくても他者に援助を求めず最後まで取り組み続けるということを示している。また自律性の高い動機づけから適応的援助要請への正の影響は見られなかった。下山,桜井(2003)では、要請回避理由の自律は最終的には適応的要請を行うことを明らかにしているが、援助要請スタイルとして新たに「自主的学習」を加えた本研究ではそのような結果は得られなかった。
(2)対人的志向性を媒介したパスについて
対友人群のみ、内発的段階の動機づけから対人的志向性を媒介して依存的援助要請に弱いながらも正の影響、自主的学習と要請回避に負の影響を与えていた。内発的段階の動機づけは、他者との相互作用の中で学習に対する自律性を高めていく過程であるため、内発的段階の動機づけが対人的志向性に正の影響を与えているということが考えられる。内発的動機づけは、自律の理由を介した場合は自主的学習が行われるが、同時に対人的志向性を高め、自主的学習・要請回避を抑制させ、依存的援助要請を促進させる働きもあるということを示している。また群間の差の検討では、依存的要請が友人群で行われ易いという結果がみられている。これらの結果は、他者との関係という社会的な面において自己を有能と認知するという「社会的コンピテンス」が対友人群においてのみ、自律性に負、依存的要請に正の影響を与えるという先行研究(野崎,2003a)の結果に一致している。この結果は、社会的コンピテンスが高い生徒は、友人との間により親密な関係を築いていることが考えられ、わからない問題に直面した場合には、すぐに友人に依存できるという傾向にあることを示しており、他者に安易に頼るという対人的志向性のネガティブな面が示されているとされている。本研究においても同様のことがいえると考えられるだろう。
また対人志向という特性は、より身近な友人への要請行動に影響を与え、教師に対しては学業的援助要請の場面では対人的志向性は影響しないということも明らかになった。これは前述したように、生徒との関係に一定の役割関係がある教師と比較して、友人は相互依存的な関係になりやすい(野崎,2003a)ということが原因として挙げられるだろう。援助要請行動は、対人関係の中で行われる行動であり、その実行には行動レベルでの技能が必要と考えられる(島田,高木,1994)ことから、教師への援助要請については親密さを求める対人的志向性よりも、援助要請を行うスキルなどが影響しているのかもしれない。しかし、対人的志向性は重決定係数が非常に低かったことから、パスのモデルとして問題があることも考えられるため、今後の検討が必要である。
(3)「無関心」「能力重視」を媒介したパスについて
内発的段階の動機づけは、両群共に援助要請回避理由の無関心に負の影響を与えていた。また無関心については、対友人群では内発的段階以外にも同一化的段階が負の影響、外的段階が正の影響を与えていた。一方要請回避理由の「自律」は対教師群では内発的段階と同一化的段階から、対友人群では同一化的段階から正の影響を受けているという結果を示しており、このことは「解決自体をあきらめているから」という無関心を援助要請回避の理由として挙げる学習者の学習に対する動機づけは、自律を挙げる対象者とは対照的に低いという先行研究(下山,桜井,2003)と一致している。また、無関心から援助要請行動へは、対教師群、対友人群ともに、依存的要請と要請回避に正の影響を与えていた。この結果も先行研究(下山,桜井,2003)と一致しており、課題への動機づけが低く無関心である場合、ヒントよりは答えを求めるというような依存的援助要請や解くことをあきらめるという要請回避を行なう傾向があるということがいえる。このことより、援助要請行動には動機づけが深く関与していることを示していると考えられ、内発的な段階の動機づけは無関心を抑制することによって依存的要請や要請回避といった不適応的な行動を抑制させることが明らかになった。
また対友人群においてのみ、有意傾向であったが内発的段階の動機づけが援助要請回避理由の能力重視に負の影響を与え、能力重視が依存的援助要請に正の影響を与えていた。能力重視については、取り入れ的段階の動機づけからの強い影響も見られたため、詳細は後述する。
A同一化的段階からのパスの検討
対教師群においては、同一化的段階の動機づけから依存的援助要請に直接の正の影響、援助要請回避理由の自律を媒介して負の影響が示されるという、相反するような結果となった。まず、自律を媒介した場合に依存的援助要請が抑制される結果については、内発的段階からのパスと同様に、自律性の高い動機づけが「たとえ解けなくても自分の力で取り組み続ける」という意味での自律的な行動を促進し、依存的要請と要請回避という不適応的な行動を抑制するという結果である。では、同一化的段階の動機づけが依存的援助要請に直接的に影響を与えているのはなぜだろうか。この原因の1つとして考えられるのは、調査対象者の学年である。本研究の調査対象者は中学校3年生であり、調査時期も11月中旬と高校受験が間近に迫った時期であった。同一化的段階の動機づけは課題への興味のみを源泉とする内発的段階の動機づけに比べ、将来必要であるというようにさまざまな観点から自分にとっての学習の価値を内面化している状態である。この動機づけを測定するための質問項目には、「よい学校(高校・大学)に入りたいから」などの項目があり、このような動機づけをもつ生徒の場合、差し迫った入学試験のためにより効率的と思われる「答えを聞く」などの依存的な援助要請が行われる傾向があるのかもしれない。
B取り入れ的段階からのパスの検討
取り入れ的段階の動機づけについて、対教師群では、適応的要請に比較的強い直接の正の影響があり、能力重視を媒介した場合には要請回避に正の影響が与えられていた。一方対友人群では能力重視を媒介して依存的要請に正の影響があった。
「能力重視」の理由が、対教師群、対友人群ともに取り入れ的段階の動機づけから正の影響を受けていたことについては、取り入れ的段階の動機づけは、他律的ではあるが学習の価値を内面化し始める段階であるため、他者との比較が起こり、能力感への脅威となることが考えられる。
教師群において適応的援助要請への直接の正の影響が見られ、能力重視を媒介したときには要請回避への正の影響が見られた原因の1つとして、取り入れ的な段階は「先生にほめられたい」など、学習の価値を内面化しつつも主に他律的な理由で学習に動機づけられている段階であることから、ヒントを求めるなどの適応的な援助要請行動を教師に対して行うことにより、学習に対するやる気を誇示する傾向が示されていると考えられる。しかし、教師は評価者であるため、無能と評価されることを恐れる能力重視の理由をもつ場合には、解決をあきらめる要請回避が行われるのだろう。
対友人群では能力重視を媒介して依存的要請に正の影響があった。援助要請をすることによって能力が低いと評価されることを避けるために、教師に対しては問題を解くことをあきらめる傾向があり、友人に対しては「ヒントよりは答えをきく」という依存的な要請をする傾向があるというこの結果は、能力重視の理由から依存的援助要請が行われるのは対教師群においてであった先行研究(野崎,2003a)とは逆の結果である。野崎(2003a)では、教師に対するセルフハンディキャッピング行為ではないかと考察されているが、本研究において対友人群で能力感への脅威をもつことが依存的要請を促進させているという結果は、友人間での援助要請行動では依存的な要請が最も自然であり、それゆえに能力感への脅威を感じにくい要請行動であることを示しているのではないだろうか。しかし、このような可能性は本研究の結果だけでは明確にできないため、今後の検討が必要である。
C外的段階からのパスの検討
外的段階の動機づけは、対教師群では能力重視を媒介して要請回避に正の影響を与え、対友人群では無関心を媒介して依存的要請と要請回避に正の影響を与えていた。
外的段階は「先生にしかられたくないから」というように他律的な動機づけの状態である。学習に対する動機づけが非常に低いと考えられるため、生徒にとって評価者である教師に対しては、無能であると評価されることを恐れる能力重視の理由を持ち、すぐに解くことをあきらめる要請回避をする傾向があるのだろう。また、関係がより親密であり相互依存的な関係になりやすいと考えられる友人に対しては、低動機づけであるために無関心の理由から依存的要請や要請回避を行う傾向があるのではないだろうか。
3.自律性支援の認知からのパスの検討自律性支援の認知から学習動機づけへのパスでは、対教師群では内発的段階と同一化的段階の動機づけについて自律性支援の認知からの正の影響が見られ、また対友人群でも有意傾向であったが自律性支援の認知から内発的段階に弱い正の影響が見られた。この結果は、英語学習について自律性を支援されていると認知している生徒はより自己決定の程度の高い動機づけを持つということを明らかにした先行研究(安藤,1999,2000)と一致し、数学学習についても同様の結果が示されたといえるだろう。しかし、対友人群では同一化的段階への有意な影響は見られず、また内発的段階への影響も弱いものであるというように対教師群と対友人群では差が見られた。これは対教師群の人数が85人、対友人群の人数が90人と少ないため、偏りが出たのではないかと考えられる。このため人数を増やした検討が必要だろう。
自律性の高い動機づけについては、前述のとおり、自律の理由を促進し、また無関心の理由を抑制することによって、依存的要請や要請回避という不適応的な援助要請行動を抑制させる。これらの結果から、教師からの自律性支援が学業的な援助要請行動という学習方略においても学習者への周囲の効果的な働きかけとなる可能性を示しているといえるのではないだろうか。このように不適応的な要請態度は抑制されることが示されたが、適応的な援助要請が促進されるという結果は見られなかった。これは、後述する適応的援助要請の捉え方に関する問題点の影響が考えられるが、そのことを含めた適応的援助要請を促進させる周囲の働きかけについての検討が今後必要であるといえるだろう。
4.本研究における適応的要請の捉え方について本研究では、適応的要請については対教師群において取り入れ的段階の動機づけからの比較的強い正の影響があり、また有意傾向ではあったが外的段階の動機づけからの直接の負の影響と無関心からの負の影響が見られたが、その他の動機づけ要因や援助要請回避理由、自律性支援の認知、対人的志向性のどの要因からも影響が見られなかった。適応的要請の項目は、「私は先生(友達)に質問するとき、その問題の答えではなく、ヒントを教えてもらいます」「自分で考えて、どうしてもわからなかったときだけ、先生(友達)に質問します」「教科書などを使って、自分で調べたあとで、先生(友達)に質問します」というものであった。対教師群において取り入れ的段階の動機づけからの正の影響が見られたという点から、本研究において適応的要請は、学習への興味関心とは関係なく、勉強のできる人がわからないときに教師にわからないところだけを尋ねるというような、あまりポジティブではないイメージで捉えられたのではないかと考えられる。また前述したように、取り入れ的な段階は「先生にほめられたい」など、他律的な理由で学習に動機づけられている段階であり、適応的な援助要請行動を教師に対して行うことにより、学習に対するやる気を誇示する傾向を示しているとも考えられ、対友人群において適応的要請の重決定係数が非常に低かったことからも、適応的要請が教師という存在に対してのみ行う努力の誇示というネガティブなイメージとして捉えられている可能性が考えられる。依存的要請が友人に対して多く行われる傾向や、要請回避は教師に対して行われる傾向が示され、また両群ともに、自律性の高い動機づけから自主的学習に比較的強い正の影響が与えられていたことから、身近な友人にはわからないときにすぐに答えを尋ね、教師に対してはできるだけ援助要請をせず、粘り強く取り組み続けようとするという傾向が窺え、適応的要請が生起する場面があまりないのではないかとも考えられる。自分でじっくりと考えた後に教師や友人に対して自分がわからない箇所を尋ねるという適応的援助要請は、学習時の有効な方略の1つであるという認識が薄く、適応的な援助要請がポジティブなイメージで捉えられていないためかもしれない。
本研究では、適応的援助要請因子の信頼性がα=.563と他の因子に比べ低かった点、重回帰分析結果において、また対友人群での適応的要請の重決定係数が非常に低かった点から、今後の課題として適応的要請行動が正確に捉えられるよう再検討が必要であるといえる。